いつも空を見てた瞳に

#028 星魔法の〈鳥籠〉に棲む少女-1


♯星歴682年 11月 17日 ? 時刻不明

  星魔法〈メートレイアの鳥籠〉の中


 目を開くと、明るい日差しの熱が頬に触れた。焼きたてパンのいい匂いがした。砂糖菓子みたいな甘い匂いも混じっていた。

「沙夜、お疲れ様……もう、大丈夫だよ」

 甘酸っぱい声が私を呼んで、にこにこ笑っていた。


 ……ここ、どこ?


「〈鳥籠〉の中だよ。もう、沙夜は本当に頑張り屋さんなんだから……」

 私は柔らかいベッドに横になっていた。すっと、額に手を当てられた。ぼんやりした頭が何かを思い出そうと、一生懸命になって記憶の引き出しをひっくり返していた。だって、私は……


 古式の衣装に身を包んだ黒髪の美少女が、私のことを愛おしげに見詰めて、微笑していた。凄く優しげな笑みで、一緒にいるだけで気持ちが溶けてしまいそうになるの。


 夢の中だった。

 私、幼い頃のあるときを境に、ときどき、この〈鳥籠〉の中にいる夢を見る。

 不思議な夢だった。いつ夢を見ても、ここは真夏みたいに暖かくて、明るくて、いい匂いがした。白銀色の鳥籠には、色鮮やかな大輪の朝顔が鈴なりに咲いていた。


 いつも、にこにこ笑う楽しげな声が私を迎えてくれた。


 この少女が、ここを〈鳥籠〉と呼ぶから、私も〈鳥籠〉の中という風に理解をしていた。だけど、この〈鳥籠〉の大きさは、あの教習艦きょうしゅうかん「アキアカネ」がすっぽり入るほどに巨大だった。

 だから、〈鳥籠〉の中なのに、南国風のコンドミニアムみたいに部屋が作られていた。さらに、ベランダの向こうにトマト畑まであるの。

 その全部が巨大な〈鳥籠〉の中に作られていた。


 あっ!

 やっと、寝ぼけ眼のぼんやり頭から、目覚めて、跳ね起きた。

「びっくりさせて、ごめんね。でも、沙夜は本当に頑張り屋さんだよ」

 抱きしめられた。ぎゅっとされてから、頬を摺り合わせされる。髪を撫でられた。

「だって、私、ガストーリュを失うわけには……」

 まだ焦点のぼけた私の声に、甘酸っぱい声がうなずいた。

「うん。ガストーリュを大切に想ってくれてありがとう。あの子もあなたのこと、信じているから、一緒にいてあげて。必ず、あなたを守ってくれるから……」

 甘酸っぱい声とともに髪を撫でられた。


 ――そうだっ! 私、跳躍転移魔法〈ランペル・シュルーペの漏斗とうと〉を飛びすぎないように書き換えようとして……!


「ユカは? それにガストーリュは?」

 やっと記憶が戻った。慌てて見廻すけど、視界にあるのは欠伸が出そうなほどに平和な〈鳥籠〉の中だった。外を見るには、あの魔法の姿見が必要だったはず。

 私が姿見を探して見廻していることに気付いて、〈鳥籠〉の少女はもっと優しく微笑んだ。

「ごめんなさい。いま〈鳥籠〉は〈ランペル・シュルーペの漏斗とうと〉が作った転移回廊の中にあるの。あの姿見は使えないよ」


 回廊の中にいる時間が長すぎると気付いた。帝都のすぐ外までの跳躍なら、一瞬で終わるはず……そんな、私、書き換えを失敗したの?


「アイディアは良かったし、タイミング的にも間に合ったんだけどね」

 〈鳥籠〉の少女は苦笑いをして声を潜めた。

「沙夜はまだ習っていないみたいだけど……〈転輪てんぷ〉の距離記述に使う詩編には、書式と予約語が決まっているの」

 えっ? 私、〈転輪てんぷ〉の魔法陣に書かれていた詩編を確か――とっさに「外周運河の北へ十二メルトリーブ」って書き換えたはず。この位置なら刈り取りの終わった小麦畑しかないから、安全な場所として狙ったのだけど……

 〈鳥籠〉の少女は小さな黒板を取りだした。私が書き換えた〈転輪てんぷ〉魔法陣と、例によってうさぎさんのイラストが描かれていた。

「外周運河は帝都をぐるっと一周する大きさだから、を指定しないと、跳躍距離の算術エラーで弾かれちゃうよ」


 えっ……! こんこんとチョークで書き添えられる式を見て気付いた。


『外周運河の直径は、16メルトリーブ ……起点が曖昧なため跳躍誤差になります

 指示した跳躍距離は12メルトリーブ


 誤差 > 跳躍有効距離 の場合、安全のため指示が無効化されます』


 うさぎさんのイラストから、そんな吹き出しを描いて説明された。こんな風に計算間違いを指摘されると、あんまり嫌な感じはしなかったけど。


 〈鳥籠〉の少女は、にっこり笑った。

「沙夜が考えたことは大丈夫、合っているよ。あのね、外周運河には距離標識があるでしょ? それを起点にすればいいと思うよ。それと、魔法陣が判断できるように、所定の予約語を使って相対座標指示だよって書いてね」

 ため息。私、法印皇女になるため頑張って勉強したのに、まだ、習っていないことがいっぱいあるんだ。


 〈鳥籠〉の少女は、私にお勉強を教えることが凄く楽しそうだった。「あのね……」っと弾んだ声が付け加えた。  

「他にね、何かの目印から〈方向〉と〈距離〉で飛び先を表す方法の他に、世界測地系座標を使えば緯度と経度で指示することもできるの。あと、よく使う場所は予め予約語でラベルが付いているから、その方がきっと便利だよ」

 しょげていたから髪を撫でられた。


 それから、〈鳥籠〉の少女は、微かに考える仕草をして視線を空に向けた。〈鳥籠〉の上には明るい日差しと青空が広がっていた。この〈鳥籠〉のある空間は、私の心の中、夢の中なのだけど……

「〈ランペル・シュルーペの漏斗とうと〉を沙夜に使うアイディアは、なかなかのものね。考えたのは、メイヨールかしら?」

 それは、かつて貴姫艦隊の参謀だった魔道師の名だった。これも絵物語で読んでいた。朝顔の華に喩えられる〈貴姫艦隊〉の中で、黒い花弁と呼ばれる最古参の古老が、貴姫様の知恵袋だった。醜悪な見た目の老魔道師は、いかにも邪悪な漆黒妖魔のそれだけど、貴姫様はどんなに怪奇な姿をした妖魔にも分け隔てなく接したと伝えられていた。

 とりわけ魔道師メイヨール様は懐刀のように重用されていたらしいの。


 でも、なぜ……?


 大古の魔道師と私の名前とが、一緒に話題になることに疑問を感じて、首をかしげたら、少女はにっこりと笑った。

「ここは、虚数星魔法〈メートレイアの鳥籠〉の中なの。時間も空間も心さえも跳躍する特別な魔法で匿われた秘密の隠れ家ね。絶対に外部からの干渉を受け付けない結界の中だけど……」

 私は驚いて口元を覆った。

 そんなとんでもない物が私の夢の中にずっと存在していたなんて。

「えっと、沙夜はまだ学校で習ってないかなあ? 星魔法の演算透過性って」

 首を振った。法印皇女になるための詰め込み勉強にも、そんなの出てこなかった。


 〈鳥籠〉の少女は、ちょっと残念そうな顔をした。それでも、話し相手が欲しいみたいに、続けた。

「〈鳥籠〉には直接に手出しできないから、沙夜ごと時空跳躍の魔法陣の中に入れて干渉するなんて、面白いアイディアだと思わない?」

 星魔法で編まれた〈鳥籠〉には、演算透過性っていう反則的なまでに無敵の耐性があるの。つまり、星魔法符を含む魔法方程式は、他の周転円や項を追記しても、改ざんしたり書き換えることができない。なぜなら、星魔法の符形を含む魔法陣の解は、っていう演算透過性法則があるから。何をどうやっても、改変や干渉は破棄されて、絶対に答えが星魔法になってしまう。


 だから、私ごと時空間に関わる月魔法の中に飛ばして、私の心を経由して〈鳥籠〉に干渉しようとしたらしいの。〈鳥籠〉の少女がいうには、〈鳥籠〉の宿り主である私の心には、星魔法で形作られた〈鳥籠〉の鍵が宿されているから。

 唯一、私の心だけが〈鳥籠〉の鍵を開け閉めできるし、〈鳥籠〉を囲む心の広さを決めることができるって。


 えっとね、このとおりならば……魔道師メイヨール様が、黒幕ってことになる。絵物語で読んだり挿絵を見ただけの相手だけど、凄く怖そうなおじいさんだと思っていた。貴姫様の知恵袋――それも、策略に属する怖い部分を専門に担っていたらしい。


 漆黒の貴姫様を守るためなら、どんな残酷なこともするって、言い伝えられていた。天空艦隊では、最高に手強い敵と評価されていた。叶うことなら、まるで敵わないと予想される強敵は避けて通りたいというのが、天空軍としても偽らざる本音だった。


 絵物語や歌劇では、魔道師メイヨール様は、いつも黒い鳥を伴って舞台に現れるの。衣装は漆黒色をしたマント姿と決まっていた。台詞もお約束のとおり。脆弱なニンゲンどもを嘲笑って高笑い。演技もそれっぽくて、杖を一振りするだけで、天空騎士たちがバタバタと倒れるとかね……

 そんな感じだったから、私の中の大魔道師メイヨール様に対する最初のイメージは、「恐怖」の二文字だった。


「ううん。そんなことないよ。メイヨは一番に一生懸命に考えてくれるだけだよ。ほら、おかげで〈鳥籠〉に魔力が届いたから、こんなにも私と沙夜がおしゃべりできたでしょ」

 確かにそのとおりだった。今までは夢の中に過ぎない〈鳥籠〉の中では、私は満足に会話もできないし、〈鳥籠〉の少女の顔もあんまり見ることができなかった。時空を跳躍する性質を秘めた〈鳥籠〉に対して、同じく時空を転移する〈漏斗〉の魔力を、宿り主の私の心を経由して注ぎ入れるってアイディアは確かに、よく考えられていると思う。


 眠っていた間に、私の心と夢は、月属性の〈漏斗〉の魔力を、星属性に変換する経路にされていたらしいの。そんな細工が巨大な〈ランペル・シュルーペの漏斗とうと〉に仕込まれていたなんて気付かなかった。


 でも、天空騎士の誰もが恐れる太古の大魔道師から狙われたっていう事実を受け入れるのは、恐怖に過ぎた。相手は本物のバケモノなの。それも、かなり残酷大好きなタイプらしいし。 


 そんな私の不安も素知らぬ顔で〈鳥籠〉の少女が背伸びをした。

「う~ん、ここは、暖かくて広々としていて、いい匂いがして美味しい食べ物がいっぱいあって……凄く、幸せだよ」


 この頃、私、ひとつだけ、大きな誤解をしていた。

 漆黒の魔道師メイヨール様なんて凄い方の名前を聞いてしまったから、一連の事件のシナリオを書いたのは、この人って思い込んでしまった。

 でもね、二年後の今ならわかる。

 魔法機環と法印魔法にまつわる全ての出来事は、六百年も時間をかけた壮大なシミュレーションだったの。


 それから、〈鳥籠〉の少女は黒板を仕舞うと、今度は、よいしょっと……見たこともないほどに高精細な蛍砂表示管を空中に出現させた。

「驚かせちゃったら、ごめんなさい。あのね、〈鳥籠〉の現在位置は、もう沙夜が狙った場所を飛び越して、アゼリア直轄領の外にあるの。このまま飛んで行くと、最後には帝国版図のずっと向こう、北極圏まで行っちゃうんだけど……」

 蛍砂で描かれた地図、その繊細さに驚いた。そして、〈ランペル・シュルーペの漏斗とうと〉を表す絵が、ぎゅう~んと伸びてとんでもない遠くに向かっていた。そこは未知の領域だった。

 私たちの世界がどれだけの大きさなのか、実は天空帝国でもはっきりわかっていないの。すごく大きいくらいしか……

 つまり、天空第七艦隊が担当する帝国外縁部のさらに外側、北極圏なんて、誰も見たことも行ったこともない。計算上の仮説だけしかない場所だった。

「うそ……」

 唖然となった。そんなところに飛んじゃったら、帰れない!

「だいじょうぶ、大丈夫だから……」

〈鳥籠〉の少女は慌てて、取り繕った。地図に別の漏斗とうと魔法が書き加えられた。

「帝国外縁部にね、大昔の時空転移門の跡がありますから、ここで、この過去の漏斗とうと魔法の残響を使って中断を掛けますから……」

 そんな難しいこと、できるの? ますます不安になった。跳躍魔法を途中で中断なんて、できないことの代名詞だと思っていた。だって時空転移魔法は、世界の構造に干渉する性質からも厳重な保護魔法に守られているはず。


 それなのに……

 〈鳥籠〉の少女は、ひょいひょいと何気ない様子で、化け物みたいに複雑怪奇な魔法符形の連立方程式を解き始めたの。蛍砂表示管に、現在と過去のふたつ分の時空転移漏斗とうと魔法陣を書き出して、さらに、それらをくっつけて、演算を始めた。

「あの……これ、解けないと思います」

 ざっと、ふたつの時空転移魔法の連立方程式を眺めて、私は思ったとおりに口にした。少なくとも、私の理解力では、解けないとしか思えなかった。

「良く分かったね。凄いね、沙夜……」

 〈鳥籠〉の少女の声はとても嬉しそう。

「でもね……それぞれの魔法陣が呼び出している下位魔法符形ライブラリには共通項があるから、それを使います」


 えっ……?


 平気な顔でいうから、〈鳥籠〉の少女が何を口にしたのか、すぐには意味が理解できなかった。えっと、専門的なお話になっちゃうから、ざっとで流すけど……〈ランペル・シュルーペの漏斗とうと〉みたいに巨大な魔法陣の場合、魔法符形を通じて、別の魔法を間接的に参照している記述がいっぱい含まれているの。

 〈鳥籠〉の少女は、その参照先の魔法陣を書き換えるっていったの。

 有り得ないと思った。

 だって、そんなことできるのは、〈ランペル・シュルーペの漏斗とうと〉を含む複数の魔法に渡る管理者権限が必要で…… そこまで行くと、魔法を行使する術者じゃなくって、もっと上位の存在――魔法を創造するレベルの存在になってしまう。

 それも、転移魔法なんて時計機械みたいに精巧な技巧を凝らした巨大魔法陣を即興で基礎から作り換えるなんて…… 世界創造の女神様か、その魔法式を解いてしまった漆黒の貴姫様でもない限り絶対に無理だと……


「ね、焼きたてのクロックムッシュがあるの。沙夜、お腹空いてない?」

 ハスキーな声色が涼しげに微笑して、美味しそうな匂いのするお皿を差し出した。私はきっと驚きで氷みたいに固まっていたと思う。


 だって、こんなに可愛らしい声で、楽しげに笑う美少女なのに……っ!




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