法印皇女と侍女官と
#012 法王宮殿、法印皇女になって……
♯星歴682年 10月16日
アゼリア市中区
特別扱いされるのは嫌だった。
六時限目まで授業を受けて掃除当番も片付けた。今日もいつもどおりに過ごすつもりだった。
先週のうちに、
職員室へご挨拶に伺った。教頭先生からは励ましの言葉と同時に「誇らしいことなのに……」とひとこと、ぐさり。事情を
――私、その日、
繰り返しになるけど、私の家、メートレイア
普通の
でも、うちは全然違う。
役職は単純に帝国を
学校を出たら、そのまま駅まで走った。職員室で話し過ぎたせいで、時間がぎりぎりだった。
傘を学校に忘れてしまい、途中で雨に降られた。改札を抜けたと同時に、水上バスが桟橋に滑り込んで来た。いつもこんな感じにバスには、飛び乗ってばっかりだった。せめて、こんな儀式の前くらいは落ち着いて行きたかったと思う。
でもね、六百年も過去のこと。
神話や伝説って、本当の歴史なのかは微妙なのかも知れない。
そして、六百年も過ぎたから――
と言っても、絵物語に出てくるような格好いい大立ち回りなんて出番はないはずだった。だって、私、学校に通わなきゃいけないし、
ぼんやり船内暖房の温もりの中で座っていると、居眠りしそうなほどに幸せだった。アゼリア市の水上バスは、細い市街地の水路をゆらゆらと進むから、微妙に気持ち良くって、居眠りして乗り過ごす心配がたっぷりある。
秋が深まったと思ったら、最近、朝夕が急に寒くなってね。寒いのに弱い私は、この季節が一番に苦手だった。
ゆらりゆらり。揺れる窓の向こうは、夕暮れ時のアゼリア市の街並みが、しとしと雨に濡れていた。
とたん、右肩にピン止めしていた通信布が呼び出し音を立てた。通信布を手に取り、開封呪文を唇だけで唱えると、淡い文字が布の表面に浮かんだ。
見るとお父様から――仕事が忙しいらしく、任命式に間に合わないから、立会いなしで任命状を受けるようにって。ちょっと、ため息。ちょっと無責任すぎる。
すぐに、違和感を感じたの。
誰も、いない……?
仮にも、世界を
制服のポケットから懐中時計を引っ張り出した。すでに十七時を過ぎていた。どうしよう、遅刻ちしゃうよ。
私、ちょっとだけ
途方に暮れ始めた頃に、雨に塗れた緑の生垣の向こうに、見知った大きな影が見えた。手を振ると、影は深く一礼した。
やっと、見付けてもらえた。
そう、この大柄なおじさま――ティルム
「
太くて包容力を感じる優しい声が笑みを含んで言う。
「学校に忘れてきちゃった」
くしゃみをしたら、
「
えっ? びっくりして小首を傾げた。確か、任命式は十九時からのはずだった。
あと約二時間はある。もちろん、その前に
色々と大変でうんざりな準備に大忙しのはず。
それなのに、いきなり、任命状を受けるって…… えっ?
私は、自身の雨に濡れた学校の制服姿を見回してから、戸惑った顔をティルム
この方がエデュルセス
「
宿題で膨らんだ私の鞄と、雨粒にぬれた髪を
「学校の勉強と
少し唇を尖らせて見せた。
それから、ふいに気付いた。
「そういえば、お母様は?」
月の間を見回すけど、姿はない。立ち会いに来てくれるはずだった。
「
少し困った声色で、ティルム
ちょっと、呆れた。お母様が、あの
それに、立会を予定されていたはずの主要な
「あの、皆様、お忙しいご様子とお察しします。あの、任命式は日を改めては……?」
やっと、何かあったのでないかと気づいた。戸惑いがちに延期を申し出た。でも、
「
そんな……私は慌てた。
でも、何か答えようとして――急に、胸が詰まった。きっと、記憶を封印されているせいだと思う。本当にしゃべりたいことが、時々、言葉にできない。
私は、いま、メートレイア
もしも、この儀式の場にお父様とお母様が来ていらしたら、きっと、私は泣いていたかも知れないと思った。だけど、いまは、私しかいない。メートレイア
「……誰が、悪いとか、そんなことは思いません。私たちを必要としてくださるなら……私はあんまり優秀な子ではないけど……頑張ります」
気恥ずかしさで耳まで赤くなりそうだった。私は、本当は、あんまり頑張らない子のはずだった。身の丈に見合わない言葉って、やっぱり恥ずかしい。
私が
だから、開き直った。
いいもの。どうせ無作法な武門の家柄だからね。私は、本来、
――メートレイア
任命状、続いて
手渡された任命状を小脇に立ち上がる。自然とため息が漏れる。
――
この官職名はあんまり一般の人には知られていないけど、大昔に
でもね、立ち会いにいらっしゃるご
疑問は消え残っていたけど、まだ、このときは、たとえ
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