#027 転移魔法陣、風の転輪を探して

 

 そのとき――

 機械獣魔きかいじゅうまの腰部から、小型の魔法機環まほうきかんが転がり落ちた。おそらくは防御魔法を展開する役目を担う補助的な魔法機環まほうきかんが、ガストーリュによる斬撃に耐えきれずに脱落したのだろう。

 駆け寄りたい気持ちを抑えた。補機も魔法機環まほうきかんだから、法印したいと思った。けれど、いまは我慢した。私がうっかり近づくと、ガストーリュは戦いに専念できない。私を護ることを優先してしまうから、自由に動けなくなる。


 だけど……ガストーリュが激しく機械獣魔きかいじゅうまに斬り付けるたびに、機械獣魔きかいじゅうまもいっそう頑強に抵抗した。棘の生えた尾を振り回し、蹴爪までも逆立てて暴れた。ガストーリュは、つむじ風の如く舞うように、巨大な氷の円月刀を振るっていた。


 そして、小型の魔法機環まほうきかん機械獣魔きかいじゅうまが踏みつけた。転がった先が悪かった。そこは真銀特殊鋼製の蹴爪けづめが地面をえぐっていた。きっと故意こいではなく、激しいせめぎ合いの中で起きた出来事。小型の魔法機環まほうきかんを、機械獣魔きかいじゅうま蹴爪けづめが踏みつけた。


 真銀製の精密機械が壊れる嫌な音色が弾けた。


「やめなさいっ! それには……!」

 とっさに声が叫んでいた。私の声だけど、私の言葉じゃなかった。〈鳥籠〉の中の少女が声をあげていたの。その言葉の意味は、後で知ることになるけど。


 機械獣魔きかいじゅうまは、〈鳥籠〉の中の少女の声が聞こえたに違いない。突然、静止した。

 機械獣魔きかいじゅうまの視線が私を見詰めていた。ううん、正確には――私の夢の中にいる〈鳥籠〉の少女を見詰めていた。


 そして、きっと、確信したのだろう。

 〈鳥籠〉の少女が誰なのかを……


 その次に起きた出来事は、私だけじゃなくて、教導騎士団きょうどうきしだん直轄領守護艦隊ちょっかつりょうしゅごかんたいの誰もが予想もしていないことだった。


 ――再び、漆黒色の魔法機械獣魔まほうきかいじゅうまが複雑怪奇な呪符を展開し始めた。


 それは、私や天空艦隊の騎士たちの想定を大きく超えた高位魔法だった。

 まさか、そんな超高位魔法を今まで使わずに温存していたなんて、考えもしなかったの。



◇  ◇



♯星歴682年 10月 17日 午前7時10分

  アゼリア市北区上空 天空揚陸艦パレイベル艦橋


 東の空、細くたなびく紫色の雲間から、朝日が眩しく差し込んできた。

 夜が明けた瞬間だった。

 

 パレイベルを含む直轄領守護艦隊ちょっかつりょうしゅごかんたいの天空船は、突如出現した巨大円環魔法陣を回避しようと舵を切った。天空艦隊は、直径五百セタリーブもある円環陣が何なのか、知っていた。


 船橋に警報音が鳴り響いた。ソニス法符師は、うるさい警報音に負けないように声を張りあげた。

「飛竜も、魔法機械騎士まほうきかいきしも、何もかも、全部、後退させてください! これは、虚数月魔法〈ランペル・シュルーペの漏斗とうと〉です。飛ばされちゃいますっ!」

 銀雪聖堂の東庭園に、複雑怪奇な魔法符形によって編まれた、巨大な円筒形の時空転移魔法陣が出現していた。




♯星歴682年 10月 17日 午前7時15分

  アゼリア市北区雪銀聖堂 東庭園


 なに、これ……


 夜明け前の薄紫が朝日に払われて、鮮やかな青が東の空から天頂へと広がり始めていた。その新鮮な蒼穹の真ん中で、複雑怪奇な円環魔法陣が絡み合いながら、狂った時計機械のように回転していた。

 

 私も一応、艦隊史の授業で時空転移門や転移魔法について学んでいた。歴史の授業で習って知っていたから……私たちが信じられない類いの巨大円環魔法陣の内側にいることに気付いた。そして慄然とした。


 私たちの世界は、六百年前までは七つもの時空転移門を持つ異世界連合軍の拠点だったの。漆黒妖魔の脅威に対抗するために、異世界から選りすぐりの騎士や天空艦船を掻き集めて、連合艦隊を作っていたの。

 真紅艦隊しんくかんたいと呼ばれるその艦隊は、いまじゃあ絵物語の中だけにしか存在しない。

 けれどね、忘れ去られたわけじゃない。真紅艦隊しんくかんたいの天空船は、巨大な円環魔法陣の中を通り抜けて、妖魔の侵攻に晒された異世界の都市を救援するために、何度も時空を超えた。その記憶は、昔話に姿を変えて、いまも私たち天空艦隊にも受け継がれていた。


 だから、天空艦隊はパニックに陥った。

 六百年前、天空海戦時代の昔、この世界は漆黒の貴姫様との戦いの中で、全ての時空転移門を失った。だから、もう、私たち世界は異世界への扉をひとつも持っていない。

 だけど……

 妖魔側は、この巨大な機械獣魔きかいじゅうまを退却させるために、時空転移門を使ったの。もちろん、異世界へは絶対に届かない。壊された時空転移門は戻せない。

 それでも、この世界の内に限るならば、遠く離れた場所へ瞬時に移動することができる。世界守護結界の影響下にある帝都アゼリア市の真ん中から、巨大な機械獣魔きかいじゅうまを脱出させることは難しかったはずなの。それをこんな方法で行うなんて。


 だって、直轄領守護艦隊ちょっかつりょうしゅごかんたいも、教導騎士団きょうどうきしだんもいる。帝都のすぐ西にあるレアトゥール関門は厳重に封鎖されていた。さらに、その向こうには、お父様の率いる天空第四艦隊群、さらにお母様の法印皇女船こういんこうじょせんレアルティアがいた。これだけ全部を出し抜かないと、この機械獣魔きかいじゅうまは帝国版図の外へ逃げられない。

 もちろん、銀雪聖堂の庭にいるってことは、世界守護結界に邪魔されるから使える呪符も限定される。

 勝てなくて負けてしまうことはあっても、逃げられる可能性はないと思っていた。


 なのに……

 まさか、帝都の真ん中で転移魔法の扉が開くなんて、ありえない。

 ふいに気付いた。

 先ほど〈鳥籠〉の中の少女が、あっちこっちに燭光信号で出した指示には、空へ向かって世界守護結界を開くように司祭様へ求めた内容が含まれていた。


「沙夜様っ!」

 天空揚陸艦パレイベルが発した警報が、ユカが携えた通信布にも浮かび上がった。

 

 ――時空転移魔法に巻き込まれる危険あり。至急、全展開部隊は後退せよ。


 紅く浮かぶ文字が明滅を繰り返して、異常事態がもたらす危険を知らせていた。

 もう、驚いている場合でもないし、考えている時間もない。

 黒髪を翻して振り返った。

「ガストーリュ、戻って下さいっ!」

 声を限りに叫んだ。

 ガストーリュは応えなかった。激しく暴れる機械獣魔きかいじゅうまと深く斬り結びすぎていた。私がとどめを命じた。だから、ガストーリュは機械獣魔きかいじゅうまを終わらせるために、間合いがゼロになるまでに深く攻めていた。転移魔法が形成されつつあるいまも、機械獣魔きかいじゅうまと激しく打ち合っていた。もう、簡単には後ろへ下がれない。


「剣を捨ててっ! ガストーリュ、戻ってっ!」

 円月刀は、長剣と違って間合いが少ない。鋼鉄の長剣と異なり間合いを確保したまま、打ち込むことが出来ない。音よりも早く斬撃を浴びせるために、円弧を描くように斬り付ける――そんな刃を持つ刀剣だった。だから、機械獣魔きかいじゅうまとの間には距離がない。もちろん、簡単に背中を向けてしまえる相手ではない。

 機械獣魔きかいじゅうまの豪腕が届く間合いの中にいる以上は、一瞬の隙が大変な事態に繋がる。それにガストーリュに与えた、とどめを刺す命令はまだ生きていた。ガストーリュは、もの凄く一途な機械騎士きかいきしなの。


 必死にガストーリュに呼びかけ続ける私とユカだけが、転移魔法を形作る巨大な円環陣の中に取り残されていた。


 ユカを振り返った。一瞬、ユカを巻き込んでしまうことに躊躇した。だけど、ユカが私の想いを察してうなずいてくれた。

 もう、方法はひとつしか残されていなかった。

 ユカが駆る飛竜に跨がり、再び、空を目指した。


 素早く周囲を見廻して、複雑な時計機械さながらの転移魔法陣を確かめた。予め、〈鳥籠〉の少女が燭光信号を使って天空船や他の飛竜を、この場所から離していた。まるで、この事態が予定されていたかのように、天空船や飛竜や教導騎士団きょうどうきしだん魔法機械騎士まほうきかいきしたちが再配置されていた。私たちを除く全員が、安全な距離まで退避した位置に、すでに移動していたの。そのおかげね。こんな恐慌状態にあっても、逃げ遅れた者もいないし、空中衝突を起こした天空船もなかった。

 逆に言うと、転移魔法陣の中に取り残された私たちを救出可能な位置には、誰もいなかった。


 そう。もう、転移魔法〈ランペル・シュルーペの漏斗とうと〉の中には誰も残っていない。天空揚陸艦パレイベルさえも東区上空で待機させられていた。視界を遮る天空船はいない。だから、真ん中から見渡せば、時計機械の中に迷い込んだみたいに、複雑な巨大魔法陣が空を覆う有様の全部を見通せた。


 ユカを巻き込んじゃった以上、失敗は許されない。必死で〈ランペル・シュルーペの漏斗とうと〉の魔法式を解いた。暗算じゃ無理だから、メモ用紙を引っ張り出して、ユカにも手伝ってもらって、魔法陣を記述する符形を書き写した。


 大急ぎで、転移距離を管理している周転円環魔法陣プラスミドを探したの。

「ユカ、このでっかい魔法陣のたぶん第二象限に――時計で言うと三時から六時の位置に跳躍転移の距離を管理している〈転輪てんぷ〉の魔法陣があるはずなの。それを探してっ!」

 ユカは片手で飛竜の手綱を操りながら、複雑に廻りながら輝く魔法陣を双眼鏡で読み上げてくれた。それを万年筆で殴り書きにして、大急ぎで解いた。

「違う。これじゃないっ! これ、転移後に空間を元に戻すための中和鍵か何か? だと思う」

「すみませんっ!」

「ごめん、次の魔法符形を読んで。お願いっ!」

 髪を掻き上げながら計算式を見直した。魔法符形のプログラムコードの繋がりから目的の〈転輪てんぷ〉魔法陣の在りかに目星を付けられるかも知れないと思った。

 どこ? 風魔法で確か、時計機械になぞらえて〈風の転輪てんぷ〉っていう名前の小さな魔法陣があるはず。法印皇女になるための詰め込み学習の中に、確か、この歴史的な魔法陣の式も出て来たはず。私、もっと、一生懸命に勉強しておくんだった。


 えっと……確か……


 遠く近く久遠くおん指呼しこと波紋と遠雷と月の音色と地鳴りと風の匂いと…… って回文かいぶんか謎々みたいな呪文を詠唱しているはず。

 これを書き換えてしまえば、遠くには飛ばされない。

 上手く帝都のすぐ外に飛ばしてしまえば、むしろ、好都合なくらい。まだ、何とかなる。何とかしてみせる。


 こういう大規模で巨大な魔法の場合、周転円環魔法陣プラスミドを次々と連携させて魔法を編み上げていく仕組みなの。

 ちょうど時計機械の歯車と同じね。時計機械の場合は、香箱車こうばこぐるまの中にあるゼンマイの力を、〈転輪てんぷ〉と脱進機で調節ながら、たくさんの歯車に順番に伝えて針を廻しているよね。

 跳躍転移魔法〈ランペル・シュルーペの漏斗とうと〉も同じなの。どこへ飛ぶのか、その方位と距離を管理する符形が記述された魔法陣がどこかにある。

「あと、二つくらい隣の周転円を読み上げてっ!」

 魔法力の流れを計算して、見当を付けた。だけど、もう時間がない。気持ちばっかり焦った。 

 

 そのとき、ユカの声色が変わった。そう、見つけてくれたの。

「沙夜様っ!」

 ユカが指し示した先に、小さな銀色の周転円環魔法陣プラスミドが廻っていた。万年筆で走り書きした魔法符形を解いた結果は、間違いなかった。遠くへ近くへと、距離を表す詩文を謡いながら振幅を繰り返す〈転輪てんぷ〉魔法陣だった。魔法陣の中に記述されている言葉の列から、「久遠くおん」や「彼方」や「虹の足」みたいな遠いイメージの言葉だけを書き換えてしまえば……

 

「ユカ、お願いっ!」

 私の声よりも早く、ユカは飛竜をその周転円環魔法陣プラスミドへ向けて駆っていた。だけど、巨大な円環魔法陣の真ん中を飛んでいる私たちに向けて、全周囲から一斉に魔法音韻の洪水が押し寄せてきた。

 そう、転移魔法〈ランペル・シュルーペの漏斗とうと〉の扉が開いた。

 ぎりぎりで風の〈転輪てんぷ〉に、私の魔法力が届いた気がした。 

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