第12話

桂と離れる心痛から、蘭と2人このまま台湾に留まろう、とも考えた。日本語講師を務めていた語学学校は台湾最大の民間のそれで、歴史もあり、居留証が失効しても、すぐ労働ビザ取得に動いてくれる機関だった。

何を思ったか、その計画をジャックに話したら、

「何言ってんだよ! 早く日本へ帰れ! 親の面倒見なくちゃならないんだろう。もし、君が台湾に留まるなら、僕と桂は南部に越してしまうからな!」

と荒れた。

バカだった。離婚して原則的に無関係になる人間の指図に従順でなくてよかったのだ。彼が何をほざこうが、私の思うようにすれば後悔しなくて済んだ。ジャックは吠えるだけで、実行力があるとは今でもさほど思えないし……


肺気腫で弱っていく父のラブコールもあった。娘婿に見切りをつけた父は、病床から電話をかけて来て、関心を示し続けていた。肩が付いたなら、蘭の学業のためにも出来るだけ早く帰国しろ、母子家庭になっても心配はない、遺族年金やらがある、贅沢しなかったら、蘭が大学を出るくらいは何とかなる、と説得された。


とにもかくにも、蘭と日本へ帰る運びとなったが、借りているワンルームのアパートを手放すことができなかった。語学学校の授業が立て込んでいたし、荷造りをして、両手で抱えて徒歩10分かかる郵便局へ運んで、船便で日本へ送る手続きを繰り返した。べったり暑い6月、亜熱帯の日差し、体力を消耗した。物理的に10年分の家財道具をスッキリ処分するのにはかなりの時間と労力が必要だったし、2週間もすれば、また桂を送ってここに来る。それに、一旦帰国して暮らしてみて、馴染めなかった場合は即戻って来よう、との思惑もあったので、日本の冬休み、12月分までの家賃を銀行から振り込んで、部屋の鍵を持ったまま、台湾を発った。大家さんには言えなかった。しばらく父の看病に帰る、半年分の家賃はもう振り込んだ、随時メールで報告するから心配しないでほしい。本当の事情は伏せた。そんな訳ありの借家人は困る、と言われるのが怖かった。


いざ久々に実家に帰り、生活が始まると、父が力説していた遺族年金とかの金目のものは、微々たるものと判明。

それより、がっかり、悔やんだのは、他人のジャックの剣幕に負けて、台湾に居座り続けなかった愚かな自分の判断だった。3年半経った今なお、日本に帰って来てしまったことを悔やんでいる。田舎で、私が丈夫でないため、非正規の仕事にしかほとんど就けないから、児童扶養手当(母子家庭手当)を支給されても、貯金ができるほどの収入が得られない。国民年金も免除申請している。公立中学校の教諭で校長まで務めた父だが、定年退職してすでに20数年。築100年を優に超える家屋の修理などに物入りで、まったく両親をあてにできない。日本は物価が高いし、消費税もどんどん上がる。

田舎ならではの地域の繋がりが密で、海外や都会に長く暮らした者にとっては苦痛で仕方ない。私はそういうつき合いが苦手だ。蘭は早くも大学進学を決めていて、その資金を用意しなければならない重圧の下で、桂を想いつつ生きるのは、身を削られるのとさして大差なかった。

ストレスは想像以上で、うつ病が帰国後悪化して、2ヶ月間は病人そのもの。息苦しさが襲って来て、そのたび横になり、最低1時間休まないと退かなかった。

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