逆臣とは

 韓信は死した鍾離眛の首と引き換えに、淮陰侯の肩書きを得ることとなった。漢の大将軍、趙の相国、斉王、楚王……様々な異称が彼に与えられたが、淮陰侯という呼称は韓信に与えられた尊称の中でも、ひときわ印象深いものである。私は、その尊称の持つ語感に哀愁を感じざるを得ない。

 酈生や魏蘭、蒯通などの人物との出会いと別れ、旧友鍾離眛との相克の日々、劉邦や項羽と渡り合った波乱の人生……私にはそのすべてがその尊称には詰まっているかのように思える。

 だが彼の人生は、まだ終わりではなかった。


 失意の韓信の前に、ひとりの士官が姿を現す。

 

 一


 髪や体を洗い、こびりついた血のりを流し尽くしたつもりでも、臭いが残っているような気がする。

 あるいは顔に浴びた血潮の生ぬるい感触。

 それを忘れ去ることは不可能に近い。ついさっきまで意識を持ち、辻褄は合っていないが、流暢な調子で言葉を継いでいた眛が、あっという間に血と単なる肉の塊と化したことを受け入れることは難しかった。


 韓信にとって旧来の友人である鍾離眛を失ったことは、確かに悲しいことであり、衝撃的なことであった。しかしそれ以上に気になったのは、やはり死ぬ間際の彼の言動の不可解さであった。


 ――そもそも眛が助けてくれ、と言ったのだから、私は彼を匿い、助けようとしたのだ。それを今さら……。


 ――武人としての誇りが、いつまでも自分の世話になることを拒否したのだろうか。それとも彼は常に自分に劣等感を感じており、私はそのことに気付かなかった、ということだろうか。考えられることではある。おそらく眛が言ったとおり、近ごろの私の目は濁っていたに違いない。


 そう考えれば、悪いのはやはり自分ではないか、という気がしてくる。

 自分の行為や言動が彼を追いつめる結果になったのではないか、と。

 しかし一方で反発も覚える。

 眛に限らず、世の中には烈士に類する人物が多すぎる。彼らは、苦難や屈辱に耐えて生き抜こうとせず、いとも簡単に死のうとする。往々にして自分の命を顧みない者は、他人の命をも顧みることがないのだ。

 つまり、すぐ死ぬ奴は、すぐ人を殺そうとする、だから今の世の中には戦乱が絶えない、そう考えるのである。


 しかし、殺した人間の数では、同時代で韓信に匹敵する者は少ない。これはつまり、彼自身も他者の命を軽んじていることでは世にはびこる烈士と同じである。

 韓信が彼らと違うのは、自らの命を惜しんでいる点であった。


 ――あるいは、私は彼ら以下の存在かもしれない。

 私には雄々しく死んでみせる勇気などない。

 そのくせ敵対する者を無慈悲に殺す能力だけは持っている。


 項羽を初めて見たときのことが、思い出された。あのとき彼は項羽のことを内心で「殺し屋」と呼んだものである。しかし、いま思い返してみると、その言葉は自分自身にこそ当てはまるものであった。


 ――そんな風に自分のことを卑下するのはよせ……私の悪い癖だ。考えてもみろ……いくら主義主張のために美しく死んでみせたとしても、しょせん世の中は生者のものだ。死んでしまえばそれ以上主義主張を世に唱えることは出来ない。人というものは……生きていてこそ意味をなすものなのだ。


 死んではなにも出来ない。

 死者になにが出来よう。

 韓信は、そう頭の中で繰り返し、自分を慰めるしかなかった。

 しかし、いくら考えてみても今後自分が生き続けてなにを成そうとしているのかは、わからなかった。だったら死んでも同じではないか、という思いさえ頭に浮かんでくる。


 ――いや……生きながらえれば、きっとなにかはあるに違いない。

 結局韓信の考えは、そこに落ち着いた。


「大王。天子の出遊の時期が近づいております。このようなときですが、そろそろご準備を……」

 思いに浸る韓信に対して、家令の一人が、そう告げた。すでに劉邦が雲夢沢に赴き、諸侯と会同することは、韓信にも伝えられていたのである。


 二


「天子? ……出遊……? そうであったな。……ちっ、なんとも間が悪い」

 出遊などとは、平和を象徴するような言葉であるが、韓信には、いささか時期尚早にも思われた。天下が完全に治まったとはいい難く、諸地方に叛乱の種火がくすぶっている状態だというのに、いい気なものだ、と思ったのである。

 まして当然ながら、このときの彼はとても遊ぶ気にはなれない。


「このたびは……ご病気とでも称して、欠席されてはいかがですか」

 心配した家令がそう告げた。言われずとも、理由を付けて欠席することを韓信も考えないではなかった。


 そもそも諸地方の叛乱の種火の中で、いちばん大きなものは、他ならぬ楚なのであり、誰がいちばん危険なのかというと、韓信なのであった。もちろん彼は自分でそう意識して実際に行動に移しているわけではない。皇帝からそのように見られている、ということが、わかるだけである。


 ――行けば、もしかしたら一個戦隊が待ち受けているかもしれぬ。出遊を理由に私をおびき寄せ、一気に処断しようと……。

 だが、それにしても口実はない。

 ――ひょっとすると眛を匿っていたことが、彼らに知れていたのかもしれんな……。

 考えられる限り、自分の後ろ暗いことといえば、そのことだけである。しかし、そのこともすでに解決した。鍾離眛は死に、結局命令のとおり韓信は眛を捕らえた形となったのである。


 ――彼らに私を処断する口実を与えないよう、眛の首をじかに見せてやれば……眛には悪いが……。しかし、眛はそうしろ、と言った……一時しのぎに過ぎぬ、とも言ったが……。


「いや、病気を称するのはまずい。私には、こそこそと逃げ隠れする理由はないよ。気乗りはしないが、明日の朝には出かけることにしよう」

 結局家令たちに準備を任せ、韓信はその夜、いつもより早く眠りにつくことにした。

 鍾離眛の首は、道中での腐敗を防ぐために、家令たちの手によって白木の箱に収められた。


 その夜、韓信はまた、蘭の夢を見た。


 ――君が夢に現れると、ろくなことが起きない。


 そう思いつつも、喜びを感じる。あるいは眛を失った傷心をいたわるために蘭が夢枕に現れたのかもしれない、と思ったりもした。

 が、夢の中の蘭とは、会話が成立しない。

 また、夢の中の自分が何を語っているのかも定かではなかった。

 韓信は寝ているにもかかわらず、その状況にもどかしさを感じ、夢の中の自分に対して彼女に手を伸ばし、触ることを命じた。


 しかし夢の中の自分は、いうことをきかない。

 蘭は生前の印象的な微笑をたたえながら、近寄っては来てくれる。しかし、彼女に触れることはどうしても出来ないのであった。


 それでも諦められない彼は腕をのばすことを命じ続ける。

 ついにそれに成功した、と思ったとき、彼は目が覚め、すべてが夢であったことを理解したのだった。腕は現実の世界で動かせただけであり、ただ虚空をさまよっていたに過ぎなかった。


 彼が残念に感じたことは言うまでもない。

 しかし、彼はそんな自分に対して自嘲的に笑い、冷静にその事実を頭の中で分析するのであった。

 ――蘭が夢に現れた翌日には、よくないことが起きる。これは蘭の魂がまだ生きていて、私に危険を告げている、ということなのだろうか……? いや、そんなことはあり得ない。……馬鹿馬鹿しい。思うに、危険を感じているのは私自身なのだ。私は本能的に危険を察知し、夢の中の蘭はそれを象徴しているに過ぎぬ。


 しかし、危険を察知したからといって、とるべき対策はなにもない。

 皇帝の出遊を迎えるだけのために、まさか軍を引き連れていくわけにもいくまい。そのような行為は、かえって疑惑を招く可能性が高かった。必要最小限、近侍の者しか、今回は連れて行けない。

「……私は、雲夢で捕らえられるかもしれないな……しかし……その時はその時だ」


 運を天に任すことに決めると、少し気分が楽になった。

 ――項王は死ぬ間際まで天命を信じ、行動したと聞くが……なるほど自分を納得させるには都合の良い思考法だ。


 韓信はそう考えた後、夢を見ることのない、深い眠りに落ちた。


 三


 雲夢沢は陳のはるか南、当時淮陽わいようと呼ばれた地域に属している。

 戦国時代に陳国が滅亡して以来楚の領土であったが、この時代に韓信が治める楚は、もっと東に領土を移している。よって当時の都である下邳からは遠く、行程に早馬で十日前後の日数を要する。

 しかしこのとき劉邦は諸侯に現地集合を命じたわけではなく、先にその手前の陳に集まれ、と命じている。諸侯が比較的集まりやすい場所に集合場所を設けた形であった。

 にもかかわらず、韓信が鍾離眛の首を携えて陳に到着したときには、誰もまだ来ていなかった。一番乗りだったわけである。

 皇帝一団もまだ到着していない。

 ――もしや誰も来ないということはないだろうな……。

 自分の留守を狙い、諸侯会同して楚に攻め込もうという魂胆ではないか、と疑った韓信は、気が気ではない。先日の夢のことも気にかかる。


 しかし、翌日には皇帝が諸将を従えて到着し、とりあえず安心した韓信は、これを出迎えようと御前まで近づき、拝跪した。

 この時期の拝跪の仕方は、簡便である。両手を胸の前で組み、組んだまま頭の上にかざした後、跪いて一礼する。

 秦の時代はもう少し複雑な儀礼が定められていたが、劉邦が関中を制圧した際に自ら簡略化したのであった。

 この二、三年後、儒家の思想に基づいた典礼が細かく定められ、儀礼は複雑なものになっていく。そのことが結果として皇帝の権威を高めることにつながっていくわけだが、まだこの時点では、韓信のような者にとって皇帝と直接話をすることは、難しくない。


 韓信は、このとき手にしていた鍾離眛の首が入った箱を前に置き、拝謁した。

 その箱が劉邦の興味を誘ったようである。

「信、それはなんだ」


 韓信は答えた。

「楚の宿将、鍾離眛の首にございます。逮捕せよ、とのご命令を受け……捕らえた証にございます」


 これを聞いた劉邦は、興味深そうに、ほくそ笑みながら言った。

「ほう……信、お前が殺したのか?」

「いえ……。彼は捕らえられた後、自害いたしました。ご確認なさいますか?」


 韓信は箱を開け、中身を見せようとしたが、劉邦は手を振って、それを拒絶した。

「必要ない。後で確認させるとしよう。とにかくその箱は魚の腐ったような嫌な臭いがする。とても臭い!」


 そう言うと劉邦は手招きで近侍の者を呼び寄せ、箱を持ち去らせた。

 それを確認した後、彼は何気ない所作で左手を軽く挙げてみせた。

 するとそれを合図とし、左右から二名の屈強な武士が現れ、物も言わずに韓信の両腕を押さえたのである。


 彼らはそのまま力任せに韓信を地に這いつくばらせた。

「何をする! ……これはなんの真似だ」


 韓信は押さえつけられ、砂にまみれた顔で叫ぶ。

 だが二人の武士はなにも答えなかった。

 そして劉邦もなにも言わない。

 劉邦の後ろに控えた将軍たちもなにも言おうとはしなかった。


「最初から……私を捕らえるために、君たちはここに来たのだな!」

 周勃や夏侯嬰、樊噲などの将軍たちは皆、目を背けて韓信と目を合わさないようにしている。韓信は彼らのそんな様子に反感を覚えたが、その中に灌嬰がいたことを認め、観念した。


 ――灌嬰! お前まで……。

 見捨てられた気がした。

 しかし、冷静になって考えてみれば、これも自然な成り行きである。もともと劉邦の命を受けて韓信に従軍していた彼は、やはり劉邦の臣下であり、自分の臣下ではない。

 個人的に親しい関係ではあったが、公的な立場は違う。彼が劉邦と自分のどちらかを選ばなければならないとしたら、文句なく劉邦を選ぶだろう。自分が彼の立場であったとしてもそうするに違いない。


 ――これからの時代、義侠心では天下を変えることは出来ない。

 それは韓信が鍾離眛を匿いながらも、最後まで守りきることが出来なかったことにより痛切に思い知らされたことである。

 自分でも出来なかったことが、灌嬰に出来るとは思えなかったのだった。


 縄で縛られ、車に乗せられた後、両手に枷をはめられた。かくて虜囚の身となった韓信は、自嘲気味に自分の立場を言い表したという。


「ああ……やはり人の言っていたとおりだった……野の獣が狩り尽くされると、猟犬は煮殺される。大空を舞う猛禽が狩り尽くされると、弓は蔵にしまわれる。敵国を滅ぼし尽くすと、謀臣は亡き者にされる……天下は既に定まったのだから、私が煮殺されるのはやはり自然なことか……」

 劉邦はその言葉に対し、

「君が謀反をしたという……密告があったのだ」

 と答えた。悪く思うな、というひと言でも付け加えたいかのような口ぶりであった。


「それは讒言です」

「だが証明する術はなかろう」

「確かに……。ですが陛下も私が謀反をしたという証拠をお持ちではないでしょう」

「証拠がないということが、お前の無実を証明することにはならん。密告書には、お前がいたずらに軍列を組んで市中を巡回し、城中の市民を恐怖に陥れたと記されてある。そして、天下が定まった後、不必要に軍容を見せつけるのは、謀反の意志の現れだとも記されてあった」

「それはそいつの私見というものです。……要するに、私は憶測で逮捕されたのですな。つまり、謀反の可能性があるから、と。しかし言っておきますが、可能性なら誰にだってあるのですぞ」

「確かにそうかもしれないが、並みいる諸侯の中で、お前がいちばん実行力があることは間違いない」

「では、やはり私は可能性で逮捕されたのか。単なる可能性で……」


 それを最後に韓信は口を噤んだ。もはやあきれて物も言えない、という心理だろうか。


 会話が途絶えたのを機に、韓信を乗せた車は静かに走り出し、雒陽へ進路をとった。


 その後、黥布や彭越などの諸侯が陳に到着したが、彼らが揃って雲夢沢に行くことはなかった。急遽出遊の取りやめが宣言されたのである。諸侯たちは皆、この場に韓信がいないことにその原因があるに違いないと思ったが、それを口に出して言う者はなかった。


 韓信の受難は、彼らにとって決して対岸の火事ではなかったのである。


 四


 陳から雒陽まで運ばれる間、韓信はあまり自分の不遇について考えないようにした。考えるほど深みにはまって抜け出せなくなり、ついには狂人となってしまうと恐れたのである。

 道中空腹を感じたが、それも忘れるよう努力した。手枷をはめた状態では、自分で食物を口に運ぶことは出来ない。他人の手で食わせてもらうことを想像すると、このうえもない屈辱を感じるのだった。


 車窓から外の様子をうかがうと、自分を護送する部隊がひどく小規模であることに気付いた。目立たないように配慮された結果かもしれないが、これも彼としては不満である。


 ――舐められたものだ。

 武芸にもある程度の自身を持っていた彼は、自分に対する警戒が甘いことに対してそう感じる。

 しかし、もともと叛逆する意志がなかったことを思えば、このような不満を持つことはおかしい。あるいは自分はここで剣をふるってひと暴れし、ひとり叛逆するつもりなのか、と自問してみたりした。

 しかし、そのような行為は叛逆とはいえない。それは単なる収監を恐れた受刑人の脱走行為であり、仮にも王を称する者のとるべき行動ではない。やってしまいたいという衝動がないとは言い切れなかったが、その後のことを考えるとためらわれた。

 性格的に無計画なことを嫌った彼は、事態をただ受け入れることに徹することにしたのである。しかし、これも自分の将来が見えなかったことに変わりはないので、やはり無計画であった。


 ――だいいち、手枷をはめられた状態で何が出来るというのだ……。

 反抗を諦めた彼は、心の中の不満を和らげるよう、考え直すことにした。護送を指揮する士官は、優秀で皇帝からその能力を信頼されている者であるに違いない、と。囚人が暴れだしても落ち着いて対応できる能力を持っているからこそ、このような小部隊で自分は護送されているのだ、と考えるようにしたのである。


 雒陽の手前、潁水えいすいのほとりの許の城外で、一行は小休止をとった。ここで韓信はその士官と実際に話をすることになる。

「お疲れでしょう」

 動きを止めた車の中に乗り込んできたその士官は、そう言いながら一皿の食事を差し出した。

 しかし、その皿には鳥の干し肉を焼いたものが一切れだけのせられているだけだった。

「なにぶん食料の蓄えが少なく……申し訳ありませんがこれで我慢してください」

 士官は、そう言いながら韓信の手枷を外した。


「いいのか? 枷を外したりして……。私の腰にはまだ剣があるのだぞ。もし私が剣をとり、暴れだしたらどうする気だ」

「……困ります。しかし、大王はそんなことはなさいますまい」


「確かにここで君を殺したとしても、逃亡の日々が待っているだけだ。私はそんなことはしない。もともと無実なのに、いまここで剣を振るえば、私は本当の意味で犯罪者となってしまうからな」

「その通りでございます。それに私は、危険だからといって大王の剣を取りあげるわけには参りませぬ。その剣は、大王の武勇の証。ひいては今ここに天下が定まったのも、大王のその剣が折れることがなかったからでございます。どうしてその剣を私が取りあげることができましょう」

 士官の表情には、韓信を恐れている様子はなかった。

 かといって憐れんだ目で見ているわけでもない。それとは逆に、かつて不敗を誇った韓信と直に会話できることを純粋に喜んでいるようであった。


「君は気が利く男のようだな。実をいうと私はいま腹が減って仕方がなかった。しかし人に食わせてもらうのは、私の矜持が許さない。この手枷をどうしたものかと考えていたところなのだ。それを君はいとも簡単に外してくれた。……これは私を信用する、ということなのか」

「信用するもなにもありません。大王は、無実なのですから」

「……ああ、そうだ。しかし、政治というものはときに無実の者を獄に落としたりする。私はそのいい例だ。あるいは私のような者が生き残り、好き勝手に振る舞うことは天下の平和のためには障害となるのかもしれぬ。悪いことは言わない。私にあまりよくしてくれるな。君の立場を微妙なものにしてしまう」


 そう言って、韓信は鶏肉を食べ始めた。雒陽に着いたら即刻牢獄に入れられて、満足な食事は出来ないかもしれない。量は少ないが、よく味わって食べたいものだ。

「大王は……今後のことが恐ろしくはないのですか」

 しかし士官は質問し、食事に集中させてくれない。


「それは……私だって人並みには恐ろしいさ。しかし……これは天罰かもしれん。やれ不敗だの常勝だのと言われたって、私のこれまでしてきたことは、人殺しに他ならない。私に殺されてきた者たちは、皆等しく恐ろしかったに違いないのだ」

「しかし、大王は使命としてそれをやってきたに過ぎません。それをするように命じたのは皇帝であり、天罰を受けるとしたら、大王ではなく皇帝ではないでしょうか」


 韓信はその言葉を聞き、もはや食べてはいられなくなった。

「……君のことを私は皇帝の忠実な臣下だと見ていたのだが……君はすべての罪が皇帝に帰せられるべきだというのか。めったなことを言うものではない。首が飛ぶぞ」

「確かに私はいままで忠実に皇帝にお仕えしてきました。それを正しいことと信じ、疑うことをしてきませんでした。……しかし、今に至って言えることは……この王朝は駄目だ、ということです。宮中はすでに戦後の利権を貪る輩で埋め尽くされ、陛下ご自身も自分だけの国家を作ることしか頭にありませぬ。……私欲のかたまりでしかありません」

「…………」


「そもそも建国のために命を賭けた大王のようなお方を捨て駒にする王朝に未来があるとは、どうしても思えませぬ」

「君は……皇帝の味方なのか、それとも私の味方なのか」

「……現時点では皇帝の臣下であることには違いありません。ですが、私は以前から大王のことを尊敬して参りました。いつか、お近づきになりたいとも……」

「……では聞くが、私がついに皇帝に叛くと決めたときには、君は力添えをしてくれるか? ……いや、例えばの話だ」

「そのときは、謹んで馳せ参じます」

「……その時が来るかどうかはわからない。私は明日にでも殺されるかもしれないのだ。もし、生き残ることができたら……そのようなときも来るかもしれない。君の名を聞いておこう」

「……陳豨ちんき。陳豨と申します。梁の宛胊えんくに育ちました」

「うむ。覚えておこう」


 このとき、韓信は本当に陳豨とともに皇帝に叛くと決めたわけではなかった。そんな先のことよりも、明日、まだ自分の命があるかどうか……そのことの方が喫緊の課題だったのである。


 五


 韓信が雒陽に護送されたことを確認すると、皇帝は天下に大赦令を出し、多くの罪人を解放した。

 このことを聞いた韓信は、さすがに面白くない。

 ――私を捕らえたことが、それほどの慶事だというのか。無実だというのに……。


 不満を覚えた韓信だったが、それでも現状に満足すべきだっただろう。彼は死罪を免れたのである。


 よかった、と安堵する気持ちがないわけではない。

 しかし一方でなにも悪いことはしていないのだから当然だ、という思いは常に頭の中にある。

 このとき韓信に与えられた処分は、王位を取りあげて淮陰侯に格下げする、というものであった。


 これを受けて楚の地は二分され、劉邦は東を荊国として従弟の劉賈を王とし、西を楚国として弟の劉交を王としている。またこのとき斉には、息子の劉肥が王として封じられた。

 かつて韓信が王として治めた国に、それぞれ劉姓をもつ親族が王として擁立されたのである。このことを考えてみれば、やはり韓信には罪はなく、同姓の王を擁立するための口実に過ぎなかったと言わざるを得ない。


 楚はかつて項羽を輩出した土地でもあるので、当時の朝廷としては統治するにあたって慎重を期したことは想像に難くない。

 また、斉も七十余城を有する大国で「西の秦、東の斉」と呼ばれるほどの重要な軍事上の要所である。さらに海に面した地でもあるので、物産も豊富であった。このような土地は直轄の郡として統治するのが理想であるが、急激な中央集権化は秦の時代のように庶民の反発を招く。よって直轄地とするのは無理でも、なるべく朝廷の立場に近い者に統治させることが望ましい。

 韓信が罪に問われたのは、そのことだけが原因のように思われる。


 しかし韓信が斉王を称したのは当時の状況を考えれば他に方法はなく、それを認めた劉邦の罪であろう。

 というのも韓信は斉王を称するのは当座の方便として、自らは仮の王となることを奏上しているのである。それをやけになって真正の王としたのは劉邦自身であった。つまり韓信は劉邦の統治策の間違いのとばっちりを受けたに過ぎない。


 彼に与えられた処分にも、そのことは見受けられる。楚王から淮陰侯への格下げという処置は、逆臣という大罪人に与えられる処分としては、軽すぎる。

 もし韓信に本当に謀反の事実があれば、ふつう死罪は免れない。それなのにそうしなかったのは劉邦の目的が韓信に兵権を与えないことにあり、制御可能な範囲内で、功績に応じてやりたいという思いがあったからに違いない。

 つまり一国を与えるのはやり過ぎだった、というわけである。

 これはしかし彭越や黥布などの異姓の諸侯王に関しても同じであるので、韓信が自分だけに与えられた処置に不公平感を抱くことは避けられない。


 だが当時の朝廷が、もっとも危険と考えられる男から順番に処理していった、と考えればこのことも説明は可能である。というのも彭越や黥布らも最後には韓信と同じ運命を辿ることになるからであった。


 このとき韓信に与えられた淮陰侯という地位は、漢の爵制のなかの「列侯」にあたる。列侯とは秦・漢時代に採用されたいわゆる二十等爵のなかの最高位で、封邑(領地)が与えられるほか、賦役や罪の減免の対象となった。

 この場合、韓信に淮陰を領地として与えたことになり、王とは支配する領域の大きさに雲泥の差があるとはいっても、彼が君主である事実には変わりがなかった。


 通常列侯はその封邑に実際に赴き、諸官を従えて権力を世襲するものであるが、中央の官職についている者はこの限りではない。また何らかの理由で皇帝から首都にとどまるよう命じられている者もあったのである。

 韓信が封邑である淮陰に赴いて、故郷の土地の行政に尽力したという事実はなく、つまり彼は首都に留められた部類に属する。彼は首都に軟禁されたのであった。


 韓信を封邑に行かせれば、彼は地元で兵を募り、それを朝廷を転覆させる規模にまで発展させるかもしれない。よって皇帝としては、彼に最低限の名誉だけは与えておき、中央で監視しておくに限る。皇帝は実質的に韓信の兵権を奪ったのである。

 兵無き名将は、飛べない鳥と同じ……あるいは走らない馬と同じである。

 劉邦は韓信の危険性を警戒し、彼をそのような立場に追いやった。

 しかし繰り返すようであるが、これは温情的措置である。

 劉邦は皇帝であるので、罪状もなく韓信を殺そうと思えば、殺せた。そうしなかったのは、劉邦が韓信の才能を危ぶみながらも惜しんだからであり、ともに死地をくぐり抜けてきたという一種の友誼を感じたからに違いない。危険な男なので除きたいが、殺すには忍びないという劉邦の微妙な心理がこの施策にはよく現れている、といえるだろう。


 またこのことは、逆臣でない者を逆臣として扱うことに徹底さを欠いた、とも言える。

 生かされた形の韓信は、実はまったく逆臣ではなかったために、自分に課された処置が不当なものと感じざるを得なかった。彼は自分がなぜ才能や功績においても数段劣る周勃や夏侯嬰、樊噲たちと同じ身分なのかと自問し続けるようになった。

 もちろん理由はわかっている。性格的なものや、実際の行為によるものではなく、持っている才能そのものが危険だからであった。だからといって才能はすでに身につけられているものなので、捨て去ることはできない。自分ではどうにもできない悩みなのである。


 後世において、このときの処分は韓信が才能を鼻にかけ、大きすぎる功績に驕ったために招いたものである、と評されることが多い。確かに漢を擁護する側に立てば、そう説明するしかないかもしれない。

 だが韓信の側から見れば、やはりこれは不当な措置であったとしか言いようがないのである。




 

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