第48話

今回の里帰りから、桂の意思を尊重し、日本滞在中に小学校に通わないことになった。

2012年夏、台湾で離婚届を提出し帰国後、役所での申請やら審査やら、ややこしい事務手続きが待っていた。先にも記したが、日本に帰ってもうつ症状は治らず、家族が崩れ、愛娘と海を隔てたショックと落胆で、しばらくは横たわらねばいられない時間が長く、市役所に行く気力も健康な身体もなかった。

ようやく自力で市役所に行けたのが帰国して3週間ほど経った7月末。最も重要だったのは、児童扶養手当(いわゆる母子家庭手当) の受給申請だった。

「今月中に書類を揃えて申請しないと、受給時期が数ヶ月遅れてしまいます。」

と言われて冷や汗が出た。職員の皆さんのご努力で、ギリギリ滑り込めたのだけど。あの時は本当に有り難かった。


一連の手続きの中で、桂の住民票を抹消するものがあった。この申請書への記入やら署名は親権者にしか許されておらず、一枚きりのそれと、ジャックの署名等が必要な旨の手紙を添えて台湾に郵送した。

ところが、ジャックは無視。記入を再度頼んだが、要領の得ない理由をつけて、送り返してくれなかった。

市役所で事情を説明すると、同情され訝かられもしたが、住民票を置いたままにしていても違法ではないことがわかった。ただ、桂が日本のこの地に居住している、と見なされるわけだから、健康保険料は支払う義務があった。

ドンと動かないジャックを尻目に、桂が日本で病院にかからねばならなくなった時は助かる、と発想の転換をした。その上、当時は思い至らなかったが、住民票があれば、一時的に日本に滞在する場合でも、桂が住む校区の公立学校に行って、授業を受ける権利が与えられているのだ。夏休み中に解放される学校のプール水泳にも参加できる。

2008〜2010年の1年半の間、父の肺気腫の進行が懸念され、一人っ子の私ゆえ、父と母にとって唯一の孫である娘たちを台湾の小学校に上がる前に日本の生活を体験させ、かつ祖父母孝行するために、と夫婦協議の結果、母娘3人で実家で暮らした経験があった。

その時、娘たちの日本語力は飛躍的に上達し、また、日本にも「同級生」とか「友達」と呼べる仲間ができた。

現在、蘭が通う小学校は私の母校であり、公立だから桂は授業を受ける権利を有し、かつての同級生たちと机を並べ、交友できる。前もってそのたび校長先生にご挨拶に行き(校長先生の異動は結構起こるものだ) 、毎回快く受け入れられ、全校児童100名前後の小学校全体で歓迎してもらえた。

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