#013 子供部屋、侍女官ユカと初めて


私にとって、最初の親友ユカと初めて出逢ったのは、この後だった。


 任命式があっけなく終わり法符結界ほうふけっかいが解かれた。扉が開かれると、月の間の外ではティルム祭儀官付さいぎかんづきの侍女官じじょかんたちが私を待っていた。

沙夜姫様付さやひめさまづきとなる者を待つ間、控えの間へご案内します」

 ちょっと戸惑った。後ろを振り返ると、ティルム祭儀官さいぎかんがゆっくりとうなずいた。ここからは、祭儀官付さいぎかんづきの侍女官じじょかんたちが私を案内してくれるらしいと解った。


 数人の侍女官じじょかんたちに導かれて歩み出して、疑問を感じて立ち止まった。心の中で首をかしげた。

「……申し訳ありません。沙夜姫付さやひめさまづきとなる侍女官じじょかんの到着が遅れていまして」

 心の中だけのつもりが表情に出ていたらしくって、祭儀官付さいぎかんづきの侍女官じじょかんが私にささやいた。二度、私付きの侍女官じじょかんと言われて、世間に疎い私もさすがに、思い当たった。


 ――法印皇女ほういんこうじょになったら、私付きの侍女官じじょかんがもらえるのだった。


 メートレイア家は武家だから、私、そういうのに全く縁がなかった。身の回りの支度は何でも自分でする習慣が付いていた。

 だから、教頭先生みたいな怖い人をお目付け役に付けられるじゃないかと、急に不安になった。お付き侍女官じじょかんって、四六時中傍しろくじちゅうそばにいるはずだよ……どうしよう。


 案内された場所は、小さなベランダのある中庭に面した小さな部屋。絵本やぬいぐるみが並ぶこの場所は、威厳いげん高い法王宮殿ほうおうきゅうでんの中にあって、不思議な場違い感があるよね。


 ここは、私の子供部屋だった。

 お母様は筆頭法印皇女ひっとうほういんこうじょで、お父様は天空第四艦隊群の指揮官だから、二人とも私がちっちゃい頃から妖魔ようまと戦うお役目が忙しくって、子育てなんてできなかった。

 アゼリア市内には、うちのお屋敷もあるし、当然に私の部屋はそこにあるんだけど……法王様ほうおうさま、つまりお爺様が私を可愛がってくださるから、こんな法王宮殿ほうおうきゅうでんの奥にも、もうひとつの子供部屋があったの。

 

 だから、私、小さい頃はしょっちゅう法王宮殿ほうおうきゅうでんの中で迷子になって泣いていた。祭儀官付さいぎかんづきの侍女官じじょかんたちは、それを覚えているから私の子供部屋なのに案内されてしまった。「もう、方向音痴ほうこうおんちは治ったよ」と心の中だけでつぶやいた。


 この子供部屋に来たのは、夏至祭の時に法王宮殿ほうおうきゅうでんに招かれて以来だった。近頃は学校の方が忙しくて、なかなかここへ立ち寄れなかった。

 この四ヵ月間、ずっと空き部屋だったはず。でも、きちんと掃除されていて、お花も飾られていた。

 それに――窓際に置かれた椅子には、たっぷり発熱魔法を掛けられた温珠おんじゅが置かれていた。これもティルム祭儀官付さいぎかんづきの侍女官じじょかんたちが用意してくれたのだろう。

 温珠おんじゅっていうのは、寒い北部地方の人たちが使う懐炉かいろみたいなもの。中身は翡翠ひすいの粉末が特殊な油脂ゆしに溶けたものが詰まっていて、発熱魔法の符形ふけいを一晩くらいなら記憶する単純な仕組みの暖房器具だった。


 膝掛けの上に暖かい温珠おんじゅの乗せて、椅子に掛けて絵本を読んで待っていると、扉をコンコンと叩く音がした。

沙夜姫様さやひめさま、新しい侍女官じじょかんが参りました。任命式を行いますから、お支度をお願いします」

 どんな人なんだろう。私付きの侍女官じじょかんになってくれる人って? いつも傍にいる人なんだから……そう考えたら、少しわがままを言いたくなった。だって、私と法王様ほうおうさま以外、全員遅刻、欠席って、ちょっと、拗ねてもいいと思う。

 扉を私から開いて、祭儀官付さいぎかんづきの侍女官じじょかんたちに、にっこり微笑んで見せる。

「あの、私付きになる方なら、ここでお願いしても良いでしょうか?」

 すると、侍女官じじょかんたちはお互いに目線で合図し合った。そして、すぐに……

「そのように、支度を祭儀官さいぎかんより命じられております」

 えっ……?

 良く見ると、侍女官じじょかんたちは任命状を収めた小さな木箱を携えていた。驚かせてやるつもりだったのに、またティルム祭儀官さいぎかんに先を読まれた? すごく悔しい気がしたけど、「ここでお願いします」とお願いの言葉を繰り返した。


 支度と言っても、任命状の用意と、私の衣装だけ。それも学校の制服姿の上に、綺麗きれいな暖かいストールを羽織るだけ。左肩に「法王親率艦隊付ほうおうしんそつかんたいづ次席法印皇女じせきほういんこうじょ」という古式符文字で官職名が、蓮の花と共に刺繍ししゅうされていた。法王様付ほうおうさまづき天空艦隊の徽章きしょうは蓮の花だった。

 ストールは、背中がまるごと包める大きさで、すごく上質な毛糸で編まれていた。

「あったかい……」

 思わず口に出してしまうと、侍女官じじょかんたちが笑い声をこぼした。

 この後、大変な出来事がいくつもあって、色々なものをなくしてしまったけど、このストールだけはお気に入りだった。今も銀杏金枝寮ぎんなんきんしりょうの私の部屋、クローゼットの一番奥に大切に隠してあるの。 


 ふと、ふいに気付いた。

 雰囲気というか、空気が変なの。

 私は気にしないけど、法印皇女ほういんこうじょって親任官しんにんかんだから、こんな風に略式で手続きを進めてしまうのは、きっと、異例中の異例のはず。だって、法王様ほうおうさまが自ら手渡しで任命する役職は、天空帝国でも最高位にカテゴライズされているはず。それなのに、侍女官じじょかんを任命する段階になっても、来賓らいひんの方々は誰も姿を見せない。


 ご名代みょうだいを遣わすくらいはできるはずだし、とにかく侍女官じじょかんたちの仕草が変だった。時間をさりげなく気にしていたし、途中で連絡役の若い侍女官じじょかんが出入りして、何かを侍女長にささやいていた。

 私の法印皇女ほういんこうじょへの任命手順を、何かと見比べて急いでいるように感じたの。だって、「私付き侍女官じじょかんの到着が遅れている」と言われたけど――二時間以上も式次第しきしだいを繰り上げているのだから、間に合わないのは当然だった。きっと、私付きになってくれる方は、今頃、大慌てて支度を急いでいるはず……


 絶対、何か、問題が起きている……

 心当たりは、ひとつだけ思い当たった。

 どうしよう。尋ねようか、どうしようかと迷ってもじもじしていた。


 そんなときだった。

沙夜姫様付さやひめさまづ侍女官じじょかん、ユカ・ティア・テュー、参りました……遅れて申し訳ありません」

 細くて透き通った声だった。

 チビの私と同じくらいの背格好で、同じくらいの年齢の女の子が、開いたままだった扉の所で縮こまっていたの。

 面倒くさそうなおばさんだったら、絶対、意地悪するつもりだった私の天邪鬼あまのじゃくな気持ちが、その子を見たとたんに、どこかへ消えてしまった。


 ……私が呆然としていたから、またも、侍女官じじょかんたちが笑いを堪えている。

 ユカは、私が怒っていると思い込んでいたらしくって、どんどん小さくなっていた。

「あっ……ご、ごめんなさい。どうぞ、入ってください」

 慌てて、声をかけて招き入れる。

 ユカは、部屋に歩みだすと……ここが子供部屋だと気づいたらしい。驚いた様子で見回している。わがまま言って任命式をここに変えたことを少しだけ後悔した。でも、私とこの子の組み合わせならば、この場所が正解とも思えた。

 ユカが花模様の絨毯じゅうたんに膝立ちになる。先ほどの法王様ほうおうさま相手の私みたいな、いい加減なやり方じゃなくって、ちゃんと練習して来たらしい正式な作法通りだった。間違っているのは、私とこの子供部屋。


 そして、気づいた。

 私、任命する側の作法って知らないっ!

 さっき、法王様ほうおうさまってどうやっていらした?

 そうじゃなくって、確か身分ごとに格式とかあったような……?

 侍女官じじょかんのひとりが木箱から任命状を取り出し、私へ手渡してくれた。困っていることもお見通しだったらしい。

「作法に拘らず、沙夜様さやさまの思うやり方で気持ちを伝えてください」

 そう、ささやいてくれた。

 うん。心の中でうなずいた。

 私、ずっと独りぼっちだった。学校では何となく友達もいるけど、法王様ほうおうさまの孫娘で、第七位の法王位継承順位ほうおうけいしょうじゅんいに位置づけられている私は、天空貴族の子女たちの中でも特別扱いされていた。みんな私のこと、皇女って知ってるからね。

 お父様も、お母様もいつも留守で……だから、いつも傍にいてくれる女の子が現れたのなら……私の望むことはひとつしかなかった。

 任命状を持ったまま私も花模様の絨毯じゅうたんにペタンと座った。ユカの栗色の瞳と同じ高さで微笑んで、任命状を差し出した。

「ずっと私の傍にいて、私の親友になってください。お願いします」

 任命状を受け取ったユカは、本当に驚いて目を丸くしていた。侍女官じじょかんたちはもう笑い出していた。私もきっと笑顔になれていたと思う。


 ユカは、私のお願いを今に至るまで、一生懸命に叶えてくれた。


 ――本当に感謝しています。


 ◇ ◇


 ただ任命状を手渡しただけ――本当に簡素な侍女官任命式じじょかんにんめいしきが終わったら、すぐにお茶菓子の用意ができていた。ティルム祭儀官さいぎかんは、私が次にどうして欲しいと願うか? を全部、先読みして用意していた。あったらいいなっと思う銘柄のお菓子がちゃんとお皿に盛られていた。

 祭儀官付さいぎかんづきの侍女官じじょかんたちにも加わってもらって、楽しくおしゃべりした。これといって中身のない、本当に他愛のないおしゃべりだった。

 法印皇女ほういんこうじょ侍女官じじょかんになったっていっても、私もユカも初等科の生徒だったから、学校に通わなきゃいけないし、宿題も、掃除当番もある。私は、ユカに「明日、一緒に学校の中庭でお弁当を食べよう」って早速、お願いした。ユカは嬉しそうに答えてくれた。苦手な掃除当番も手伝ってくれるっていわれて、凄く嬉しかった。

 ユカは先輩になる祭儀官付さいぎかんづ侍女官じじょかんたちから、色々と話されるたびにうなずいていたけど…… 私は、やっぱり、微妙におかしい雰囲気のことが気になっていた。

 だって、「明日、一緒に学校の中庭でお弁当を食べよう」って私とユカが約束して笑い合ったとき、なんか空気が強ばった気がした。


 そうそう、良く思い出してみると…… 私、鈴猫焼菓子店すずねこやきがしてんのココアクッキーを食べたの、このときが初めてだったかも知れない。

 凄く美味しいのに、帝都では見たことがないクッキーがお皿に混じっていた。侍女官じじょかんたちに尋ねたら、お店の名前までは話題に出なかったけど、ティンティウム市にあるお店のクッキーを取り寄せたって…… あの時、そう教えてもらったはずなの。


 そんな幸せな談笑のひとときを、壊してしまうのは、すごくもったいないと――正直に言えば、そう思った。このままずっと、笑っていたかった。

 僅かでも、こんなとっておきの時間を残してくれた法王様ほうおうさま祭儀官さいぎかん侍女官じじょかんのみんなに感謝したい。


 でもね、私はもう気づいていた。法王宮殿ほうおうきゅうでんがこんなに慌ただしいことなんて、理由はひとつしか思い当たらない。今日、私の任命式に出席を予定していた来賓らいひんの方々は、帝国を守護する役目を担う貴族家のご当主やそのご名代みょうだいだった。

 うちもそう。メートレイア伯爵家はくしゃくけが指揮を担う天空第四艦隊群は、対妖魔専属たいようませんぞくの緊急展開群だった。お母様もそう。法印皇女船こういんこうじょせんレアルティアは、対妖魔たいようま戦の切り札的存在だった。

 それが揃って、帝都を離れているとしたら、理由はひとつしかない。


 ――帝国のどこかに妖魔ようま魔法機械まほうきかいか、軍船ぐんせんが現れたんだ。


 でも、私の法印皇女ほういんこうじょ任命を急いだ理由は、どうして? そこだけ符合しなかった。忙しいのなら、延期にすれば良いはず。


 私は、深呼吸の後、侍女長を見あげた。

 不安は、尋ねて解決すれば良いはずだった。


 侍女長は、やっと笑顔になったユカを見詰めていた。だから、私の視線に気づくのが少し遅れた。気づいた後も、少しだけ逡巡しゅんじゅんした。

 侍女長は厳しい人だけど、優しい方だった。その侍女長の気遣うような視線がユカの横顔に向いていた。出逢ったばかりだけど、ユカはすごく繊細な気質の持ち主と思えた。

 儚げなユカの微笑と、厳しげな侍女長の面持ちを見比べて、どうしたらいいか解った。両手でユカを抱き寄せた。

 驚いて、か細い声を漏らしたユカを、ぎゅっと抱き竦めた。ユカは一瞬だけ、身を強ばらせたけど、すぐに私に細い身体を預けてくれた。頬を摺り合せて、胸の鼓動を重ねた。

 今、思い出すと少し恥ずかしい。私は……ちょっと短絡的なところがあって、こうするのが一番に手っ取り早いと思ったら、つい、身体が動いてしまう悪いくせがある。

「……何かあったのでしょう? 話して下さいますか」

 ユカを抱いたまま侍女長へ尋ねた。ユカの栗色の髪は、洗い立てみたいに良い匂いがした。微かな嘆息たんそくの後、侍女長が周囲を囲む侍女たちに何か合図したみたいだった。私たちを囲む気配が急に律動的りつどうてきになった。


沙夜法印皇女様さやほういんこうじょさまへ申しあげます。本日、十六時二十分、アゼリア市北区銀雪聖堂ぎんゆきせいどう漆黒妖魔しっこくようま魔法機械獣魔まほうきかいじゅうまが侵入しました」


 腕の中でユカが息を呑んだ。胸の鼓動が跳ね上がったのが伝わってきた。

「あのっ! お母様は…… セリム司祭様は……?」

 早鐘を打つ胸元を両手で押さえた姿で、侍女長に問いすがった。

「セリム・イラ・テュー司祭様はご無事です。銀雪聖堂内ぎんゆきせいどうないに留まり、神官らを伴い結界魔法けっかいまほうにて防壁を展開し、妖魔ようまに対抗中です」

 緊張の糸が切れたユカは、ため息とともに座り込んだ。私はもう一度、ユカの背中に両手を回した。ユカは、まだ胸元を押さえていた。

 ユカのお母様は、銀雪聖堂ぎんゆきせいどうを護る司祭を務めていた。ユカを抱き支えながら立ち上がった。

「ティルム祭儀官さいぎかんよりの伝言をお伝えします」

 私がうなずくのを待って侍女官じじょかんは続けた。

「進入した妖魔機械獣魔ようまきかいじゅうまは、銀雪聖堂内ぎんゆきせいどうないにある世界守護結界せかいしゅごけっかいの破壊を目的としていると見られます。残念ながら、妖魔機械獣魔ようまきかいじゅうま聖堂敷地内せいどうしきちないにまで、すでに侵攻しており、銀雪聖堂ぎんゆきせいどうへ被害が及ぶ懸念からも、天空軍船ぐんせんからの艦砲射撃ができません」

 もう一度、私が小さくうなずいたのが合図だった。侍女たちが戦いの準備に走り始めた。

「こちらも魔法機械騎士まほうきかいきしを繰り出して、対抗するしかないのですね?」

 そう確認したけど、にわかには信じられなかった。このアゼリア市は天空帝国の帝都――八十万人を超える市民が平和に暮らす巨大な街で、天空帝国の政治の中枢でもある。いま、私たちがいる法王宮殿ほうおうきゅうでんを含む数多あまたくの統治機関の建物もここにあった。

 さらにいえば、天空艦隊のうち、法王親率艦隊ほうおうしんそつかんたい教導騎士団きょうどうきしだんもここに置かれていた。帝都アゼリア市は、帝国でもっとも堅牢な多重防御の囲いの中にあるはずだった。

 うちを含む主要貴族家のみんながいないから、妖魔ようまがてっきり帝国のどこかに現れたんだと思ったけど…… まさか、帝都の中にいきなり出現したなんて。


「帝都に妖魔ようまの侵入を許したなんて……」

 帝都の外側は、アゼリア直轄領ちょっかつりょうを守る守護艦隊しゅごかんたいもいるし、私のお父様が指揮を執る第四艦隊群は、直轄領ちょっかつりょうのさらに外側を守っていたはず。その多重防御を全く気付かれずに妖魔ようまが通り抜けてきたというの?

妖魔ようまは未知の不可視魔法を用いて第四艦隊群の追跡から逃れたようです。詳細は、統合指揮所にてご確認ください。」

 私が疑問を口にすると、侍女長はそう、この場所で話す時間を切りあげた。


 先ほど、忙しいとメールを送ってきたお父様へ、心の中で文句を言った。メートレイア伯爵家はくしゃくけが絶対指揮権を預かる天空第四艦隊群は、対妖魔たいようまの専門集団だった。任命式をすっぽかしてまでして機械獣魔きかいじゅうまを追い回していたはず。私が膨れたのに気付いたことに侍女長は気付いて、微かに唇の端で笑った。

 だけど……すっと、姿勢を正した。

沙夜法印皇女様さやほういんこうじょさまは、急ぎ統合指揮所へお越しください。臨時に教導騎士団きょうどうきしだんより人員を割いて、沙夜様さやさま付きの臨時騎士隊りんじきしたいを編成します――とのことです」

 祭儀官さいぎかんからの伝言を伝え終えて、流麗な仕草で侍女長は一礼した。


 絶句した。私、法印皇女ほういんこうじょの任命状を受けてから、まだ、三十分も経っていない。祝宴とは言わないけど、帝国に集う貴族家の皆様へのご挨拶とか……事前に受けた詰め込み学習によると、形式張ったことも色々とあったはずなの。


 それに、私、ひとりだけじゃ何もできない。いくら法印皇女ほういんこうじょになりましたって書いてある任命状をもらっても、実際に妖魔ようまに対抗する作戦を展開するとなったら、最低でも私付き騎士団をひとつ作ってもらう必要がある。もちろん、私は子供だから、お母様みたいに法印船団ほういんせんだんとか法印騎士団ほういんきしだんとか頂くことになるのは、もっと、ずっと、未来のことだと信じていた。

 それなのに、臨時騎士隊りんじきしたいを私のために作るって……っ!


「他の法印皇女様ほういんこうじょさまは、いずれも現時刻において帝都を離れていらっしゃいます」

 侍女長の怜悧れいりな声に言われて、やっと気づいた。それが、私の法印皇女ほういんこうじょ任命を急いだ理由だったの。


 いきなりのことで事情が飲み込めていない私の戸惑いを察して、侍女長は知っていた範囲を掻い摘まんで教えてくれた。


 筆頭法印皇女ひっとうほういんこうじょであるお母様は、法印皇女船こういんこうじょせん〈レアルティア〉で出動していた。

 昨夜のうちに妖魔ようま魔法機械船団まほうきかいせんだん直轄領外縁部ちょっかつりょうがいえんぶに現れたって、連絡があったから、私のことは放り出して飛び出していった。


 お父様もそう。本当は任命式に先立つ主要貴族家への挨拶廻りには間に合うように、第四艦隊群の指揮から抜け出して帝都に舞い戻っているはずだった。それなのに〈レアルティア〉支援のために、第四艦隊群を指揮してアゼリア直轄領外縁部ちょっかつりょうがいえんぶに繰り出したまま戻って来なかった。


 他の先輩法印皇女せんぱいほういんこうじょの方々も、遺跡調査や、他の世界守護結界せかいしゅごけっかいの補修作業の手伝いやらで、出払っていた。特殊な遺伝資質いでんししつを要する法印皇女ほういんこうじょは、広い帝国にも、私を入れて七名しかいない。いま、帝都にいるのは、私と、大お婆様、セナ皇女様こうじょさまの三人だけ。


 大お婆様は、つまり法王様ほうおうさまのお母様で、私の曾祖母にあたる人。かつては法王ほうおうに立たれたこともあるほど立派な方だけど、九十二歳とご高齢なので負担の大きい法印魔法ほういんまほうを使うのは、もう無理だった。こんな知らせが来なければ、今日の夕食後にもお部屋を訪ねてご挨拶を申しあげるつもりでいた。私、幼い頃は、大お婆様には魔法の基礎を習ったの。大お婆さまは私の魔法技術の先生だった。


 セナ皇女様こうじょさまは、私から見ると叔母に当たる人。だけど、年齢は五つだけ上で、十七歳だった。魔法力では優れた才能に恵まれていたけど、生まれつきに病弱で、いまもちょっとした風邪をこじらせてしまい、この法王宮殿ほうおうきゅうでんの奥深くで療養生活を送っていた。病気をうつすと大変だから、私もガラス窓越しにしか会ったことがない。だけど、がさつで不作法なメートレイア伯爵家はくしゃくけの私とは、比べものにならないほどに繊細で優雅な方だった。


 市街地の真ん中に妖魔の機械獣魔ようまきかいじゅうまが居座っている。それもユカのお母様が司祭をしている銀雪聖堂ぎんゆきせいどうを壊すつもりで、聖堂に取り付いていた。

 艦隊の大砲は巻き添えが怖くて使えない。困ったことに天空軍船ぐんせんの大砲は真下を撃てない構造になっていた。斜めに射線を取ることになるから、銀雪聖堂ぎんゆきせいどうや市街地を誤射する危険があるの。

 そんな時は、砲火ではなく、法印皇女ほういんこうじょの持つ魔法力で、妖魔ようまを屈服させるしかないのだけど…… 完全に法印ほういんが解け覚醒かくせいして暴れ回っているとなると、再度の法印ほういんは容易じゃない。最低でも、こちらも魔法機械騎士まほうきかいきしを繰り出して、暴れている妖魔ようま機械騎士きかいきしを取り押さえる必要がある。


 ユカは、まだ胸元に両手を当てたまま、不安で潰れそうだった。

 栗色の髪に手を伸ばした。暖かくて繊細な柔らかい髪だった。

「ユカ、大丈夫だよ。私が何とかするから、手伝って」

 小さくユカはうなずいてくれた。

 ティルム祭儀官付さいぎかんづきの侍女官じじょかんたちは、こんな至急の場面にさえどう動くべきか知っているらしい。さっさとお茶菓子やカップを片付けて、代わりに通信布や護符を持ってきてくれた。

 さらには、私の……「沙夜次席法印皇女さやじせきほういんこうじょ」の文章発行記号まで内務卿ないむきょうに問い合せて、文書番号簿を仕あげた。これは法印皇女ほういんこうじょの名において、騎士たちや帝国内の役所に指示を出す際に必要な物だった。

 使い方は、私付きの侍女官じじょかんになったばかりのユカが聞いて覚えてくれた。後でたっぷり驚かされることになるのだけど、ユカの事務処理能力は半端なかった。このときは半べそ顔で侍女官じじょかんたちの説明を、こくこく小さくうなずきながら聞いていた。その様子が可愛らしくって思わず微笑んでしまったけど、今の私は侍女官じじょかんとしてユカには全幅の信頼を寄せているの。

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