第10話 東京都江東区。専門店の餃子と紹興酒。
「餃子?」
総武線のある駅からほど近い路地をたまたま通りかかったとき、タスッタさんはふと足を止めてその店の看板を見つめた。
こういってはなんだが年季が入った、かなり古そうなお店であり看板だった。
にも関わらず寂れている様子はなく、それどころか平日の昼間だというのに何名か店の外に行列待ちをしている。
タスッタさんが意外に思ったのは、店の看板に大きく書かれているのが「餃子」であるというそのただ一点であった。
餃子という料理のことは、タスッタさんも知っている。
何度か口にしてこともある。
おいしいことはおいしいし、この日本においてはかなりポピュラーな料理であることも知っているが、しかし、餃子には華というものがない。
少なくともタスッタさんは、餃子を店の名に関して主役にしている料理店に、これまでお目にかかったことがなかった。
「これは、確認してみる必要がありますね」
タスッタさんはすぐに行列の最後に加わった。
もともと行列というほどには大層なものでもなく、ほんの数名が店の外にはみ出していた程度のであったが、その数名もすぐに捌けて次々と店の中に案内されていく。
どうやら、お客の回転が異様に早いお店らしい。
そんな調子であったから、タスッタさんの順番もすぐに回ってきた。
東南アジア系の店員に人数を聞かれ、タスッタさんはカウンター席に案内をされる。
「お客さん、うちはじめて?」
店内を見渡すタスッタさんの様子を見て見当をつけたのか、中年女性の店員が声をかけてきた。
「うちは餃子しかなくて、お一人様の場合は最低でも二皿からしか注文できませんから。
それでも大丈夫ですか?」
明らかに日本人ではないタスッタさんの風貌をみても臆することなく、早口にそう説明をしてくれた。
「ええ」
お店のシステムや方針については驚いたものの、タスッタさんもすぐにそのことを飲み込んで即答をする。
「その餃子と、それに」
タスッタさんは慌ててカウンターを置いてあるメニューを手にした。
メニュー、といっても、料理は焼き餃子一種類しかなく、その他に何種類かの飲料が記されているだけであったが。
さて、どうししましょう。
タスッタさんは、少し考えてみる。
飲み物なしで餃子ばかりというのは、正直きついものがある。
餃子といえばビールとの相性がいいわけだが、せっかくの専門店だからここは別のチョイスをしてみたい。
それに、ビールは飲み過ぎるとすぐにお腹が膨れてしまうし。
などと考えているところに、すぐに一皿目の餃子がやってくる。
早い。
この時点で、まだ席についてから二分と経っていなかった。
「紹興酒をください」
「はい。
紹興酒、いっちょう」
先ほどの女性店員が、元気よく応じてくれた。
タスッタさんは箸置きから割り箸を取って割り、一皿目の餃子を箸でつまんだ。
餃子は気持ち小さめで、一皿につき五個が盛られている。
これで一皿二百五十円か。
と、タスッタさんは思った。
高くもなく安すぎもせず、妥当といえば妥当な値段かも知れない。
なぜかカラシが盛られた小皿も出されていただ、最初の一個目はなにもつけずにいたあだくことにした。
タスッタさんがその最初の一個目を口にする前に、例の女性店員が、
「はい。
紹興酒」
といって、カウンターの上にタスッタさんが注文した。紹興酒を置いた。
反応が早いな、とか感心すながら、タスッタさんは餃子を口に入れる。
小さめの餃子であったので、丸ごといただくことにした。
焼きたての餃子の皮が破け、中身が、タスッタさんの口の中に広がる。
熱い。
そして、ああ。
これは、野菜が多めの。
食べやすい。
皮が、パリっと部分とモチっとした部分とに分かれていて、食感に変化があるのもいい。
タスッタさんは餃子の熱を口の中で冷ましながら、ゆっくりと咀嚼をする。
噛むほどに、じわりと、餡の汁気が口の中に満ちていく。
いいなあ、これ。
タスッタさんは、そう思った。
これぞ、餃子の醍醐味。
紹興酒の小さなグラスを持ちあげて、チビリと一口だけ飲んでから、二個目の餃子を口に入れた。
餃子の醍醐味は、味もさることながら、皮と餡の食感の変化だと思う。
タスッタさんは、そんな風に自分にいい聞かせている。
しかも、皮も、パリッと焼けて硬くなった部分と上の方の柔らかい部分とで食感が異なるわけで。
噛むほどに、餡の汁気が口の中に広がっていくのが、日本において餃子がここまでポピュラーな料理になった理由ではないのか。
本場の中国では、焼き餃子はあまり一般的ではなく、餃子といえば水餃子のことを指すといいますし。
しかし水餃子では、この食感の変化は楽しめませんね。
そんなことを思いつつ、タスッタさんは一個、また一個と、ときおり合間に紹興酒をちびちびとやりながら、食べていく。
「はい、二皿目ぇ」
残り少なくなったとき、女性店員が器用にシバシを使ってタスッタさんの残っていた餃子を新しい皿の上に乗せ、皿を入れ替えた。
「それ以上要らないときは、早めにいってくださいね」
手慣れた動作だった。
なるほど。
こういうシステムなのか。
タスッタさんは感心する。
料理は一種類だけ。
しかも、お客さん自身がもういいと申告するまで、できたて熱々のものを供給し続ける。
合理的といえば、合理的。
出す料理が一種類だけならば作る人もいやでも熟練するだろうし、それに材料が売り切れたらそこで営業を終えてしまえば、おそらくは廃棄される食品もほとんど出ない。
飲食店としては、もっとも無駄がないシステムなのではないか。
もっとも、確実に一定数の、毎日用意した料理が売り切れになるほどのお客が来ることが前提になるわけだが。
そんなことを思いながら、タスッタさんは店内をさり気なく見渡した。
常に満席で、店自体は年代を感じさせる構えではあるが、掃除が行き届いていて清潔だ。
ああ。
この様子では、お客が途切れることはほとんどないんだろうな、と、タスッタさんは思った。
食事にしてよし、飲みに来てよし。
今見渡して確かめたところ、店内にいるお客さんたちも、多様な年齢層の人たちで構成されていているようだ。
タスッタさんは次々と餃子をたいらげながら、店内の様子をさり気なく観察する。
キビキビと移動して店内のお客さんたちに餃子や飲み物を配る店員さんたち。
思い思いの様子で飲食を愉しんでいるお客さんたち。
大きな鍋でいっぺんに大量の餃子を黙々と焼き続けるカウンター内の調理人。
そうした人たちの様子を目で追いながら、タスッタさんは黙々と餃子を食べ続ける。
皿の中の餃子が少なくなると、店員が声をかけてからすぐに新しい皿を供給してくれる。
ほとんど自動的といってもいい、動きだった。
そこでしばらく過ごすうちに、タスッタさんはまるで、自分が大きな機械の部品か、その店のシステムの一部になったような気がした。
この店では、お客さんに餃子を消費させるというただその行為のためだけに、すべてが合理的にシステム化されている。
そして、そのシステムの一部と化すことは、予想外に小気味がいい体験なのだった。
最終的に、タスッタさんは五皿も餃子を食べてしまった。
すいぶんと大量の餃子を一度に食べたような気もするが、事実、一度にこれほど大量の餃子を食べたのはタスッタさんにしてもこれがはっじめてのことであったが、これほど食べても、紹興酒の分も含めて会計は千円代で済んだ。
満足度、満腹度に比べて、かなりリーズナブルなお店だな、と、タスッタさんは思う。
味的にも美味しかったが、それ以上に他の場所ではできない体験ができたことに、タスッタさんは満足した。
「いつかまた、機会があれば」
タスッタさんは、小さく呟く。
また、来てみることにしよう。
心のなかで、そう誓った。
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