第8話 千葉県柏市。駅構内立ち食い蕎麦屋の唐揚げ蕎麦。
タスッタさんはよく移動をするする人だったので、すでに駅構内などでよく見かける立ち食い蕎麦の味もよく知っていた。
あまり蕎麦の香りはせず、ほとんど小麦粉ばかりでうった麺を熱いだし汁にひたして啜る。
極端にうまいわけでもなく、その逆に極端にまずいわけでもない。
ただ、小腹がすいた昼下がりなどにすっと手繰っていく手軽さだけが魅力のファストフードであると、タスッタさんは認識していた。
その日も、JR 常磐線のある駅の構内でその立ち食い蕎麦の店舗を見かけたとき、タスッタさんは、
「あ。
ここにもある」
と、特になんの感慨を得ることなく、ただ単にそう思っただけであった。
乗り継ぎの都合で半端に時間が空いていたこともあり、やはりいつものように小腹がすいていたタスッタさんはふとその店に入ってみることにした。
入り口に入ってすぐのところにある券売機に硬化を入れ、それからタスッタさんはさて今日はなにを頼もうかと考えはじめる。
幸いなことに、昼でもない夕方でもない半端な時間帯のせいか、狭い店内に客はタスッタさんしかいなかった。
考えながら券売機のボタンの列を眺めていると、ふと、タスッタさんの目線がある一点で止まる。
「……唐揚げ蕎麦?」
珍しいといえば、珍しい。
こうした立ち食い蕎麦屋でのトッピングといえば、天ぷらやかき揚げ、はてはコロッケなどの揚げ物が定番である。
店によっては唐揚げ蕎麦というメニューを入れているところもあるが、この店のように妙に推しているところは少ない。
ふと店内を見渡すと、壁のそこここに「名物」とかいう触れ込みとともに、唐揚げ蕎麦を推奨する内容の手書きのポスターが貼られている。
そうした立ち食いそばの揚げ物は、ほとんどの場合、たいてい業者から仕入れた出来合いのものをそのまま蕎麦の上に乗せて出しているか、それとも店内で大量に揚げて作り置きしているのかの、二択であり、そのどちらであるにせよ、酸化してあまりうまくはないことがことが多い。
と、いうことを、タスッタさんは経験から知っていた。
どうしよう。
タスッタさんは、短い時間、考えてみた。
確率からいえば、このお店の唐揚げ蕎麦がおいしい確率はあまり多くはない。
しかし、ここまでお店が推しているのならば、なにか秘密があるのかもしれない。
どうせもう、この駅で食事をする機会は二度とあるわけではないだろうし。
短いためらいの結果、タスッタさんは唐揚げ蕎麦の並盛りのボタンを押した。
カウンターに券売機で求めた食券を出すと、中にいた中年女性の店員が、
「唐揚げいっちょー、入りましたー」
とかいいながら、素早く食券の半分をちぎって回収する。
それから厨房にいた店員たちが慣れた手つきで蕎麦を湯がき、湯切りをし、茹で湯で温めたどんぶりになみなみとだし汁を注いでその中に麺を入れる。
そこまでは、タスッタさんもよく知る立ち食い蕎麦でおなじみの工程であったのだが、その次に工程をみるにつけ、タスッタさんは驚愕に目を見開くことになった。
完成した、なにもトップングされていない蕎麦の上に、フライヤーの近辺にあった唐揚げがひょいひょいと乗せられていく。
予想していたように、ひとつやふたつどころではなく、いつまでもいつまでも、唐揚げはどんぶりの上に乗せられていった。
どこまで、と、その光景を目撃していたタスッタさんは思う。
結局、唐揚げは山盛りというか、どんぶりからはみだんばかりに乗せられていて、もはや蕎麦もだし汁も外から見えないくらいになって、カウンターにいたタスッタさんの前に差し出された。
「唐揚げいっちょー、あがりましたー」
中年女性店員が、抑揚の少ない声でそういう。
おそらく、彼女たちにしてみればこれは日常的に繰り返している業務でしかないのだろうな、と、タスッタさんは思う。
しかし、タスッタさんにしてみれば、結構な衝撃を受けていた。
タスッタさんは、唐揚げ蕎麦を注文したつもりであったが、出てきたのは蕎麦以上にボリュームがある唐揚げの山のおまけにかけ蕎麦がついた料理だった。
しかも、これで並盛り。
山盛りを注文したら、いったいどのような代物が出てきたのだろう。
そんなことを思いながら、タスッタさんはふらふらと唐揚げ蕎麦が置かれたトレーを持って少し離れた場所まで移動した。
どう食べよう。
と、考えてから、タスッタさんはそんなことは考えるまでもないということに気がついた。
まずはいくらか山盛りの唐揚げを消費しないと、その下にあるはずの蕎麦もだし汁も啜れはしないのだ。
箸立てから割り箸を一膳取って左右に割り、それを手にして、唐揚げの一片をつまみ取り、口の方に持っていく。
一口かじり、その唐揚げがタスッタさんの予想に反して、揚げたてのアツアツであることに気づいた。
たまたまお客が少ない時間帯であったからか、それとも、このお店のポリシーだったのかは不明であるが、揚げたての唐揚げがおいしくないはずがない。
ゆっくりと咀嚼して熱を冷ましながら、タスッタさんは唐揚げの味をしばらく楽しむ。
おいしい。
しかし、問題は。
「この、量ですよね」
最初の唐揚げを嚥下してから、タスッタさんは呟く。
ただでさえ、同じ料理を一度に大量に食べるのはきつい。
うまいとかまずいとか味の問題ではなく、単純に途中で飽きてしまうのだ。
しかも、いくら揚げたてであるとはいって、油物である唐揚げが相手では、途中で胃が悲鳴をあげそうな気がした。。
だが、まずはこの唐揚げをいくらかでも減らさないと、その下にあるお蕎麦を食べることもできない。
タスッタさんは覚悟を決めて、唐揚げの山に挑みはじめる。
意を決して、タスッタさんは箸を動かしはじめる。
唐揚げは、おいしい。
おしいいけど、本当においしいと感じるのは最初の何口かだけであるということを、タスッタさんはこの日学んだ。
五個、六個と食べ進んでいくと、味ではなく体が、口の中に充満する油に拒否反応をしめしはじめるのだ。
唐揚げは、おいしい。
おしいいけど、きつい。
などと、タスッタさんは思いはじめる。
そんなことを思いはじめた頃、ようやく下にあった蕎麦とだし汁がタスッタさんの視界に入るようになった。
すかさず、タスッタさんは熱いどんぶりを両手で捧げ持って、だし汁を啜る。
口の中の油をゆすいでくれる物体なら、なんでもいいから口に入れたい気分だった。
「ふう」
どんぶりから口を離し、タスッタさんはようやく人心地がついたような気分になる。
うん。
なんとか、気分的にもリセットが出来たような、そんな気がする。
そんなことを思いながらどんぶりを見下ろすと、かなり食べたとはいえ、まだ半分以上も唐揚げが残っていた。
そちらのことはとりあえず意識の外に追い出して、タスッタさんはようやくメイン食材であるはずの蕎麦に箸をつきたて、音を立てて素早く手繰る。
熱いだし汁といっしょに手繰ることでどうにか食べられるくらいの、麺そのものにはあまり味も香りもない、つまりは平均的な立ち食い蕎麦の蕎麦だった。
大盛り唐揚げのインパクトを受けた直後だと、その凡庸さがひたすら愛おしい。
実際、単品としての料理としてはともかく、大量の唐揚げを食べたあとの箸休めとしては絶好の凡庸さであった。
何口か蕎麦を啜ってから、タスッタさんは再び唐揚げに挑む。
今度は、口の中が油でしつこくなったら、その場で蕎麦やだし汁を啜って口の中をリセットすることが可能であった。
ゆっくりと、しかし着実に、タスッタさんはあれほど大量に残っていた唐揚げを消費していく。
そうして食べているうちに、タスッタさんの額には大粒の汗が浮かぶようになっていた。
ポケットの中から取り出したハンカチでときおり汗を拭いながら、タスッタさんは黙々と食べ続ける。
唐揚げを。
蕎麦を。
だし汁を。
いつしか、タスッタさんはだし汁の最後の一滴までもを完食して、空になったどんぶりをトレーに載せたままカウンターに返した。
「ごちそうさまでした」
小声でそういって、タスッタさんはその立ち食い蕎麦屋をあとにする。
すると、入れ違いに、かなり大勢の人たちが、吸い込まれるようにその店に入っていく。
ああ。
と、タスッタさんは考える。
今までお店が空いていたのは、たまたまそういう時間帯だっただからで。
どうやらその店は、電車の発着などがあるたびにお客が回転する、ひそかな繁盛店であるようだった。
案外、あの唐揚げ蕎麦も、知る人ぞ知るといった感じで名物になっているのかも知れない。
お店から遠ざかりながら、タスッタさんはぼんやりとそんなことを考えていた。
通常の満腹感とは微妙に違う、満たされてはいるのだが同時に微かな違和感もおぼえている状態で、タスッタさんは次の乗り換えホームへとむかう。
ちょっと食べ過ぎましたかね、と、タスッタさんは反省をした。
無理をせずに、残せばよかった。
あれはあきらかに、油の摂り過ぎだ。
だけど、残したら残したで心残りができたような気がしまうすし。
タスッタさんは、そんな風に収束しない思考を弄びながら、次の目的地へとむかうのだった。
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