第9話 激闘に至る間奏
1.
ここは外道部の部室。外は既に夜の帳が下りて、部室には煌々と明かりがともっている。そんな部室で1人、愛銃を掲げてテンション高くアピールプレイに忙しい1人の女性がいた。
ちなみに、夜那岐ではない。レベッカ・サンダーランドと名乗る、エギリスからやってきた拳銃使いなのだ。
「この Bullet Equipment の引き金を引くだけであら不思議! 魔法の弾丸が人類の敵を見事に粉砕! そこの――」
祐輔と愛美は指を指された。
「お可哀想な人たちに頼らなくっても No Problem! そう、我々 Thessaly Order があれば、ね」
どこかで聞いたような締めで、一応アピールは一段落したらしい。誰に対してのアピールなのか、さっぱり分からないが。祐輔は室内を見渡した。
夜那岐は憮然そのもので腕を組んでむっつりと座っている。横に座る右田川はうおーすげー、とか言って感動しきりなのだが、どうにも軽い感じ。浩二は、何かきな臭そうなものを嗅ぎ取っているのか、眉根を寄せてこの大柄な白人女性を眺めている。愛美は"お可哀想な人たち"に反応してうなだれてしまった。その事に気付いて、祐輔は自分のことも忘れてどうフォローしようかと焦った。が、愛美の向こうに座る詩鶴は――
「なるほど」
「 なに?」
詩鶴は首をかしげたレベッカに、ちんまりした手をすっと差し出した。
「支給してくれ」と言いながら、にやりと笑って。
レベッカの表情が、見るからに慌てたものに変わるが、構わず詩鶴が畳み掛ける。
「スペシャルワンじゃなくても戦えるんだろ? 私にも支給してくれ。この2人ではどうにも頼りないと思ってたんだ。さあ」
英語でなにやらブツブツと口ごもるエギリス人。それを見て、夜那岐がほくそ笑んだ。
「さすがね、分かっちゃうんだ」
「いいえ」
詩鶴は手を差し出したまま、夜那岐のほうを向いた。
「分かりません。でも、結論は出ました」
「あの、能美さん? 凡人にも分かるように説明してくんないかな?」
浩二が声を上げ、愛美が詩鶴をまるで未来の世界のベコ型ロボットでも見るかのように見つめる。一方詩鶴に少し遅れて、祐輔も"結論"に達した。ここまでのレベッカの言動から、やっとではあったが。
「要するに『でも、お高いんでしょ?』ってことか」
「さすがだな祐輔」
詩鶴が口の端を上げた。やっと幼馴染にいつもの顔をしてもらえて、祐輔は内心安堵する。
「私に銃の知識は余り無いが、どう見ても複雑な構造の専用拳銃だし、結晶を加工した銃弾なんて特殊弾を撃つんだ、たぶんパーツも素材レベルで特注だろうしな」
得心して、祐輔も口を合わせる。
「おまけに、あんな激烈な連射を抑えるためには、ガタイのいい人を選抜して訓練しないといけないだろうしな」
レベッカは真っ赤になった。
「わ、悪かったわね! ていうか、レディに対して失礼じゃないの? それに、そんなにお金は掛からないわよ!」
「そうよねー」と夜那岐がにっこり。悪い笑顔だ。
「エージェントのギャラ、そのB.E.の製造費と弾薬代その他諸々のフルパッケージで6年運用しても、戦闘機が1機買えちゃうくらいにしかならないもんねー」
夜那岐の皮肉にレベッカが口ごもり、にらみ合いが始まった。
(佐上君、佐上君)
(なに?)
また愛美に呼ばれた。とても嬉しい祐輔である。が。
(ゼロ戦って、いくらくらいなの?)
「へ? ゼロ戦? なんで?」
思わず声が大きくなる祐輔に対して、
「だって――」と愛美はいたって真顔。
「せんとーきって、ゼロ戦でしょ?」
「い、いや、ジェット戦闘機じゃないかな……」
「だから、ゼロ戦でしょ? それ」
フォローに窮した祐輔は愛美に断わるとスマホを取り出し、検索をした。
「ほら、これじゃないかな、と」
「へー、最近のゼロ戦はカクカクなんだねー。えと、ライト……ニング? なんか、ゲームのキャラみたいな名前だねー」
「いや、重力を自在に操り光速の異名を持つなんちゃらさんとは関係ないと思うけど……」
ゲーム好きなのか、征城さん? 話題を振ろうとした祐輔だったが、
「おおい! そこ! こっちを無視すんな!」
レベッカに怒られた。
「まったく……まあそういうわけで、しばらくここを利用させてもらうから」
「勝手なこと言わないで!」
夜那岐が声を荒げたが、既にヘブローマと高校、県警には話が通してあると説明され、一声唸って沈黙してしまった。
「ま、皆さん、よろしくね」
とレベッカに言われれば、和を重んじる日本人の悲しさ、立ち上がってよろしくと言ってしまう。そしてこれも、会話の定番。
「日本語、お上手ですね」
「ん、そう?」と何故か悲しげなレベッカの表情が気になる。
「ま、まあ、ミリアムに日本語習ったエージェントの中では私が一番ましだったからね。仕方ないのよ……」
本当に悲しそうだ。そんなに来たくなかったのだろうか、日本に。
夜那岐は別のことに反応を示した。
「ミリアム? あの魔女まだ生きてるの?」
まあね、と苦笑しながら肩をすくめて、レベッカはナップザックから1通の手紙らしき封書を取り出した。
「その魔女から、『ヤナギっていう名前の妖怪ババアに渡してくれ』って言われたわ」
苦虫を噛み潰したような夜那岐の顔は、中身を通読してますます苦々しいものに変わった。
「……分かったわ。うちにいらっしゃい」
どうやらレベッカの寄宿先を夜那岐に依頼する内容だったらしい。
「レベッカ?」
「なに?」
「あんたが生きて帰れたら、ミリアムに言っといて。いいかげん、地獄に落ちなさいって」
レベッカがくすりとした。
「なによ?」
「そのコメントに対する答えはもらってきてるから」
そう言って、彼女が指さしたもの。それは夜那岐が手にする手紙の裏の、ひとこと。
『 お前もな 』
夜那岐の歯軋り交じりのヒステリックボイスが、部室のガラス窓を盛大に揺らした。
2.
翌日は土曜日。祐輔はいつもの時間に起床すると、ジョギングに出かけた。
アルテの発動には体力を消費する。少しでも長く戦い抜くための力を付けねばならないと一念発起して始めた、スペシャルワンと発覚して以来の習慣だ。"収穫祭"がいつ始まるのか分からない以上、休日に惰眠をむさぼるわけにもいかない。
とりあえず、中学3年次の部活引退――といってもハンドボール部の準レギュラーというかなり微妙な立場で、誰からも惜しまれず、どこからもお誘いはかからなかった――以来のだらけきった身体を鍛え直すことにしたのだ。苛め過ぎると"逢魔時の部活動"に支障を来たすのでほどほどに、だが。
走った先の公園で筋トレをして、また走って帰ってきた時にはもう8時を少し回ったところ。昨日の帰りに立ち寄ったスーパーで買った食材で、すきっ腹を抱えながら朝食を作り、ゆっくりと食べた。発覚以来、3食ともちょっと豪華にかつ精の付くものにしている。家族がいないも同然の彼にとって、セルフケアはいやでも身に付けねばならない必須スキルだった。
皿を洗った後はのんびりベッドに寝転ぶ。今週の急展開を思い出しながら。
愛美が神田と付き合い始めたと思ったら、実は彼女は祐輔と同じスペシャルワンだった。夜那岐の暴露によると、神田は単に愛美の体目当てだったようだ。
(あの野郎……でも良かった。何事も無くて)
いや、何事も無いというのはおかしいか。フラれて落ち込んで帰宅した愛美を待っていたのは、どうやら妻が亡くなって以来、これまた愛美を体目当てで扶育していたと思しき実父の襲撃だった。愛美の陰に潜んでいた夜那岐が部屋の天井に仕込まれたカメラに気付いたことにより、実父の部屋を捜索してその意図を見抜き、夕食を食べた後2階に上がってきた愛美と入れ替わったのだという。
(娘を襲う父親……って)
昨夜視たエロ動画を思い出して、祐輔はぶんぶんと頭を振って妄想を追い払った。約束は、守らなきゃ。祐輔は寝返りを打つと、壁を見つめた。
その壁の向こう、夜那岐の自宅に、愛美がいる。
今何してるんだろうか。
もう朝ごはん食べたのかな。
部長に虐められてないかな。
レベッカとは仲良くやってんのかな。
いや、祐輔同様激動の1週間だったんだ。休みの日くらいお寝坊だってしたいはず。
寝相、悪いんだろうな。部長がブラチラとかパンチラとか言ってたから。どんな――
「うわあああもー! 妄想すんなっつーの! 俺!」
ダメだ。独りでいると、妄想が捗る。祐輔は浩二と連絡を取ろうとして、タップしていた指を途中で止めた。
「最近いつも一緒にいるからな……」
休みの日くらい、ほかの奴とツルみたいだろうな。今日もメソーラが来れば顔を会わせるんだし。まあいいか。
お笑いコンビのような境地に至りながら、祐輔は着替えを済ませるとマフラーを首に巻いて、玄関を出た。すると、夜那岐がちょうど自宅玄関から出てくるところだった。
「おはよう、佐上君。お出かけ?」
「ええ、そのつもりっす。……あの、征城さんは?」
「ベッキーと買い物に行ったわよ。残念だったわね」
「いや、別にいいんすけど……あっさり打ち解けたんすか」
「そうそう!」
といかにもホッとした感じの夜那岐が可笑しい。疲れたので2人を寝室に押し込んでおいて自分はリビングで寝たこと、すぐに静かになると思ったらいつまでもキャイキャイやってて安心して寝付いたこと、朝も何やら盛り上がりながら出かけていったことを教えてくれた。
「良かった、なんかちょっとハイテンションというか攻撃的な人だったんで、心配してたんですよ」
「ふふ、大変ね」
今更ながらだが、こういう時、夜那岐は大人っぽい表情になることに祐輔は気づいた。
この、旧知の人々の発言から察するにかなり高齢なはずの、でもどう見ても未成年にしか見えない女性が、ふっと気を抜いたときに見せる貌。彼女に比べたら、自分たちはまさにヒヨっ子なのだろう。そういう年長者というか、母親のようなというか、そういった雰囲気を感じ取れる。
「夜那岐さんって――」
「ん?」
自分が出てきた玄関をそっと閉めて、夜那岐はゆっくりとそれにもたれかかった。
「この仕事、いつからやってるんですか?」
「昔からよ。ずっと」
淀み無い、でも珍しくふたこと目の付いた返事が返ってきた。
少しだけ考えて、祐輔は「それじゃこれで」とお辞儀をした。夜那岐の切れ長の目が細まる。
「聞かないの? 『どうして?』とか、『好みのタイプは?』とか、『痛いのは好きですか?』とか」
「最初の問い以外は俺の口から出ることはないと思いますけど」
どうしてこう、隙あらばシモのほうへ持っていこうとするのだろう? もしかして、これが欲求不満というやつなんだろうか。
「でも、夜那岐さんが話してこないことを聞くつもりはありませんよ。それじゃ」
「あ、佐上君!」
呼び止められて振り向くと、また大人の顔。
「愛美ちゃんたち、シブヤに行ったみたいよ? 追いかけるなら早いほうがいいんじゃない?」
「いや、昼から詩鶴が来るんで」
のち、眉間すれすれに苦無。
「こ の 浮 気 者 が」
「違います! 詩鶴に頼みごとしたんです! ていうか、詩鶴のほうから申し出があってですね」
「なにそれ?」
「実は――」
3.
「……何やってるの?」
愛美が踏み込んだ午後2時過ぎ。インターホンを押したら『開いてるよ』と予想外に旧知の女声で迎えられた祐輔の家のリビングでは、可愛らしいピンクのセーターを着た詩鶴が男物の学生服を手に縫物をしていた。珍しくポニーテールをした彼女は愛美から見ても十分愛らしいが、
「ん? ああ、メグちゃん、いらっしゃい」
ちらりとだけ目線を寄越して、また祐輔の学生服に眼を落とす詩鶴に、言いようのない苛立ちを憶えた。
「だ か ら 何 を や っ て る の ?」
「かけつぎだよ」とこともなげに詩鶴は言う。
「祐輔のやつ、どんくさいから敵の攻撃で学生服を破くだろ? で、ヘブローマからの報酬で学生服を買うって言うから、もったいないって止めたんだ」
「買いたいなら、買わせればいいじゃない」
と言いながら、詩鶴の傍のソファに腰を下ろす。
「知ってるか?」
「何が?」
「学生服って2万から3万するんだよ?」
「え、そんなにするの?」
思えば愛美も親に買ってきてもらった制服を、何も考えずに着ていただけだった。愛美の、もうもらえなくなった小遣いを数カ月溜めなければ買えない、そんなものを着て戦っていたのだ。
「ただ縫うだけじゃカッコ悪いって言うから、こうやってかけつぎしてやってるんだ。まあ確かに継ぎはぎだらけの制服じゃあな」
そこまで説明されて注視すると、どこを補修したのか、愛美にはさっぱり分からない。そのことを褒めると、また事もなげに返された。母方の祖母がかけつぎの店をやっていて、横で見ていたからできるのだという。
「すごいね……」
という以外に言葉が見つからない。女子力とか、そういうキャッチーな単語では収まりきらない圧倒的な友人を前にして、愛美は意地悪を言いたくなった。
「詩鶴ちゃん、いいお嫁さんになれるね。佐上君の」と。
効果テキメン! 途端に真っ赤になった詩鶴を見て、申し訳なくも止まれない自分がいる。
「佐上君、胸がおっきいほうが好みみたいだし。どう? 趣味の観察もできて、一石二鳥じゃない?」
「それじゃだめなんだ」
詩鶴が、急に真顔になった。次のかぎ裂きをしっかり見すえ、今度はポータブルミシンを使いながら語り始める。
「観察者は、観察対象に入れ込み過ぎちゃいけないんだ。『怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。』とはまさに至言だと思う。だから――」
「だから?」
愛美は知りたい。詩鶴の言っていることの意味は半分も分からないが。なぜ、そんなに祐輔にかまうのか?
「あいつが私をあんな目で見ているなんて、思わなかった。私にはそんな気持ち、微塵もなかったのに……」
そうだろうか、と愛美は考える。だって、『好きな女の子がいる』と『女の子が好き』は違うのだ。自分も一昨日、それを痛感したのだから。だから、祐輔が詩鶴に対して邪な妄想を抱くのは、詩鶴の観察願望とちっとも矛盾しない。
「詩鶴ちゃんは、どんな人が好きなの?」
「王子様」
「……えーと」
3分後。
「そういうわけで……おーい、メグちゃん! 帰ってこーい!」
「――聞いてるよ。うん、聞いてるけど……」
とても細かい指定付王子様像を聞かされて、意識が跳びかけた愛美であった。
「メグちゃんは、どんな男の子が好きなんだ? 逆に」
「んー……優しくて、頼りがいがあって、カッコいい人」
「ふんふん」
「で――」
「で?」
「私を襲わない人」
口を突いて出たのは、正直な気持ち。神田の笑顔も、隠しカメラ越しに見た父が愛美に扮した夜那岐を縛っている時の顔も、まだ忘却の彼方には当分行きそうもない。
「なるほど……ところでメグちゃん?」
「なあに?」
今のコメントをあえて聞き流してくれる優しさを詩鶴が見せてくれた。そのことが、愛美には嬉しい。
かけつぎは終わった様子で、詩鶴が裁縫道具を片付け始めた。
「メグちゃんも制服破いたら言ってね。余り布がないだろうから、制服を1着買ってもらってデッドストックにしなきゃいけないけど」
「うん! よろしくお願いします」
ぴょこと頭を下げ、愛美は詩鶴と一緒に笑った。
「メグちゃん、もう一つ」
「うん?」
「家主がいないことに、何も疑問を持たないのか?」
「――あ」
おやつと夕食の買い出しに行ったらしい。かけつぎのお礼として。
「ふーん……」
「ふふふ」
詩鶴が悪い笑顔をしている。にらんでも直らない。
「メグちゃん、今すっごい"気に入らない"って顔してるぞ?」
「だ、だって!」
どうも会話のペースを詩鶴に握られがちな愛美は、反撃を試みた。
「佐上君と二人っきりで晩御飯食べる気なんでしょ? 危険が危ないよ! ていうか、佐上君が作るの? 詩鶴ちゃんはお料理しないの?」
「しないぞ? 作るのは祐輔だ。料理には今のところ興味が無い」
興味が湧けば、きっと完璧にできるようになるんだろうな。愛美の女としての直感が疼く。
「それにな、祐輔には何度か夕食をごちそうになってるけど、何もないな。そういえば。これからもそうだっていう保証はないけどな」
というわけで。詩鶴が愛美の顔をのぞきこんでくる。
「メグちゃんもどう? 晩御飯一緒に」
「――夜那岐さんとベッキーに聞いてくる」
そう言って、愛美は逃げた。詩鶴の瞳に見つめられていると、何とも言えない不安感に苛まれたから。
4.
「逃げたか……」
詩鶴は床に落ちていた布の切れ端を拾い集めると、ゴミ箱にパラパラと落した。手や服にまとわりつく糸を払い、ポニテを解きながら大きめの声を出す。
「部長、いいかげん下りて来たらどうですか?」
詩鶴の声に応えて、すとんと背後の床が音を立てた。
「まったく、今頃メグちゃんが探してますよ?」
「ふふ、いいのよ。どうせ私が止めたって食べに来るでしょうし」
「そうですかね?」
といぶかしみながら振り返った詩鶴は、自分の背後に誰もいないことに気付いてにやりとした。
「どうして、そうですかね、なの?」
夜那岐の声を発したのは、ついさっきまで詩鶴が手にしていた祐輔の制服。床に広げられたまま、袖をフリフリしてジェスチャーまでしてくれるサービスっぷりだ。
「いや、メグちゃんはお世話になってる部長に気兼ねして、許可を取りに来ると思いますよ? わりと律儀な性格だし」
言い終えてからふっと息をはいて、詩鶴は制服に歩み寄ると床から拾い上げて軽く畳んだ。そして、祐輔の寝室に向かう。
寝室の洋服掛けに制服を掛けてやると、今度は飾り棚に置かれたちっちゃなフィギュアから声が飛んできた。
「よく入れるわね」
「何がですか?」
ついでに乱れた掛布団も直してやると、フィギュアがまたしゃべりだした。
「ここ、彼の自家発電所よ? 嘘だと思うなら、そこのくずカゴの中、のぞいてごらんなさい」
「ふむ、これですか?」
「おーい」
視界の端に何やら動きを感じて飾り棚を見ると、フィギュアがくるくる回ってる。
「そこは恥じらいなさいよ。キムスメでしょ? 詩鶴ちゃん」
「はい。でも、興味深いです」
さすがに摘み上げる気にはなれなかったが、詩鶴は屑籠の中を改め、そっと元に戻した。
「ちゃんと処理してるなら、私やメグちゃんが夕飯をよばれても、自制は利きそうですね」
「甘い」と今度は壁に貼ってあるアニメのポスターが震える。
「15歳の性欲を甘く見ちゃだめよ」
「部長?」
詩鶴は寝室から出ながら呆れた。
「何がしたいんです?」
無声。その事実が滲み込んで、詩鶴は初めてぞくりとした。
「祐輔に夕食の人数変更の事、知らせなきゃ」
あえて台詞を口に出して募る恐怖を抑えながら、詩鶴はリビングへ急いだ。
5.
夜那岐が自宅に戻ると、愛美がレベッカとお茶を飲んでいた。夜那岐を見つけた愛美が慌てて立ち上がって、祐輔宅の夕食のことを話してくる。
「いいけどさ」と夜那岐は愛美に大事なことを思い出させた。
「佐上君自身の許可は出てるの?」
呆然とする愛美。この子、本当に大丈夫なんだろうか?
「メグ、電話して聞けば? サガミに」
「う……そ、そうだね」
すー、はー、すー、はー。
すーはー、すーはー。
「ヤナギ?」
「なに、ベッキー?」
レベッカは腕を広げて深呼吸を繰り返す愛美を指さした。
「日本では、電話をするのに肺の空気を入れ替える必要があるのか?」
「まあ黙って見てなさいよ」
深呼吸をどれほど繰り返したのか。やり過ぎてケホケホと咳き込みながら、愛美はスマホをタップする。
「――あ! ――ど、どうも。あの、えと、征城でしゅ」
(~~~)
(か、噛んでるし)
レベッカが笑うまいと体を捩る横で、夜那岐も良い意味でも悪い意味でも直視できない。
「え、えとえと、あの――あ、ああああうん! そのことなんだけど――いいの? ――あ、ああ、そうだね……」
(? 急にメグの勢いが縮んだぞ?)
(どうしたんだろうね……?)
そこからすぐ電話を切って、愛美は夜那岐たちのほうを見た。
「佐上君から、夜那岐さんとベッキーもご一緒にどうですか? って」
夜那岐は答えを出すのをためらった。が、ためらわないのはエギリス人。
「いいよ。で、何を食べさせてくれるの?」
「肉じゃがと……えーと、なんだっけ、なんとかサラダに、ア、ア、アなんとかっていうパスタ」
「……分かったよ。家庭料理だな」
そこまで会話が進んでは仕方が無い。夜那岐も参加する旨返事し、それを聞いた愛美はさっそくメールを打ち始めた。
(ヤナギ?)とレベッカがひそひそ話をしてくる。
(なあに?)
(なんで勿体付けて返事するんだ?)
(勿体なんか付けてないわよ)
夜那岐は心外な発言に頬を膨らませる。やはりこの毛唐は認識していなかったようだ。夜那岐たちを誘う愛美が、ちょっと涙目になっていたことに。
夜那岐のスマホが鳴った。ヘブローマ日本支部からだ。
『レベッカ・サンダーランドと仲良くやってる?』
「おかげさまで」とできる限り不機嫌そうに答えてやる。
『そう……』
支部長の声が沈んでいる。珍しい事態に、夜那岐の緊張が高まる。
『黒柳って憶えてる?』
忘れるはずもない。夜那岐が初めてコーディネートしたスペシャルワンなのだから。
『昨日、遺体で発見されたわ』
「……どうして?」
夜那岐の声色が激変したことに気付いた2人が、気遣わしげに彼女のほうを見やる。
『自殺よ。遺書があったって、警察がコピーをくれたわ。読みたい?』
「かいつまんで、どうぞ」
支部長ことデキる女の声は、悲痛な色をまぶした事務口調。
『もう嫌だ。独りなんて耐えられない。誰も俺に心を開いてくれない。ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう。』
「……かいつまんで、ってお願いしましたよね?」
『つまんだわよ』と支部長が反論してくる。
『あとは私とヘブローマ、そしてあなたへの呪詛オンパレードが便箋に8枚。聞きたい?』
「私の部分だけ、お願いします」
夜那岐は目を硬く閉じて、支部長の呪詛詠唱に聞き入った。
『――以上よ。ひどいわね』
「概ね事実ですけど、ね」
『違うわ』
支部長がうんざりしている姿を想像するのは楽しい。
『こんなものを私に読ませる、あなたがよ』
「どのみち、この電話が済んだらシュレッダーにポイ、でしょ? 供養ですよ、供養」
なにが供養よとぼやいて、支部長は話題を変えた。
『収穫祭に備えて、佐上君用の"
「法具?」
一体どれを送ってくる気なのだろう。
『そう。本部から直接ね』
「本部?」
オウム返ししかできない自分に、夜那岐は苛立つ。
理の外を紡ぐ法具とは、ある程度以上の戦績を挙げているスペシャルワンに対して貸与される、I.A.の強化支援用特殊外装器である。その総数及び貸与者の選定基準は非公開。コーディネーターすら、現物の受領と同時に手渡される取扱い説明書を読んで初めてその中身を知る。そんなキワモノなのだ。
ヤナギも経歴の長いコーディネーターであり、どのような法具が存在するかは、他のコーディネーターとの情報交換である程度は把握しているのだが、同時に流布する良からぬ噂も耳にしている。
『法具の使用により、本部はスペシャルワンの人数調整をしている』
ただでさえ充足しているとは言いがたいスペシャルワンを、なぜ。
「彼の戦闘結果については、満足しているようよ。ここ数日の分はちょっとあれだけど」
「どういう意味ですか?」
『征城さんが絡むと、とたんに挙動不審になるように見受けられるわ。別々に行動させる気はない?』
珍しいな、と夜那岐は眉根を寄せた。大局的な指示しかしてこないのが常だったのに。
「もちろん、征城さんが独り立ちすれば、別々に行動させます。しかし、彼らは同じ高校の、同じクラスに通う学生です。担当エリアはこの市内とするのが自然かつ妥当かと思います」
『珍しいわね』
自分と同じ感想を支部長に言われて、夜那岐はまたオウム返しをした。
「珍しい?」
「スペシャルワンのことで、今みたいにまくし立ててくるなんて。どうしたの?」
「別に何もないです」
夜那岐はさらりと嘘をつく。
(まあ、あんだけ入れ込んでると、ちょっとね。引き離すと大ダメージくらいそうだし)
『それから、デフコン2が出ているわ』
ディフェンス・コンディション 2。すなわち、強力なメソーラが出現したことへの警戒態勢への移行を意味する。ちなみに"デフコン1"はオルガニーツァの襲来時に発動される。
『投射型と強襲型のコンビよ。幸い死者は出てないけど、スペシャルワンが4人やられたわ』
「詰めが甘い、ということですか?」
『いいえ。どのケースでも、こちらの戦力を早々に無力化したあと、フラクトゥス・アモリスの回収を優先しているわ。制限時間いっぱいまでね』
夜那岐は目を閉じて、情報を反芻する。
「それだけ敵も切羽詰ってる、ってことでしょうか?」
『単にがめついか、我を忘れてるだけじゃない? 危うく、って表現はおかしいけど、時空の狭間が閉じるギリギリまで気付かなかったという報告が上がってるし』
いずれにせよ、警戒は続けなければ。別れを告げて電話を切ったあと、夜那岐は唇を噛んで思考する。この賎機市は広すぎて、市の中央部やや東寄りにある高校からは、市西部域に行くにはどうしても時間がかかる。愛美が独り立ちすれば、祐輔と交代でパトカーに乗せて巡回させる方法も考えているのだが。
不審者情報として警察に巡回してもらい、カップルが出歩くのを少しでも減らしてもらうか。夜那岐は後池に電話してそのことを相談し、一息ついた。
見回すと、愛美もレベッカもおらず、『先に佐上君の家に行ってます』と書置きがある。
「そっか、もうおやつの時間か」
夜那岐は微笑むと、招待された時くらい正面切って入るかと思い立ち、玄関へ向かった。
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