第13話 クロス・Reスタートライン

1.


 夜の部室。レベッカが後池に戦況報告を終えると、がっくりと椅子に座り込んだ。

「くそっ! くそっ! 近衛兵め! ちょこまか動き回りやがって!」

 言葉使いが悪いとたしなめる気力が無い。夜那岐は力無く笑った。へたりこんでも、まだレベッカの愚痴は続くようだ。

「せめてダビデか誰かの得物が中たりゃあなぁ……ワンショットキルなのに……」

「そうね」と夜那岐は詩鶴が注いでくれたお茶をすすった。

「動きが止められればね。でも、数が多すぎるわ」

 ガタッと音高く、後池が立ち上がった。右田川をクイッと手で招く。

「署に戻るぞ」

 右田川のささやかな抗議を無視して、後池はいつものように軽く手を上げると部室を出て行った。

 慌てて後を追った右田川が騒々しく出て行くと、夜那岐も席を立った。

「さ、詩鶴ちゃん、京郷君、送ってくわ」

「あ、俺、教室に忘れ物しちゃったんで」

 あらそう、と夜那岐はあっさり言って、詩鶴と連れ立って教室を出る。外は北風が強く吹いていて、詩鶴がぶるっと震えた。それからリボンを気にしだしたが、無駄な抵抗なことを悟ったらしい、素直に歩き出した。

 校門を出ると、詩鶴がスマホを取り出してニュースをチェックする。

「ふむ……さすがに隠し切れなかったようですね、警察も」

 夜那岐が画面を覗き込むと、『ショッピングモールの駐車場で爆発物予告 付近一時騒然』の太い文字が目に入った。

「まあ、定番の理由よね」

 溜息を思わずついたのが聞こえたのだろう、詩鶴が気遣わしげな顔を向けてきた。

「影縫いが効かなかったのが、ショックですか?」

 夜那岐は首を振り、解説する。影縫いは棒手裏剣でその時の影の形を固定し、その影を落とす元である身体を縛るもの。逆に言えば、影になっていない身体のパーツがある場合、それは影縫いの拘束を受けないことになる。

「なるほど、あいつが副腕を影にならないように隠しておいたから……」

「そういうことね」

 夜那岐は伸びをした。

「明日以降は、部長はベッキーの手伝いですね。近衛兵を影縫いして」

 夜那岐はもう一度、溜息交じりに首を振った。

「棒手裏剣がもう5本しかないわ。あれはね、影縫い用に特別に調製したものなのよ。うちの実家でね。補充を頼んでおいたんだけど」

 夜那岐は話題を変えた。

「オルガニーツァを見て、どう思った?」

「友達になりたい、と思いました」

「あなたねぇ……」

 夜那岐が呆れると、詩鶴に笑われた。

「もちろん、話せば分かるなんて言うつもりはありません。あれは敵です。祐輔を狙う。絶対に許さない」

 なんというか、年頃の女の子から発せられる言葉としては至極むずがゆいのだが、祐輔が言われていると思うと微妙な気持ちになるのはなぜだろう。

「問題は、あの背中の瘤ですね。なんらかの戦闘用だと思うんですが。過去に例はないですよね?」

「無いはず。でも、もう一度調べてみるわ」

 しばらく、住宅街の歩道を無言で歩く。リボンだけでなく私服もそうだが、存外に可愛い格好が好みなんだな、と詩鶴の首元で揺れるマフラーを見て思う。こういった才女は普通、着る物に頓着しないものだが。

 詩鶴に聞いてみると、あっさりと返された。

「妹がうるさいんですよ。『せっかくの美貌を、小汚いジャージや実験用の白衣なんかで汚させてたまりますか!』って」

「ああ、妹さん、お姉ちゃん大好きなんだよね」

 ええまあ、とちょっと渋面がかわいい。それを嫌わず着こなしているのだから、根はお洒落好きなのだろうと思う。

「祐輔は、寝ましたかね?」

「気になる?」

「ええ。観察対象が不調では、明日以降に差し障りがありますから」

「差し障り、か……」

 また詩鶴に物問い顔を向けられた。夜那岐はまた一つ小さく溜息をつく。

「私に力があれば、って思ったのよ」

「影縫いや影に潜る力では不足で、攻撃手段が無いから、ですか?」

 赤信号で立ち止まる。家路を急ぐ人が多いのだろう、車のヘッドライトは流れるようにつながって、夜那岐たちの前を素早く通り過ぎてゆく。

「わたしの苗字の漢字を憶えてるわね?」

「ええ、狗に噛み付かれる、ですよね?」

 的確な回答に、夜那岐は笑った。

「昔はね、違ったのよ」

「どんな字だったんですか?」

 少しだけ羞恥で言いよどんで、夜那岐は告げた。

「神をも駆逐せしめる、で駆神よ」

 うわあ、という顔をされるのまでは、想定内。青に変わった信号を確認して、横断歩道を2人で渡る。

「1000年以上前の当主が改名したのよ。強大な力を誇って、調子こいてね」

「厨2テイスト満載ですね。わたしは嫌いじゃないですけど」

「時の帝が、詩鶴ちゃんみたいに鷹揚な方だったら良かったんだけどね……」

 苦笑から暗転、夜那岐は声のトーンを落とす。

「不遜極まりないとして討伐を受けて、生き残りは改姓の上で備前の山奥に配流となったわ。その当時の力もいつしか失われて、今じゃ忍びとしての影働きが精一杯なの」

 だから、力を取り戻す。その鍵を手に入れるための、あの不快な組織との契約なのだ。

 そんな思いが顔に出たのだろう、詩鶴に不思議そうな顔をされる。ごまかして歩くうち、詩鶴の家近くとなった。

「詩鶴ちゃんも、やっぱり女の子なのね」

 夜那岐に向かってさよならを言った彼女の動作が止まる。

「どういう意味ですか?」

「愛美ちゃんのことは心配しないんだもの」

 にやりと笑い、にやりと返された。

「心配御無用。祐輔が護りますから」

 それでいいのと夜那岐が発した質問は北風に流されて、背を向けた詩鶴には届かなかった。


2.


 レベッカは部室に独り残って、B.E.の分解整備をしていた。特殊な銃弾とはいえ所詮は火薬式。クリーニングは常にせねばならない。

 もう少し部品点数の少ない新型がリリースされたようだが、レベッカにはまだ届かない。彼女の成績では、順番はだいぶ後だろう。それに、分解整備は心を空っぽにできる、レベッカにとって貴重な時間だ。それが短縮されるのは、少し悲しい。

「よし、できた」

「器用なもんだな」

 仰天して、レベッカは危うく銃口を声のしたほうに向けるところだった。

「なんだキョーゴー、お前かよ……いつからいたんだ?」

「20分前くらいかな」

 ずっと見られていたのか。レベッカは赤面した。なぜ戻ってきたのかと問うと、レベッカの意表を突く答えが返ってきた。

「お前、なんで途中で逃げ回ってたんだ?」

「弾切れだよ、弾切れ」

 レベッカはその時の悔しさを思い出して、顔を歪めた。

「ゲーム漬けの脳みそになっちまってる日本人には分からないだろうけどな、シューティングゲームと違って、弾は無限に出ないんだよ」

「んなこたぁ知ってるよ」と浩二は机に頬杖を突いて言う。

「んで、どーすんだよ? 明日から」

「ああ? 補充の依頼はしたよ。前借りでな」

 そう、獲得した結晶と引き換えなのだ、我が組織は。過去の様々なあれこれが思い出されて憂鬱になったレベッカだったが、浩二はまだレベッカを見つめていた。

「……お前、さ」

「なんだよ?」

 頬杖を突いたまま、真顔でのたまう。

「18歳なんだってな」

「あたしが18だと、何か都合が悪いのか?」

「そーじゃねぇよ。その……」

 なぜ、そこで言いよどむ?

「もっと年上だと思ってたからさ」

「それは……えーと……ふ、フケ顔だって言いたいのか?」

「お前、なんでそんなに攻撃的なんだよ?」

 レベッカは勢いよく立ち上がった。なぜ自分がそんな態度を取るのか、全く分からないまま。

「あたしが攻撃的で、なにが悪いんだよ!」

「顔キレイなのに、割り引きになっちまうからだよ」

 しみ込んだ浩二の言葉が起こした化学変化で、レベッカの脳髄は沸騰した。

「な、なに言ってんだよ! イエローモンキーに褒められたって、嬉しくもなんともねぇよバーカバーカ!」

 浩二の『なんでこいつは顔真っ赤なの?』って顔が正視できなくて、レベッカは窓の外に向かって吠えた。

「大体お前、こんな深刻な状況なのに――」

「俺にできることは、ほとんどねーじゃん」

 思った以上に強張った声色が聞こえて、レベッカは浩二に向き直った。沈痛な表情をした、祐輔の友人に。

「あいつが命狙われてるからって、どっかに匿ったり逃がしたりもできないし。戦車呼んでくることだってできないし。だから……」

「だから?」

 浩二が、レベッカを見上げてくる。

「お前が落ち込んでたみたいだったから、せめて話聞いて、立ち直らせてやろうと思ったのに……」

「なに言ってんだ! まったく、もう……」

 帰る。語尾の勢い下落をごまかすため、レベッカはナップザックをわざと乱暴に引っ掴むと、部室の扉へと向かった。

「待てよ」と浩二が立ち上がる音を背中で聞く。そして、渋々という顔を無理にして振り向く自分がいる。

「……まだ何かあんのかよ?」

 ああ、これは映像で見たことがある。仏教徒の合掌のポーズだ。

「家まで乗せてってくれよ」

「……変なとこ、さわんなよ」

「さわんねーよバーカバーカ」


3.


 愛美は夜那岐買い置きの冷凍エビグラタンを白飯とともにいただくと、お茶を一気に飲み干した。家主も、レベッカもまだ帰ってこない。

 食卓の電灯の下、さっきから溜息しか出ない。生き延びるのが精一杯だったこともそうだが、

「佐上君……」

 彼の言葉が、また頭の中でリフレインする。

 彼は本気で、あんなことを考えているのだろか。

 本気で、あの誘いを拒絶するつもりなのだろうか。

 あの誘いを蹴ってまで、わたしは……わたしは……

「宿題、やらなきゃ……」

 彼は帰りのパトカーの中で、既にクタンクタンになっていた。夜那岐に背負われて部屋に戻る彼の背中に言ったお休みは、聞こえたのだろうか。

 わたしが、やらなきゃ。

 愛美は突然沸いた義務感に戸惑った。

 何を? 宿題? それとも、彼を護ること?

 どちらも、愛美にとっては難しいミッションだ。だが、取りあえず今できることをやろうとして、ナップザック片手に自室に戻る。

 戸を開いて現れた、明かりの点いていない部屋。その闇を見て、愛美は震える。夜那岐扮する愛美が父に襲われているあの夜の場面が、脳裏に突如再現されたのだ。急いで明かりを点けたが膝に力が入らず、膝から崩れた愛美は床に手を突いてしまった。そのまま必死に這い、机の足にしがみついてようやく立ち上がったときには、愛美の顔は涙でくしゃくしゃになっていた。

 荒い息を無理やり整えて、何度も何度も制服の袖で涙をぬぐって、ようやく愛美は椅子に身を預けることができた。以前同じ状態に陥ったときには吐いていたのだから、ほんの少しだけあの忌まわしい記憶から抜け出せているのかもしれない。愛美は気を取り直すとナップザックから宿題を取り出して――

「あれ? あれ? 筆記用具が無い……置いてきちゃった……」

 仕方が無い、確か引き出しに予備があったはず。愛美は引き出しを開け、そこにあった物体を見つめた。

 5センチほどの黄金色に光る八面体。愛美が集めた、そしてそれ以上に彼が集めた、フラなんとかという結晶の数々を。

 そうだ。わたしには、できることがある。宿題よりも先に。今すぐに。

 愛美はスマホを取り出し、電話をかけ始めた。


4.


 署に戻ると、右田川は机の上の後片付けを始めた。作りかけの書類は、また明日処理しようと無視を決め込んだ。

 同じく自分の机に戻った後池のほうから異音がする。どうやら引き出しの中を引っ掻き回しているらしい。何か言われないうちに、退散しなきゃ――

 残念ながら名前を呼ばれて、無視もできない階級組織。右田川が返事とともに振り向くと、チィィィィンと音高く何かが飛んできた。我ながら惚れ惚れするような反射神経でナイスキャッチすると、それは、ロッカーの鍵だった。

「オレのロッカーの鍵だ。中の一番上の棚に、アイカワで始まる名簿が入ってる。そいつらに片っ端から電話しろ。そして――」

 後池の目が、底光りしている。右田川が今まで見たことの無い表情だ。

「こう言え。『団長からの緊急招集だ。明日の16時までにこの署に集合しろ』ってな」

 帰宅の欲求は、団長という単語一つに嬉々として退散した。右田川は勇躍ロッカー室に向かって駆け出そうとしたが、後池の挙動に戸惑う。さっき脱いだトレンチコートをまた着込んで、出て行こうとしているではないか。

「あの、イケさんはどこ行くんすか?」

「俺は、そいつらが集合できる命令を出してもらいに行って来る。全国に散らばっちまってるからな」

「まさか、官舎の署長んとこっすか?」

 あの『署長職は腰掛け』と広言してはばからない、ある意味キャリア職の鑑にそんな素敵命令が出せるのだろうか。そのことを正直に後池に尋ねると、いかにも鼻で笑うような顔で返された。

「あんな三下に用は無ぇよ」

 じゃあ、県警本部長のところだろうか。後池は正解を言い残すと、足早に去っていった。

「永田町と警察庁だ」

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