#029 星魔法の〈鳥籠〉に棲む少女-2


「あ、あの……」

 驚きで声が出なかった。

 私は、気付いてしまった、この清楚で優しい〈鳥籠〉の少女が誰なのかに。


 私のおうち、メートレイア伯爵家にはとても迷惑なお伽噺があるの。あの漆黒の貴姫様は、私たちメートレイア伯爵家にゆかりの者の夢の中に棲んでいるって!


 そして、漆黒の貴姫様の厄介な得意技のひとつは――女神様がお作りになった神聖な魔法を勝手に書き換えてしまうこと。どんなに厳重に鍵魔法が掛かっていても、漆黒の貴姫様は解いてしまう。高々度魔法技術の分野に関しては、漆黒の貴姫様は、女神様の神秘を旺盛な好奇心で浸食する本物の化け物だった。


 かつて、歴史書にいうフェリム期の大災厄は、〈朱環しゅかん〉という名の特別な時空転移門の鍵を、貴姫様に破られてしまった時から始まった。おびただしい数の妖魔の軍船に侵入されて、この世界は漆黒妖魔に支配されそうになった。

 そして、いまも、多数の妖魔の魔法機械たちが世界中に眠っていて……その中心核である魔法機環まほうきかんに法印を施すことが、私の役目だった。

 すべては、この世界の中心にあった時空転移門の閂を、絶対に解けないはずの魔法鍵を、漆黒の貴姫様に壊された時に始まったの。


「上手に焼けたと思うんだけど……」

 私が手を伸ばさないから、〈鳥籠〉の少女の声が自信なさげにトーンダウンした。

「ご、ごめんなさい。頂きます」

 反射的にそう答えてしまった。次々と思い浮かぶ疑念は棚上げした。焼きたてパンの香りと、少女の声色に負けてしまった。

 きつね色を少々通り過ぎて焦げ目が付いてたけど、お腹が空いてたから美味しかった。

「沙夜はまだ子供だから、牛乳、多めね」

 コーヒーの牛乳割りも頂いた。コーヒーよりも牛乳の方が多い気がした。


 私がクロックムッシュをかじっている間に、〈鳥籠〉の少女は複雑な魔法符形プログラムを即興で書き換えた。とんとんとんとんと、蛍砂表示管に浮かぶ複雑な魔法符形の記述を指で叩いて、あっという間に確認まで終えた。

 それから私へ向き直った。

「ユカさんも、ガストーリュも無事です。漏斗とうと魔法から出たら、そんなに離れていない位置にいるはず。心配しないで……」


 〈鳥籠〉の少女が静かに深呼吸した。

 数瞬の逡巡……

 小さく何か呪文みたいな言葉をつぶやいた。

 一瞬で、〈鳥籠〉の少女がまとう衣装が一変した。


「本当にごめんなさいね、沙夜……」

 息をのむほどに美しい藍色のドレスを少女はまとっていた。大きく広げたスカートの裾は桔梗咲きの朝顔のように、鮮やかだった。その少女が、私に深く頭を下げて詫びた。


 もう、間違いなかった。

 この少女の姿を絵物語で読んだことがあった。

 そう、それは――フェリム第四期に世界の全てを相手に戦い抜いた漆黒軍第二艦隊群、通称〈貴姫艦隊〉を率いた少女の姿だった。武官ではなく、指揮担当技巧官という特異な肩書きを持つ少女は、艦隊を率いて戦う場面に際しては軍服や騎士服ではなく、桔梗咲ききょぅざきの朝顔を模したドレス姿だったと絵物語は伝えていた。

「やっぱり、漆黒の……貴姫様?」

 少女はうなずいた。

「ミアフェスティカ・フェスタ・メートレイアと申します。みんなは〈漆黒の貴姫〉って呼んでくれるけど……そうね、ミアって呼んでください」

 驚いて首を振った。さすがに呼び捨ては恐れ多いよ。

 私のそんな様子に貴姫様はふんわりと微笑した。

「本当に、いっぱいご迷惑をかけてしまって、ごめんなさい。だけど……頑張って欲しいの」

 すっと抱き竦められた。黒髪も暖かくていい匂いがした。

機械獣魔きかいじゅうま〈ファランガルト〉も、私たちと同じ転移回廊の中にいます。帝都外縁部で跳躍を中断したら、この機械獣魔きかいじゅうまも近くに跳躍解除しています」

 全身が強ばったのが分かる。一緒に転移魔法で飛んだのだから、傍にいるのは当然だけど……あの機械獣魔きかいじゅうまの名前、〈ファランガルト〉っていうんだ。

「あなたの魔法ならできます。機械獣魔きかいじゅうま〈ファランガルト〉を倒して、それに宿された魔法機環まほうきかんを法印してください」

 甘酸っぱい声がゆっくりと私に言い含めるように、言葉を紡いだ。


 それから、再び蛍砂表示管が空中に出現した。目を丸くした。わたしの隠している切り札、あまりにも威力がありすぎて使えない攻撃魔法――その魔法陣が、貴姫様が手にした蛍砂表示管に浮かび上がった。

「沙夜の魔法、凄いよ。でも、少し無理をしすぎているよ……」

 そう優しく苦笑い。

「この名前のない火水風土光闇の六種混合魔法は、あなたの全魔法力を使い切ってしまう。体にも悪いし、たぶん、気絶してしまう。だから……」

 貴姫様は、この魔法を構成する周転円環魔法陣プラスミドのうち、火魔法の熱共振符を〈休止〉に変更した。それから他の周転円環魔法陣プラスミドを少しつづ書き換えて、バランス調整をした。

「これで何とか……かな? 水風土光闇の五種混合魔法〈沙夜の冷雷鉄槌〉のできあがり」


 ぱんっと貴姫様が柏手を打った。蛍砂表示管に波紋が広がり、次の瞬間、ぱっと光の砂になって砕けた。そして――私の手に、凄く綺麗な魔法符札が残っていた。

「これなら、法印魔法の一回分くらいは魔法力を残せるはず。負荷は相変わらずきつめだけど体を壊すほどじゃないわ」

 呆然として、あまりに精巧で美しい魔法符札を見詰めていた。

「魔法はちゃんと名前を付けて使ってあげて。威力は……もともとの五分の一しかないけど、それでも充分すぎるほどに強力だから……」

 本当に美しいものをみると、人は心を奪われてしまうらしい。私はその時、漆黒の貴姫様が次々と繰り出す魔法技術の精巧さと美しさに、魅入られてしまった。

 馬鹿力で殴り倒して、力の限りに焼き払うだけの粗暴な私の魔法が、びっくりするほどに精巧な芸術品のように作り換えられていたの。

 でもね、後で美しい魔法符札に宿された〈沙夜の冷雷鉄槌〉の魔法陣を確認して、唖然とすることになるけど。


「沙夜……」

 再び、抱擁された。もっと、ぎゅっと愛おしげに、柔らかい朝顔色に染められた絹に包まれた。不思議な感じがした。この時は気付かなかったけど、貴姫様のドレスには不思議な匂いのするお香が焚きしめてあった。

「あなたのことは大切に育てたいと思うよ――新しい朝顔の種になってくれたら、いいなって思うから」

 貴姫様は少し気恥ずかしそうに笑ってから、「もちろん、花を咲かせるか? 蕾のままでいるのか? ちゃんと沙夜と相談して決めるから心配しないでね」と付け加えた。


 凄く優しい声だった。

 私のこと、本当に気遣ってくれていると――それは間違いないと、信じられた。

 でも……作ってもらったばかりの美しい魔法符札を手にしたまま、私は不安に震えていたの。


 だって、私は――漆黒の貴姫様に新しく魔法を作ってもらうほどの存在じゃない。

 こんなに大切にされる理由がない。

 そう、いま、身にまとっている法印皇女の衣装だって、私みたいなダメな子には不釣り合いだった。

 ユカやガストーリュだって、こんな私のために尽くしてくれるのは、本当は間違っているとさえ思えた。


 ――私が、今、こうしているのは……全部、誰かの代わりなの。


 すっと貴姫様が〈鳥籠〉の天井の向こう、不思議な青い空を見あげた。

「もうすぐ、着きます。夢の中の〈鳥籠〉にいる私にできることは、ここまでです。沙夜、無理をしすぎないように、頑張って……」


 自然と胸元に仕舞っていた懐中時計に、法印皇女の衣装の上から触れていた。不安になった時のおまじないみたいなもの。お守り代わりに身に着けているけど、怖いと感じてしまうとき、懐中時計がちゃんと胸元にあるか確かめてしまうの。


 だから、我慢できなかった。優しい声を遮ってしまった。

「あの……」

 泣きたくなって、絶対、誰にもいわないって決めていたことが、言葉になってこぼれてしまった。


「私が、思い出せない人、鍵を掛けられた記憶の中にいる人は……誰ですか?」


 それは、知りたいと心の奥底で思っても、それを悟られないように気をつけていた気持ちだった。だって、法王様までもが私に気遣わしげに優しい声でお詫びの言葉をくれるんだもの。知りたいなんて、言えなかった。

 でも、相手が私の夢に溶けている貴姫様ならばと――思わず言葉にしてしまったの。だって、貴姫様までもが、ごめんなさいっていうんだもの。耐えられなかったの。それに、夢の中なら、しゃべってもいいと思えたから。


 だけど……びっくりしたように、口元を覆って、貴姫様の水色の瞳がじっと、私を見ていた。

 迷うような思案を巡らせた表情の後に、飛べないひな鳥を両手に包むみたいに、もっと優しい声になった。

「ごめんなさい。沙夜の記憶が封印されていることは知っているよ。実は魔法式も解いてあるし、解除の鍵もわかっているのだけど……」

 貴姫様は両手を合わせて私を拝む仕草をした。

「ごめんなさい。いまはそれを解けない。大人たちはあなたを大切に思うから記憶に鍵を掛けたの。だから、ごめんなさい」

 いまは解けない――その言葉に小首をかしげた。

 貴姫様は、私の気持ちに気付いてくれた。柔らかい言葉が続けた。

「昨日、ユカと出逢って、沙夜は初めて親友になってくれる子に出逢えたと思う。だからね、もう少し待って。沙夜が悲しみに溶けてしまわないくらいに、お友達が増えたら記憶の封印を解いてあげますね」


 それから、貴姫様はもう一度、ぎゅっと私を抱きしめた。こうしないと、私が消えてしまうかのように……強く。

 

「沙夜は誰かの代わりじゃない。初めて、私の想いを託せる子になれる、全ての条件を満たした〈朝顔の種〉だから……」

 涼しげににこにこ笑っている、いつもの声じゃなかった。驚いて見返した。きっと、わたし、まんまる眼で貴姫様を見あげていたと思う。

 夢で会うたびにいつも、貴姫様の甘酸っぱい声は微笑していた。悲しいことなんて、何も知らないみたいに……

「沙夜、あなたが溶けてしまうほどに泣いたあの夜から、星魔法〈メートレイアの鳥籠〉は、沙夜の夢の中にあるの」

 視界が揺らめき始めていた。もう、〈鳥籠〉の夢が終わろうとしていたの。

 薄れていく世界に負けないように、貴姫様が私を強く抱いた。

「沙夜が、こんなにも一生懸命に背伸びをしなきゃいけなくなった理由も……きっと、そう。私と〈鳥籠〉がメートレイアゆかりの人々の心に溶けるから、漆黒の呪詛に囚われた魔法機械たちが探し求めているから……沙夜はあの日、大切な人を失ったから……私が守れなかったから……」


 ……本当に、ごめんなさい。


 〈鳥籠〉の夢から目覚める寸前に聞いた貴姫様の声は、少しだけ泣いていた。


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