第4話

 それから数時間後、余震が未だ冷めやらぬ中、段々と被害状況が明らかになってきた。三陸沖内陸部で起きたマグニチュード9.5の地震。巨大な津波が発生し、またも岩手、宮城、福島、茨城に直撃したが、3.11の教訓か、人々は地震発生直後に即避難し、被害は最小限に留められたと目の前の緊急ニュース番組のキャスターが述べている。首都圏では、揺れに伴い多くの帰宅難民が発生。一部古いビルの天井が崩落する事故が起きたが、こちらも被害はあまり多くはなかった。唯一、世田谷区三軒茶屋辺りで地震に伴う大規模な火災が発生し、逃げ遅れた数名が犠牲になったとのこと。数時間過ぎた今も消火にあたっているという。

 それでも、時間を追うごとに被害拡大のニュースが入ってきていた。

 羊谷は自宅で、ニュース番組から次々と流れてくる情報をチェックしながら、ノートPCを手繰りつつネットの掲示板とツイッターにも目を通していた。そこにひとつ、気になるスレッドを発見。「【速報】東京湾にUFOが墜落?」オカルト風味満載のタイトルであり、いつもは気にもとめないが、今日のタイミングでこんな得体の知れない話が出てきたことに興味を引かれる。横にいるマイケルに「どう思う?」とディスプレイを見せると、あまりの地震の衝撃にすっかり元気をなくしてしまった彼はただ押し黙って首を振るばかりだった。

 そのスレッドをクリックし、記事を目で追う。どうやら、ニュースソースはちゃんとしたメディアではなく、数名のツイッター情報が元になっている模様。最初のリンクをクリックすると、海に浮かぶ金属物が激しく燃えている粗い画像が表示された。これだけではUFOとは断定するのは難しいと思うが……。次のリンクをクリック。先ほどの画像よりも鮮明なようだ。海にブイが浮いており、金属物の大きさが推定できる。だいたい直径5メートル前後だろうか。これほどの大きさだと、いたずらというわけでもなさそうだ。その画像には燃えていない面も写っており、金属物の表面を確認することができた。ツルツルしていて、一枚の金属板から出来ているようだ。銀色でも、鉄の色でもない、薄いピンクとも言える、不思議な色をしている。そして、最後の3つめのリンクをクリック。画面に映し出されたのは、明らかに人間ではない二足歩行の生物が、その金属物から出てくるところだった。作り物ではないとはっきりわかるぐらい鮮明な画像。身長は高い。二メートルは超えていそうだ。しかし、脚が異常に短く、胴の半分ほどしかない。服は着ておらず裸。筋骨隆々の体躯である。残念ながら、画像は首のところで切れており、その表情を窺い知ることはできない。

 羊谷は大いに興味を惹かれ、興奮していた。Googleの検索ボックスに「東京湾 UFO」と入れて検索すると、様々な掲示板やツイッター、ニュースサイトなどで話題になっていることが確認できた。Web版のNHKにさえ記事があった。あのNHKが! これはただ事ではない……。羊谷は生唾を飲んで、これからの展開に想像を膨らませた。

――ところで、貴方はジミー・フロイド・ハッセルバインクという人物をご存知だろうか。彼はオランダ人で、主にイングランドのプレミアリーグで活躍したサッカー選手である。リーズ・ユナイテッドやチェルシーFCなどの有名クラブでフォワードとして多くのゴールを記録。強烈な弾丸シュートが特徴的な、まさに「点取り屋」という言葉が似合う名選手だったのだが、彼の誕生日は三月二十七日であり、羊谷と同じだった。そこからシンパシーを感じた羊谷は、ジミー・フロイド・ハッセルバインクのファンになり、やがてはリーズ・ユナイテッドやチェルシーFCなどの彼が在籍した有名クラブを熱心に応援し、最後にはオランダ人全体に好感を持つに至った。そして彼は、ワローズ&ポリンティン社に入社して一年目の冬、あまりの仕事の厳しさに心がやさぐれ、愛を過剰なまでに求めた結果、「犬を飼う」という選択をし、そのミニチュアダックスフンドに「ハッセルバインク」と名付けた。

 そのハッセルバインクが寄ってきて、羊谷の膝に座った。頭を撫でると、気持ちよさそうに目を閉じた。

「よし、虫岡、マイケル。東京湾にUFOを見に行こう!」

「マジか、羊谷。今日は大震災だぞ。そんなことをしている場合か。こんなときに身を守らないでいつ守る?」

「そうだよ、羊谷。ミスター虫岡の言ったとおりだ。笑えない冗談だよ」

 二人は反対したが、既に羊谷は電話をかけていた。相手先は羊谷の古い友人、事情通の耳崎である。羊谷は、ポケットのコネクション端末から伸びる一本のカンダタを指で摘まみ、その糸に向けて「もしもし」と発話した。発せられた「もしもし」は、目に見えぬほどの細いカンダタを通して玄関の外に流れていき、いくつかの狭い路地を駆け巡り、羊谷の現在地から五キロほど離れた東京都北区JR東十条駅近くにある薄汚れた雀荘のドアに入っていた。今まさに自摸の瞬間であった耳崎は胸ポケットのコネクション端末の揺れを感じ、指を止めた。東家、南家、西家の相手が怪訝な顔で見る。点棒は残り僅かだった。耳崎は「失礼」と言い、電話を取ろうと席を立った。そのまま雀荘の玄関の外まで出て行き、相手から見えない位置にいることを確認して、全速力で逃げた。その姿はまさしく脱兎。そして走りながら、「もしもし」と揺れるカンダタに向けて話しかけた。

「おう、羊谷かえ! さっきの地震、大丈夫だったかや。俺はせっかく七対子ドラ四単騎をテンパってたのによう、揺れで牌がひっくり返って向こうに丸見えよ! やってしもうたわ! わははははは!」

「耳崎さん、お久しぶりです。それはご愁傷様でした。単刀直入に聞きますが、東京湾のUFOについて何か知りませんか? あと、その耳障りな方言丸出しの喋り、俺の前ではやめてくれと言ったでしょう。俺はあんたと違って故郷を捨てた人間なんだ」

「そげなこついわんでよか」

「耳崎さん」

「わかった。やめるよ。で、東京湾のUFOについて、だったな。もちろん噂は聞いている。あれはすごいぞ。本物の異星人だろう。異星人はまだ東京湾にいるらしい。怪我をしていて、あまり動けないようだ。震災の直後だからあまり見物人はいないが、何人かの有志が天王洲アイルや浜松町に集合して現地に向かっているらしい。命知らずなやつらだよ。既に政府にも情報は入っていて、自衛隊の出動を準備しているって話だ。もちろん合衆国大統領の耳にも入っている。米軍は動き出しているぞ」

「この僅かな時間で、しかも麻雀をしていたというのにそれだけの情報を……。やはり、あなたはすごいお人だ」

「事情通を名乗っているのなら、これくらい知っていて当然さ。ところで、どうだ。俺は今から新木場に向かって、その正体不明の異星人とやらを確かめに行くが、お前も来るか?」

「もちろん行きます!」

 そう勢いよく答えた羊谷の後頭部を、醒めた目つきで眺める二人の男がいた。無論、虫岡とマイケルである。「どうする? そろそろ帰る?」「変な流れになってきたしねえ……」と耳打ちし合っている。

 耳崎との電話を終えた羊谷が興奮冷めやらぬ顔で振り返り、「どうやら本物らしいぞ! 今から行こうぜ!」と声を張り上げるが、二人の顔は浮かない。しかし、羊谷は左手にスタンガンを構えていた。「お前らも行くだろ?」そう凄まれると、虫岡もマイケルも肩をすくめて羊谷について行くしかない。

――さて、三人が玄関を出たのを見計らって、ハッセルバインクは部屋の中央にうずくまった。しばらく震えていたが、窓の外で大きな雷が鳴り響いた瞬間、ハッセルバインクはピンと起き上がり(しかも二足歩行で)、目を見開いた。全身に血管が浮き出て、筋肉が張り、小型犬らしからぬサイズに膨張する。目は真っ赤に血走り、口は肩のあたりまで裂けた。ミノタウロスを思わせる身体へとみるみる巨大化し、天井に頭が着く頃には、全身の皮膚が裂け、もはやミニチュアダックスフンドとは似ても似つかぬ、地獄の業火のような真っ赤な肉体が姿を現したのだった。

 ハッセルバインクは確かめるように、両の手の平を何度か握り、拳を作った。そして、目の前の壁を見据え、右手を思い切り突き出した。その打撃はアパートの薄い壁を貫通。ゆっくりと腕を壁から引き抜き、一呼吸置いて、一瞬の瞬きののち、目にも留まらぬ速さでの左右の連打。壁はあっけなく崩れ落ちる。そこから巨体をのそりとくぐらせ、悪の化身と化したハッセルバインクは外の世界に足を踏み出したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る