第13話

2012年の暮れは、借りたままのアパートがあったため、万難を排して台湾に帰らねばならなかった。理由は何にせよ、台湾へ行けるのは嬉しかったけど。経済的に余裕があるなら、継続して部屋を借りていたかったが、日本円で月約28000円は負担が大きかった。

解約にあたり、ある程度の事は大家さんに説明する必要があった。根っからの作り話でもよかったが、私はそういうのが苦手だった。

私側の都合のみでなく、大家さんの人柄も大いに関係した。通りに沿って設置された公共掲示板でその物件に興味を持ち、初めて部屋を見せてもらった時は、家主の奥さんが来てくれた。50代半ばくらいで、心根の誠実さが現れた顔。艶やかな声が印象に残る人だった。


言葉を交わしていくうち、奥さんは、

「私、あなたが気に入ったわ。あなたにここを貸したい。ちょっと待って。主人に、家賃の端の部分を値引きしてくれないか今訊いてみるから。」

と弾むように言い、ケータイで夫と話をして、本当に1000円余りの端部分をサービスしてくれた。

家主は劉さん、大学経済学部の教授だった。

後日、引越しにあたり、劉さんとも会って、ガスの使い方、鍵の説明などを受けた。私が中国語を話すのに、劉さんは時折英語で補足したりした。闊達で、早口なのにわかりやすい発音で話す。ちょっと一緒にいるだけで裏表のない性格が伝わって来た。私は、結婚運は悪いが、人の縁は良い。そう再確認する劉夫妻との出会いだった。あの時から現在も、家主さんを

「劉教授」と呼んでいる。


解約の申し出は、11月にメールで済ませていた。

蘭は、パパと桂のいるマンションで寝泊まりし、私は当然立入禁止のためまもなく劉夫妻に返す部屋にいた。

ベランダがなかったので、自分でこしらえた物干し場や、簡易クローゼット。私がひとりで寂しくないよう娘たちが描いてくれた絵が貼り付けられた白い壁。狭いキッチン。劉教授が用意してくれた新品のテレビ。縫いぐるみ嫌いなジャックから避難させて桂が持って来た可愛い子たち。

その部屋は3階で、窓を開けると、面した道路の騒音はうるさかったが、つい最近まで住んでいたマンションの上層階が見えた。行き場を失い、望み絶たれて号泣し、狂いそうな自分に耐えた数ヶ月間を共にしてくれた部屋には愛着があった。


日本ではお正月休暇の頃、劉教授夫妻が賃借解約の手続きに来てくれた。その時、恐る恐る私はそこに至る経緯を話し始めた。詳しく、抱えたものすべてを話せたのは、2人の反応が促してくれたおかげだった。

劉教授夫妻が、台湾の最も親しい知人のひと組になったのは言うまでもない。手放すものがあれば、手に入るものもある。だから、生きていけるのかもしれない。


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