第89話

就活の結果報告をしよう。

1968年生まれの私でも正職員の職に応募できたのは、かつて息切らしながら、意地の良くない先輩に悩みながらもがいたファストフード店の斜向かいにあるC眼科だった。わが市で最新の眼科で、娘の蘭がたまに診てもらっていた。求人の職種は《受付、検査補助》で、資格云々に関する記述はなかった。座り仕事、立ち仕事半々で、午後4時間ほど空く時間は帰宅せず、図書館やカフェで中国語や英語の勉強、読書などに充てよう、と思い描きつつ、履歴書を郵送した。資格は無いが、強度の近視と乱視、重症のドライ・アイ、網膜剥離のレーザー治療、若年性白内障の手術など、目の問題と切り離せなかった自分の半生を振り返ると、大いに接点がある、縁がある仕事、と感じた。


だが、甘かったのだ、やはり。素人に任せられる務めではないのだ。不採用通知と使われなかった履歴書がしょげて返って来た。応募できた唯一の正職員職…… サクラハ散ッタ……

次に賭けたのは、上場企業・西松屋K店。娘たちが幼い頃、日本に帰国するたび世話になった思い出のお店だ。女の子2人だから、見るのも選ぶのもとても楽しかった。

面接日は2月7日午後4時。時折雪が舞う底冷えのする日曜日だった。

面接日の設定や、面接試験がさすがに‘ちゃんとした会社’らしく行われた。印象は良かったが、ギリギリの人数で店を切り盛りし、連休も4,5日が最長、との実績…… こりゃタイヘンだ! 台湾へ帰るのも四泊五日だけになってしまう。

腰の低い、近隣2店舗掛け持ち店長M氏には実に申し訳なかったが、翌日採用の場合は辞退させていただく旨の書簡を送った。


そして、その翌8日は、市の非常勤職員二次募集締切日であるのを覚えていた。一次募集の際、考慮に入れたが、面接日が書店の出勤日だったため、その月末に辞める書店の方に義理立てして、応募しなかった。

ぽっかと晴れた8日の朝、満を持して、アフタースクール指導員職が私の前に舞い降りて来た。この求人は、市のハローワークを通して公開されており、応募するにはそこの紹介状が必要だった。

朝イチに市役所4階のハローワーク出張所に寄り、紹介状を受け取り、カフェで履歴書を書いた。熱心な担当者・竹村さんの教えを守って、心して応募動機を考えた。

市役所本所の人事課に、必要書類一式揃えて提出したのが、午後1時過ぎ。募集期間、残すところあと4時間のアクションだった。


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