蒼然たる灰、燦然たる空

ジョン一朗

第一話 灰と空

 白……見渡す限りの白が眼前にある。たまらなく寒い。私は大吹雪の真っ只中にいるようだった。学校の制服(夏服)で。

 よし、一旦状況を整理しよう。自分が今どんな状況に置かれているか、それを理解することが大事って進路指導でも言ってた。


 私の名前は佐藤ソラ、十七歳、県立大神先おおがさき高校二年、趣味は雑談、と。大丈夫だ、記憶喪失とかではないらしい。が、ここにいる理由がわからない。そもそもここ数日何をしてたんだっけ……。


 ……思い出せない。まさかとは思うけど異世界に飛ばされた? 神隠し? そんな馬鹿な。うう、寒い。冷房効きすぎたスーパーとかの比じゃない。私半袖だし、冷え性だし。全身が痛い。自分の体なのに感覚に実感が無い。あれ、私死んじゃうのかな。もしこれが映画なら「寝るな! 寝たら死ぬぞ!」って励ましてくれる恋人でもいたのかもしれない。しかしそんなご都合展開があるわけもなく、私の意識はそこで途切れた。


 ぺちぺちと頬を叩かれている。正直なところ睡魔と温もりが絶妙な調和で私の体を襲っていて目を開きたくない。ぺちぺちぺち。まだ叩かれている。こういう時に私がすることはだいたい決まっている。目覚まし時計のスヌーズ機能と幾度となく死闘を繰り広げた私なら、この勝負に勝てるはずだ。

少しばかりくすぐったいけど、ひたすら微動だにしない。ぺちぺちぺちぺち。むしろ意識を眠る方に向け、心を沈めていけば良い。


 何分ほど経っただろうか、未だに頬叩きスヌーズとの闘いは続いている。視覚を使えず、自由に体を動かすこともできない戦術をとっている今の私には二分でさえ一〇分ほどに感じられるだろう。しかし敵もなかなかの猛者のようで、ひたすら頬だけを叩いていると思ったが額に移動したり、叩く威力を上げてきたりと多彩な攻めを見せてくれる。だが、ここで屈するわけにはいかない……と思ってたけど駄目だ。相手が強すぎる、スヌーズ機能と違って五分で切り上げてくれないし!


「あーもう! はいはい起きます、起きますとも!」

 思い切り意表を突いて上半身を跳ね起こすと素っ頓狂な顔でこっちを見る男が一人。釣られてこちらもひどく間抜けな顔になってしまう。

「冷凍人間ってわけじゃなさそうだな」

 落ち着いたトーンで話してくれてはいるが、顔の様子に続いて言っていることまでなかなか抜けている。顔そのものはそんなに悪くなさそう。髪は結ぶほどの長さがあって、白髪。いや、銀って言ったほうがしっくりくるかもしれない。そうだ、この人よく見ると学校の外国人教師の……ダニエル! ダニエルに似てる気がする。


 そういえばここはどこだろう、雪の上で倒れたところまでは覚えている。周りを見るといくつもの機械類が目に留まる。ケーブルむき出しだったり、意図のわからない数字が並んでいたりと様々。加えて部屋全体が細長い直方体のように見える。天井は見るからに低めだ。


「飲むか?」

 ダニエル(仮名)はカップに入ったお湯を差し出してくれた。よく考えてみたらこの男、流暢に日本語を喋ってる。ダニエルなのに。

「さ、さんきゅー」

 ダニエル相手に動揺して英語が口から飛び出る。私はおそらくステンレス製であろうカップを受け取った。至る所に黒ずみみたいな後があるけどこの際贅沢は言えない。実際喉は非常に乾いていて、少し痛んでいるように感じる。一気に液体を喉へ送り込むと高めの温度にヒリヒリと焼けついた。


「それも着たほうがいい」

 私の上に布団のように被せられていた上着を指差している。

「そんな露出の多い服……三〇年以上は生きていると思うが、初めて見たぞ」

 突然そんな台詞を聞くことになるとは思ってもみなかった。私はあまりスカート丈短くしてもいないし、露出と言っても半袖なだけ。ダニエルはなかなか刺激に弱いらしい。三〇代らしいけど、純情なダニエルくんのため、私は上着を羽織ってみせることにした。おお、なかなか防寒性能は高いようで体温からくる熱が内部に篭もる。

「普通にただの夏服なんですが?」

 私はたまらず疑問をぶつけてみることにした。

「それは服と言うのか、一体誰が作ったんだ? だいぶクレイジーな奴なんだろうな」

 ダニエルも、疑問でいっぱいという具合で返してくれた。随分と過激な表現だけど。


 そんな時、唐突にダニエルが表情を変えて立ち上がった。ダニエルは別の部屋へ移動して、すぐに戻ってきたが私の手をしっかり握って私も立ち上がらせた。

「こっちへ来てくれ」

 ダニエルがドアの横にあるパネルに触れると電車の扉が開くときのような音がしてドアが横へスライドする。私は全体的に寂れたイメージしかなかったこの部屋が急にハイテクに見えてきていた。


 奥の部屋は部屋といえるほどの広さがない。二人分の座席と、ハンドル、レバー、ペダル類が並んでいる。外がはっきり見える窓があり、外の雪の状況がよくわかる。吹雪は止んでいるようだった。ワイパーも見受けられる、たぶん運転席かな。

「車の運転方法はわかるな?」

 私が首を横に振ると、ダニエルは呆れたような顔になり

「ペダルを踏んでくれればいい、そうすれば進む」

 それだけ言うと、キーを回して運転席から出て行ってしまった。


「えっ」

 思わず口に出してしまったが、本当にどうすればいいのかわからない。何があってどのように何をするべきなのだろう。私はたまらずダニエルを追いかけた。

「確か、こうすれば……」

 私の手のひらを操作パネル押し当てる。特有の音とともにドアが開いた。よかった。誰がタッチしてもちゃんと開くもののようだった。私が寝ていた部屋を抜ける。おそらくこの車両はキャンピングカーのような仕様になっていると考察できた。居住スペースと移動能力を兼ね備えた、この雪の世界になくてはならない装備なのかも。


 先の部屋は思いの外天井が高かった。床には工具や機械が散乱していた。でも一つ、明らかに異彩を放つ物があった。大きなロボット、人型のマシンが座り込んでいた。いわゆる「体育座り」にも見える姿勢をしたそれは、腰から上だけで私の身長の二倍近い大きさを持っていた。立ち上がれば五メートルぐらいになるのだろうか。


 それがゆっくりと移動し、やがて部屋の扉が開く。はっきりとはわからないけど、ダニエルがあれに乗って出ていく。そうなんだろうな、と思える。子供の頃、そういうテレビ番組が流行っていた。主人公がふとしたことから最新の兵器に乗り込んでしまい、人類存亡に関わる重大な事件に巻き込まれていく、という内容だ。クラスの男子が話しているのを聞いたことがあった。ダニエルの乗っているであろうマシンは雪の世界へ降り立った。


 マシンは曲げていた足をしっかりと雪の上に立たせた。当然重みで沈んでいく、と思われた。が、かかとの戦車用履帯クローラーが回転を始め、沈み込む前に前へと進む。不意に炸裂音。続いて爆音。私の頭をある思考が支配した。一体ダニエルは何をしているのだろう。戦闘。その二文字が脳裏に浮かぶ。助けてもらって良い人だと思った。そんな安直な考えは捨てなければならない。私の頭からは、いつかニュースかドキュメンタリーで見たテロの様子が離れなかった。


 どうすればいいのかわからなくなって私は運転席まで戻ってきていた。怖い。ダニエルに借りた上着を着ているが、寒い。手が震える。気が付くと、炸裂音が嘘のように消えていた。カーラジオのランプが点灯し、声が発せられる。無線通信機のようだ。


「迷惑かけた、話に戻ろう」

 ダニエルだった。そうだとわかっていたけど、少し驚いてしまう。だが、ここで押されては駄目だ。聞くべきことを聞いておかないと。

「名前、教えてください」

「グレイ」

「グレイさん、助けていただいたことは感謝しています」

 思わず声に震えが滲む。

「グレイさんは、人殺しですか?」

「……」

言ってしまった。無線だったから良かったものの、顔合わせて話していたらすぐさま謝ってしまいそうだ。グレイさんも黙っちゃった。うう、空気が重いよ。

「人殺しだったら、君はどう思う?」

 質問に質問で返してくるのはずるい。でもこの空気を維持するのも辛い、答えないと。

「そりゃ、まぁ……怖いです」

「そうか、そうだろうな」

 すぐに沈黙が帰ってくる。気まずい。


「近場の地下居住区ジオフロントで降ろしてやれる」

 聞き慣れない単語に戸惑うが、駅みたいなものだろうか。わかったふりをして生返事をしてしまう。どう取られただろうか。

 

 グレイさんは一〇分もしないで運転席まで戻ってくると、すぐに車両を走らせた。気を使っているのか、今まで同様見慣れないのかはわからないけど私の方を見ようとしない。あんな失礼な物言いをしたのはまずかったかもしれないと思いつつも、ただ体をシートに預けられている状況が心地よく、私はぼーっとしてしまう。


 カーラジオの表示を見るに七〇分ほど経っただろうか。車両は動きを停止し、グレイさんはため息を短く漏らす。

 私はドアを開け、上着を脱ぐ。

「これ、ありがとうございました」

「その上着は処分するつもりだった。使ってくれ」

 最後まで私のことを考えてくれるようなグレイさんの答えに少し後悔の念が私の中で鎌首をもたげた。もう戻れない。グレイさんの反応だけでもわかる。ここは私の知ってる世界じゃない。


 私が降りるとグレイさんの車両は輸送車らしい大きなエンジン音とともにその場を離れていった。これから私はどうすればいい。考えなければ、この世界で一人で生きる術を。

 周りは薄暗い地下街と言った感じで人の姿は散見されるものの覇気がない。隅のほうで布をかぶっている人、同じ作業を繰り返す人、空を眺めているだけの人もいる。

 もう一度しっかりともらった上着を着直す。気味が悪い。人がこんなにいるのに、人の温かみを感じられない違和感。


「す、すみません」

 決意して作業中の老人に声をかける。老人はボサボサの髪と眠たそうな目をしていた。

「食べ物と水がほしいんですけど……」

 男性は使っていたスパナを持ったままとある方向を指した。「大根引き大根で道を」って小林一茶の気持ちが少しわかる。声を出して答えてくれなかったのは正直辛かったが、答えてくれただけマシと考えて示してくれた方向へ歩む。小屋と老婆が目に入った。


「すみません、食べ物と水をいただきたいんです」

 ゴト、と重い音がして大きめのボトルと幅広の缶が差し出された。お金は必要ないのかな。と私は少し不安になったけど、常識が通用する状況じゃないと自分の中で一蹴した。

「……いただきます」

 常識が通用しなくても、礼儀は忘れないようにしよう。進路指導でもそんなことを言っていたような気が……。はは、あんなに真剣に考えていた進路も、今となってはどうでもいい。未来を考えている余裕はない、今を生きるだけで十分大変な世界に来たのだ。


 急に、私は自分だけ知っている人が誰もいないということを実感してしまった。学校の友達、先生、家族、そのいずれもここにはいない。もう会うことはできない。途端に足元の床がなくなったように不安な気持ちになった私は声を押し殺しながら泣いた。今まで抑えていたものを一気に吐き出したかった。


「あんた、余所者だね」

 老婆に話しかけられた。水と食料をよこせと言った挙句、目先で突然泣き出す者など不愉快極まりないに違いない。

「ごめんなさい」

 謝って走り去ろうと思った。

「そういう意味じゃないさ、ただ、早くここを離れたほうがいい」

「えっ」

 予想外の答えに足を止める。

「ここは定期的に賊の搾取を受けてるのさ」

「賊……」

 はっとして辺りを見渡す。ここにいる人は老人ばかりだ。

「ご名答」

 老婆は細くしていた目を見開く。

「女子供はだいたい連れて行かれた。男は働き手として売り飛ばされるか、抵抗して殺された」

「……」

 遠くへ行かなければ、そういう思いは私の中にあった。でも手段がない。私は今、もらった上着ともらった水ともらった缶しか持っていない。車もなければ家も行くあてもない。


「おばあちゃん、その賊って、車とか持ってますよね」

「あんた……馬鹿なことはよしたほうがいい、冷静になんな」

 おばあちゃんの言うことはもっともだけども、私ができることはそれ以外思いつかなかった。

「今の私には何もありません、だから、賭けてみようと……思うんです」

 缶のタブに指をかけ、豪快に引く。中にはパティのようなものが詰められていた。しかし缶から削ぎ出せるものがない、困窮して指を突っ込もうと思ったところで、おばあちゃんはスプーンを渡してくれた。

「缶の縁で指切るところだったね」

 なるほど、フタ部分が付いていたところの縁はとても薄くなっている。そしてフタも。

「あんたがどうなっても知ったこっちゃないけどね、久しぶりに人と話せてよかったよ」

 おばあちゃんは心底嬉しそうだった。弱々しい微笑みを浮かべている。

「いろいろありがと、お元気で」

 缶の中身を口に入れる。食感はなかなかだけど正直味は賞賛できるものではなかった。なんというか、こう、とっても味の薄いコンビーフと言えば伝わるだろうか、そんな感じ。ボトルと首を70度ほど上に向けて水を喉に通し、私は立ち上がった。

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