第113話

桜が不均等に咲き始めている。同じソメイヨシノと見受けられるが、まだ固く握りしめた赤ん坊の拳みたいな蕾ばかりのもあれば、ほとんど開花した慌てん坊もいる。

去年、この辺は3月末に一斉に咲き、4月はじめの雨で一気に散ってしまった。1年待った分のご褒美なく終わった無念を持て余した。


桜はいい。

〝散る時を、知って咲く桜が好き〟

ある女優の言葉か、彼女が何かで知ったフレーズである。

台湾にも桜は咲く。温暖なので、旧正月前後の1月頃に開花するが、台北なら陽明山など、郊外の観光地に行かないかぎり仰げない。日本みたいに

校庭や川沿いや誰かの畑の一角など、ふだんの生活で自然に視界に入って来ることはなかった。日本語を教えた中国人技能実習生たちも‘日本の桜’

を見てみたい、とはしゃいだ。ジャックの転勤に伴って8ヶ月間ソウルに住んだが、4月6日に台湾に戻ったので、韓国の桜事情はわからない。ソウルの緯度は、福島や新潟と同じゆえか、その時には咲いていなかったはずだ。


こういう経緯もあってか、私が本気で桜に目覚めたのは、台湾で長年生活してからのことになる。

ご存知かもしれないが、日本には法定国花はない。国民に広く親しまれている桜や、皇室の家紋のモチーフになっている菊が、事実上の国花とされている。

将来は再び台湾で暮らそうと計画しているが、最も恋しがるのは桜のような気がする。母国語をしゃべることより、正真正銘のお寿司を食べるより、桜を見上げ、歓声をあげ、比類なきほど尊きものの下に在ることに魂ごと洗われるような感激の不在に乾くだろう。


自宅から車でちょうど10分ほどの国道の傍に、1本の桜の木がある。周りは田畑で、見晴らしが良い場所だ。おおぶりで格好の優雅な木で、背景もすっきりしており、桜好きなら必ずチェックする存在だ。言うまでもなく

それが花を咲かせれば、えも言われぬ麗しさで、言葉を失う。

2年くらい前から、私はそれを《桜さま》と呼び、気象情報で桜が話題にされる時期以外もずっと注視するようになった。花が散り、葉桜になる。うだるような夏、人知れず寂しい秋、凍る空気にさらされ、時に雪を冠する冬、桜さまは何を想っているのだろう、とおもんぱかる。それは無論、無言で佇んでいる。こちらがあれこれ想像するほかない。思いは一方通行に感じる。しかし、無言であればあるほど、それは思念に夢中で、思惟深くて、放っておけない。放っておいてくれない。


今朝、予約した2週間ぶりの心療内科に行く道すがら見ると、ピンクを含んだ蕾が無数について、そのうちの、ほんの数えられるほどが小さく開いていた。

私は複雑な心境になった。桜さまが咲く。まさに咲こうとしている。この時を、実はいちばん待っていたはずなのに………

桜さまは美しく咲く。

でも、咲いていない桜さまも美しい。

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