#014 天空艦隊統合指揮所、アゼリア直轄領の状況について

♯星歴682年 10月16日 17時10分

   アゼリア市中区法王宮殿ほうおうきゅうでん 別棟「天空艦隊統合指揮所」



 侍女官じじょかんたちに先導されて、ユカを伴い、法王宮殿ほうおうきゅうでんの長い回廊かいろうを小走りに統合艦隊指揮所へ向かった。

 石造りの回廊かいろうを駆けて、古代期の水道橋みたいな連絡回廊かいろうを渡った。もう、夕暮れ色の空は赤く、東の空には満月が昇り始めていた。金穂月シュス・イズエなのに思いの外に風が冷たかった。


 法王宮殿ほうおうきゅうでん別館の東塔八階にある天空艦隊統合指揮所へ立ち入るのは初めてだった。

沙夜法印皇女様さやほういんこうじょさま、ご到着なさいました」

 法王親率艦隊群ほうおうしんそつかんたいぐん徽章きしょう、蓮の華がレリーフ飾りされた大扉が内側から開かれ、招き入れられた。

 初めて足を踏み入れた天空艦隊統合指揮所は、まるで結婚式の披露宴会場みたいに広くて綺麗きれいなところだった。巨大なホールにいくつも大テーブルが置かれて、大勢の天空騎士たちが詰めて、様々な状況を映す蛍砂表示管けいさひょうじかん越しに、情報の洪水と格闘していた。


 変なたとえとは思うけど、この場所、お料理が並べば結婚式の披露宴に本当にそっくり似ている気がした。

 艦隊指揮所なんてごっつい名前の場所なのに、凄く綺麗きれいな大広間だったの。


 テーブルは騎士団ごとや天空艦隊群ごとに割り当てられているだけど、それぞれの騎士団や天空艦隊群を表す花が飾られていた。

 私たち、天空艦隊や騎士団は、とある理由から、可愛らしいお花を徽章きしょうに選んでいた。大昔は、猛獣や猛禽類や剣や槍とか……強そうな絵柄えがらが多かったのだけど、六百年前に漆黒しっこく貴姫様きひめさまに大負けした後、再建された天空騎士団は花を徽章きしょうにしたの。

 この事情は、複雑な事情があるから、また後で話すね。


 テーブルに花瓶を置き生花を盛っている騎士団もあれば、花の絵柄えがらを染め抜いた旗を掲げている騎士団もあった。ちなみに、うちのメートレイア伯爵家はくしゃくけが指揮権を預かる天空第四艦隊群は、百合ゆりの花を石英管に魔法で封入ふうにゅうした柱をテーブルの傍らに立てている。まあ、これならお花が長持ちするし、お水もあげなくって良いから面倒はないけど。


 統合指揮所の真ん中まで歩いたところで、鈴の音のような通知音が頭の上から降ってきた。

 見あげると、天吊りにされた巨大蛍砂表示管きょだいけいさひょうじかんに現時点の指揮系統が表示されていた。それが通知音とともに更新された。この指揮所にいる大勢の騎士たちが見あげる中、私の名前が次席法印皇女じせきほういんこうじょという官職付きで表示された。

 驚いた。私の位置、法王様ほうおうさまの直下だった。アゼリア直轄領守護艦隊ちょっかつりょうしゅごかんたい司令のオーフェリア伯爵様はくしゃくさまや、教導騎士団長きょうどうきしだんちょうアガスティア伯爵様はくしゃくさまと同列って、あり得ない。


 すぐに、教導騎士団きょうどうきしだんから割り当てられた騎士たちが駆け寄って来た。

 一斉に私を中心とする円陣を作り跪く。ユカもそれに倣った。人数は僅かだけど、この人たちが私付きの臨時騎士団りんじきしだんだった。

 どきどきした。

 頬が一瞬で紅潮したのがわかる。

 でも、浮かれている場合じゃない。妖魔ようまの強大な魔法機械騎士まほうきかいきしに、あろうことか帝都への侵入を許してしまった状況を任されたのだから。お母様が不在のいま、法印皇女ほういんこうじょは私一人だけだった。メートレイア伯爵家はくしゃくけの総領姫である私の言葉を、できたての臨時騎士団りんじきしだんに連なる騎士たちが待っていた。


 どうしよう…… 私、いきなりのことで、まだ、何も解らないよ……


 戸惑っていると、後ろから呼ばれた。振り返ると、教導騎士団きょうどうきしだんを表す蓮の華の徽章きしょうを付けた長身の騎士服が静かに一礼した。

沙夜姫さやひめ、就任早々の作戦参加に感謝します。沙夜姫付さやひめさまづ臨時騎士団りんじきしだん参謀官さんぼうかんを拝命しましたラズ・イラ・ペーシオンです」

 確か、そう名乗ったはず。この人がペーシオン参謀官さんぼうかんだった。音楽室で再会したときは、思い出せなかった。後で日記帳をひっくり返して気付いた。


 今よりももっとチビだった私は、長身の騎士を本当に見あげて一瞬、ぼーとなっていたはず。だってペーシオン参謀官さんぼうかんは、体格自慢がそろう教導騎士団きょうどうきしだんの中でさえ目立つくらいに長身だった。びっくり呪縛状態が数瞬続いて、それから私は、やっと、こう答えたと思う。

教導騎士団きょうどうきしだん銀雪聖堂ぎんゆきせいどうに展開中ですよね? 私、状況把握もまだなんです。みんなで一緒に説明を聞くことから初めても良いでしょうか?」

 思い返すと、すごく間抜けな感じだけど、十二歳の私にはこれが精いっぱいだった。ペーシオン参謀官さんぼうかんがくすりと笑った気がした。


 臨時で私付きに配置された騎士たちも伴い、教導騎士団きょうどうきしだんが陣取っているテーブルへ移動した。

 教導騎士団きょうどうきしだんのテーブルの端を私たちに空けて頂いた。桜材のテーブルは、木目が綺麗きれいだった。すぐに戦術資料で隠れちゃったけどね。


 臨時騎士団りんじきしだんは、私とユカを含めて八人だった。たぶん、天空軍でも最小の騎士団かも知れない。

 やっと座って資料を広げられる場所をもらったから、立ちあがって、私の許に来てくれた騎士たちにご挨拶をした。

 帝都内に機械獣魔きかいじゅうまが侵入という切羽詰まった状況だけど、こういうご挨拶だけはちゃんとやりたかった。

「あの、沙夜さや・イス・メートレイアです。先ほど、法王様ほうおうさまより法印皇女ほういんこうじょの任命状を頂きました」

 学校の制服姿のままだった。法印皇女ほういんこうじょらしいものは、背中を包んでくれる暖かいストールだけだった。任命状は、私の子供部屋に置いてきた。両手で受けるほどに大きな紙だから、正直にいうと邪魔だった。

 体面を保つ程度の役にしか立たないレイピアも、同じく置いてきた。学校の制服姿じゃあ、剣を吊るす気にはなれなかった。私、剣術はできないから、いくら細身で軽くても無駄な物は持ち歩きたくないよ。

 それに、剣は指揮命令権の象徴でもあるの。私は初等科の学生にすぎない。誰かを服従させ命令するなんて、あり得ないと思った。命じるのじゃなく、教えてもらいながら協力してもらうんだと思っていた。

「こんな略式で失礼します。よろしくお願いいたします」

 ぺこりと頭を下げた。騎士たちから、くすくすと笑いが漏れた。可愛いっていわれた。あの頃は、まだ、初等科にいたから可愛いっていわれると素直に嬉しかった。


 あとは順番に自己紹介をした。私付き臨時騎士団りんじきしだんになってくれたのは、教導騎士団きょうどうきしだんでも若い騎士たちだった。

 そして、最後にあの長身の騎士がちゃんとした礼法で名乗った。

教導騎士団きょうどうきしだん、第一分隊で参謀官さんぼうかんを拝命しております、ラズ・イラ・ペーシオンです。今回の作戦では沙夜姫付さやひめさまづきを命じられました」

 この見上げるような長身の騎士は、私の補佐役として来てくれた。詰め込み勉強の最中で、経験も知識も足りない私を、実際の作戦では支えてくれた。この方がいなかったら、私、たぶん、困っていたはず。

 若くして、アガスティア教導騎士団長きょうどうきしだんちょうの懐刀と呼ばれるほどの方で、未熟すぎる私の指導役と、他の部隊との連絡調整役を担ってくれたの。


 ただし、教導騎士団きょうどうきしだん参謀官さんぼうかんといったら、各艦隊の新任騎士たちとっては、頭痛の種だった。できない子を厳しく指導する役目を果たす役職だからねぇ……私、この人のこと、忘れてしまいたいと思っていたよ。だって、夢の中にまで、教本を携えたむっつり顔で出て来るんだよ。


 残りの五人は、ペーシオン参謀官さんぼうかん付きの騎士たちだった。いま思い出すと、あのとき、私はきっと頬を赤らめて、必死に背伸びをしていたはず。凄く恥ずかしい。

 法印皇女ほういんこうじょを拝命したのだから、突然の危機に私が対応しなきゃいけないって思っていた。銀雪聖堂ぎんゆきせいどうで祈り続けているユカのお母さんを助けなきゃいけない。お父様も、お母様も留守だった。だから、私が帝都アゼリア市を救わなきゃいけないって、ね。


 ……本当は、法印皇女ほういんこうじょと言っても何も知らない子供だった。気持ちばかりが空回りしていたの。


  ◇  ◇


 ご挨拶がひととおり済んだところで、待っていたように、戦況説明が始まった。この天空帝国の指揮系統の中枢には、戦術技巧官せんじゅつぎこうかんと呼ばれる専門技術スタッフが何人も常駐していた。その中でも、当代随一ずいいちの頭脳と呼び声も高い方が、セオル戦術技巧官せんじゅつぎこうかんだった。


 セオル筆頭戦術技巧官ひっとうせんじゅつぎこうかんのイメージは、そうね数学科の学生って感じだろうか。真鍮製しんちゅうせいフレームのアンティークな丸眼鏡だけど、眼光が怖いくらいに鋭い。悪鬼のように頭が切れる方というのがもっぽらの噂だった。

 踏んでしまいそうに長い黒革のコートを引き摺りながら、巨大な黒板の前に立った。蛍砂表示管けいさひょうじかんを使わず、あえて黒板なのは、セオル技巧官ぎこうかん蛍砂けいさの魔法を使えないからだった。

 珍しいタイプと思う。蛍砂けいさを扱うための魔法は、〈ペイエンの基礎魔法群〉という法符ほうふ詰め合わせ魔法に含まれていて、帝都にいる貴族なら全員使える。地上の街に住んでいる天空貴族じゃない人でも、たぶん、数時間の基礎的な講習を受けるだけで使えるはず。

 セオル戦術技巧官せんじゅつぎこうかんは、誰でも使える簡単な魔法さえも使えない特殊体質だった。それに、長身で眉目麗しい方や筋骨隆々なたくましい方々が勢揃いの教導騎士団きょうどうきしだんにあって、セオル戦術技巧官せんじゅつぎこうかんは小柄で幼顔タイプだった。そう、この方は、唯一、頭脳の切れ味だけを認められて、若くしてこの要職に就いていた。


「僭越ですが、僕から現在のアゼリア直轄領管轄区ちょっかつりょうかんかつくの状況をご説明します」

 言葉遣いもどこか学生気分が抜けていないと思った。教導騎士団きょうどうきしだん直轄領守護艦隊ちょっかつりょうしゅごかんたいでは、仙人や妖怪に近い年齢の方々もいる。正直にいって若輩者にすぎない。でも、その妖怪じみた天空軍の上層部の方々から、この「数学科の生徒さん」は信頼を集めていた。

 セオル戦術技巧官せんじゅつぎこうかんの説明は、次のとおりだった。カンカンと高い音を立てて黒板を素早く書くから、授業以上に、説明に着いていくのが大変だった。

 手元にも印刷された時系列資料クロノロジーが配られた。急なことで私の分しかなかったから、ユカと一緒に半分っこで読んだ。


○星歴682年 10月14日

 20時30分頃 アゼリア直轄領守護艦隊ちょっかつりょうしゅごかんたい所属の警備艦が、直轄領外縁ちょっかつりょうがいえん北西部、ウルスティア領との境界にて、妖魔ようま魔法機環船まほうきかんせん団と遭遇。

 21時30分 妖魔艦隊ようまかんたいと交戦。警備艦は中破。直轄領ちょっかつりょう内に妖魔ようま船団が侵入した。

 21時54分 天空艦隊統合指揮所は警戒態勢を発令。



○10月15日

 0時15分 法印皇女船こういんこうじょせんレアルティアが外周運河より直轄領ちょっかつりょう北西部へ向けて緊急出航。

 2時20分 直轄領守護艦隊ちょっかつりょうしゅごかんたい、移動開始。

 6時50分 レアルティア直轄領外縁部ちょっかつりょうがいえんぶに到達。

 7時10分 夜明けとともに妖魔ようま船団の艦隊規模が一個戦術艦隊相当、二十隻を超えることが判明。天空第四及び第七艦隊群へ支援要請。

 8時00分 直轄領守護艦隊ちょっかつりょうしゅごかんたいへの指示をレアトゥール関門にて待機に変更。



○10月16日

 2時30分 天空第四艦隊群より旗艦グルカントゥース他、基幹きかん艦隊九隻が直轄領ちょっかつりょうへ到着。

 4時20分 第七艦隊群よりの分派艦隊は、イル砂漠地方をウルスティア領へ向けて移動開始。

 16時20分 妖魔の機械獣魔ようまきかいじゅうま銀雪聖堂ぎんゆきせいどうに侵入。

 17時10分 沙夜法印皇女さやほういんこうじょ、着任。



 時系列順に並ぶ対応記録に目を通して、唖然とした。道理で任命式に誰も来ない訳だよ。

「こんなにたくさんの妖魔ようま魔法機械船まほうきかいせん覚醒かくせいしていたなんて、聞いてないよ」

 思わず漏らした。隣でユカが驚きのあまり口元を覆っていた。

 天空艦隊の対応はさすがに直轄領ちょっかつりょう内だけに早かった。一番槍はやっぱりお母様。法印皇女船こういんこうじょせんレアルティアは速い天空船なの。次がお父様。ふたりとも任命式に出るつもりで帝都の傍にいたから、すぐに対応できた。


 さらに、これが大規模なおとりだった可能性も、戦術技巧官せんじゅつぎこうかんより説明された。

「近年にない大規模艦隊による帝都侵攻作戦に一見すると見えるのですが……」

「動きが鈍すぎだな……」

 アガスティア教導騎士団長きょうどうきしだんちょうが漏らした声に、私もうなずいた。妖魔艦隊ようまかんたいは、帝都を伺うフリだけで、直轄領ちょっかつりょうと隣のウルスティア領の境界線上を出たり入ったりを繰り返して、迎撃に出た直轄領守護艦隊ちょっかつりょうしゅごかんたいをじらしにかかっていた。つまり帝都から、直轄領守護艦隊ちょっかつりょうしゅごかんたいを引き離すことを狙っていると考えられた。


 妖魔ようまの狙いが帝都を留守にさせることならばと、天空艦隊は直轄領守護艦隊ちょっかつりょうしゅごかんたいを帝都周辺に引き戻すことにした。レアトゥール関門にて待機と命令が変わったの。


 レアトゥール関門は、帝都西側にある山地に開いた切り通しを護る要塞のことだった。帝都に西側から敵が攻めてくる場合、その侵攻ルート上にある重要な関所だった。万が一、敵、妖魔艦隊ようまかんたいにレアトゥール関門を突破されたら、大砲の射程内に帝都アゼリア市が届いてしまう。

 帝都にとってレアトゥール関門は最後の砦ともいえる。直轄領守護艦隊ちょっかつりょうしゅごかんたいをあえて、こんな後ろに展開した理由を考えて、ちょっと首をかしげた。


 巨大黒板の前に立つセオル戦術技巧官せんじゅつぎこうかんは、続けた。

「侵攻速度、艦隊編成、及び現地にて確認された敵軍船ぐんせんの艦容などから、これらの妖魔軍船団ようまぐんせんだんは、漆黒しっこく本営所属艦隊と推測しています」

 周りに座る天空騎士たちが一様にうなずいた。近年になく規模が大きいから、敵は漆黒妖魔しっこくようまの中でも主力である本営軍だろうと、この段階では予想していたの。


 だけど……

 この時、私はうまく言葉にできない違和感を感じた。


 急に色々なことが起きて、たくさんの方々と出会って、法印皇女ほういんこうじょになった私が何とかしなきゃ……! って舞い上がっていたから、気が付けなかった。


 漆黒しっこく本営軍が相手とした場合、符合しない点がひとつ。

 お父様の天空第四艦隊群が見失うほどに高性能な不可視魔法を、妖魔ようまが使ったということ。漆黒しっこく本営軍の技術力は、私たち天空艦隊群にとって脅威ではあっても、まるで歯が立たない訳じゃない。


 だけど、直轄領ちょっかつりょうに攻め入る絶好の機会なのに突撃してこない優柔不断さから、やっぱり漆黒しっこく本営軍なのかなと、この時は思ってしまった。

 ……それは、間違いじゃなかったのだけど、この後、びっくりすることになるの。


 そして――

 直轄領ちょっかつりょうの内側からは、直轄領守護艦隊ちょっかつりょうしゅごかんたいの代わりを第四艦隊群が担当することになった。

 さらに、直轄領ちょっかつりょうの外側――言い換えるとウルスティア領側からは第七艦隊群が包囲しようとしていた。

 妖魔ようまの動きが鈍いことを逆手にとって、帝国各地から天空艦船を集めて、妖魔ようまの船団を包囲しようとしていたの。妖魔ようまが下手くそな陽動を仕掛けて時間を無駄遣いしているから、天空艦隊を掻き集めて袋叩きにするつもりだった。確かに、セオル戦術技巧官せんじゅつぎこうかんは切れ者だと思う。


「陽動である可能性を考慮こうりょし、教導騎士団きょうどうきしだんの全て及び、直轄領守護艦隊ちょっかつりょうしゅごかんたいの大半を帝都近くに留め置くよう意見致しました。ご裁可を頂きありがとうございます」

 最後の言葉は、アガスティア教導騎士団長きょうどうきしだんちょうとオーフェリア直轄領守護艦隊ちょっかつりょうしゅごかんたい司令に向けたものだった。凄いと思った。帝都を守る二大巨頭を相手に意見を通したなんて。


 えっと、また説明だけど…… 私のお父様もそうだけど、天空艦隊群を率いる指揮官たちは、絶対指揮権と呼ばれる凄く強力な指揮命令権を与えられている。自身の管轄区かんかつくの中なら、かなりの無茶をしても怒られない程度の自由裁量権を与えられているの。

 天空艦船の戦いは展開が早くて、現地指揮官の判断で行動しないと妖魔ようまの猛攻を支えきれない。いちいち帝都に通信で相談して指示を仰いでいたら、妖魔ようまに負けてしまう。だから、可能な限り現場指揮官の判断を優先するシステムになっていた。


 でも、妖魔ようま軍船団ぐんせんだんは巧妙だった。ときには複数の天空回廊かいろうを同時に攻めてきたり、遠く離れた艦隊を連携させたりする。過去には、帝都の各地方を同時に襲撃されたこともあった。そんな広域展開で仕掛けられたら、現場指揮官の判断だけでは視野が狭くって、逆に失敗する。

 だから、天空艦隊は指揮系統を二重化しているの。現場の乱戦を切り盛りしているのが、うちのお父様みたいな絶対指揮権保持者ならば、反対に帝国版図ていこくはんと全域を見ているのがここ天空艦隊統合指揮所だった。

 ここでは戦術技巧官せんじゅつぎこうかんと呼ばれる秀才たちが、作戦を立案し、あるいは妖魔ようまの戦術を解析することに専念していた。複数の天空艦隊を連携させて敵を包囲するなんて広域作戦は、この統合指揮所がないと実施できなかった。


 そして、セオル戦術技巧官せんじゅつぎこうかんは、鬼才と呼ばれる実力の持ち主だった。

 そのセオル戦術技巧官せんじゅつぎこうかんが、私に目線を向けて初めて目元を緩めた。

沙夜姫様さやひめさま、このたびの法印皇女ほういんこうじょ、ご就任お祝いを申し上げます。着任、早々の作戦ご参加に感謝致します。それから……ご両親もご来賓らいひんもいない任命式になってしまい、ごめんなさい」

 最後のひとこと、お詫びの言葉は破顔していた。私は気にしないから大丈夫と応えた。セオル技巧官ぎこうかんが先に笑ってくれたから、気持ちが楽だった。


 そして、セオル戦術技巧官せんじゅつぎこうかんは再び、眼光を鋭い物に変えた。直轄領ちょっかつりょうと帝都、妖魔ようま船団と対応に当たる第四艦隊群と法印皇女船こういんこうじょせんの位置関係を黒板に素早く書いた。

「順当に考えるならば、妖魔ようま世界守護結界せかいしゅごけっかいを破壊した後、艦隊戦力を糾合し帝都を短期間に制圧することを意図していると考えられます」

 妖魔ようま魔法機械まほうきかいの本当の力は、私たち人が使える魔法力を大きく凌駕する。世界守護結界せかいしゅごけっかいは、私たちには加護かごを、妖魔ようまには足枷をもたらす魔法だった。だから、銀雪聖堂ぎんゆきせいどうに納められた世界守護結界せかいしゅごけっかいを失うと、少なくとも帝都の北半分では、妖魔の機械獣魔ようまきかいじゅうまに対抗しきれなくなる。

 さらに言えば、突破口を作られてしまい、帝都南側、神領区じんりょうくにある世界守護せかいしゅご結界けっかいまでも喪失したら――アゼリア直轄領ちょっかつりょうはおろか帝国北部全域を失うことに繋がりかねない。それはあってはならないことだった。

「状況を支えられるか、否かは――銀雪聖堂ぎんゆきせいどうに安置された世界守護結界せかいしゅごけっかいを守れるか、否かにかかっています」

 ため息を漏らした。

 妖魔ようまは馬鹿じゃない。有り余り魔法力を嫌などに有効に使ってくるの。

 帝都北側を護る銀雪聖堂ぎんゆきせいどうに不可視魔法を被った小型の機械獣魔きかいじゅうまを送り込んできた。いまだに呪符じゅふが解析されていない新種の不可視魔法だった。帝都の内外に張り巡らされているはずの警戒魔法では見つけられなかった。この騒ぎの最中の出来事だった。天空艦隊は、自らの懐深くに潜り込まれた敵に気づけなかった。

「現在、第四艦隊群を呼び戻しています。また、第七艦隊群からも戦力の一部を抽出し帝都へ向かわせていますが……あと、20時間ほど要すると見込まれます」

 そこまで話すと、セオル戦術技巧官せんじゅつぎこうかんはにやりと意味ありげに悪戯いたずらっぽく笑った。

「正式に沙夜法印皇女様さやほういんこうじょさまが着任なさいましたので、僕は沙夜皇女様さやこうじょさまの指揮下に入ります」

 いきなりの言葉に、私はしっぽを踏まれた猫のように飛び上がった。

「待ってっ!」

 思わず声をあげていた。広い統合指揮所に私の黄色い声が反響した。セオル戦術技巧官せんじゅつぎこうかんは黒板の前で小首をかしげた。

「待ってください……それ、困ります」

 簡単な仕掛けに引っかかった……と、気付いた。でも、声をあげちゃったから、もう、遅い。

 最初に、任命式のことでセオル戦術技巧官せんじゅつぎこうかんは必要もないのに詫びてくれた。気を許した私に、今度は帝都が妖魔ようま蹂躙じゅうりんされるかも知れないなんて、深刻すぎる予測を突きつけた。

 そして、これ。びっくり箱を仕掛けられた。

 この人、絶対指揮権を持っているお爺さま方を相手に渡り合ってきただけのことはあるよ。可愛い顔しているのに、話術が腹黒い気がする。

「セオル戦術技巧官せんじゅつぎこうかん様には、引き続き直轄領外縁部ちょっかつりょうがいえんぶにいる妖魔艦隊ようまかんたいのお相手をお願いします」

 予定された台詞を棒読みさせられた感覚だった。

「分掌ですね。ありがとうございます。実は、僕もそれを後で提案しようと思っていました」

 びっくり箱の話術に引っかかったのに、嫌な感じはしなかった。たぶん、この人は自分の意見を聞いてくれる人にいつも感謝を口にしているの。命令しているのではなく、提案を取り入れて頂いているんだって、そんな話し方をしていた。でも、何か引っかかる気がする。

 そして、セオル戦術技巧官せんじゅつぎこうかんは、黒板に一体の魔法機械騎士まほうきかいきしを書き始めた。走り書きだけど黒板絵も上手い。チョークで描かれたイラストは良く雰囲気が出ていた。

 でも、すぐにはイラストの意図がわからなくて小首をかしげた。

沙夜法印皇女さやほういんこうじょの指揮下には、極めて高性能な魔法機械騎士まほうきかいきしがあると伺っています。帝都内に侵入した機械獣魔きかいじゅうまをお願いします」


 えっ?


 驚き顔の私から、セオル戦術技巧官せんじゅつぎこうかんは今度は別テーブルへ向き直った。それから、さらに振り向いて私に視線を戻した。

「オーフェリア伯爵様はくしゃくさま、天空揚陸艦パレイベルをお貸しください……沙夜法印皇女様さやほういんこうじょさま、この天空船で沙夜姫様さやひめさま魔法機械騎士まほうきかいきしを港区から北区へ移送します」


 ガストーリュを使うの?


 セオル戦術技巧官せんじゅつぎこうかんのボウイソプラノの声に求められても正直にいうと、迷っていた。

 ガストーリュ。私が一目惚れした魔法機械騎士まほうきかいきしだった。強大な妖魔の機械獣魔ようまきかいじゅうまに対抗し得るのは、漆黒しっこく貴姫様きひめさまが創り出したあの魔法機械騎士まほうきかいきししかないという理屈は理解できた。でも……ガストーリュはまだ修理中だった。それに、自身の剣すら失ったままだ。やっと、動けるようになった病み上がりの状態で、少なくとも戦いに出せる段階にはない。


 この後も細かい伝達事項や、それに対する意見交換が活発に行われた。セオル戦術技巧官せんじゅつぎこうかんと、教導騎士団きょうどうきしだん直轄領守護艦隊ちょっかつりょうしゅごかんたい、さらに第四艦隊群からも連携作戦にいて、実際の詳細を詰めるために議論が飛び交っていた。

 でも、私はもう議論の内容なんて耳に入らなかった。やっと直って歩けるようになったばかりのガストーリュをまた、壊してしまうかも知れない。

 そう考えると、苦しくって胸が詰まりそうだった。


 状況説明会が終わり、それぞれのテーブルで、各騎士団毎に割り当てられた役割をどう実行するのか? を細かく詰めていく段階になった。


 くよくよ悩んでいても仕方がない。意を決して、心でガストーリューに呼びかけた。


 でもね、本当は……いちいち尋ねなくってもガストーリュの答えは最初から解っていた。私が行く場所に行く。私の盾になる。それだけだった。


 ガストーリュ、ごめんなさい。

 私は、あなたに護られてばっかりです。


 決心したんだから、気持ちを切り替えよう。

「……甲羅虫通こうらむしどおり魔法機械工廠まほうきかいこうしょうに連絡をお願いします」

 通信担当の騎士にお願いして、ウルシル魔法機械工廠まほうきかいこうしょうへ回線を用意してもらった。

 きっと今夜も徹夜仕事のつもりで魔法機械まほうきかいを弄くっている最中だろう。ラファル技巧官ぎこうかんはなかなか通信に出てくれなかった。

 待っている間は、決心したばっかりなのに、ため息が零れた。


 ……怒られるよね、絶対……


 待つこと十五分、ラファル技巧官ぎこうかんは最初、いつもどおり眠そうな顔で蛍砂表示管けいさひょうじかんに現れた。

「えっ? ガストーリュを実戦に投入? えっ! 今すぐって?」

 ラファル技巧官ぎこうかんは本当に驚いていた。でも、私がどこから通話しているか気づいて、表情が変わった。ラファル技巧官ぎこうかん側から見た、蛍砂表示管けいさひょうじかん越しに話す私の背景は、天空艦隊統合指揮所なのだから。

 私は、じっとラファル技巧官ぎこうかんの淡青色の瞳を見詰めていた。時間がないとき、こんな逼迫した事情があるときは、言葉よりも目線の方が気持ちが伝わると思うの。

「――解りました。時間優先で動き回れるよう設定を組みます。ただし、慣らし運転も負荷試験もしていない機械騎士きかいきしに大立ち回りさせるのですから……壊れても泣かないように」

 一瞬、胸が痛かったけど、我慢してうなずいた。

「あと三時間でお願いします」

 無理を言っていることは承知で頭を下げた。それから、絶対に怒られるって思ったけど、作戦上必要なことだから付け加えた。

「天空揚陸艦〈パレイベル〉が魔法機械騎士工廠まほうきかいきしこうしょうへ迎えに行きます」

 当然だけど、蛍砂表示管けいさひょうじかんの中でラファル技巧官ぎこうかんが声をあげた。

「いきなり蒸気投射管で放り投げるつもりですか!」

 やっぱり怒られた。無理はなかった。蒸気投射管というは、かなり乱暴な展開手段だった。つまり大砲と似ている。作戦目標に素早く魔法機械騎士まほうきかいきしを展開するための方法だけど、本来が空を飛べない魔法機械騎士まほうきかいきしを蒸気の圧力で空中に放り上げるのだから、当然、危険もある。少なくとも飛ばされる機械騎士きかいきしは完調であることが大前提だった。

 私が本気なのが伝わると、諦めた顔になる。

「……解りました。壊れたら、また、一緒に直しましょう」

「ごめんなさい」

 あんなに熱心にガストーリュの復元作業に当たってくれた、ラファル技巧官ぎこうかんに申し訳なくって、蛍砂表示管けいさひょうじかん越しの苦笑いへ、深く頭を下げた。


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