第4話 宵闇

1.


 翌日、登校した祐輔に、浩二が寄ってきた。

「よ、おはよ、祐輔」

 珍しいな、こいつのほうから寄ってくるなんて。そういや、一昨日も校門前で声かけられてたっけ。

 浩二とは中学校2年のときに同じクラスになって以来、ゆるい交友が続いている仲だ。ほかの同級生とつるんで3回ほど遊んだことがある程度で、疎遠というわけでもない。

「あれ、どうなったんだ?」

 そんな浩二の目は、好奇心を抑えきれない色が露わになったもの。

「あれって、メソ……怪物のことか?」

「ちゃうちゃう! そんなのケーサツの仕事じゃん!」

 浩二の問いの意味がわからない。祐輔がきょとんとしていると、ニヤけ顔の浩二が肩に手を置いてきた。

「征城さんだよ! 狙ってんだろ?」

「あー……」

「んだよ」

「まあ、な」と一応同意しておく。

「がんばれよ。今日もやるんだろ、エスコート」

「征城さんが続けてくれっていうんなら、な」

 まだ何か励ましてくれそうだった浩二の動作が、校内放送の呼び出し音でピタリと止まった。

『1-A、佐上祐輔君、能美詩鶴さん、至急校長室まで来てください。繰り返します……』

 放送を聴いて、クラスの喧騒が一瞬止み、またすぐに戻った。

「行くぞ、祐輔」

 へえへえとつぶやきながら、祐輔は詩鶴と連れ立って2階にある校長室へと向かう。祐輔の肩、その左隣でぴょこぴょこ揺れるリボンの端を時々見ながら、祐輔はリボンの主に嘆いた。

「浩二の話、聞いてたか?」

「ああ」

「怪物よりホレタハレタ、か。ほんとにフィーバーになってるんだな」

「ま、それも仕方がないことだと思うぞ」と詩鶴は面白くもなさそうな声で言う。

「メソーラの目的が、自分たちを襲うことだとは知らされていないんだからな。情報もまったく世間に流れてないし」

 その点については祐輔も同感だ。昨日の一切合切は報道されていない。悲鳴を上げて逃げた女の人がいたはずだが、それを含めた目撃者らしい書き込みもネットには流れていない。それが、朝飯を食べながらの検索結果だった。

「俺以外に、誰か怪我人が出たわけでもないしなぁ。それにしても――」

「ん?」とリボンが動く。

「お前、あのページ見て、どう思った?」

 あのページとは『非公式サイト』の人物相関図のこと。察したらしい詩鶴は、しれっと答える。

「つまらんな」

「つまらん?」

「そう、つまらん」

 階段を下りるため前を向いた詩鶴の声には、憤りが混じっているように聞こえる。

「誰がわたしのことを好きかなんて、大きなお世話だ。そんなもので分かってしまったら、王子様を探すドキドキ感がなくなってしまうではないか」

「王子様、ねぇ」

 相変わらず詩鶴の恋愛感はぶれていないようだ。てことは、

「あれに書いてあった、お前に矢印飛ばしている男子は?」

「残念至極」

「さようで」

 つか、知力とかの方面で、こいつに釣り合う男なんているのか? そんなことを考えていると、詩鶴が祐輔のほうを向いて鼻をスンスンしだした。

「ん? なんか臭うか?」

「お前、ボディソープ変えたのか?」

「え? あ、ああうん」

 何かと思えば、そんなことか。続けて銘柄を問われたので、素直に答えてやる。このあいだはシャンプーを替えたことも嗅ぎつけられたし、相変わらず鼻がいい。なんて会話をしながら、祐輔たちは校長室に着いた。

 その校長室には、校長の執務机の前に応接セットが置いてあって、その向こうには長机が2つ並べられていた。以前詩鶴とともに呼び出されたときには無かった代物。どうもこの会合を行うために、急遽運び込まれたようだ。

 執務机側、つまり高校からの出席者は校長以下教頭、教務主任と1-Aの学級担任。対面に座っているのは、夜那岐以外は祐輔の知らない男女が1人ずつ。

 夜那岐たちの列の一番左端に座る女性は、ぱっと見40代だろうか。切れ長の目と短めのボブ、高そうなオフホワイトのタイトスーツ姿が高位の女性であることを問わず語りに語っているが、メガネは銀縁ながらカジュアルなデザインのもので、ただのキャリアウーマンではない印象を祐輔に与えることに成功していた。

 男性のほうは50代か。角刈りが似合うその顔は柔和な表情。だが、くたびれたダークグレーのスーツに包まれたがっしりした体は、いかにも体育会系というか、パワータイプのお仕事でございますねと容易に推察できる。

 一声かけて校長室に入ってきた祐輔たちを、夜那岐が手招きする。誘われるままに祐輔、詩鶴の順で夜那岐の隣に着席。すると、こちら側の女性が席から立ち上がった。

「それでは、会合を再開します。佐上君と、えーと、能美さんだったわね。始めまして。HEBloMA の日本支部長をしている、前津まえつといいます」

 続いて前津は、彼女の右隣に座る男性を紹介してくれた。

「こちらは県警生活安全課の、後池あといけ警部補」

「よろしく」

 丁寧に立ち上がって礼をしてくる後池に、こちらも慌てて立ち上がり返礼をする。双方が座り直すのを待って、前津が校長たちのほうを向いた。

「さて、取り敢えず、今回の案件についての概要説明はこれで終わりです」

(え? 終わっちゃったんですか?)

 驚きとともに、隣の夜那岐に囁いた。

(そ、あなたたちは顔見せに呼ばれただけよ。わたしがあなたたちにした説明と同じだから)

 前津が落ち着いた仕草で、机上にあったオレンジ色のファイルケースから書類を取り出した。

「これは、文部科学省からの学校施設借用依頼書。それから請求書の様式です」

「請求書?」と教頭が、やや上ずった声を上げた。

「はい。今回の案件で、学校側に何か費用が発生した場合に使用してください。ああ、交付金は文科省経由で HEBloMA から全額お支払いしますから、お国に渋い顔されることもありません。ご心配なく」

 支払い前の審査と後日の監査は当然ありますけどね、と前津はにっこり笑う。

 書類はその後、後池警部補ほか学校外の人員を学校内に出入り及び滞在させることについての承諾書、祐輔ほか生徒が学校外での活動を行うことへの許可依頼書と続いた。

「ご質問は何かありますか?」

「はい」と、おずおず手を挙げたのは教務主任。これは私の職務権限外のことなんですがとわざわざ前置きして、

「もしその、怪物が現れた場合というか、怪物が現れるということを生徒にどう伝えたらよいのでしょうか?」

 この問いに、前津の回答は明快だった。

「生徒さんたちについては、『カップルを襲う不審者が市内に出没しているから、下校後は速やかに帰宅すること』と周知してください。ただし、その不審者が怪物であるとお伝えいただく必要はございません」

「どうしてですか? 生徒に真実を伝えずに……もしものことがあったら」と教頭が目を剥く。

「先ほども説明しましたが、この市内全域を警察の監視システムを利用して見張り、不審な動きがあれば、不審者情報として学校関係者へのメール一斉送信を行います。これは後池警部補にお願いしています」

 後池がそれに合わせて軽く会釈したのを見計らって、説明は続く。

「先生方がそのメールを受け取ってからどうされるかは、お任せします。現場に駆けつけて生徒さんたちの避難誘導をされてかまいません」

「あの、ちょっといいですか?」と後池がここで手を挙げた。

「生徒の避難誘導、と今説明の中にありましたが、これは基本的に警察側の仕事です。どうしても現場に出向きたいというのであれば止めませんが、速やかな任務遂行のためにご協力を願います」

(……要するに、邪魔だから出てくるな、と)

(確かに、下手に出てこられてメソーラの標的になっても困るしな)

 祐輔と詩鶴がうなずき合うのをちらりと見た後池が、にやりとした。正解のようだ。

「あああ……」

 突然、校長が頭を抱え始めた。教師陣の心配顔に答える表情は苦々しげ。

「去年、大学の同窓会で出たんだよ」

「何がですか?」

「この、メソーラとかいう化けもんの話だよ」と校長は実に嫌そう。

「よその県で校長やってる奴がしゃべってたんだ。てっきり酔っ払いの戯言だと思ってたのに……あああ……」

 慨嘆しきりのバーコードハゲに構わず書類の残りをハードケースにさっさとしまい、前津は立ち上がってにっこり。

「では皆様、今日からよろしくお願いいたします」

 同じく立ち上がった後池をお供に校長室を出る間際、前津は振り返ってまた微笑んだ。

「人類の未来のために」


2.


 昼休み。学校の許可を取った夜那岐に連れられて、祐輔と詩鶴は校舎の屋上に来ていた。I.A.の操作方法についてのチュートリアルを行うためである。

「なんで詩鶴ちゃんが付いてきてるの?」

「こいつがサポートしてくれるなら、憶えといてもらったほうがいいからです」

 祐輔が説明し、詩鶴が当然という顔でうなづく。

「ふーん、まあいいけど。じゃ、I.A.を装着して」

 指示に従って装着したI.A.に、夜那岐がプラスチック製と思しきカードを近づけた。

<< Tutorial Modeへようこそ>>

 音声によるI.A.の概略説明が流れたあと、指示が来る。

<< 手首を振ってください >>

「よっと」

 右手に現れる、5枚のトランプ。JのワンペアとAがある。

<<ペア系のアルテは、Aと組み合わせて放つことで Lance Charge が発動し、攻撃力が増します。JやKのペアなら、一騎当千の騎士による騎馬突撃を敵に叩き込むことが出来ます>>

「このあいだやった奴ね。チュートリアルは体力使わないから、やってみればいいわ」

 夜那岐に促されて、祐輔は手札を3枚掴んで前に放ってみた。騎士が2人、槍を構えて給水棟めがけて突進していき、直前で消えた。

「なるほど。直線的だな」

 腕を組んだ詩鶴のつぶやきに、夜那岐は苦笑した。

「面制圧がお望みなら、祐輔君、次」

<<フラッシュ系のアルテは、兵士を集団で敵に向かって突撃させるアルテです。通常の攻撃指示より秩序立った攻撃を繰り出すことができます。攻撃力は使用したカードにより召喚される兵士の人数に依存します。

 また、JもしくはKを指揮官として加えて放つことで All hands assault が発動します。指揮官に率いられた兵たちは、より統率の取れた突撃を行えるでしょう>>

 祐輔の手札は全てスペード。それを全て引っ掴んで前に投げると、古めかしいが豪奢な鎧に身を包んだ老王が兵を率いて給水棟に突撃を行い、また直前で消えていった。

「次はストレートですか?」

「そうね。はい佐上君、カード出して」

<<ストレート系のアルテは、投射系の攻撃を行います。JやKを指揮官として付けることで、より正確な Rain of arrows を繰り出し、敵をハチの巣にできるでしょう>>

 祐輔が呼び出したのは、カエサル率いる一団。詩鶴を見つけてにっこり微笑むと、カエサルは手早く兵を陣立てして号令一下、兵士たちに弓の斉射をさせて消えていった。

 詩鶴が首をかしげる。

「JやKを混ぜてもいい、ということは、その場合ストレートとしては4枚でいいということですか?」

「そういうことね」

 会話が終わるのを待って、祐輔が手首を振ると、今度は役が揃っていない手札が現れた。

<<アルテが何も揃っていない。そんな時も慌てる必要はありません。そのトランプを召喚して雑兵による壁を形成するも良し、敵に向かって投じて攻撃を繰り出すも良し。さらに、その兵団をJやKに指揮させれば、一端の部隊となります。

 ただし、召喚中、もしくは消滅後3分を経過しないカードは召喚できません。何かアルテを狙っているのなら、よく考えて召喚をしなさい>>

 続いて、今の手札を全て召喚するようI.A.からの指示に従ったあと、続いてドローするとダイヤで統一された5枚が現れて、思わずうなる。マークだけでなく、数字も一連となっている。

<<これはストレートフラッシュ。攻撃を指示すると、兵たちは役割を分担し、前衛は剣による白兵戦、後衛は弓等による援護射撃を行います。また、左右の両翼は騎兵となり、敵の後方を遮断したりと機動力を生かした戦闘をこなしてくれるでしょう。JやKなどの指揮官がストレートの中にいれば、より効果的な Combined arms を発動できます。

 さらに、この Combined arms は発動前に召喚していた兵や指揮官をも吸収し、一軍団として機能します>>

「なんか……嬉々として馬に乗ってるやつがいるなと思ったら」

「アレクサンドロスだな、あれ」

 祐輔たちの目の前では、先の説明どおり、事前に召喚していた兵たちを吸収した"諸兵科連合"が展開されていた。弓弦がうなり、剣が振り下ろされ、軍馬がいななく。その軍馬の一頭に喜々として跨るマケドニア人を見つけたのだ。

 祐輔と詩鶴が苦笑していると、 Combined arms の指揮官として召喚されたダイヤのKことカエサルがもっともらしい顔をして呟いた。

「ま、あいつは騎兵の運用と男色以外に取り柄が無いからな」

(そうなのか? 詩鶴)

(ローマ人はギリシャ人を"男色に走る軟弱者"って軽蔑してたから、割り引いて聞いとけ)

 そのカエサルとアレクサンドロスも間もなくして消え、夜那岐の顔が引き締まる。

「次が、最後の大規模なアルテよ」

 その言葉に潜む、意外なまでの重さを怪しみながら、祐輔は何回目かのカードドローを行う。夜那岐が息を飲む音が聞こえる。

 スペードの10、J、Q、K、そしてA。

「ロイヤルストレートフラッシュか……!」

<<そのとおり。このアルテは発動すると、敵を滅します。完全に。跡形も無く。代償は、スペシャルワンの生命です>>

「……さらっと大変なことを手袋ちゃんがノベてらっしゃるんだが」

 と詩鶴が呆れると、

<<手袋ではありません。私は Incarnations Armamemt 。羊毛や化繊で編まれし生活雑貨とは一線を画する存在>>

「手袋ちゃんが自己アピールを始めたぞ、祐輔。お前が仕込んだのか?」

「んなわけあるかよ。ていうか、対話機能があるってマニュアルには書いてあったけど、こんなに自然な会話ができるんだな。この手袋」

<<手袋じゃないって言ってるのに……>>

 落ち着いた大人の女性の声で、落ち込んだ様子の手袋……もといI.A.。その後細かいアルテを一通り学んだところで、祐輔は先日の戦闘後に思いついた疑問を口にした。

「夜那岐さん、これって、トランプである必要があるんですか?」

 夜那岐は黙りこくったまま。

「おーい! 夜那岐さーん!」

「! ああ、どうしたの?」

 何かに気を取られていたらしい。祐輔は先ほどの質問を繰り返した。

「どうしてトランプじゃダメなの?」

「だって、2とか3の札が出たら、がっくりするじゃないですか。全部10なら、さっくり大部隊が作れるし」

「ふふ、昨日の戦闘でへばり気味だった人の台詞じゃないわね」

「なるほど、使用者の体力が持たない、と」

 こりゃ体力作りしなきゃだめだな、と決意したところでちょうど予鈴が鳴り、詩鶴とともに教室に戻ることにした。



「どうして――」

 屋上に一人残った夜那岐は、不審さを隠しきれない表情で呟く。

「どうして対話ができるの? そんな機能付いてないはず……」

 そういえば、祐輔に渡したマニュアルは、他のものとは少し装丁が違っていた気がする。少なくとも、彼女が今までスペシャルワンたちに渡してきたI.A.にはそんな機能は無かった。

 そして、不審な点はもう一つ。

「どうしてスペードが出るの? スペードのAが不吉だから、チュートリアルはクローバーで説明するはずなのに……どうして?」


3.


「さて」

 放課後。北館1階にある空き教室に、祐輔、詩鶴、夜那岐、後池の姿があった。授業中に運び込んだのだろう、大きな通信機、パソコン5台、テレビとハードディスクレコーダー、市内の大きな地図が室内に設置してある。

「とりあえず対策本部が立ち上がったわけだが」と後池が詩鶴を見る。

「君は、なんの担当なんだい? えーと――」

「能美詩鶴です」

「あ、そうそう、ノミちゃんノミちゃん」

「ノミって言わないでください!」

 なんで詩鶴の激高スイッチをピンポイントで押すかな、この警察の人は。祐輔は、いたくご立腹の詩鶴を宥める。

「まあそういきり立つなよ、詩鶴。後池さんも、もうやめてください」

「後池さん……」と夜那岐も渋い顔だ。

「設立2分でチームを瓦解させて、何が楽しいんですか?」

「ん? そうか? ちみっこくて可愛いと思うが」

「わたしが、ちみっこいのが嫌なんです!」

 そうかすまんすまん、と言って笑う後池。いたって悪気はなさそうだが、何かのタイミングでもう1回釘を刺しといたほうがいいかもな、と祐輔は思った。

「で、何の担当なの、ノミ……ゴホン、能美さんは」

「祐輔のサポートです」

 詩鶴にすまし顔で言われて、後池は考え込んだ。

「……なるほど」

「何がなるほど、なんですか?」

 祐輔にも夜那岐にも分からない。

「好いた男を支えたい、ってことだろ?」

「後池さん……」

 夜那岐がこめかみを押さえて首を振った。

「佐上君の置かれてる状況、説明しましたよね?」

「ああ、そうかそうか」

 後池はすっと真顔に戻ると祐輔に頭を下げた。

「すまん、謝る」

 祐輔は苦笑いを少し混ぜた微妙な表情で、その謝罪を受け入れた。が、詩鶴が混ぜっ返す。

「ま、サポートというのは建前ですけどね」

「おーい、夜那岐さんや」と後池が問いかける。

「解説してくれよ」

「解説してよ」

 祐輔にお鉢が回ってきたので、彼は憮然とした表情で解説した。

「俺の観察が趣味なんだそうですよ、こいつ」

「ま、そういうことです」とぴょこぴょこ跳ねるリボンに、後池は笑った。

「それでなんで……まあいいか。取り敢えずここに設置した機材の説明をしようかな」

 警部補から、県警の所管部署と直通可能な通信機の説明を受ける。もっともこれは後池や、彼と輪番でここに詰める部下の使用する物だから、ざっと説明を受けただけで終わった。

 テレビとハードディスクレコーダーは、外部と回線でつながっている。外部の映像、つまりこの街の各所に配置してある監視カメラの映像が流せて、録画もできるようになっている。ただし、こちらでどの場所の映像を映すかは選択できない。それは県警本部の仕事だそうだ。

 通信機とテレビで流れてきた情報をもとに、具体的な場所とここからのルートを調べるために大判の地図はある。横には長机に住宅地図の分厚い冊子まで置いてあった。

 説明が終わって、ここでティータイム。後池と夜那岐はホットコーヒー、祐輔と詩鶴はお茶で、教室中央に設置した会議室用の大きな机を囲む。やっと温風ヒーターが効果を発揮してきたきたこの広い部屋で、暖かい飲み物はご馳走である。

「ところで詩鶴――」と祐輔は隣に座る幼馴染を見た。

「お前、風紀委員の仕事はいいのかよ?」

「問題ない。ノルマもこなしたしな」

 詩鶴はあっさり述べ、カップに口をつけた。

「何? 風紀委員って、ノルマがあるの?」

 と夜那岐が興味を持ったらしい。詩鶴は頷くと、湯呑を机に置いた。

「今月は『帰宅部撲滅キャンペーン』でしたから。2名を部活に入部させて、ノルマ達成です」

「どこの誰だよ、その犠牲者は?」

「祐輔と狗噛先輩です」

「……俺はどっかの部活に入った覚えはないぞ」「わたしもよ」

 2人のつれない態度にもめげず、詩鶴は笑う。

「なに言ってるんですか? ここですよ。この対策本部を部活動と認めてもらいました」

「……お前なあ」

「ああそうそう、部の名前も考えてきましたよ?」

 祐輔の抗議などどこ吹く風、詩鶴はトートバッグから表札大の薄い木の板を取り出して、皆の目の前に掲げた。この達筆、詩鶴が墨で直接書いたようだが、

「……外道部?」

 はい、と詩鶴はにこやか。

「人類から愛を奪おうとする外道を、現在過去未来にわたって愛なんてご縁が無いという、これまたある意味人の道を外れた祐輔が退治するというわけですから」

 部屋の前に貼ってこなきゃ、と言って詩鶴は席を立った。

「なるほど、愛が無いな」

 その後姿を目で追いながら、後池がうなった。がっくりうなだれる祐輔を放置して、そのまま夜那岐のほうを向く。

「この、えーと、何だっけっか」

「スペシャルワン、です」

 祐輔から教えると、後池は頭を掻いた。

「いやすまんすまん、歳を取るとどうも物覚えが悪くなっちまって」

 後池は再び夜那岐のほうに向き直った。

「前にも説明、聞いたかもしれないけどさ。このスペシャルワンって状態を治す方法は、なんかないのかい?」

「無くはないわね」と夜那岐は以前祐輔にもしてくれた説明を始めた。

 スペシャルワンがその独寥なさまから脱する方法は、2つある。

 1つ目は、メソーラを倒すことによって得られるフラクトゥス・アモリスをヘブローマに送り、特別な手順でそのエキスを抽出してもらい、それを結晶化したうえで吸収することである。常人には既に備わっているフラクトゥス・アモリスがないゆえ、スペシャルワンの身体にまるで溶け込むように染み渡っていくのだという。

 それを聞いた後池が、なーんだという顔をした。

「佐上君はもう6つ持ってるんだろ? そいつをさっさと、えーと、ヘボローマ――」

「ヘブローマ」

 夜那岐がちょっと苛ついたという表情。

「ああ、そうそう、そのヘボローマに送っちまえば、万事解決じゃないか?」

「残念ながら、そうそう簡単な話じゃないみたいなんですよ」

 と祐輔は苦笑い。夜那岐が後を受ける。

「ヘブローマ、よ。必要なフラクトゥス・アモリスの数は、おおよそ200個」

 絶句した後池に、さらにたたみかける夜那岐。

「おまけに、無料じゃございませんのよ?」

 と前置きして彼女が口の端に乗せた額は、後池の度肝を抜いた。

「……俺の給料5年分、か」

 それで、とこの警部補殿は切り替えが早い。

「2つ目の方法は?」

「" Shake hands "を出すこと」

 それは、無理難題の具現化。祐輔を想い、祐輔に想われ、彼と共に闘うことを決めた女性を探し出して手を握るという。

「それ……実例あるのか?」

「さあ? わたしは見たことないです」と夜那岐は肩をすくめる。

「実際、過去に数例あるだけらしいですし。というか、ヘブローマがそれ以上の情報を開示してくれないんですよ」

「なぜ?」

 夜那岐は後池の問いに、また肩をすくめた。

「やれやれだな……ところで」と後池が部室の出入り口を親指で指した。

「ノミちゃんが外で誰かと話しているみたいだが」

 言われて初めて部室の外に意識を向けると、祐輔が聞いたことのある男子の声がする。とすぐに、戸が引き開けられた。入ってきたのは、

「ちーす!」

 浩二だった。

「部長、入部希望者が来ましたよ?」

「部長って……わたし?」

「よ! 祐輔。話は能美さんから聞いたぜ」

 などと言いながら、親しげに肩に手を置いてくる浩二。急展開過ぎてさすがについていけないといった表情の夜那岐に、彼は自己紹介を始めた。

「あ、ども! 京郷浩二きょうごう こうじです! 祐輔と同じクラスです! よろしくお願いします!」

「えーと、京郷君? 取りあえず、入部の動機を教えてもらおうかな」

「立ち直りが早いな! さすが夜那岐さんだねぇ」

 と後池がニヤニヤしている。

「俺とカノジョ、あの化物に狙われてましたよね? んで、祐輔があれをブッ飛ばしてくれたんすよね?」

 夜那岐は浩二の言葉遣いにおかしみを感じたのか、吹き出しながら続きを促した。

「で、朝の朝礼前に祐輔と能美さんが校長に呼ばれてたから、あのことで呼び出し食らってんだと思ったんすよ」

 こりゃあ何かある、と探し回ってたどり着いた先がこの外道部。ちょうど部の表札を掲げに出てきた詩鶴と鉢合わせした、という顛末だった。

「京郷君、だったね」

 何か言おうとした夜那岐を手で遮って、後池が浩二に問うた。

「この部が遊びじゃない、ということは理解できているね?」

「も、もちろんっす」

 いたって穏やかな顔とはいえそこは警察官。その何とも言えない圧迫感に浩二は少したじろぎながら即答する。

「そうよ。あなたはまだ、メソーラに狙われてる、と思ったほうがいいわ」

「だからですよ、部長」

「……ああ、そうか」

 横から口を挟む詩鶴に、祐輔は遅れて閃いた。

「俺たちと一緒にいるほうが、襲われた時に助かりやすいから。そうだろ?」

 我が意を得たり、と親指を立てる浩二。

「はっはっはっ、ちゃっかりしてるな」

 とのんびり後池。あ、そういえばと夜那岐が自分のカバンの中を漁りだした。取り出だしたるは、1枚の細長い紙切れだった。

「なんすか、それ?」

「佐上君がメソーラを倒した報酬の小切手よ。昨日渡しそびれちゃったから。はい、どうぞ」

 言葉に続くアクションに、祐輔たちは黙然とする。豪傑笑いを繰り出す1名を除いて。

「相変わらずだな! 高校生相手にまったく」

 と言いながらも夜那岐を止めようとしない後池がそれだった。

 ややあって、おずおずと祐輔は切り出した。

「あの……部長?」

「なぁに?」

「その、報酬の渡し方、なんですけど」と祐輔は指さす。

 夜那岐が着ている学校指定のブラウス、その第2ボタンまで空いた胸元から生えている、先ほどの紙切れを。

「そういうのって、溢れんばかりの胸の谷間に挟まれてるから、ドギマギするんだと思うんですよ。ブラは見えてますけど」

「何が言いたいの?」

「服と洗濯板の間に挟まれても全然興奮しないゴフッ!!」

「洗濯板とは何よ!」

 事実を指摘したら、夜那岐の右フックを食らった。

「まあ確かに、マッタイラじゃあないな、うん」

 と腕組みした後池が頷き、夜那岐ににらまれている。

「失敬ね! しようがないじゃない! 九ノ一なんだもん!」

「意味分かんねーっすよ、それ」

 浩二がすごく困った顔で夜那岐のほうを見たが、

「変わり身の術を効率よく行うためだから、仕方がないと思うぞ」

「ああ、そうか。デブはヤセには成れないもんな」

 横から詩鶴が解説してくれて、腑に落ちる祐輔と浩二であった。が、夜那岐は納得いかないご様子。

「……詩鶴ちゃんに解説されると、なんか腹立つ……」

「嫉妬ですね? 受けて立ちますよ?」

 と腰に手を当ててふんぞり返る詩鶴。こいつほんと、態度と胸はでかいからな……と祐輔が考えていると、浩二が突如慌てだした。

「おい! 祐輔!」

「何だよ?」

「時計見ろよ! 時計!」

 ああ、もうそんな時間か。

 祐輔は、ん、と伸びを一つすると、にらみあいを始めた夜那岐と詩鶴に声を掛けた。

「じゃ俺、今日は帰ります。何かあったら連絡ください」

 祐輔は後池にも挨拶をすると部室を出ようとしたが、夜那岐に呼び止められた。

「いい? 敵と遭遇したら、まず雑兵をばらまいて壁を作りなさいよ」

 了解の印に頷いて、祐輔は待ち合わせの場所に急いだ。


4.


 その場所、東門のいつもの木の下には、愛美がいた。そのことにほっとして歩み寄り、今日も恋人役が始まった。

 いつもの、付かず離れずの帰宅。だが今日は、真意を知ってしまった夕暮れの帰り道は、祐輔の口を逆に軽くした。

 クラスのこと、授業のこと、もうすぐ始まるテスト週間のこと。よくもまあこんなに口を突いて出るもんだ、と我ながら呆れるくらい、饒舌に。

 対する愛美は、相変わらずの愛想笑い、のちすぐ視線逸らし。そのソワソワなわけも、祐輔の饒舌に加速を付け、彼の心を反比例の苦いもので満たしていく。

 そして、やっぱりというべきか。

「くくく、見つけたぞ! スペシャリテども!」

 ちょうど人の気配が途切れた道端。異形の者がそこにいた。今度は腹にノコギリクワガタのような角を生やした、メソーラ。どうやら強襲型というカテゴリーに分類されるであろう。先日祐輔が倒した奴より背が高く、顔も細面。その面に付いた双眼は、狂気に光っている。

「来たな、メソーラ!」

 短い悲鳴を上げる愛美を背後にかばって、祐輔はI.A.を右手にはめる。祐輔たちを一発で特定したことといい、やはり夜那岐が言っていた"敵を見抜く力"がメソーラに備わっているのは間違いないようだ。

 手にした札は、

 ハート3 スペード5 ハート6 ダイヤJ クラブQ

「ありゃ、みごとなブタだな……」

 取りあえずダイヤのJを傍らに投げる。

<< Jack of diamond " Hector" >>のコールとともに、カードは古代ギリシャ風の戦士へと姿を変えた。

 突っ込んで来たメソーラに、雑兵の壁を祐輔の前に作って応戦させる。身に寸鉄を帯びないスペシャルワンゆえ、こうやってまず防御の陣を張るのがセオリーだ。

 戦の素人なりの指示を雑兵に出しつつ、祐輔は戦士に、少し離れたところに後ずさった愛美を守るよう指示を出す。

「心得た」

 短く、それが戦士ヘクトルの返答だった。

 雑兵の時間稼ぎの間にカードを補充。よし! ハートのキングが来た! たしかこれで――

「待てぇい!!」

 メソーラの怒号に気づいて手札から顔を上げた祐輔はその視線を追って、目を丸くした。愛美がものすごい速さで遁走していたのだ。虚を突かれたのか、ヘクトルすら置いてきぼりにされているではないか。

「ああもう! しようがねえなぁ!」

 雑兵のカードを引っ掴んで、思いっきり遠くへ、愛美とメソーラの間に壁になるようにと投げる。だが、それが裏目に出た。愛美を追いかけるそぶりを見せたメソーラがくるりと反転し、残り少ない最初の雑兵を蹴散らして祐輔に襲いかかってきたのだ!

 言葉も出ず、せめて固まろうと背をかがめた祐輔を、ヘクトルが守った。背負いの大剣は、その名もデュランダル。それを抜きざまにメソーラを袈裟掛けに襲い、腹の角で弾かれるのにも怯まず素早く横薙ぎをメソーラにくらわせた。

「ちっ! 邪魔をするな! カードの幻影風情が!」

 紙一重で戦士の剣峰をかわしたメソーラがわめいたその時、祐輔の携帯が鳴った。

「詩鶴?! なんだよ一体?!」

『祐輔! メグちゃんが襲われてるぞ!』

「ああ、今こっちでそいつを食い止めて――」

 にらみ合いをヘクトルに任せて、携帯の向こうに怒鳴る祐輔。

『違う! 別のメソーラだ!』

 その言葉を聞いた次の瞬間、祐輔は疾走した。愛美が逃れたほうへ向かって。



 携帯の誘導に乗って走ること5分。詩鶴のナビゲートが混乱していたため少し迷ったが、祐輔はようやく街中を流れる川沿いにある工場跡地へと来ていた。

 息を切らしながら立ち止まって周囲を見渡して、愛美がここに逃げた理由と本人はすぐに見つかった。彼女はメソーラの殴打や蹴りをまさにすれすれでかわしている。

「征城さん!」

 祐輔は取りあえず雑兵を放ち、メソーラを横合いから襲わせる。補充した手札のJを雑兵の群れ目がけて放りながら、祐輔は愛美の元へ駆け寄った。

「征城さん、大丈夫?」

「う……うん……」

 と顔を曇らせる愛美。その理由も祐輔にはもう分かっている。彼の憂鬱は、メソーラと交戦中の雑兵の群れから突如沸き起こった哄笑でも晴れなかった。

「ふははははぁ! いくぞ、者どもぉ! メソーラに、哀れな転向者にその惨めな生を後悔させてやれぃ!」

 ハートのJから生まれ出でたるは、プレートメイルと赤マントに身を包んだ虎髭のフランク人。ジャンヌ・ダルクの戦友にして百年戦争後期におけるフランク反攻の立役者の一人、ラ・イル。メソーラと三々五々戦っていた雑兵が、生前は前線指揮官であった彼の登場と同時に無闇な攻撃を止め、統率の取れた部隊へと変貌した。

「ちぃ! 小賢しい真似をぉ!」

 一進一退の攻防を続けるラ・イル隊とメソーラ。祐輔はそれを横目で見ながら、愛美に声を掛けた。

「もう大丈夫だから。お願いだから、本当にヤバくなったときに逃げて。いい?」

 黙して頷く愛美。祐輔はその少し不本意そうな表情を確認して、逆にニッと笑う。

「あ! 征城さん、怪我してるじゃん!」

 手元にある治癒ができるカードは、ハートのQのみ。裕輔はためらい無くそれを召喚した。

<<Queen of spade "Athena" >>

「あれ?」

 カードが姿を変えたアテナは、なぜか武装せず普段着のまま。あっけに取られていると、予期せぬ方向から怒声が飛んできた。

「マスター! ぼさっとしてないで、増援くれよぉ!」

 虎髭の勢いに押されて手持ちの雑兵を全て召喚してやると、それの隊列を整えたラ・イルは驚くべき行動に出た。

「さ、アテナちゃん。俺が守ってやるからな」

 今召喚した増援を丸ごと、アテナの護衛に付けてしまったのだ。

「すまぬな。皆の者、励んでたもれ」

 アテナの涼しげかつ飄々とした声に化身も雑兵も歓呼で答え、全軍の士気が目に見えて向上した。

「こいつら……」

 確かに金髪碧眼美少女に激励されれば、男としては意気軒昂になるのは世の定めではあるけどさ。

「まあいいか。アテナ、征城さんを治癒してください」

 こくりとうなずいて、アテナは愛美に近づいていった。護衛隊までぞろぞろついていくさまは、さすがに苦笑を禁じ得ない奇妙な光景だ。

 それから補充した手札。そこに見出したのは、ダイヤのK。

「またこいつかよ……」

 上から目線なのは"神様"だから、と詩鶴は言っていたな。まあいいか。

<<King of diamond "Caesar" >>

 ついでと言ってはなんだが雑兵も召喚すると、ちょっと疲れを自覚する。カードの召喚は、召喚する人物やアルテに応じた体力消費を伴う。

 一方で時は待ってはくれず、もうすぐ日が沈む。メソーラは逢魔が時、つまり日没までのわずかな時間に開く時空の裂け目を通ってこちらに現れ、帰る。今ここでメソーラを討ち果たさないと、明日また全快した敵に襲われるのだ。

「ふむ、ここで"憤怒"が出るとは、お主やはり引きはいいな!」

 "La Hire"は古いフランク語で憤怒という意味であり、それが粗暴で怒りっぽいあのフランク人の通り名である。

 さて、と考え込む仕草を見せるカエサル。だが、急変した現況はその長考を許さなかった。先の角付きメソーラが、ヘクトルと争いながらこちらになだれ込んできたのだ。

「小僧! 手札は?」

 ハートのKと4のワンペアがあることを告げたが、ローマ人は渋い顔。

「だめだ! それじゃ決め手に欠ける!」

「なんでだよ!」

 改めて目の前で頭が高いと、ついつい言い返したくなる。

「えぇい、講釈は後だ! 取りあえず、余り札をヘクトルの配下に付けろ! 補充した札を見て、また考える!」

「祐輔! 指示通りにしろ!」

 いつの間にやら詩鶴と浩二が、急ブレーキで停止した県警のパトカーから登場。その剣幕に押されて指示を実行しながら、祐輔は周囲を見回した。詩鶴を目ざとく見つけて亡き者にせんと詰め寄ろうとしたメソーラを、ラ・イル隊がさりげなく横移動して防いだ。祐輔と愛美の前にはヘクトルが手勢を組織して、角付きとやり合っている。あれ? 部長は?

「札を見せろ!」

 またしても投げつけられたその一方的かつ高圧的な指示に、祐輔はついにカッとなって怒鳴り返した。

「あーだこーだとうっさいぞ、こっパゲ!」

「こっ……」

 手札を見せつけられながら、カエサルが頭上の月桂冠ハゲ隠しを震わせる。

「そんだけ上から目線なら、何とかしてみせろよ! ガイウス・ユリウス・カエサル!!」

「いいだろう」

 ローマ人の表情が引き締まり、その姿が大きく膨らんだように祐輔は感じた。

 カエサルは一転、短く切りつけるように指示を飛ばし始める。

「ラ・イル! 5分持ちこたえろ! ヘクトルは押し出せ! 一気に行くぞ!」

 虎髭がにっと笑い、寡黙なギリシャ人は決意を秘めた眼でただ頷くのみ。

「舐めやがって!」「死ねぇぇぇぇ!」とメソーラがそれぞれ吠え、ますますその腕と角を振り乱して襲いかかってきた。

 ラ・イル隊は方陣をさらに密集させ、浩二と詩鶴をその背にかばう。一方、祐輔と愛美を守るはずのヘクトル隊は攻勢に出た。だが、みるみるうちに角付きに雑兵が蹴散らされていく。

「おいおいおい、やべぇんじゃね?!」

 騒ぐ浩二を抑える詩鶴。また逃げ腰になった愛美を背にかばって、祐輔はまなじりを決した。

 減りに減って、ついにギリシャ人戦士ただ1人となった祐輔たちの眼前。受ける西日も僅かに、角付きが両腕を広げて咆哮するさまは、とても5メートル先とは思えないほどの威圧感。だが。

「小僧! ハートのKだ!」

 言われた祐輔の手が流れるように、ハートのKを右手の札から抜き放つ。

<<X-Durandal>>

 I.A.のコールとともに投げ放ったハートのK――鎖帷子の上に純白のチュニックを着込んだ王者がメソーラ目掛けて疾駆する。右八双に構えたヘクトルが並走し、袈裟掛けにデュランダルを振り下ろすと同時、王者シャルルマーニュもまた伝来の佩剣デュランダルで抜く手も見せぬ逆袈裟を放った!

「兄者ぁぁぁ!」

 ラ・イル隊の堅陣をようやく崩し始めたメソーラが絶叫する。叫ばれた相手、角付きは断末魔までXの字に四等分されて塵と化した。

「っしゃあ! 次!」

 調子よく浩二が叫ぶ。だが、ラ・イル隊は半減し、祐輔の手札もまた不揃い。そして、

「ちぃぃ! 時間切れか!」

 メソーラの叫びどおり、落日は西の空からほぼ姿を消していた。その背後にあの時空の裂け目が現れる。

「ラ・イル! 追撃しろよ!」と叫ぶ祐輔に、虎髭の傭兵隊長は反駁した。

「やなこった」

「なんでだよ!」

「もう逃げちまうんだから、追撃なんて無駄無駄ぁだね。今日の仕事はお~わりっとぉ」

 ラ・イルが納剣すると同時に、彼の姿も夕闇に透ける。その向こうでメソーラが時空の裂け目に消えるのが見えた。


5.


 戦い済んで、日が暮れて。

「いや~、やばかったんじゃね? 今の」

 と言いながら近づいてきた浩二の肩を、どこから現れたのか夜那岐が掴んだ。

「仕方がないのよ」

「わあっ! せんぱ……じゃない部長! いつ来たんすか?」

 驚愕する浩二を放っておいて、詩鶴が夜那岐に問いかけた。

「仕方がないとは?」

「クロス・デュランダルはヘクトルとシャルルマーニュ、どちらも単身じゃないと発動しないからよ。おまけに超近距離用だから、メソーラをひきつける必要があったの」

 夜那岐の解説と、それを聞いて考え込むそぶりを見せる詩鶴。わかったような声を上げている浩二。祐輔は彼らをよそに、どうやら腰が抜けてしまったらしい愛美に笑いかけると、助け起こそうと近づいた。だが、その前に夜那岐が割り込んでくる。

「征城さん? なんで逃げたの?」

 あのまま後ろに控えていればよかったのに、と続く夜那岐の糾弾を祐輔は遮り、愛美にまた笑いかけた。

「あそこに逃げたかったんだろ?」と。

 祐輔が指さす先、そこは市営のサッカーグラウンド。

「神田のところに」

 愛美は図星を指されて、夜那岐と詩鶴は記憶を呼び覚まされたのだろう、共に息をのむ。

「どうして……」

「ん? ああ、学校の裏サイト、見たから」と祐輔は苦みなく笑み返す。

 そう、あの相関図で愛美から発する矢印は、祐輔ではなく神田に直撃していた。そして神田からの返しの矢は、愛美に。

 つまり、なかなか声をかけてこない意中の人への当て馬にされていたのだ。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 詩鶴から耳打ちされた浩二の仰天と同情の混じった顔をちらと見た後、祐輔は頭垂れた愛美に宣言した。

「でも、神田じゃ征城さんは護れない。だから――」

 祐輔は、自分でも驚くほど力みなく声を張る。

「征城さんは俺が護るよ」

「どうして……」

 先とは別の意味で問いかけられた祐輔は真っ直ぐ答えた。絶対に彼のことを見つめてはくれないだろう、その瞳に向かって。

「俺、征城さんのことが好きだから」

 周りの仲間同様、愛美も目を見張って動かない。

 ややあって、愛美の青ざめた唇からかすれ気味の声が絞り出された。

「ごめんなさい……だから――」

「うん」

 愛美に続きを言わせず、祐輔は微笑みすら浮かべて続けた。

「それでいいんだ。だから俺は戦えるんだ」

 どんどん濃くなってゆく宵闇も、彼の心を曇らせることはない。祐輔はI.A.をはめた右手を愛美にかざす。

「俺の想いは誰にも届かないし、俺に想いを寄せてくれる人も現れないんだってさ。だからこの力が使えるんだ」

「じゃあどうして……」

「どうせ届かないなら、言っちゃったほうがスッキリするじゃん。俺が」

 祐輔は、にっと笑った。

「ごめんな、勝手なこと言って。うまくいくといいな、神田と」

 さ、帰ろうぜ。

 祐輔が愛美に手を差し伸べるさまを、詩鶴が見つめていた。

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