韓信

野沢直樹

魂は語る 

 かつて私は一度だけ、漢の大将軍である淮陰侯韓信わいいんこうかんしんと言葉を交わしたことがある。このときの会話はごく短時間に過ぎなかったが、私には非常に印象深いものであった。

 当時の彼は長安城内に邸宅を構えており、私たちの会見は、私が彼の邸宅へ赴く形で行われた。そのとき彼は庭先に咲いている花を指差し、特有の物憂い表情とともに、おもむろに口を開いた。

「私は花には詳しくはないが、この花は山百合というそうだ。その名の通りもともとは高山に育つ品種なのだが、気の遠くなりそうなほどの長い年月を重ねて環境に適応し、今では平地でも花を咲かせる。……思うに、人はこの花を見習うべきだ」

 このとき私は、彼がなにを言いたいのかがよくわからず、気の利いた返答ができずにいた。しかし察しのいい彼は、私のそのような様子にすぐ気付いたようで、説明を付け加えてくれた。

「人は花と違い、気の持ち方次第で一瞬で変われる。これは人間に備わった優れた能力だと言うべきだろう。しかし、その能力のおかげで人の世は常に一定しない。古来から人は尽きることなく戦いを重ねているというのに、いつまでたってもそれが終わることがないのは、移ろいやすい人の心のせいなのだ。人類は、自らを急激に進化させようとするあまり、自滅しかけている」

 また、彼はこんなことも言った。

「あるいはすべての人に共通する絶対的な正しさの観念が存在すれば、誰もがそれに基づいて行動するだろう。しかし、残念ながらそのようなものは存在しない。仁や義の観念はそれ自体素晴らしいものだが、個人によって解釈が異なる。残念ながら不完全なものと言わざるを得ない」

 彼は頭の良い男だったので、儒家思想に陶酔している私の好みそうな話題を提供しようとしたのかもしれない。しかし、このときの彼は心ない者の讒言によって高祖の不興を買い、首都に軟禁されている状態であった。頭の回転がやや鈍かった当時の私は、彼が単に自身の不遇に対して愚痴を述べているものだと捉えた。

「悔い改めて、皇帝への臣従を誓うことです。一から出直すつもりで……」

 このとき私が発した返答が、これであった。

 今にして思うと、我ながら実に頓珍漢なことを言ったものだ。その後の彼が迎えた運命に思いを馳せると、私の発したひと言は、彼の自尊心を大きく傷つけるものであったに違いない。私は、悩める彼を救うことができなかったことを、今でも深く悔やんでいる。


 また、当時の私は高祖の傍らにあって、漢の政治の採るべき方向性を定める役目を仰せつかっており、日夜高祖を相手に古代の聖人の業績を説明したりしていた。しかし生来そのようなものを顧みることのなかった高祖は、教条的な私の話を少しも好まなかった。

「先生よ。もっとこう……具体的な話をしてくださらんか。わしが天下をとったのは、学問に通じていたからではなく、常に戦地にこの身を置き続けたからなのだ。わしはそのことを誇りとしている」

 つまり高祖は、自分は古代聖人のまねごとをして天下をとったわけではない、と言いたいようであった。馬上で天下をとった自分に学問など不要、そんなものは無用の長物であると主張していたのである。そのときの高祖の態度は、言葉こそ丁寧であったが、無法者が悪態をつくようなそれに近かった。よって、私はすこぶる恐怖を感じた。

 しかし、このとき私がとった態度は、我ながら人臣として誇るべきものだったと思う。私は恐怖に震える心を抑え、高祖にひとつの諫言をした。

「馬上で天下をとったとしても、馬上で天下を治めることは不可能です。文と武を併用することこそが、天下を長く保つ秘訣ではないでしょうか。考えてもご覧なさい。秦は武によって天下を統一しましたが、その後彼らが仁義を用いて天下を治めていたら、世は乱れませんでした。よって陛下の出番はなかったのです」

 すると高祖は極めて不機嫌な表情を示したので、私は死を覚悟した。しかしやがて彼は思い直したように私に命じたのである。

「わしのために、秦が天下を失った理由、わしが天下をとった理由を明らかにせよ。そして古来の諸国の成功と失敗のあらましを書にして書き示せ」

 その命を受けて、私は当時建国の元勲とされる多くの人物に会い、つぶさに話を聞き、全部で十二編になる書を完成させた。

 その書の完成に群臣たちは皆万歳を叫び、高祖自身もその出来具合に感涙にむせんだほどである。だがそれとは逆に、私の心は沈んでいったのだった。


 当たり前のことだが、漢は高祖ひとりの意志によって成り立った国家ではなかった。ひとりひとりの雑多な意志が混じり合い、その意志が淘汰された結果が、建国当初の漢であった。しかも意志の淘汰は話し合いによってなされたのではなく、殺し合いによってなされ、そしてそれを主導したのが他ならぬ高祖だったのである。私は調べれば調べるほど、そのことを確信せざるを得なかった。

 つまり高祖は自分自身で言うように、やはり馬上で天下をとった男なのであった。私の役目はそれを学問的に正当化することであり、高祖を古代の聖天子と同様の存在に仕立て上げることであった。私は罪悪感に苛まれたが、人臣としての立場上、他にどうすることもできなかった。

 あえて言うが、私が仕立てた書には決して虚言ばかりが綴られているわけではない。しかし、真実の多くには蓋がされている。建国の成功に伴う裏の事情はなにも存在しないことになっているのだ。だが、それは確実に存在していた。


 私が思うに、漢王朝成立の裏の事情を象徴する存在が、淮陰侯韓信である。彼の残した輝かしい功績は、当時の人々の誰もが知るところであった。しかし、なぜ彼が死なねばならぬことになったのか、正確に説明できる者は非常に少ない。

 先にも述べたが、私は生前の彼に一度会って話をしている。その後に彼が迎えた非業の最期を私が予期していれば、後の世界は長い停滞を迎えることなく、発展していたかもしれない。私は一生の間、その思いを捨て去ることができなかった。


 私の人生は概して満足できるものであるはずだった。しかしこの一点のみが深く私の一生に影を落としている。あるいは私に人の心が読めたなら、生前の彼が言った「尽きることのない人の戦い」を止めることができたかもしれない。少なくとも彼のような素晴らしい男が死後に逆臣という汚名を着せられることなど、避けられたはずであった。しかし、そのようなことは望めようはずもない。私は後悔を抱えながら、結局老衰で一生を終えることとなった。


 死後の世界には音もあり、色や光があるのかもしれないが、目や耳などの感覚器官を失った私にはそれを感じることができない。私にとってそこは漆黒の闇であり、一切の雑音もない世界であった。しかし注意深く意識を集中すると、そこかしこに人々の記憶がとどめられていることに気付く。そして何よりも驚かされるのは、それを感じる自分の意識が、未だ存在していることであった。

 あるいは生涯を通じて仁や義などの精神を学問として追及し続けた功徳か。それとも深く抱いた後悔が怨念と化して現世に留まらせているのか。いずれにしても私の意識は依然として存在し、宙を漂っている。私は自分の存在をうまく説明することができないが、あえて通俗的な「魂」という言葉で自分自身を表現することに決めた。

 死後の世界には人々の意識が雑然と、順不同に散りばめられている。私はそれをひとつひとつ検証し、誰の、どの時点での記憶かを繋ぎ合わせていくことにしたが、それには思いのほか時間がかかった。私自身が生きた時代、つまり漢が成立した時代に生きた人々の意識を系統立てて、思いの強い淮陰侯韓信という人物を中心に説明できる状態にするまでに、実に二千二百年もの時間を要したのである。

 しかし、時間をかけただけのことはあるに違いない。今の私には、彼に着せられた叛逆者の汚名を除くことができるのである。

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