第87話

《常識をも優先できないほど正常でない心理状態だった。》

退職願提出の件は、こう悔い、言い訳するしかない。

1月13日からは日本語講習が始まり、車で約45分の会場に水木金曜日通った。この3年間、ほぼ全課程を私が担当してきたが、中国人実習生激減のため失職間近となり、書店に職を求めて別の活路を見出そうとしていたので、月火曜日は若瑄先生に任せた。講師の仕事は報酬が良かったが、平日すべて行くのは書店に対し無責任すぎた。

若瑄先生の姓は田川。日本人に嫁いだ西安出身の50代半ばで、これまでも日本語講習に携わった経験のある人だった。日本在住20年を超えて、おもしろい関西訛りが板につき、竹を割ったような性格の持ち主である。


報酬は◎だが、9時〜17時ひとりで授業を仕切るのだから、気も遣うし体力も必要だった。それでも、書店での気苦労や緊張感が弛緩して、リラックスできた。肉体疲労はあったが、もちろん生活のため、踏ん張るしかなかった。

書店には、毎回カウントダウンしながら出勤した。2月10日(水)に日本語講習が終わると、超臨時職・アフタースクール指導員のみになる。これは失業と同義だったから、心中複雑ではあったが、とりあえず高瀬店長やSさんの影響下を脱出することは喫緊の課題に感じた。


遅い本格的な冬が来た2016年1月。

2月7日の旧正月が近づき、台湾は忘年会シーズンを迎え、次女の桂は期末テストに挑んでいた。100点満点でなければ「合格」を出さないジャックは、蘭も桂も怖れる教育パパゆえ、毎回桂の定期テスト期間は、次女のため祈った。意に添わねば、雷が落ちるのみならず、桂は叩かれて泣くのだった。

私は2ヶ所の職場を行き来しつつ、ハローワークのweb版をチェックしたり、リクナビに登録して、再び猛烈に就活に勤しんだ。

台湾と大阪へ移住しての就職は、去年あきらめがついていたため地元に絞れたが、また失望感を味わわねばならないのも事実だった。台湾に帰りたかった。

地元の求人は、看護師やパソコン技能が高い人にはまだ開かれていた。典型的な田舎の実態だ。中国語ができても、ここでは需要がない。パッと目を引く求人は読み進めると、9割がた〝35歳以下〟か〝40歳以下〟の制限が記されており、撃沈した。

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