策略

 事態が風雲急を告げていることを、この時点で知っている者は、韓信と陳豨しかいない。たった二人だけの叛乱。かつて韓信の周囲にあって行動を共にしたり、助言を与えたりしてくれた者たちは、皆既にいない。この時期の韓信は、孤独であった。その孤独さが彼の思考を過激にしたのかもしれない。常に抱いていた不満が、この時期の孤独に誘発されて爆発したのだ。私は深い後悔を抱かざるを得ない。どうして彼の悩みに気付くことができなかったのかと。


 一


 今にしてみると、蒯通がしつこく自分に勧めたことは、すべて正しかったように韓信には思われた。


「知識を得ておきながら、決断して行動に移す勇気を持たぬ者に幸福は訪れぬ」

 かつて蒯通は、そう言った。あのとき彼の勧めに応じて決断していれば、その後の彼の運命は変わっていたかもしれない。


 酈生は、死ぬ間際に残した書簡の中で、彼に独立を示唆した。

「将軍は自分の欲に気付いていないために、行動を起こせずにいる」


 今、韓信は自分の欲が何であるかを知った。

 誰にも膝を屈したくない自分。

 人の上に立ちたいと望んだことはないが、かといって卑屈な存在であることを拒否したがる自分。つまり自分は、誰にも邪魔されずに言いたいことを言い、やりたいことができる社会を望んでいたのだ。

 酈生は韓信より、韓信のことを見抜いていた。


 カムジンは戦場で成長し、自我に目覚め、それ故に罪を犯した。

 そのカムジンの晩年の姿と今の自分が重なるような気がして、彼は悪寒を覚えた。彼は今に至り、ようやく彼自身の欲求を理解することができたからである。

 これは、自我に目覚めたということに違いなかった。


 そのようなことを常に考え、彼は自分の決意に対して悩み続けた。その期間は長く、まる二年に及ぶ。

 韓信は、陳豨の行動を待っていたのである。


「……君は陛下の信頼が厚い。二度三度君の忠誠を疑う行為が発覚して、ようやく陛下は行動を起こす」

 韓信のその言葉を受けた陳豨は、鉅鹿に到着するとすぐに食客を集め、私的勢力の形成に努めた。

 その食客の数は膨大で、あるとき陳豨が趙の邯鄲を訪れた際、連なる食客の車が一千台を超え、公立の宿舎がすべていっぱいになったくらいである。


 趙のある大臣がこれに不信と危機を感じ、朝廷に参内して皇帝に訴えた。陳豨は軍令の範囲をこえる私的勢力を持ち、そのため謀反の可能性が高い、と主張したのである。

 皇帝はこの主張を受け、人を遣って陳豨の食客の素性を調べさせた。その中には後ろ暗い過去を持つ者も多かったが、そのことが陳豨の謀反を証明することにはならない。

 皇帝は陳豨を罷免しようとはしなかった。


「大丈夫、その調子だ。ゆっくりで構わない。構わず勢力の拡充に尽力せよ」

 韓信は陳豨からの密使の報告に、そう返答した。

「我が主の陳豨は、今後どのように行動すべきか、淮陰侯におうかがいして参れ、と申しておりましたが……」


 韓信は、満足した。陳豨は自分のために行動してくれている。

「殊勝だな……陳豨という男は。彼の行動は彼自身の野心から発せられているものではなく、私のために捧げられている。……もっと早い段階で出会うべき人物であった」


 韓信は密使に伝えた。

「帰ったら、陳豨に伝えてほしい……匈奴に亡命した韓王信とひそかに同盟せよ、と。具体的な方策は問わぬ。陳豨の数多い食客の中には、韓王信の部下に誼がある者もいるだろう……そのつてを頼るのも方策のひとつだ」

「承知いたしました。必ず、そのように」

 密使はそう答えて陳豨のもとへ帰っていった。


 韓信はその後ろ姿を見つめつつ、思う。

 ――策士として裏から謀りごとを巡らす、というのは性分に合っていないが……なかなか根気がいるものだな。自分で戦う方が、よっぽど気楽だ。

 しかし、今の韓信に手持ちの兵力はない。戦いは陳豨に任せ、自分は機会を待つことしか出来なかった。

 なまじ待っている間は考える時間があるだけに、くじけそうになる。彼は自分の意志を保つべく、弱気と戦っているのだった。


 翌年の七月、皇帝劉邦の父、劉太公が死去した。皇帝は国中に喪を発し、諸侯や列侯は皆、長安に召し出されることとなった。

 が、陳豨は病気と称してこれを無視した。


 それでも皇帝は動かなかった。よほど陳豨を信頼していたのだろう。

 ――思っていた以上に、なかなか動かんな。気の短い陛下なら、あるいはと思ったのだが……。陛下の鋭気が衰えたか。しかし……機は熟した。


 そう考えた韓信は、ついに使者を通して陳豨に指令を出す。

 その指示は短かったが、的確に要旨を伝えていた。


「代王を称し、趙に侵攻せよ!」


 二


 趙は、韓信にとって思い入れのある土地である。

 兵に背水の陣を敷かせ、その結果陳余を斬り、趙歇を捕らえた。李左車に師事し、張耳を王に据えた。

 その功績で名をあげた土地であったと同時に、邯鄲での住民虐殺の罪でカムジンを死罪に処したという苦い経験もしている。良くも悪くも思い出深い地であった。


 前年(紀元前一九八年)、その趙の地である政変が起こっている。当時の趙の国王は張耳の子にあたる張敖ちょうごうであったが、その張敖が列侯に落とされたのであった。

 きっかけは趙のある大臣が皇帝の弑逆を企み、それが発覚したことである。臣下の罪は主君の罪と考えれば、この処置は妥当であった。

 だが皇帝が張敖の後釜として、またもや劉姓の者を王位に就けたことは、韓信にとって気に入らないことであった。


 そもそも張敖は、劉邦の娘である魯元公主(魯を名目的な領地として与えられた皇帝の長女の意)を妻としており、これは劉邦が彭城を脱出する際に車から捨てられ、何度も夏侯嬰に拾い上げられた人物である。

 投げ捨てたりしたことを考えれば、劉邦の娘に対する情は薄かったとも考えられるが、なんといっても皇族である彼女を妻にした張敖の地位は保証されたものと思われていた。

 ところが弑逆計画に張敖が実際にはなにひとつ関わっていないことが立証されても、皇帝は彼を復位させようとしなかったのである。


 韓信にとってこの事件はいまいましいことではあったが、逆に好都合でもあった。

 あらたに趙王に据えられた劉如意りゅうじょい(戚夫人の子。庶子である)は活発な性格であったとされるが、目立った軍功はない。そのため趙で叛乱が起きてもうまく対処できず、その結果皇帝である劉邦自身が鎮圧に動く、と読んだのである。


 そして、事実そのとおりになった。


 陳豨叛乱の報告を受けた皇帝は、親征の意を表明し、諸将に命じて征旅の準備をさせたのである。

 ――いよいよその時が来た。


 韓信は側近の者を集め、ついにその胸の内を明かした。

「諸君、陳豨が北の地で叛乱を起こし、皇帝の意に背いたことは知ってのとおりだ。皇帝は自らこれを鎮圧するつもりで諸将に従軍を命じている。……この私にも征旅を共にするよう、先ほど命令が届いたばかりだ」


 この時期の韓信の側近たちの大半は、かつて親衛隊として戦地を戦い抜いてきた者たちであった。

 彼らは久しぶりの出征とあって、わき起こる興奮を隠しきれず、それぞれに歓喜の表情をした。

「謀反人の陳豨を我らの手で捕らえれば、皇帝に淮陰侯の力をあらためて示す良い機会となることでしょう。腕が鳴る、とはこのことですな!」

「淮陰侯がちょっと本気を出せば、敵う相手など天下にはいない。皇帝の腰巾着に過ぎぬ将軍どもにいつまでもでかい面をさせておけるものか!」


 彼らの言う将軍とは、夏侯嬰や樊噲、周勃など旗揚げ以来の古参の将軍たちをさす。彼らもと親衛隊の側近たちは、やはり一様に不満を感じていたのだった。


 しかし歓喜に沸く一座の中で、ただ一人韓信だけは白けた表情のままであった。ひとしきり側近たちが喚き散らすのを静観し、それが落ち着いたころ、彼はあっさりと言い放った。

「諸君らの気持ちはよくわかった。しかし、私はこのたびの征旅には随行しない。病気を称して長安に留まるつもりだ」

「え……?」

 一同は皆あっけにとられた。


「失礼ながら……それでは淮陰侯の名誉を回復する機会が失われてしまいます。どうかお考え直しください」

 側近の一人の言葉に韓信は答えた。

「名誉か。皇帝のご機嫌をうかがい、その一挙手一投足に怯えながら日々を暮らす生活が名誉だというのなら、そんなものはこちらから願い下げる。事実、諸侯王としての生活はそういうものだ。率直に言おう……。皇帝は諸将を連れて趙へ親征する。その隙をうかがい、私は居城の長楽宮を襲撃するつもりなのだ」


 韓信のそのひとことに、側近たちは目を丸くした。

 ――これは……淮陰侯の朝廷転覆の計画だ!


「そもそも名誉とは、人から与えられるものではない。私はそれを自ら手中にするため、行動を起こそうと思う。つまり長楽宮に侵入し、呂后と太子を捕らえて人質とし、皇帝を決戦の場に引きずり出す……私の勝手な判断だが、異存のある者はいるか? いれば今のうちに申し出よ。賛同できぬ者に仔細を詳しく語ることは出来ない」

 韓信の口調は穏やかではあったが、それでいて断固としたものだった。

 側近たちは韓信の決意を聞いた以上、実際には賛同できないとは言えない。言えば秘密保持のために斬られるか、少なくとも獄に入れられるからである。


 韓信は静かに目で訴えているのであった。私と行動をともにせよ、と。


 三


「私は常に負けない戦いをしてきたつもりだ。諸君が心配するのも無理はないが、今度の戦いも今までの私の戦いとなんら変わるところはない。十分に成算はあるし、根回しもすでにしてある」


 韓信は淡々と説明を始め、手始めに側近たちに質問をした。

「皇帝は趙の地へ親征するが、その目的はなんだと思う」

「謀反を起こした陳豨を討つためです」

「うむ。その通りだ。ではなぜ陳豨が叛旗を翻したか、わかる者はいるか」

「いいえ……」


 側近たちは一様に首を傾げた。彼らには韓信がなにを言いたいのかがよくわからなかった。

「陳豨はもともと皇帝の信頼が厚い男であったが、ひそかに現状に不満を持っていた。私はとあるきっかけで彼と知り合うことになり、彼に策を授けた。叛乱を使嗾したのだ」

「……!」


「陳豨が鉅鹿の太守に任命されたことは私にとって僥倖ぎょうこうであった。かつて私のもとで弁士をつとめていた蒯通は常に私に口酸っぱく言ったものだった。『機会、機会。機会をとり逃しては大事を成すことは出来ない』と。……私は彼の言葉に従い、陳豨を造反に引きずり込んだ。鉅鹿で私的勢力を作れ、匈奴に亡命した韓王信と結べ、代王を僭称せよ、と……。陳豨の叛乱はすべて、私の指示に基づいて行われている。その結果、皇帝は首都の長安をもぬけのからにして、戦地へ向かおうとしている。今のところ、状勢は私の思うとおりに動いているのだ」

「……さすがは淮陰侯。その深慮遠謀には、我らなどとても及びませぬ」

「お世辞を言うのは早い……問題はこれから先だ。私は陛下の留守を狙い、長楽宮を襲おうとしているが、君たち全員の協力を得たとしても、兵の数がまったく足りない」


 韓信の側近は、この時点で二十名に満たなかった。

 そのうち、かつて韓信が彭城で項羽の追撃を阻止したときに初めて結成されたいわゆる親衛隊に由来する者が七割、残りの三割は韓信が楚王就任後に仕えるようになった者たちである。

 よって三割は個人的な武勇も、あまりあてにできない。

「長安は城市として造営の途中であり、城壁も未だ半分くらいしか完成していない状態だが、都市としてはすでに機能を果たしている。市中には居住区もあれば市場もあり、幾多の人民がここに成功と繁栄を求め、流入してきている。……このことは良い面もあるが、悪い面もある。市中には勤勉な良民が溢れているが、逆に遊民や無頼の徒も溢れているのだ。……西にある獄はすでに囚人でいっぱいだとの噂だ。……だが私は、あえてそれを利用しようと思う」

「……囚人を兵として使う、とおっしゃるのですか?」

「そうだ。もちろん忠誠はあてにできない。しかし、ものは考えようだ。人が罪を犯すのはなぜか。……いろいろな状況があるが、共通して言えることは、利に目が眩むからだ。罪人として捕らえられている者は、その欲求に打ち勝てない者たちなのだ。つまり、こちらが利をつかませることを約束すれば、彼らから忠誠も買える」

「あまり……気持ちのいい話ではありませんな」

「そうか? しかし人の道に反する、とまでは言えまい。事実、秦の末期には地方の徴税官に過ぎなかった章邯が囚人を兵として編成し、それを当時最強の軍隊に仕上げた例もある。私はひそかに軍人として章邯を尊敬しているので、今回はその例にならいたいのだ。……他に方策がない、ということもあるが」

「…………」


「囚人たちも生まれ変わる機会を得ることになるかもしれない。彼らは確かに悪人かもしれぬが……私はかつて人から聞いたことがある。人の性は、本来は悪だと。そして人生における数々の経験が、それを善に導くのだ、と。だから私も君たちも、人としての根源が悪であることは、囚人たちと変わらない。ただ彼らの人生には、善に導かれるきっかけがなかっただけのことだ。我々がそれを与えると考えればよい」

「……淮陰侯がそれでよろしければ、我々には反対すべき理由はございません」

 側近たちは口々にそう言った。

 しかし、誰もが「自分は善である」と言い切れる自信があったわけではない。だが韓信を含め、彼らは皆、そのことを考えないようにした。


「兵の件は、それでいいとしても……最終的には皇帝と戦うことになるのです。……大義名分が必要です」

「うむ。……考えるところはある」


 韓信は、自分の頭の中を整理するかのように、しばらく沈思すると、やがて話し始めた。


 四


「項王が死んだことで」

 韓信の口調は、暗い。頭の中に散乱する思いを必死に体系化して言葉にしていくために、すらすらと口から言葉が出てこない。

 しかし、かえってそのことが聞いている側の側近たちにとって、一言一言の重みを感じさせる。そして、いかにも自分たちが陰謀を巡らせているようにも思えてくるのだった。

「秦末からの楚漢興亡の歴史は終わりを告げた、と考える者は多い。しかし……私はそうは考えない。状況は、楚が滅び、漢が大陸を統一したというだけで、秦が漢に変わっただけのことだ。単に支配者が変わったというだけのことだ」

「しかし、秦の政治は腐敗していました。変わるだけの理由はあったと思われます」

「政治の腐敗があったのは確かだ。しかし、単に腐敗していただけだとしたら、腐敗の原因を取り除けばいい。すなわち腐敗の元凶であった宦官の趙高を殺して天下の良識家を採用し、二世皇帝をもり立ててやればよかったのだ。しかし、秦が滅ぼされたのは腐敗が原因ではなく、もっと根本のところが原因だ。腐敗以前に問題があったのだ……法で人々が身分を定められたのが秦の政治の特徴であったが、その法は支配階級に利益をもたらすためだけに存在し、被支配者である民衆にとって、法は弊害でしかなかった。これが秦の滅んだ最大の原因だ」

「…………」


 側近たちは韓信の話に聞き入る。韓信はいったん口をつぐんだが、それは側近たちの反応を知りたいからではなく、やはり自分の考えを整理しようとしているからであった。

 側近たちは、それを知り、あえて口を挟もうとはしない。


「大沢郷で決起した陳勝は、後世まで伝わるであろう名言を残した。『王侯将相、いずくんぞ種あらんや』……王侯や将軍・大臣、どれも皆おなじ人である。家柄や血統などによらず、自らの才覚でその地位を得ることが、誰にでも可能なのだ、と。一連の楚漢の興亡が革命と呼べるものならば、私はこの陳勝の言葉こそが、今後の活動方針を示す綱領と言えるものだったと思う」

 テーゼだったと言うのである。韓信の言葉は、古代における革命論であった。


「陳勝は王侯の存在を否定したわけではなく、それが家柄や血統で継承されることを拒んだ。才能や努力で成功をつかみ取る社会を夢みて、それを言葉にした。その言葉に同調した群雄が乱を起こし、中原は革命の場となったのだ。しかし、漢によって統一された現在の社会は、陳勝が望んだ形とは違う。才能を持ち、かつ多大な貢献をした諸侯は劉姓を持つ血族に取って代わられ、血族は世襲でその地位を確約されている。皇帝は至尊の地位とされ、神仙と同様、あるいはそれ以上の存在となり仰せた。そしてやはりその地位は世襲され、血族による支配が続いていく……。春秋の世の氏族社会の復活だ。劉一族による独裁体制の確立。陳勝の唱えた才覚や努力で地位を得る体制が生まれる余地は微塵もなく、その意味で革命はまったく完成していない。時代は逆戻りしている、と言えるだろう」

「ですが……皇位が血統で継承されないことになると、常に天下は戦乱の危険に晒されます。そのことをどうお考えで?」

「人々が正しくものを言える社会が到来すれば、戦いは武力によるものではなくなるはずだ。武力のない世界に戦乱は訪れぬ。私がこれからやろうとしていることは武力抗争に他ならないが、……しかしこれは避けては通れない道なのだ」

「では、皇帝と戦って勝ち、淮陰侯自ら皇帝を称すことが目的ではないのですか」

「私は……憚りながら言うが、自分のことを優れた武将だとは思っている。しかし、古来優秀な武人が同時に優秀な統治者であったことは稀だ。私もその例に違わない。経験があるから言えることだが、どうも私には統治者としての才覚はなさそうだ」


 それでは後に混乱の種を残すだけではないか……。

 側近たちはそのように思い、韓信自身もそう考えた。

 しかし自分が皇帝に勝てば、才覚ある者を市中から選び、政務を執らせることが出来るだろう。その者の才覚次第では、玉座に座らせることも考えてもいい。

 韓信はそう思い、語を継いだ。

「皇帝が態度を改め、才覚に応じて人材を適所に置けば、私としても剣を収めるつもりはある……しかし、期待できないだろう。あの方は、お変わりになられた。旗揚げ当時の度量の深さはすっかり影を潜めてしまった。その昔、あのお方は臣下の額の汗を拭き、同じ食事を勧め、同じ車に乗せるほど、厚く遇した。それがあのお方の度量の深さであったのだが……今やあのお方は過去の自分の度量を悔いておられる。臣下に与えた領地を取りあげ、ことあるごとに約束を違える。人として許されるべき行為ではない」

 韓信がそう言って座を外したところで、側近たちは互いに小声で語り合った。


 ――我らが主君は、お若いのに落ち着きのある方であると思っていたが……意外に青臭いことも言うものだな!

 と。

 しかし、彼らの多くは主君たる韓信を敬愛していたし、彼の言うことならば疑わずに従う者が多かった。親衛隊として以前から韓信に従っていた者たちは、特にそうである。


 だが、一部にはそうでない者も存在した。

 新参者の中には直接に韓信の武勇を目にしたことがなく、過去の劉邦と韓信の関係についても知らない者が何人かいたのである。


 つまり、側近たちの中には韓信が好きで従っている者と、ただ運命の流れのままに従っている者とが混在していた。このため彼らの忠誠の度合いもさまざまであり、その結果、一枚岩となれなかったのである。


 五


 皇帝が親征を開始し、函谷関を出たことを確認すると、韓信は行動を起こした。夜中に獄を訪れると、彼は強い口調で獄吏に通達した。


「勅令である」

 獄吏はその言葉を聞くと、跪いて畏まった。

 韓信は兵を強奪するにあたって、皇帝の権威を利用したのである。


「皇帝陛下は親征なされたが、斥候の情報によると謀反人陳豨の勢力は八十万に達することが判明した。陛下の軍は精鋭であるが、数においては陳豨の軍がやや勝る……。そこで陛下は私に、諸官庁の囚人労務者を解放して兵となし、しかるのち参軍せよ、と命じられた」

「ははっ!」


 この種の論調で韓信たちは市中にあるいくつかの獄から囚人を駆り集め、急造の軍とした。

 次いで武器庫に侵入し、同様の論調で倉庫番の小役人を説き伏せ、武器を調達した。

「武器の携帯は必要最低限にとどめよ。戟や鉾をいくつも集めたとて、訓練もしていない囚人たちには、うまく扱えぬ。彼らには、弩を用意するのだ!」

 

 弩は引き金を引くだけで発射できる。さほど腕力がいらず、命中精度を高めることも弓に比べると容易であった。

 韓信が得た兵はほとんど軍事的には素人同然だったので、この種の武器が入手できたことは幸運であった。


 兵たちに武器を与え、かつ鎧や甲などの装備品を支給すると、韓信は囚人たちに恩賞を約束した。

「私がこれからやろうとしていることは、いわゆる謀反だ。しかし、謀反は成功すれば謀反ではなくなり、革命と呼ばれるようになる。だからくれぐれも悪事を働くような意識では臨まないでほしい。君たちは、半ば強制的に私に協力するはめになった。もちろん成功後の報奨は十分にする。生涯にわたって賦役を免じ、能力のある者には政治にも関与させよう。金品も存分につかませる。……だがそれは、すべて終わってからの話だ」


 囚人たちは自分たちがどのような立場に立たされているか、即座には理解できなかった。しかしやがて、

「名に聞こえし淮陰侯様と行動を共にできることは、我々には望外の幸運。道を誤り罪人として獄につながれた我々ですが、まっとうな道に戻れる機会をお与えくださったことを感謝いたします」

 という内容のことを口々に言い、韓信への臣従の態度を明らかにした、という。


「うむ。心強い言葉だ……。君たちが過去にどのような罪を犯したのか、私は知らない。君たちがどの程度私に忠誠を捧げてくれるのか、私にはわからない。だが、ことは急を要する。私は君たちを信用し、恩賞を約束した。君たちは恩賞につられて謀反に加担する形になるが……自信を持って行動してほしい。決して利を追及することを気に病むな。君たちが生き延びて恩賞に授かりたいと望む心こそが、私を勝利に導く。生き延びて瀟洒な暮らしをしろ。豪勢な食事にありつけ。飽きるほどの贅沢三昧をせよ。無欲な者は生き残ることができぬ。そして生き残る者が少なければ、我々は敗れるのだ」

 韓信は心ならずも、囚人たちにそう訴えた。当てにならない忠誠心よりは、短期的には欲を喚起した方が効果的だと考えたのである。


 韓信は囚人たちを要所に配置し、時期を待った。皇帝の軍が陳豨の軍と戦端を開くのを待ったのである。対外的には四日後に長安を出発し、皇帝の軍に合流する、とした。


 朝廷もそれを疑わず、計画は成功するように思われた。


  *


 韓信が長く抱えていた問題が解決したのはちょうどその頃であった。淮陰からあがってくる租税の額があわなかった問題である。

 真相は、帳簿の記入を担当していた家令の横領であった。


「この忙しいときに……。ひとまず、獄に繋げ。殺してしまいたいところだが……囚人を兵として雇っておきながら、彼だけを死罪にするわけにもいかん」


 沙汰を後回しにして、当面の問題に集中するつもりだったのだろう。

 しかし韓信はどちらかというと潔癖な性格だったので、この種の悪事に対して決して寛容な男ではなかった。

 兵とした囚人たちには利を追及することに気後れするな、という内容のことを言ったくせに、本心ではそのような人間のうつろいやすい心が許せなかった。そしてこの時代に韓信を知る者たちは、彼がこの種の問題に厳しいことを皆知っていたのである。


 そのためこの家令も死を覚悟した。


 罪を犯した家令には弟がいた。

 兄弟ともに韓信が楚王となったときに初めて仕えることとなり、いずれも戦闘の経験はない。

 彼らは、韓信が彭城の西で項羽を撃退したことも、兵書にとらわれない策を用いて井陘口で大勝利を得たことも知らない。

 さらには大国の斉を制圧した栄光の陰に酈食其を失ったという悲劇、劉邦に義理立てをして出兵しようとした結果、愛する蘭を失ったこと、それらすべてを知らなかった。


 知っていたのは散文的な事実のみだけであった。

 かつて斉王を名乗り、その後は楚王となったが、友人という理由だけで楚将の鍾離眛を匿った結果、降格されて現在は淮陰侯に留まっている、という事実。


 どうやら自分たちは朝廷に睨まれている人物に仕えているらしい、という漠然とした不安は、かつて親衛隊を名乗っていた家令たちも同じように感じていた。

 しかし忠誠の度合いが少ない新参の者は、その不安を跳ね返すことができなかったのである。


 家令の弟は、兄がいずれ殺されることになると思い、ひそかに屋敷を抜け出て長楽宮へ走った。


「大事件です」

 と叫びながら上奏し、韓信の計略のいっさいを皇后である呂氏にぶちまけてしまったのである。


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