第9話  東京都杉並区。屋台のおでんと冷酒。

「大根と牛すじ、お願いします」

「あいよ」

 現在、タスッタさんは屋台料理初挑戦中であった。

 たまたま通りかかった場所で見かけた赤提灯に誘われて、ふらふらと入ってみたところである。

 入ってすぐに冷酒と「適当になにかよさそうなものを見繕って」と注文したところ、初老の主人は「はいよ」と返事をしてがんもどきとはんぺん、それにアボガドの三つのネタをさらに持って差し出してくれる。

「煮物に果実ですか?」

 目を丸くして驚くタスッタさんに、主人は、

「最近はこういう変わり種もご好評いたいておりまして」

 と微笑んで返す。

「食べてみると意外といけますから、ぜひお試しください。

 なにかつけるのでしたらカラシよりも塩の方がよろしいかと」

 早速、二つに割られて種が除かれた状態の緑色の果実に主人に勧められた岩塩を気持ち少なめにかけてから、箸で小分けにして口の中に運んでみる。

「ん」

 タスッタさんは小さく声を出した。

 十分に汁が染みた果実というのも、これはこれで。 アボガドの濃厚な風味とだし汁の旨味が渾然となって、なんともいえない妙味になっている。

 ああ、これはいいな。

 と、タスッタさんは思った。

 なんというか、食べていて安心できる味だ。

 一口、冷酒を口に含んだたと、タスッタさんはがんもどきに箸をつける。

 がんもどき。

 関西の方では、「ひりゅうず」とか呼ぶようだが、要するに練り物の一種だった。

 タスッタさんの知識が確かならば、豆腐を固めて揚げたもの、だったかな。

 なにはともあれ、熱々のそれを口の中にいれる。

 熱い。

 そして、噛むほどにがんもどきの内部からだし汁が出てきて、素材が持つ旨味が口の中に広がっていく。

 うん。

 いいじゃないか。

 とか、タスッタさんは思う。

 そしてまた、冷酒を口に含む。

 最近、日によって寒暖の差が激しかったのだが、この日は肌寒い一日だった。

 最初に頼むとき、熱燗とどちらにするのか迷ったのだが、タスッタさんは熱いおでんをテンポよく頼みたい気分だったので、あえて冷酒を選択した。

 どうやらその選択は、間違っていなかったようだ。

 熱いおでんと冷たいお酒は、予想外に合う。

 ご機嫌になったタスッタさんは、続いてこんにゃくを口の中に放り込む。

 うん。

 こんにゃくは、こんにゃくだ。

 味がない。

 弾力がある噛みごたえ。

 しかし、その素っ気なさが、箸休めにちょうどいい。

 なんといっても、アボガドの味が濃すぎますからねえ。

 とか思いながら、タスッタさんはアボガドの残りに箸をつける。

 そして、最初の三品をすべて平らげたあとに、大根と牛すじを注文したわけであった。

 とっぷりと日が暮れていたものの時間が早いせいか、客はまだタスッタさん一人しかいない。

 大根は、これでもかというくらいにおでんのエキスを吸い込んでいた。

 はふはふいいながら、タスッタさんはその滋味を愉しむ。

 これは、いい。

 大根には、おでんのすべてが凝縮されている気がする。

 そして大根を嚥下してから、また冷酒を口に含む。

 気づくと、コップ酒がすっかり空になっていた。

「これのおかわり、お願いします」

 タスッタさんは、主人にむかってそう声をかける。

「はいよ」

 主人はそういって一升瓶の栓を抜き、冷酒をコップに注ぐ。

 続いて、牛すじ。

 お肉だ。

 それも、かなり歯ごたえ、噛みごたえがある。

 タスッタさんは、じっくりと時間をかけて牛すじを咀嚼した。

 噛めば噛むほどに、おでんとは別の、牛すじ本来の味が染み出してくる。

 いいな、これ。

 と、タスッタさんは理屈抜きにそう思う。

 そしてまた、冷酒に口をつける。

「お姉さん、いける口だね」

「はい」

 主人に声をかけられたので、タスッタさんは反射的に頷いていた。

「どこにも行きませんが、いける口です」

 お酒も、おいしい。

 と、タスッタさんはぼんやりと思う。

 特に変わったところがない、ありふれた日本酒だと思うのだが。

 それがなんで、こんなにもおいしく感じるのでしょうか。

 おでんにはお酒をおいしく感じさせる魔法がかかっているのに違いありません、などと、タスッタさんは考えはじめていた。

 そして、重要なことにはたと気づく。

「練り物」

 タスッタさんは唐突にそんなことを口にした。

「おでんの主役ともいえる、練り物をまだ頂いておりません。

 お薦めのものがあれば、何品かお願いします」

「はいよ」

 主人は愛想よく頷いて、すぐにえび巻き、ごぼう巻き、バクダンの、いわゆる巻き物と呼ばれる三品を皿に盛ってタスッタさんの前に差し出した。

「他にもまだまだいろいろあるが、オーソドックスなところだとこんなところになるな」

 タスッタさんの反応を、面白がっている風である。

 タスッタさんは、順番にそうしたおでん種を試してみる。

 えび巻きは、さつま揚げの部分と中にはいったえびのプリプリとした感触との対比が面白く、ごぼう巻きは、ごぼうのシャキシャキとした食感がいいアクセントになっていた。

 同じような構造をしているおでん種なのに、中身に入っている食材が違うとここまで印象が変わるものか。

 とか、タスッタさんは感嘆する。

 そして、バクダン。

 これもゆで玉子をさつま揚げで覆ったおでん種になる。

 大きいので、タスッタさんは先ほどのアボガドと箸で割って口に入れた。

 うまい。

 玉子自体が十分にうまいのだが、それがおでんの汁をすったさつま揚げといっしょになると、さらにおいしく感じる。

 ただ、玉子自体は君の部分がパサパサしていてイマイチに感じた。

 なんというか、食べていて喉に引っかかる気がするのだ。

 食べにくかったが、冷酒でなんとか流し込んだ。


「らっしゃい」

 そんなとき、別の客がやってきた。

 若い、スーツ姿の二人組。

 いわゆる、仕事帰りのサラリーマンという方々なのでしょうかとタスッタさんは考える。

「おや、先客がいる」

「外人さんだ」

「こんばんわ」

 タスッタさんがそういって会釈すると、なぜかわっと盛りあがった。

「やべー!

 かわいい」

「日本語ペラペラだ!」

 うるさいなあ、と、タスッタさんは内心で少し不機嫌になる。

 すでにどこかで飲んできたあとなのだろうか。

 静かにおでんと冷酒を楽しんでいたタスッタさんにとっては、いい迷惑であった。

「今日はなんにしましょう?」

「ぬる燗と、それにロールキャベツね」

「おれもぬる燗と、それにはんぺんとちくわぶ。

 お前まだ食うのかよ」

「いいだろ、まだ食い足りないんだよ。

 それに、ここのおでんはうまいんだ」

 あとから来た二人組はタスッタさんを横目で意識しながらやかましく盛りあがっている。

 どこそこの店のなにがしとかいう娘がどうの、取引先の誰それの性格が悪いの。

 いわゆる酒の席での身内話であり、もちろんタスッタさんはそんな内容に興味を抱くわけもない。

 タスッタさんはマイペースに素知らぬ顔をしてコップ酒を煽り、新たに信田巻き、タコ、つみれなどを頼む。

 様々な具材を油揚げで巻いた信田巻きは飽きが来ない味で、食いでがあったし、タコやつみれも素朴でごまかしがない味だった。

 おいしい。

 どれを頼んでも、おいしく感じる。

 おでん種には、ハズレというものがないのでしょうか。

 などと考えつつ、さらにタスッタさんは冷酒をおかわりしてトマトと魚河岸あげを頼む。

「ねえ、そこのおねーさん」

 煮たトマトも、意外にいいものだなと思っていたところで、サラリーマン二人組から声をかけられた。

「先ほどから、ずいぶん進んでいるようだけど、お酒強いのかな?

 そんなに強いのなら、おれと勝負しようよ」

「おい!

 やめろよ!」

 片方が飲み比べを挑んできて、もう片方がそれを制止しようとしている。

「はあ」

 タスッタさんは、首を傾げた。

「そんなことをして、わたしになんの利益があるのでしょうか?」

「おねーさんが勝ったら、ここの勘定はすべて持つから」

 挑戦してきた男がいった。

「そのかわり、おねーさんが負けたら、今晩つき合って」

「いいんですか!」

 男の発言の後半部分を、タスッタさんはろくに聞いていなかった。

「奢ってくれるというのですね!

 それでは遠慮無く!」

 そういってタスッタさんは、次々と主人に注文を出す。

 それと同時に、まだ残っていたコップ酒を一気に煽っておかわりを主人に所望した。

「奇特な方がいてくれて、多いに助かりました!」

 とかいいながら、タスッタさんは目を丸くする三人を横目に、くいくいとコップ酒を飲み干しながら盛大に飲み食いを続ける。

「ええと、まだ食べていないのは……里芋と袋と、豆腐もお願いします。

 あと、アボガドをもう一度お願いします」

 飲み比べなどするまでもなく、ハイペースでコップ酒を飲み干し続けるタスッタさんはうわばみだった。

 結果、飲み比べをしようと申し出てきた男がタスッタさんに泣きついて止める。

 主人が、

「うちはカード払いも受け付けているから」

 といって、ようやくタスッタさんの動きが止また。


「今夜は、どうもご馳走様でした」

 タスッタさんはにこやかにそういってその屋台から離れる。

「またご贔屓に」

「はい、機会があれば」


 残された客の二人組はといえば、顔面蒼白になっている男をもう一人が慰めていた。

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