第11話 神奈川藤沢市。牡蠣オムレツと土鍋で炊いたご飯、わかめの味噌汁、カボチャの煮つけ、お新香。
幹夫は研いで笊にあげて水切りしていた米を土鍋に開け、水を入れて蓋をした。
これであとはしばらく米に水を含ませて、火にかければいいだけになる。
ここ数年、幹夫は炊飯器を使用することなく、土鍋で米を炊いていた。
手順さえおぼえてしまえばその方が手早いくらいだし、味も断然よかったからだ。
それから壁にかけてある時計に視線をやって時刻を確かめ、
「今日は来るのかな、あいつ」
と、ひとり言を呟いた。
同居人である砂羽が帰宅する時刻は気まぐれであり、いつも炊飯をするタイミングを測りかねていた。
土鍋の場合、火をかければすぐに炊きあがるのだが、蒸らし時間なども十分に取らなくては米の味が引き出せない。
味噌汁の方も、うん、具のわかめと若菜は十分に煮えていて、あとは砂羽が帰ってから温めて味噌を入れるだけとなっている。
フルタイムで勤務している砂羽とは違い、自宅勤務である程度は自分の都合で動ける幹夫が炊事をはじめとする家事全般を担当していた。
そして、一応それなりの規模の会社で総合職に就いている砂羽は、帰宅が遅くなることも珍しくはなかった。
さらにいうのならば、砂羽は飲兵衛だった。
ことに最近は仕事のストレスを飲酒で発散する傾向があり、そのことについても幹夫は心配していた。
「たっだいまー!」
結局、砂羽が帰ってきたのは二十二時を回ってからだった。
ガスコンロに置いていた土鍋を火にかけてから玄関に出迎え、そこで幹夫は棒立ちになる。
「生きたおみやげを持ち帰ったのは、これがはじめだなあ」
「ど、どうも」
砂羽を首にぶらさげた外人さんが、戸惑い気味に会釈をしてくれた。
「いや、アレがご迷惑をおかけしたようで」
「いえいえ。とんでもない」
キッチンのテーブルを挟んで、幹夫とその外人さんはお互いに頭をさげ合う。
「飲み屋で捕まりましたか?」
「は、ああ。そんなところです。
いえ、楽しいお酒でしたが」
その外人さんの名は、タスッタさんというそうだ。
名前の響きから出身地を推測することはできそうもなかったが、流暢に日本語を操るのでコミュニケーションに不安はない。
「うちのアレにも困ったものでして、流石に生きたおみやげを持ち帰ってきたのはこれがはじめてですが、この間なんか駅前にある薬局のカエルちゃんを持ち帰ってきまして」
「はぁ」
「その夜のうちに元あった場所に返して来たわけなんですが、重いは運んでいる途中に誰かに見咎められることはないかと怖くなるはで、たいそう難儀したものです」
「それ、楽しんでいるように聞こえますよ?」
「いえいえ。
めっそうもない」
幹夫は軽く首を振る。
「それより、おなか減った」
ずずずずずと湯のみを傾けながら、砂羽がいった。
「幹くん。
ありもので軽く食べられるものを作って」
「この時間から食べると、確実に太りますよ」
そんなことをいいながらも、幹夫は椅子から立ってエプロンを身につけはじめる。
「タスッタさんもどうですか?
もし、ご迷惑でないようでしたら」
「はい。
是非お願いします」
こういうことに関しては遠慮というものがないタスッタさんは即答する。
酒の席で、紗羽に散々幹夫の料理の腕について聞かされていたため、期待が大きくなっているということもあったが。
「ご飯は炊けているの?」
「2合分ね。
誰かさんががっつかないかぎりは、間に合うと思う」
「今日はなに?」
「牡蠣のオムレツ」
そういって幹夫は、カボチャの煮つけと香の物を冷蔵庫から取り出し、手早く切って皿に盛り、テーブルの上に置いた。
「すぐにできるから、それまではこれでもお茶うけにしておいてください」
もちろん、砂羽にむけた言葉ではなく、タスッタさんにむけた言葉である。
「はじめての料理だ」
「ネットでレシピを確認しただけだけど、多分できると思う。
そんなに難しい手順もなさそうだから」
そういって幹夫は、加工用牡蠣のパックを冷蔵庫から取り出し、包装を開けて水気をよく切ったあと、ビニール袋に入れて小麦粉と片栗粉といっしょに入れて、よくまぶした。
コンロにおいていた味噌汁用の鍋に、火をつける。
それから、ほうれん草とニラを冷蔵庫から取り出してざっと洗い、やはり水気をよく切ってから適当な長さにざくざくと切り分けてザルに置いておく。
玉子を冷蔵庫から、さて何個使うかなと少し思案し、結果、四つ、取り出し、割って、中身をボールの中に入れ、オイスターソースを少量入れてから軽く撹拌する。
空いているコンロにフライパンを置き、火をつける。
同時に、沸騰する寸前だった味噌汁用の鍋の火を止めて味噌をときいれ、味見をしてから三人分、碗に入れてテーブルに置いた。
「ご飯の方は、そっちでよそって」
そういって、土鍋もテーブルの上に置く。
日を止めてからの時間から予測して、ちょうどいい具合に蒸れているはずだった。
「はいはーい」
そういって、砂羽がなれた様子で茶碗を出した。
その間に幹夫はフライパンの上に手をかざして十分に暖まっているのかを確認してから、ごま油をいれて軽く揺する。
フライパン全体位に油がいき渡ったのを確認してから、水切りをした野菜をザルの上からフライパンの上に移し、ざっと火を通してから一度皿にあけた。
それから粉をまぶしておいた牡蠣をフライパンの上に置き、菜箸で何度かひっくり返しながら軽く火を通す。
一、ニ分、せいぜい牡蠣の表面に軽く焦げ目がついた頃に、一度取り出した野菜をフライパンに戻して軽く混ぜ、ごま油を追加。
油が温まった頃に、先に溶いておいた卵液をフライパンに入れる。
卵液の火が通って固まってきた部分を菜箸で軽く寄せたりしながら、半生程度に固まってきたところで、焦げつかないように気をつけてフライパンを揺すりながら、さらに火を通していく。
フライパンに接している部分に十分に火が通り、カリカリになってきた時点で火を止め、フライパンの中身を、火が通った部分を上にして、えいやと一気に皿の上にあけた。
まずフライパンの上に皿を伏せてから、一気に天地をひっくり返したのだ。
「はい、完成」
そういって、幹夫は完成した牡蠣オムレツの乗った皿をテーブルの上に置く。
「ちょっとまってね。
今、ケチャップと豆板醤を合わせたソースを作るから」
そのままでも十分な味がついているのだが、どの道その程度のソースを作るのはさした手間でもない。
「いただきます」
「いただきます」
「いただきます」
三人でそう唱和したあと、タスッタさんはまずはわかめの味噌汁に箸をつける。
椀に直接口をつけ、ぬめりのあるわかめごと味噌汁を吸い込むと、官能的な感触とともにするりと熱い汁がわかめとともに口の中に入り込んでくる。
しっかりと出汁の効いた汁に、ほんのりと乖離がついている味噌の風味。
シンプルな料理だが、絶妙な塩梅だった。
いいなあ、これ。
と、タスッタさんはそんなことを思ってしまう。
おいしいことはもちろんであったが、口にするとほっとするような味の味噌汁だった。
「なにげにこれ、カロリー高そうな料理ばかり並んでない?」
「そんなことをいうのなら、外で飲まずにまっすぐ帰ってくればいいんだよ。
こんな時間まで飲み歩いているのが悪い」
同じテーブルについている砂羽と幹夫が、そんなやり取りをしている。
「ああ、タスッタさん。
ぜひ牡蠣オムレツを食べてみてください」
ふと幹夫がタスッタさんの方を見て、そんなことをいい出した。
「多分、うまくできていると思います」
「はい」
タスッタさんは素直に頷く。
「それでは、いただきます」
タスッタさんはオムレツの、パリッと焼けた表皮の部分に箸を入れて、牡蠣のひとつを取った。
そのまま、口の中に入れる。
あ。
と、タスッタさんは思う。
表面に、半熟の卵が絡んだ牡蠣が口の中に入った途端、舌の上に感じるその感触に、タスッタさんは感じ入った。
これがおいしくないはずがない。
そんなことを思いつつ、まずは口蓋と舌とで牡蠣を圧し潰して見る。
じわり、と、牡蠣の中から汁が染み出てきて、半熟の卵と絡んで口の中に広がった。
牡蠣は火を入れ過ぎると苦味を感じるようになるのだが、火の入れ方がちょうどいいのか、そうした苦味もあまり感じない。
濃厚な牡蠣の味と卵の旨味とが交じりあって、タスッタさんの口内に満ちていく。
「……おいしい」
十分にその味を堪能して、飲み込んでから、タスッタさんはようやくそれだけの感想を述べた。
卵の焼けた部分のパリッとした感触と、それに、柔らかな卵と牡蠣のコントラスト。
なんというか、タスッタさんににしても久々に感動をおぼえた料理だった。
「でしょう」
砂羽がそういって、タスッタさんに微笑みかける。
「幹くんの料理は絶品なんだから」
これはノロケなんでしょうか、と、タスッタさんは心中で呟く。
「どんんどんおあがりください」
幹夫はそんなタスッタさんにいった。
「これでも足りなかったら、またなにか適当に作りますから」
「あ、いえ」
タスッタさんは、そんな答え方をした。
「おそらくは、もうそんなに食べられないかと思います」
これでも一通り飲んできたばかりなのだ。
飲んだあとのシメにするには、この料理は重いというか、本格的な食事すぎた。
幹夫が作る他の料理というのにも心を惹かれるところがあったが、残念なことに、そんなにお腹には入らない。
とか、タスッタさんは予想をする。
そんなことを思いながら、タスッタさんは今度はご飯を口にする。
そして、
「あ」
と、思わず呟いてしまった。
おいしい。
ご飯が、地味におしいい。
これと味噌汁だけでも、するすると一食くらいは済ませることができるくらいに、ご飯がおいしかった。
これは。
「箸が止まりませんね」
「でしょでしょ」
砂羽が、我が意を得たりといった感じの笑みを浮かべる。
「幹くんが作るものはなんでもおいしいから。
そのお新香も、ちゃんとうちで漬けたものだよ」
「それも、いただきます」
そういってタスッタさんは、お新香が盛られた皿に箸を伸ばす。
ポリポリといい食感で、いい具合に塩気が強く、ご飯が欲しくなる味だった。
「これは」
タスッタさんはいった。
「ヤバいでしょ?」
「ヤバいです」
砂羽がそう問いかけると、タスッタさんは即答する。
この分でいくと、カボチャの煮つけもさらにヤバいのではないでしょうか。
そんなことを思いつつ、タスッタさんはさらに箸を伸ばした。
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