#011 教導騎士団講堂、懐中時計と心の中の鳥籠

 シライ閘門区こうもんくから本来のホルク閘門区こうもんくへ「アキアカネ」を戻してもらう操演そうえんは、クムク副騎士団長ふくきしだんちょうにやって頂いた。私の技量では、水深不足の運河に引っかかった状態から、無事に天空船を飛び立たせられる自信はなかった。大切な天空船だから、これ以上、傷を付けるわけにはいかなかったの。


 それから平謝り。

 本当は、「アキアカネ」を整備している技巧官ぎこうかんたちにも、ごめんなさいをしなければいけなかった。でも、従者たちがゴンドラで私を迎えに来た。

 そう、次がまだある。教導騎士団きょうどうきしだんの講堂で天空回廊かいろうに関する航行規則や法令の授業に出なきゃいけなかった。

 ごっつんした「アキアカネ」の様子が心配で、出来るならば修理を担当する技巧官ぎこうかんさんから、損傷具合を聞いてから、次に向かいたかったのに……


 懐中時計を胸元から引っ張り出した。もう、午後五時をすぎていた。ローズゴールドに飾られたムーンフェイズ付きの懐中時計を、ぎゅっと胸元に押し当てた。

 深呼吸をした。


 ……私、やっぱり、ダメダメだ。


 ……法印皇女様ほういんこうじょさまは、何でも完璧に出来て、もっと立派じゃないといけないのに……


 テンプ車が乾いた音色を刻んでいた。

 この微かに傷が残る懐中時計は、私にとって大切な人から譲り受けたものだった。


 あのね、

 本当は、

 メートレイア伯爵家はくしゃくけの総領姫として、法印皇女ほういんこうじょの役目を担うのは――私じゃなかったはずなの。


 この懐中時計だけを遺して、いなくなってしまった大切な人が、その役割を担うはずだった。

 そう、私なんかよりも遙かに優秀で立派な…… きっと、クムク副騎士団長ふくきしだんちょうと組んでも何の違和感がないくらいに素敵な…… 大切な人がいたはずなの。


 幼い頃にお別れした大切な人のことを、私は言葉にできなかった。だから、大切な人って、遠回しに呼んでいた。

 幼い頃の出来事だから、もう、思い出せない。

 それに…… あの頃、私があんまり激しく泣いていたから、魔法薬師にお願いしたらしくって、私の記憶の一部は封印されているらしいの。

 自分の頭の中のことなのに、覚えているのに出てこない――そんなの、中途半端でもどかしい。けれども、魔法を使って記憶に鍵をされている以上は、どんなにじれったくてもお手上げだった。


 だから、覚えているのに…… 言葉にできない大切な人が私にはいた。


 懐中時計を胸元に握ったまま、私が立ち尽くして動かなくなってしまったから、従者役の騎士たちは慌てた。

 クムク副騎士団長ふくきしだんちょうは、どうやら、私の幼い頃の事情をご存じの様子だった。気遣わしそうな視線を感じた。

「大丈夫ですよ。今日の操演そうえんを見て、あなたにも才能は確かにあると感じました。経験不足は……これから学んでゆきましょう」

 優しい方だと思った。

 わたしが、こんなチビで、ダメダメじゃなきゃいいのに…… 心の底からそう思った。



♯星歴682年10月15日

  アゼリア市中区大津通 教導騎士団きょうどうきしだん講堂


 後は、騎士たちにゴンドラに乗せられて、運河や細い水路をたどって、中区大津通にある教導騎士団きょうどうきしだんの講堂へ連れて行かれた。

 教習艦「アキアカネ」のことで時間を使いすぎたから、講堂に着いたときには、もう授業は始まっていた。


 席について、鉛筆を手に黒板を見上げた。その日の授業は、天空回廊かいろうでの航法規則と関係法令について。

 天空軍船ぐんせんだって、作戦行動中以外は商業船と同じで、天空回廊かいろう航法規則に従わなきゃいけない。アゼリア直轄領ちょっかつりょう内は、天空船が数多あまたく行き交う輻輳空域だから、天空回廊かいろう管制局が定めた細かい政令や運用規則があって、覚えるのが大変だった。


「はあ、天空船も自由には空を飛べないんですね……」

 ため息混じりに授業を受けていた。演習で負けて、「アキアカネ」をごっつんしたのを、まだ引き摺っていた。

 そんなときだった。


 誰かに呼びかけられたように感じた。周囲を見廻した。劇場みたいに半円形に黒板と演壇を囲む講堂には、張り詰めたような空気と黒板を書き写す鉛筆の音色だけが、ささやき合っていた。


 気のせい…… と黒板に向き直った瞬間に、気付いた。


 ――ガストーリュ?


 ガストーリュだった。あの夏の日に機械獣魔きかいじゅうまを相手に大暴れして以来、破損を押して無理を重ねた負荷から、ガストーリュはずっと眠り続けていた。


 散々な一日だったけど、最後に救われたように思った。私がピンチの時に白亜はくあの風となって駆け付けてくれるガストーリュは、私にとってずっと傍にて欲しいと願う存在だった。


 立派な法印皇女ほういんこうじょになるための教習の後、毎日のように夕方は魔法機械工廠まほうきかいこうしょうへ通い、ガストーリュに治癒魔法を掛けて、眠り続ける白亜の魔法機械騎士まほうきかいきしへ心の中で話しかけていた。


 季節が秋に変わる頃には、心の中でガストーリュとお話するのが日課になっていた。忙しくて魔法機械工廠まほうきかいこうしょうまで立ち寄れない時も、心の中だけでガストーリュとお話してたの。学校に、法印皇女ほういんこうじょの教習に、ラファル技巧官の機械の欠片探しのお手伝いにと、毎日忙しかったから、話したい話題には事欠かなかった。


 今日も、心の中でガストーリュに話しかけた。今日、教習艦「アキアカネ」で負けちゃったこととか、あろう事か、外周運河の深さを間違えて、ごっつんしちゃったこととか……


 だから、遠く港区の魔法機械工廠まほうきかいこうしょうにいるガストーリュから返事が聞こえてきても、不思議とは思わなかった。

 不思議な感覚だったけど、できてしまえば当たり前のように思えた。だって、ガストーリュは私付きの魔法機械騎士まほうきかいきしだもの。


 ね、そうでしょ。

 私が授業を受けていたのは、中区大津通にある教導騎士団きょうどうきしだん講堂で、ガストーリュがいるのは港区甲羅虫通こうらむしどおり魔法機械工廠まほうきかいこうしょう――直線距離で約九メルトリーブ離れていた。飛竜で飛んじゃえば十五分、馬車なら大津通を神領区じんりょうくまで大回りするから三十分少しって距離だった。

 すぐ、近くでしょ。

 だから、私とガストーリュの魔法音韻まほうおんいんが交わることのできる距離だから、心の中でお話しできたの。


 授業も終わりの時間が近づいた頃、講堂に従者役の騎士たちが現れた。予定よりも早く、まだ授業中なのに私を呼びに来たの。

「授業中のところ、申し訳ありませんが……」

 戸惑いがちな声が、黒板を書き写すのに大忙しだった私に話しかけてきた。騎士たちの顔色を見たら、もう理由はわかった。

「ガストーリュが目覚めたので、私を呼びに来たのですね?」

 尋ねると、騎士たちは相互に顔を見合わせて困惑の視線を交わし合った。

「大丈夫ですよ。だって、ガストーリュの魔韻まいんが届く範囲に、私はいますから……」

 微笑んで見せた。

 誰も騎乗していない魔法機械騎士まほうきかいきしが勝手に動き出すという事態は、技巧官ぎこうかんにも天空騎士たちにも、十分な恐怖だった。そもそも魔法機械まほうきかいが暴走しないように法印魔法ほういんまほうがかけられ、危険な機械を管理していたはずだった。


 ……あの夏の大立ち回りのどさくさに、私が全部、解いちゃったけどね。


 だから、騎士たちの当惑は当然だった。法印皇女ほういんこうじょのたまごに付き従う魔法機械騎士まほうきかいきしが、勝手に動き出すなんてあり得ない。魔法機械まほうきかい法印ほういんを施すのが、法印皇女ほういんこうじょの役目だもの。

 私付きの魔法機械騎士まほうきかいきしに、当然、法印ほういんがかかっているはずと、みんな思い込んでいたらしい。

 でもね、どんな魔法機械まほうきかいにも必ず法印ほういんで鍵をかけるって、何か変だなって……この頃、幼心に想い始めていた。


 だって、人も魔法機械まほうきかいもこの帝都では一緒に支え合って暮らしている。一方的に、人が上位で、魔法機械まほうきかいたちが法印ほういんに縛られた下僕って関係はおかしいと思うの。


 かつてこの世界は七つの時空転移門を持ち、様々な異世界との交易地として栄えていたらしい。様々の人種の人たちがこの世界を訪れて、帝都アゼリアでお買い物をしたり遊んだりしていた。もちろん、ここで時空転移門を乗り換えて、もっと違う異世界に旅立っていった。

 漆黒しっこく貴姫様きひめさまに時空転移門の閂を壊されるまで、この世界には様々な異世界と交わることで得られた、豊かな多様性があった。そう、歴史の教科書は教えてくれた。だけど、現在は……みんな漆黒しっこく妖魔ようまが遺した魔法機械まほうきかいを必要以上に恐れている気がしていた。


 それにね……

 私の名前だって、元々は異世界で作られた表意文字と、この世界で作り直された表音文字のごちゃ混ぜで作られていた。「沙夜さや」って砂の夜って意味らしい。お母様に尋ねたら、大きくなったら教えてあげるってごまかされた。

 法印皇女ほういんこうじょだったお母様と、第四艦隊群司令のお父様は、イル砂漠で一緒に組んで遺跡巡りをしていた頃に、お互いに引き合って結婚したって聞いてる。

 砂の夜って意味は、その頃にあった何かと関係しているはず……なんだけど……大人になったらわかることって、なに?


 えっと、話を戻すと、こんな風に魔法機械まほうきかいを生活のパートナーとして見ているのは、どっちかというと技巧官ぎこうかんたちの視点だと思う。騎士たちや武官の方々は、魔法機械まほうきかいを凶悪な敵と認識していた。


 だけど、現在の技術力では、六百年前の妖魔ようまが遺した強大な機械獣魔きかいじゅうまにとうてい敵わない。法印ほういんを施し管理下においた魔法機械まほうきかいを活用する以外に、妖魔ようまの機械に対抗するすべはなかった。

 だから、魔法機械まほうきかい法印ほういんの鎖でしっかり繋ぎ止めておく必要があると、天空騎士たちは思っていた。


 それなのに、私はあの夏の日に法印ほういんを全部解いてそのままにしていた。ガストーリュに法印魔法ほういんまほうをかけ直していなかった。ラファル技巧官ぎこうかんも黙認していたけど。

 いまは、ただ単純に、ガストーリュが目覚めてくれて嬉しかった。


 騎士たちは、主である私が不在であることが、魔法機械騎士まほうきかいきしがストーリュの暴走の原因と考えていたらしい。だから、私が魔法機械工廠まほうきかいこうしょうへ行きガストーリュに停止を命じることを求めた。

「大丈夫、ですよ」

 小首をかしげて笑って見せた。

 だけど……遠隔でもガストーリュに「みんなびっくりしているから、止まって」ってお願いすることぐらいは簡単にできた。


 ◇ ◇


 間もなく授業が終わり、私は従者役の騎士たちに引っ張られるように馬車に乗せられて、港区にある魔法機械工廠まほうきかいこうしょうへ連れて行かれた。


 魔法機械工廠まほうきかいこうしょうへ着いたときは、もう、夕闇ゆうやみの時間だった。馬車を降りると、息が白かった。ゴンドラだと寒くて風邪をひいていたかも知れない。寒がりな私をおもんばかって馬車を用意してくれた騎士たちの気遣いが嬉しかった。馬車の中は温かい毛布が用意されていたの。

 演習で大負けして、教習艦をぶつけて、しょげたから、気を遣わせてしまったみたい。


 魔法機械騎士整備棟まほうきかいきしせいびとうまで歩いて行くと、ラファル技巧官ぎこうかんが出迎えてくれた。

沙夜様さやさま、起動しました。凄いですよ。整備された状態での歩行動作のスムーズさには、驚かされました。他の魔法機械騎士まほうきかいきしとは平衡調律機の性能が段違いですよ……」

 相変わらずだった。ラファル技巧官ぎこうかんがここにいるから、ガストーリュが少々、しても大目に見てもらえると思っていたけど、やっぱり予想どおりだった。ラファル技巧官ぎこうかんは、精巧せいこうな機械が稼働する機能美を心の底から愛して止まない方なの。


 治癒魔法を仕込んだ石英管の林を抜けた先にガストーリュは、私を待っていた。

 待っていたといっても、少なくとも帝都内の範囲くらいの距離ならば、私とガストーリュの魔韻まいんが交わるから、お互いの位置は常に把握できたけどね。でも、どうせなら、間近で会って笑い合いたい。


 私が先ほど心の中でお願いしたから、ガストーリュは静かに整備棟の中央にしゃがんでいた。

 ガストーリュがなぜ、工廠こうしょうの中を歩き回っていたのか? その理由を私はもう知っていた。それを言葉にした。

「ガストーリュは、剣を探しています。発掘品の中に彼の剣はありませんか?」

 ガストーリュとおそろいで白亜色はくあいろをした真銀特殊鋼しんぎんとくしゅこうの大剣のはずと、ラファル技巧官ぎこうかんに伝えた。心が魔韻まいんで繋がっているから、私はガストーリュから剣のイメージを教えてもらっていた。イメージが見えるから、もしも私に画才があれば絵を描いたんだけど……ごめんね。私、学校の授業で絵の成績は残念な水準だった。仕方ないから、言葉にして一生懸命に伝えた。


 しかし、彼は首を振った。

「形式から見て、この魔法機械騎士まほうきかいきしに専用の剣が付属することは間違いありませんが、発掘記録の中には見当たりませんでした」

 ラファル技巧官ぎこうかんは再度、発掘記録を精査すると約束してくれた。でも、ここは魔法機械騎士整備棟まほうきかいきしせいびとうなんだもの。機械騎士きかいきし向けの巨大な長剣なら他にもある。そう、今なくても、借りればいい。

「あれを、お借りできませんか?」

 整備中だった他の魔法機械騎士まほうきかいきしの傍らに立てられていた鋼鉄製の長剣を指さした。持ち主の魔法機械騎士まほうきかいきしは分解整備中だから、借りても問題はなさそうだった。


 さすがに勝手に動き回るガストーリュに剣を与えることに従者役の騎士たちだけじゃなく、工廠こうしょう付きの技巧官ぎこうかんや学士の先生までも危険だと言い出した。けれど、ラファル技巧官ぎこうかんだけは心配ないと快諾してくれた。

 結局、工廠こうしょう技巧官ぎこうかんたちの間で激論が交わされた後、私が傍にいる間だけ……という条件付きで長剣を借り出せることになった。


 ……ガストーリュ、借り物の剣でごめんなさい。

 そう、心の中で話しかけた。

 危険だと反対する多くの技巧官ぎこうかんや騎士や学士の先生を相手に、ラファル技巧官ぎこうかんが孤軍奮戦していた間――私は、心の中でガストーリュに剣を求めた理由を尋ねていた。

 騎士なんだから、剣を持つのは当然だけど、「剣はどうしても必要?」と尋ねたの。だって、帝都の中にいる今、戦いに巻き込まれる心配はないはずだった。


 ガストーリュの答えは、意外なものだった。

 私は、形式張ったことは気にしないよって伝えたんだけど……ガストーリュは生真面目な騎士だから、それに応えることにしたの。


 やっと、鋼鉄製の長剣を借り出せた。

「動いて、いいよ」

 周りにいる技巧官ぎこうかんや騎士や学士の先生にも聞こえるように、指示を言葉にした。


 ガストーリュは、鋼鉄製の長剣を架台から引き抜き、感触を確かめるように数度、鋭く空を切った。


 もう、ガストーリュが何をしたいのかわかったから、ひとりだけで前に進み出て、ガストーリュを見上げた。

 自立行動する魔法機械騎士まほうきかいきしが、光のように鋭い剣捌けんさばきを見せた後では、さすがに誰もが気圧されてしまった。ラファル技巧官ぎこうかんは興奮気味だったけど、同僚に羽交い締めにされて安全な距離外に引っ張られていた。


 巨大な白亜はくあ魔法機械騎士まほうきかいきしが、巨大な鋼鉄の剣を真上へ振り上げた。私は、祈るように両手を胸元に合わせてうつむいた。

盟約めいやくを――」

 微かにつぶやいた。自然とそう、言葉が湧いてきた。私はきっと何かを覚えている。意識に昇ることのない、何かを。

 巨大な重機械の駆動音が唸った。振動。剣を振り下ろす風切り音と風と…… 鋼鉄が石張りの床を穿つ轟音ごうおん奔っはした。


 唇だけでつぶやくように唱えた。


 こいねがいます――いつ、いかなる時も我と共に在らんことを。


 ふいに、轟音ごうおんが消えた。


 見上げた。私の魔法機械騎士まほうきかいきしが、剣を床に突き立て片膝をついた姿で、私に向かい頭を垂れていた。

 これは、儀式だった。

 漆黒しっこく妖魔ようま、特に貴姫様きひめさまとの間に盟約めいやくを誓う際に、魔法機械騎士まほうきかいきしたちはこんな風にしていたらしい。


 ――不思議な感覚だった。

 私は、幼い頃に大切な誰かを亡くしたショックを抑えるために、魔法で記憶の一部に鍵をかけられていた。

 ガストーリュとのささやかな盟約の儀式は、私の心を閉じ込めた魔法の鳥籠を少しだけ揺らしたみたいだった。

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