#011 教導騎士団講堂、懐中時計と心の中の鳥籠
シライ
それから平謝り。
本当は、「アキアカネ」を整備している
そう、次がまだある。
ごっつんした「アキアカネ」の様子が心配で、出来るならば修理を担当する
懐中時計を胸元から引っ張り出した。もう、午後五時をすぎていた。ローズゴールドに飾られたムーンフェイズ付きの懐中時計を、ぎゅっと胸元に押し当てた。
深呼吸をした。
……私、やっぱり、ダメダメだ。
……
テンプ車が乾いた音色を刻んでいた。
この微かに傷が残る懐中時計は、私にとって大切な人から譲り受けたものだった。
あのね、
本当は、
メートレイア
この懐中時計だけを遺して、いなくなってしまった大切な人が、その役割を担うはずだった。
そう、私なんかよりも遙かに優秀で立派な…… きっと、クムク
幼い頃にお別れした大切な人のことを、私は言葉にできなかった。だから、大切な人って、遠回しに呼んでいた。
幼い頃の出来事だから、もう、思い出せない。
それに…… あの頃、私があんまり激しく泣いていたから、魔法薬師にお願いしたらしくって、私の記憶の一部は封印されているらしいの。
自分の頭の中のことなのに、覚えているのに出てこない――そんなの、中途半端でもどかしい。けれども、魔法を使って記憶に鍵をされている以上は、どんなにじれったくてもお手上げだった。
だから、覚えているのに…… 言葉にできない大切な人が私にはいた。
懐中時計を胸元に握ったまま、私が立ち尽くして動かなくなってしまったから、従者役の騎士たちは慌てた。
クムク
「大丈夫ですよ。今日の
優しい方だと思った。
わたしが、こんなチビで、ダメダメじゃなきゃいいのに…… 心の底からそう思った。
♯星歴682年10月15日
アゼリア市中区大津通
後は、騎士たちにゴンドラに乗せられて、運河や細い水路をたどって、中区大津通にある
教習艦「アキアカネ」のことで時間を使いすぎたから、講堂に着いたときには、もう授業は始まっていた。
席について、鉛筆を手に黒板を見上げた。その日の授業は、天空
天空
「はあ、天空船も自由には空を飛べないんですね……」
ため息混じりに授業を受けていた。演習で負けて、「アキアカネ」をごっつんしたのを、まだ引き摺っていた。
そんなときだった。
誰かに呼びかけられたように感じた。周囲を見廻した。劇場みたいに半円形に黒板と演壇を囲む講堂には、張り詰めたような空気と黒板を書き写す鉛筆の音色だけが、ささやき合っていた。
気のせい…… と黒板に向き直った瞬間に、気付いた。
――ガストーリュ?
ガストーリュだった。あの夏の日に
散々な一日だったけど、最後に救われたように思った。私がピンチの時に
立派な
季節が秋に変わる頃には、心の中でガストーリュとお話するのが日課になっていた。忙しくて
今日も、心の中でガストーリュに話しかけた。今日、教習艦「アキアカネ」で負けちゃったこととか、あろう事か、外周運河の深さを間違えて、ごっつんしちゃったこととか……
だから、遠く港区の
不思議な感覚だったけど、できてしまえば当たり前のように思えた。だって、ガストーリュは私付きの
ね、そうでしょ。
私が授業を受けていたのは、中区大津通にある
すぐ、近くでしょ。
だから、私とガストーリュの
授業も終わりの時間が近づいた頃、講堂に従者役の騎士たちが現れた。予定よりも早く、まだ授業中なのに私を呼びに来たの。
「授業中のところ、申し訳ありませんが……」
戸惑いがちな声が、黒板を書き写すのに大忙しだった私に話しかけてきた。騎士たちの顔色を見たら、もう理由はわかった。
「ガストーリュが目覚めたので、私を呼びに来たのですね?」
尋ねると、騎士たちは相互に顔を見合わせて困惑の視線を交わし合った。
「大丈夫ですよ。だって、ガストーリュの
微笑んで見せた。
誰も騎乗していない
……あの夏の大立ち回りのどさくさに、私が全部、解いちゃったけどね。
だから、騎士たちの当惑は当然だった。
私付きの
でもね、どんな
だって、人も
かつてこの世界は七つの時空転移門を持ち、様々な異世界との交易地として栄えていたらしい。様々の人種の人たちがこの世界を訪れて、帝都アゼリアでお買い物をしたり遊んだりしていた。もちろん、ここで時空転移門を乗り換えて、もっと違う異世界に旅立っていった。
それにね……
私の名前だって、元々は異世界で作られた表意文字と、この世界で作り直された表音文字のごちゃ混ぜで作られていた。「
砂の夜って意味は、その頃にあった何かと関係しているはず……なんだけど……大人になったらわかることって、なに?
えっと、話を戻すと、こんな風に
だけど、現在の技術力では、六百年前の
だから、
それなのに、私はあの夏の日に
いまは、ただ単純に、ガストーリュが目覚めてくれて嬉しかった。
騎士たちは、主である私が不在であることが、
「大丈夫、ですよ」
小首をかしげて笑って見せた。
だけど……遠隔でもガストーリュに「みんなびっくりしているから、止まって」ってお願いすることぐらいは簡単にできた。
◇ ◇
間もなく授業が終わり、私は従者役の騎士たちに引っ張られるように馬車に乗せられて、港区にある
演習で大負けして、教習艦をぶつけて、しょげたから、気を遣わせてしまったみたい。
「
相変わらずだった。ラファル
治癒魔法を仕込んだ石英管の林を抜けた先にガストーリュは、私を待っていた。
待っていたといっても、少なくとも帝都内の範囲くらいの距離ならば、私とガストーリュの
私が先ほど心の中でお願いしたから、ガストーリュは静かに整備棟の中央にしゃがんでいた。
ガストーリュがなぜ、
「ガストーリュは、剣を探しています。発掘品の中に彼の剣はありませんか?」
ガストーリュとおそろいで
しかし、彼は首を振った。
「形式から見て、この
ラファル
「あれを、お借りできませんか?」
整備中だった他の
さすがに勝手に動き回るガストーリュに剣を与えることに従者役の騎士たちだけじゃなく、
結局、
……ガストーリュ、借り物の剣でごめんなさい。
そう、心の中で話しかけた。
危険だと反対する多くの
騎士なんだから、剣を持つのは当然だけど、「剣はどうしても必要?」と尋ねたの。だって、帝都の中にいる今、戦いに巻き込まれる心配はないはずだった。
ガストーリュの答えは、意外なものだった。
私は、形式張ったことは気にしないよって伝えたんだけど……ガストーリュは生真面目な騎士だから、それに応えることにしたの。
やっと、鋼鉄製の長剣を借り出せた。
「動いて、いいよ」
周りにいる
ガストーリュは、鋼鉄製の長剣を架台から引き抜き、感触を確かめるように数度、鋭く空を切った。
もう、ガストーリュが何をしたいのかわかったから、ひとりだけで前に進み出て、ガストーリュを見上げた。
自立行動する
巨大な
「
微かにつぶやいた。自然とそう、言葉が湧いてきた。私はきっと何かを覚えている。意識に昇ることのない、何かを。
巨大な重機械の駆動音が唸った。振動。剣を振り下ろす風切り音と風と…… 鋼鉄が石張りの床を穿つ
唇だけでつぶやくように唱えた。
ふいに、
見上げた。私の
これは、儀式だった。
――不思議な感覚だった。
私は、幼い頃に大切な誰かを亡くしたショックを抑えるために、魔法で記憶の一部に鍵をかけられていた。
ガストーリュとのささやかな盟約の儀式は、私の心を閉じ込めた魔法の鳥籠を少しだけ揺らしたみたいだった。
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