第14話 R.I.P.

1.


 翌日の外道部の部室。放課後のクラブ活動の音が学校中から響いてくる。対照的に、部室の中は静かだった。部屋にいるのは、夜那岐だけ。夜那岐は棒手裏剣を黙々と磨いている。

 1年生カルテットがまだ来ない。いつも連れ立って部室にやってくるか、居残りで補習を受けるはめになった愛美が遅れてくるかのどちらかなのに。

 まさか、逃げたのだろうか。夜那岐は一瞬だけそう考えて、すぐに否定する。朝の登校時に見た祐輔の横顔は、とても清々しいものだった。下駄箱での別れ際には『じゃまた放課後、部室で』とも言っていた。それだけで判断するのは早計なのだろうか。

 レベッカは、空港まで弾薬の受け取りに行くとメールが来ていた。間に合うのだろうか。

 後池の行動について、朝に右田川から電話があった。ハスキー声で乞うご期待と調子よく電話は切れたが、一体何をするつもりなのだろう。

 いつまでもどれだけ磨いても、棒手裏剣がパワーアップするわけが無い。いい加減に諦めて、夜那岐は棒手裏剣を5本ともウェストポーチにしまった。近衛兵に対する戦術は、昨日レベッカや愛美と打ち合わせしてある。といっても、焼け石に水なのが悲しい。あれを駆逐しない限り、ご本尊にはまったく届かないというのに。

 部室の戸が開いた。勢いよく飛び込んできたのは、愛美だった。

「佐上君来てませんか?」

 衝撃が、夜那岐の脳髄を麻痺させる。やはり、監視しておくべきだったのか……!

 続けて浩二も駆け込んできた。祐輔の下駄箱の中身は上履きだったらしい。ダメもとで電話をかけたが、出るはずもない。

「佐上君……一緒に戦おうねって言ったのに……どうして……」

 愛美の顔も声も曇るのを気にかける余裕も無く、夜那岐は回らない頭で善後策を考えた。

「こうなったら、後池さん……はいないのか、右田川君に連絡して非常配備を敷いてもらうしかないわね」

 だが、右田川にも連絡は取れない。電話に出た警官はうさん臭そうな態度で連絡を請け負ってくれたが、夜那岐たち3人の不安を増大させただけだった。

「あの……そういえば」と愛美がおずおずと話しかけてきた。

「用事って、なんだったんですか?」

「? なんのこと?」

 真顔で返すと、愛美は焦り始めた。

「え?! だって、授業が終わったらそのまま教室に残っていてほしいって夜那岐さんからの伝言があったって、佐上君が……」

「征城さん、騙されてるそれ騙されてる」

 この子って、いったい……

 衝撃を受けて真っ白になった愛美を放置して、浩二がきょろきょろと室内を見渡した。

「あれ? 能美さんは?」


2.


 祐輔は、河原に来ていた。それも、川が流れるすぐそばに。そろそろ、夕焼けが川面を朱く染め始めている。

(征城さんもみんなも、怒ってるだろうな)

 彼が授業中に考えた策の成功率を高めるため、そして、なるべくみんなを、殊に愛美を戦闘に巻き込まないため、誰にも告げずに学校を出てきたのだ。

 そう、愛美がこの死地に飛び込む必要は無い。たとえ自分が警察の監視システムで発見されたとしても、できるだけ彼女の到着時間を遅らせたい。できればその前に祐輔がオルガニーツァを倒せれば、最高だ。返り討ちに会う可能性のほうが遥かに高いが。

 どうせ死ぬなら、相討ちに持っていかなきゃ。方法はある。そのためのジョーカーピーラーなのだろう。ヘブローマ本部の意図を、祐輔はそう解釈していた。

 我ながら酔ってるな、と祐輔は自らを嘲笑する。好きな子を護るために自分が、自分だけで戦って、死ぬ。自己陶酔の極みだという自覚はある。『なんで俺が死ななきゃならないんだ』と心中自問する俺もいる。でも。

 好きになっちゃったんだから、しようがない。あの子を奴の好きにはさせない。その結果、俺があの子の“そんな人もいたな”程度の記憶にしか残らないだろうとしても。

 それでいい。

 それにしてもまさか自分が、こんなところに3度も来ることになるとは。祐輔は自分の人生と運命の流転について、苦笑いを浮かべた。思えば物心ついた時から両親に、川はおろか遊びにつれていってもらった覚えが全く無いのだ。

 両親は幼い祐輔に、少しでも早く音楽の才能を花開かせようと必死だった。残念ながら、本当に両親と祐輔双方にとって残念ながら、音楽の才能に関しては祐輔に一分の目もなかった。

 練習とは、生まれ持った才能を花開かせるためのものである。そのことをようやく両親が理解したのは、祐輔が小学校3年の通知表で「1」を取って来た時だった。以来、両親にとって祐輔は『まひろの兄』という肩書以外何も持たない他人と化した、ように思う。

 赤の他人ではないから、衣食住は満たしてくれる。でも、それは"義務"なのだ。そうはっきりと言われて、『そんなこと言わないで』と泣きじゃくるには、祐輔は賢明過ぎた。淡白過ぎたというべきかもしれない。

 まひろには、申し訳なく思う。俺が不甲斐ないばっかりに、全てを背負うことになってしまった。高校進学を機に家を出ることに反対して、引っ越しの日の朝、両親がそれぞれの事に気を取られた瞬間を狙って顔を見せに来てくれた――そして見つかって連れ戻された――まひろ。『スペシャルワンは家族の愛も受けられない』ということは、あれはなんだったのだろう? もはやそれも、確認する術は無い。なぜなら、祐輔は今日ここで死ぬかもしれないのだから。

 両親に見放されたことで、逆に祐輔は自由を得た。友人も何人かでき、その子たちの家で夕食をいただくことも再々だった。今にして思うと、うちの事情をみんな薄々感づいていたのだろう。特に良くしてくれたのが、詩鶴の家族だった。祐輔の遠出の記憶は、遠足と修学旅行以外は全て能美家との記憶である。

 その記憶を構成するひと欠片が祐輔の視界の端に現れ、堤防を下ってきた。

「どうやって来たんだ? お前」

 詩鶴は手を後ろに組んだまま、にっこり笑った。

「お前と同じバスに乗ってきた」

「え?! お前いなかった……あー、リボン外したのか」

 リボンを外すと別人に変身するわけではなく、人混みに簡単に紛れてしまえるのだ、この超小柄な幼馴染は。

「なんでここに独りで来たんだ?」と訊かれたので、

「誰も巻き添えにしたくなかったからだよ」と屈託なく、祐輔は答えた。

「俺なんかに巻き添えになって死ぬ必要ないじゃん? 狙われてんの、俺一人だし。まして――」

 口に出すのはさすがに恥ずかしい。祐輔は鼻の頭を掻いた。

「征城さんやお前を巻き込みたくなかったから」

 それを聞いた詩鶴のリアクション。それは、手を前に出すこと。

「だ、そうだよ? メグちゃん」

「おい」

 詩鶴は通話を切ると、どうだとばかりに胸を張った。

(予定より早く知られちゃったか……待てよ)

 祐輔はふと、現状を活かす策を思いついた。それを今、詩鶴に話すべきでないことも。だから表向きは詩鶴のオラついた態度に苦笑して、川面に目を移しながら尋ねた。

「で、何しに来たんだ?」

「分かってるくせに」

 と言われて振り向くと、実に穏やかな笑顔。輝く瞳付きのその口から、いつものセリフが発せられる。

「お前を観察しに来たんだ」

 それから、と付け加わる言葉がある。

「お前を死なせるわけにはいかないから」

「なあ――」

 祐輔は場所を選ぶため、少し河口に向かって歩きながら尋ねる。いわゆる死出の旅路の土産話にするために。

「俺を観察して、何が楽しいんだ? それこそカエサルでもアレクサンドロスでもいい。そういう歴史上の偉人のほうが、面白エピソードがテンコ盛りじゃん?」

 ふっ、と鼻息も高く、夕焼けに全身染まった詩鶴は真顔になった。

死人しびとに用は無い」と。

「死んだ英雄など、所詮文字と絵で表される記号の集合体に過ぎない。読む者の安直なヒロイズムを満足はさせてくれるかもしれないから、一概には否定しないがな。わたしがカエサルやアレクサンドロスの事を知っているのは、あくまで歴史上の知識として必要だからだ。もっとも――」

 詩鶴はそこで言葉を止めて、薄く笑った。

「化身となった彼らと触れ合って、若干の興味は沸いた。最近『ガリア戦記』を読み始めたところだ。なかなか面白い」

 こいつのことだ、ラテン語の原書を読んでるんだろうな。

「数学や化学も同じだ。解く過程で面白味が見つかる場合がまれにあるが、解いてしまえばただの数字と記号。実につまらん」

 だが、とややかすれ気味だった声色が途端に潤う。

「お前は違う。お前の言動が起こす変化は、お前が生きている限り起こり続けるんだ。しかもバリエーションは無限。これを観察し、推理し、事後の考察をする。毎日、毎日、毎日! こんな愉楽を、あんな異次元の化物風情に台無しにされてたまるか!」

 おいおい、眼まで潤み始めたぜ。

「だから……お前が私より先に死ぬなんて、嫌なんだ。わたしの、わたしの生涯をかけた愉楽のために」

 そこまで聞いて、祐輔は吹き出した。怪訝そうに小首をかしげる詩鶴に言ってやる。

「なんか今、コクられてるみたいだったからさ。最後の一言が余計だけど、な」

「まったくだ」と詩鶴も破顔する。

「これでまったくそんな気が無いんだからな……来たぞ」

 祐輔はゆっくりと振り返る。広い河原の1カ所が歪み、オルガニーツァが姿を現した。

「ごきげんよう。なるほど、築造物が無い場所を選んだわけだね」

 正解を誇る必要も無い。3次元殺法だけは、せめて封じさせてもらいたかったのだ。

「そなたも男とともに死ぬるか、賢明なる愚か者よ」

「滅相も無い。というわけで――」

 詩鶴は祐輔のコートの裾を掴んできた。

「護れ、祐輔」

「お前ってほんと、態度と胸はでかいよな」

 横目でにらむと、にらみ返されるのが心地良い。

「この色魔……! あとで憶えてろよ!」

「ああ」祐輔は笑った。「生きて帰れたら、な」

 そして祐輔は詩鶴をかばいながら川を背に立ち、I.A.とジョーカーピーラーを着装した。目の前で、オルガニーツァが第2形態へと変身している。そのあいだに、授業中に考えた布陣を完成させなければならない。

 小さい数字札をジョーカーに変え、まずダビデを召喚。彼に一隊を任せたら、次はまたジョーカーピーラーを使ってラ・イル、シャルルマーニュ、ヘクトルを順に召喚して、兵を預ける。彼らには半円形陣の左翼、正面、右翼を守ってもらう。運良くダイヤのKが出てきたのでカエサルを参謀役として、最後にまたジョーカーピーラーを使ってアルジーヌを召喚し、陣立ては完了した。

「ふふ、背水の陣とはね。ゆくぞ」

 空間の裂け目から近衛兵が踊り出してきた。ざっと見て30体ほど。昨日の戦闘状況から、近衛兵は雑兵より強く、化身と同等以下であると祐輔は見ていた。傍らのカエサルにそれを確認して同意を得ると、祐輔は守将たちに命じた。

「近衛兵1体につき、雑兵3人で当たらせてくれ。あんたらはそのサポートだ。ダビデは、川の中に入って動きの鈍った近衛兵を投石で狙撃してくれ。詩鶴は石の補給係な」

「あの、わたしは」

 と尋ねてくるアルジーヌの声は喚声に掻き消され気味。激突が始まったのだ。

「アルジーヌは、オルガニーツァを見張ってほしい。何か動きがあったら大声で叫んで」

「小僧!」

 授業中立てた見込みより、雑兵のサポートが必要であった。カエサルが抜剣して雑兵に助太刀しながら叫ぶ。

「間男が手札にいるだろう! 呼んでくれ! 手が足らん!」

 いや、間男て。祐輔は含み笑いをしながらクラブのJを投げた。

<<Jack of clubs "adulterer" >>

「カエサル殿! その呼び名、撤回を希望する!」

 アロンダイトを抜いたランスロットが乱戦に加わりながら、懇願とも怒号ともつかない大声を上げる。

「はっ、悪名なぞ気にしてるようでは、まだまだヒヨっ子だな」

「ほらほらぁ、今度はこっちを助太刀してくださいよぉ。ハ ゲ の 旦 那」

「憤怒! きっさまぁ!」

 化身たちは軽口を叩きながら、雑兵たちの懸命の槍働きを補助して防戦に努めている。祐輔が川の縁に布陣したため昨日と違って全周を守る必要がなく、必然的に防御陣は縦深の取れた強固なものとなっていた。

 時折雑兵を各部隊に補充しながら、祐輔は腕時計を見やる。もう少しだな。

 祐輔は詩鶴を呼ぶと、こっそり耳打ちした。聞いた詩鶴が神妙な顔で、さっそくメールを打ち始める。オルガニーツァが不審げな顔をするのが、殊の外心臓にクる。

「何を企んでおるのかな?」

 祐輔も、メールを打ち終えた詩鶴も、ポーカーフェイスを崩さない。その時が来るまで。その人が来るまで。その声が、いや、コール音が届くまで――

<< Sledgehammer >>

 来た!!

 強固な防御陣で受け止めた敵に対して、別方向から強力な衝撃を加えて撃滅するのがこの大王専用アルテの名称由来である。スレッジハンマー、すなわち大型ハンマー役には衝力に優れた騎馬隊が適役であることは言うまでもない。

 朱に染まる堤防の斜面を下る速度を衝力に乗せて、騎馬の一団が馬蹄の音も高らかに激走してくる。その数、およそ15騎。先頭を疾駆するはもちろん、

「ィィィィィィィヤァァァァァアァァァァ!!」

 ゴキゲンという言葉が似合いすぎる獰猛な笑みを浮かべたアレクサンドロス。鞭も折れよと馬の尻を叩きに叩き、行く手を阻むものは風すら邪魔者とばかりに、馬の首に伏せたまま大身の槍を前に突き出して突っ込んでゆかんとする。その登場に遅れて、土手からこちらはそろそろと降りてくる、愛美と浩二が望見できた。

 詩鶴にフライングされた時に閃いたこのアルテのために土手と川の縁が近い場所を選び、オルガニーツァと近衛兵をこちらに総掛かりにさせたのだ。だから、届いてくれなければ困る。

 だが祐輔には祈る間などない。近衛兵を引きとめて騎馬突撃の邪魔をさせず、スレッジハンマーでぶっ叩かれたオルガニーツァを受け止める"鉄床"を完成させるため、全部隊に指示を出した。

 その時、河原の景色が白く染まった。

 オルガニーツァが突然の咆哮とともに、全身に力を込める。すると、背中の大型の瘤から光の太い束が冬の夕焼け空に向かって発射されたのだ……! 祐輔たちが光の眩しさに一瞬眩惑される間に、オルガニーツァの倍ほどの高さに持ち上がった光の束は無数の光弾に分かれて弧を描き、河原一帯に高速で降ってきた!

 祐輔はとっさに詩鶴のところに駆け寄ると、彼女をかばった。2人してしゃがみこんでしまったのは、本能的なものとしか言いようがない。その直後、地面を大量の光弾が叩くのを横目に身を硬くする。5秒は降り続いていただろうか。河原の石が砕ける轟音がやんだのを機に立ち上がろうとした祐輔は、自分たちもまたかばわれていたことに気付いた。

 ダビデが、身を盾にして祐輔たちに覆いかぶさっていたのだ。その口の端がわずかに上がってまもなく、ダビデは霧となって消えた。

「祐輔……軍勢が……」

 うずくまったままの詩鶴が発した震え声に、事態の深刻さを実感する。盾で防ぐのが間に合わなかった雑兵が、光弾に打ち抜かれて霧散していた。それはざっと見渡しただけでも、総勢の半分近い被害が出ている。おまけにアレクサンドロスが率いていた騎馬隊も、影も形も残っていない。

 一方、近衛兵はオルガニーツァの足下に群れていた。それは本能の回避か、あるいはあるじの攻撃手段を知っているがゆえの有利か。その敵が動きを見せる。向かう先は――

「征城さん!!」

 祐輔は歯を食いしばって駆け出した。


3.


 誰かが、自分を呼んだ。

 その耳慣れた、しかし緊迫感溢れる声に、愛美の意識は自失から引き戻された。

 彼女は飛び上がった光の束が分かれた時、オルガニーツァから離れる方向へ全力疾走した。あの光の弾は、自分を攻撃してくる。その直感からだった。

 おかげで一瞬遅れて走り出した浩二ともども光弾の直撃を免れることができたのだが、河原への着弾により跳ねた石の欠片まではかわしきれなかった。後頭部へのガツンという大きな衝撃とともに、目の前が瞑目とは違う暗闇に包まれた――

 目を開けると、河原に倒れた愛美の横に、浩二もうずくまっていた。脇腹を抱えて苦悶の表情を浮かべているところを見ると、彼はそこに欠片を食らったのだろう。あるいはあばらが折れたのかもしれない。そんなことを愛美がぼんやりと考えていると、またさっきの声がした。今度は分かる。祐輔の声だ。

「征城さん!! 起きて!! 敵!!」

 敵。その簡潔な警告に、愛美は跳ね起きる。とたんに襲ってきたズキズキする頭の痛みをなんとかこらえようとするが、涙が眼尻ににじむくらい辛い。

(立たなきゃ……カード、を……)

 でも、手が石ででこぼこの地面に吸い付いたように離れない。それでも無理をして、敵のほうに身体ごとゆっくりと向くと、近衛兵が多数こちらに迫りつつあるのが見えた。

(やばい、やばいよ、佐上君、夜那岐さん、詩鶴ちゃん、京郷君、ベッキー……立たなきゃ……)

 しばらくして聞こえてきた盛大な足音は、祐輔と彼が召喚した軍勢だった。祐輔が叫ぶ。

「アルジーヌ! 治癒を!」

「はい!」と応えて繰り出されたアルジーヌの治癒によって、愛美と浩二の傷は消え、痛みも去った。

「くっ、来ないで!」

 悲鳴とともに召喚した軍勢は間一髪で近衛兵の接近を食い止め、愛美はやっと戦場を見渡す余裕ができた。

 アレクサンドロスの騎馬隊はやはりやられてしまったようで、オルガニーツァにはまったくダメージが見受けられない。こちらの軍勢は、愛美と祐輔の混成軍が堤防と川の中間地帯で敵に包囲されている外に、川の縁にももう1隊いる。

「詩鶴ちゃん……!」

 愛美と同じく戦況を見ながら、祐輔が苦悶の表情を浮かべる。その説明によると、彼に遅れて走り出した詩鶴が転倒してしまい、ラ・イル隊が機転を利かして残留してくれたものの、近衛兵に川っぺりまで押し込まれてしまったのだという。

「浩二、あとどのくらいだ?」

「まだ15分以上あるぜ」

 浩二の声も暗い。愛美はぐっと唇を噛みしめると、なんとかしてこの苦境を打開するための方策を考えたのだが。

(うう、詩鶴ちゃんがいないと次に何が来るのか、全然分かんない……)

 そもそも『次にどんな札が来やすいか』が分かること自体が異能なのだが、現下の状況はそれ無しに打開できそうな予感がしない。救いを求めて祐輔を見ると、どこを見ているのか、軍勢を補充しながら何かを探しているようだ。そして、

「来た! 来たぜ!」

 祐輔の表情が明るくなる。続いて愛美にも体感できたそれは、バイクの騒々しい排気音だ!

「ベッキー!」

 下流側からシルバーメタリックのバイクが疾走してくる。もちろん跨っているのは、B.E.を構えたレベッカだ。その陰から何かが飛び出す。その何か――夜那岐が空中で前転しつつ、気合いとともに手を勢い良く振る。

 川っぺりの背水の陣を攻めていた近衛兵が1体、動きを止めて苦しげな呻き声を上げた。

「1つ!」

 レベッカの声に続いて銃声が起こり、近衛兵は胴に風穴を開けられて霧散した。

「よっしゃ! 次!」

「マスター! オルガニーツァが!」

 このまま数え唄が聞ける。それは、儚い夢だったようだ。オルガニーツァが、変身を始めたのだ。その声は、不吉にひび割れている。

「ふふ、まさかここまでわらわを手こずらせるとはね」

「いかん……」

 と馬上で名剣デュランダルを振るうシャルルマーニュが焦り始めた。カエサルが祐輔たちに向かってどなる。

「小僧! 愛美殿! 何でもいい! 奴を攻撃して、変身しきる前に仕留めないと!」

「え? どうなるの?」

「見えるか? マスター。奴の腹が」

 先ほど軍勢とともに召喚したヘクトルが、剣でオルガニーツァの急速に膨らみ始めた腹を指す。

「第3形態は、いわば母親なのだ」

「母親って、まさか……」と浩二が愕然とする。

「そう、あのお腹を自ら割いて、幼生を多数放出するんです。近衛兵の援軍として」

「で、でも攻撃って言ったって……」

 愛美は手札を見る。ペア系のアルテしかない、この期に及んで実に役に立たない、情けない手札を。

 夜那岐が、近衛兵の包囲の上を飛び越えて愛美たちの傍にやって来た。その表情は暗い。

「部長、なんでベッキーに――「棒手裏剣は、品切れよ」

 頭を殴られたような衝撃を、一日で2度も味わうことになるなんて。

 レベッカはラ・イル勢を攻める近衛兵を片づけてくれたため、彼らがこちらに向かっている。が、焼け石に水なことに変わりはない。もはや包囲陣は、近衛兵が総攻撃を掛けてくれば持ちこたえられそうもないほど、薄くなっていた。それはもはや近衛兵の血走った目や、咆哮を上げるたび見える暗い口中まで視認できるくらい。懸命に手当てをしても、近衛兵の猛攻の前にほどなく溶けていってしまう。

 こんなところで、わたしは死ぬの? 愛美の頭の中がちりちりと焼けるように痛む。同じく包囲の中にいる浩二も同じなのだろう。夕陽の中でも分かる蒼白な顔をして、押し黙ってしまっている。

「佐上君、愛美ちゃん、京郷君」

 思いつめた表情の夜那岐が、ヒトを見回した。

「逃げなさい。退路は開いてみせるわ。この身に代えても」

 その時、祐輔の声が聞こえた。

「願えば叶うもんだな」

 彼は愛美たちの傍を離れて、変身を続けるオルガニーツァのほうへ行っていた。先の台詞が愛美たちに滲み込むのを待ったのかゆっくりと振り返り、いつも教室で愛美に見せてくれる笑顔を向けてくれる。その手札も。

 10、J、Q、K、A。その全てがスペードで染まった、

「ロイヤル・ストレートフラッシュ……」

 夜那岐は、震えだした。

 已まぬ咆哮と怒号を背に、すまなそうな表情の彼は愛美にまた笑って言った。

「征城さん」

「?」

「……ごめんな」

「な、なに……?」

 嫌な予感しかしないのに、こんなバカな質問しかできないなんて。そんな愛美を見て、彼は本当にすまなそうに、しかし満面の笑みを見せた。

「結晶集め、手伝えなくて」

 そう言い終わって愛美に背を向けると、彼は右手の札を全て抜いた。その瞬間、愛美の周りから、戦場の喧騒やオルガニーツァの哄笑、夜那岐たち仲間の叫びも全て消えた。

 耳朶を撃つのはただ一つ、彼のI.A.から聞こえるコール音のみ。


<< Rest In Peace , Master >>


 女性の囁く声が愛美に、あの日の夜に詩鶴が見せてくれたスマホの画面を思い出させる。その英文の意味を教えてくれた詩鶴の声も。意味……意味、意味――!

「だめ――だめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 愛美は絶叫すると、まさにアルテを発動しようとしていた彼に駈け寄りざま左手に飛びついて、その手札を、彼の手を握りしめた。彼と彼女のI.A.が同じコール音を発する。

<< Shake Hands! >>

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る