#010 演習空域、天空教習艦アキアカネ



♯星歴682年10月 15日

 アゼリア市郊外 第二演習空域


 次期法印皇女じきほういんこうじょとして、推挙すいきょされたら、当然だけど教育係を付けられた。天空艦隊には、法王親率教導騎士団ほうおうしんそつきょうどうきしだんという、とっても怖い組織があるの。


 ……と、言っても法印皇女ほういんこうじょになる勉強を初めてしばらくは、あんまり怖いとは思わなかった。講堂に呼ばれて勉強したけど、講義の内容が専門的で難しいことを除けば、学校の勉強よりも面白いとさえ感じていた。

 でもね、貨物船を貸してもらうんじゃなくって、本物の教習艦を乗り回す段階にきて、ようやく彼らは、多くの天空騎士に恐れられるその本性を現わした。


 私付きになった指導騎士は、びっくりなことにクムク副騎士団長ふくきしだんちょうだった。教導騎士団きょうどうきしだんには、四人の副騎士団長ふくきしだんちょうがいるけど、クムク副騎士団長ふくきしだんちょうは特に若い天空騎士たちに人気があった。怜悧れいりな哲学者タイプといえば、イメージが伝わるかなあ? 知的な眼差しが涼しげな方だった。語り口も物静かで、博識はくしきで優しい紳士だった。

 本当に、このまま歌劇舞台に立って歌い出しても不思議じゃないくらいに、綺麗きれいな人だった。私、こういうことには疎くて、教導騎士団きょうどうきしだんがどんな組織なのか、この麗しい顔立ちの青年騎士がどんな方なのか……昨日の夜に帰宅後に調べて……遅ればせながら慌てた。

 そう、昨日は魔法機環船まほうきかんせんで教習が受けられるって浮かれていたから、こっちのことはうわの空だった。


 ……まずい。どうしよう。この人、凄い人だったよ。


 帰宅後に気付くなんて間抜けだと思った。そして、急に怖くなった。

 これは、学校のクラスメイト、特に天空艦隊を目指している貴族家の女の子たちに知られたら、首を絞められそうな状況だと、内心で恐怖した。それくらいに天空艦隊では、女性騎士じょせいきし侍女官じじょかんたちからの絶大ぜつだいな支持を集めていた凄い方を、短期間とはいえ、私専属に指導役に付けられてしまったの。

 あり得ない。絶対にあり得ないと思った。

 帝都アゼリア市でも随一ずいいちの人気を誇る、あのクムク副騎士団長ふくきしだんちょうを貸し切りにしちゃったなんて……

 まずいよ、これ。学校で他の女の子たちに知られたら、靴箱に蛙を入れられたり、持ち物に悪戯いたずらされたり……もしかしたら、掃除当番を毎日やらされるかも知れない。考えられる限りの意地悪のリストが被害想定として、私の脳裏のうりをよぎった。


 教導騎士団きょうどうきしだん迅速じんそくな対応と、徹底した指導力で天空騎士たちから恐れられていた。うっかり練度の低い艦船があると気付かれたら、無事では済まされない。指導騎士がつむじ風の如く現れて、できるようになるまでに容赦ようしゃなく練習させられるの。

 きっと、法印皇女ほういんこうじょの卵なのに天空船を上手く扱えないダメな子がいるから、副騎士団長ふくきしだんちょうを送り付けてきたんだ。

 教導騎士団きょうどうきしだんは徹底した指導力で恐れられていた。私の学校での微妙な立ち位置を斟酌しんしゃくしてくれるような甘い組織じゃなかった。


 それに、私は……クムク副騎士団長ふくきしだんちょうみたいな品行方正ひんこうほうせい八面玲瓏はちめんれいろうなタイプの方は、苦手だった。だって、傍にいると疲れるんだもの。私が育った環境との違いが大きすぎるの。


 私のお家、メートレイア伯爵家はくしゃくけは武家だった。お父様は天空艦隊最速さいそくが売りの第四艦隊群の絶対指揮権を持っていた。

 猪突猛進ちょとつもうしん信条しんじょうで、どんな壁でもぶち抜く。叩き潰す。踏みにじる。破壊する……どんなに堅い防御法符ぼうぎょほうふだって止められない。突撃、電撃、突貫が口癖の第四艦隊群は、天空帝国が誇る突破力の権化ごんげというべき存在だった。

 お父様を一言で表すならガサツな大食漢たいしょくかん。怪獣といっても間違いはない。妖魔ようま魔法機械まほうきかいを追い回して、片っ端から食い散らかしてしまうの。天空帝国を守る凶暴きょうぼうな大怪獣だった。私とは全然似てないっていわれるけど、でもね、やはり親子だから、そのガサツさに慣れてしまった。


 だから、クムク副騎士団長ふくきしだんちょう丁寧ていねいな話し口調くちょうは、最初はちょっと苦手だった。とにかくペースを合わせて話そうとすると、くたびれるの。

 ……でもね、この優男認定やさおとこにんていを、私は後で取り消すことになる。だって、あの教導騎士団きょうどうきしだん副騎士団長ふくきしだんちょうを張っている方だからね。獲物に対する嗅覚の鋭さは、粗暴そぼうなイノシシみたいなお父様よりも、数段は上だった。


 ◇ ◇


 前置きが長くてごめんなさい。

 それで、初めての実践演習じっせんえんしゅうの結果はと言うと……散々な有様ありさまだった。天空船での戦い方については、また別の機会があるから、その時に詳しく話すけど、とにかく、直轄領守護艦隊ちょっかつりょうしゅごかんたいに負けたのは凄く悔しかった。


 ルールは簡単だった。わずか五メルトリーブ先に標的となるブイが浮いていた。それを十五分以内に撃てたら私の勝ち。時間切れか、あべこべに撃沈判定を取られたら負け。

 相手役の直轄領守護艦隊ちょっかつりょうしゅごかんたいからやってきた装甲巡洋艦そうこうじゅんようかん三隻は、横一列にこちらと同じ高度に並んでいた。初心者向けだから、ルールは凄く簡単だった。


 お父様がお仕事で第四艦隊群を率いて行う星華月パンザ・イネの演習は、もっと複雑だった。少なくともこんな感じに同一高度面に標的も守備側も揃って並んでいるなんてことはない。演習に参加する艦船は、バラバラの高度に分散配置されていて、積雲の影に伏せられている別部隊とか、地面付近の高度に隠れている船とか、攻守ともに色々と仕込んでいた。そこまでいくと組織戦なので、お互いに相手の動きを読み合う戦術や、所属艦船相互の連携が重要になってくる。

 でも、一対三で行う初めての実践演習じっせんえんしゅうは、純粋に操演技術そうえんぎじゅつだけの戦いだった。

 お守り札みたいに胸元にしまった懐中時計に、服の上から触れた。


「始めます。どうぞ」

 そう、指導騎士役のクムク副騎士団長ふくきしだんちょうが宣言するとすぐ、相手役の直轄領守護艦隊ちょっかつりょうしゅごかんたいから燭光信号しょくこういんごうが届いた。光点滅の組み合わせで短文を伝える原始的な通信手段だった。でも、私、これが苦手で……三回、繰り返して送ってもらってようやく読めた。

「ここは、通さぬ……」

 お決まりの文句の他に何か送信してきたけど、ごめんなさい、読めなかった。

「すみませんです。押し通らせてください」

 と、打ち違いも混ぜながら、微妙におかしい返信を飛ばした。本当は、「押し通る」と格好良く返すのが流儀りゅうぎだけど、気が引けてしまった。

 作戦というほどのこともなかった。私ひとりだし、状況は全部見えている。ごく単純に、こちらは足の速い船が一隻、向こうは足の遅い船が三隻って条件なのだから、機動力で掻き回してどれか一隻に集中攻撃を仕掛ければいいはず。つまり三隻を二隻に減らしてしまえば、標的へ近づくルートが開けるはずと考えた。

 三対一だけど、相手は足の遅いミファイルアント級装甲巡洋艦きゅうそうこうじゅんようかんだった。運動性では、私が操演そうえんする「アキアカネ」の方が数段も上だった。計算上は、三対一でも負けないはずだった。


 だけど、そうは簡単にことが進まなかった。

 一番端に位置した船を集中攻撃した。着色演習珠ちゃくしょくえんしゅうじゅをたっぷり浴びせて撃沈判定と取ろうとしたけど、さすがは硬いことで有名な直轄領守護艦隊ちょっかつりょうしゅごかんたいだった。足の遅さを充分に補う無駄のない動きで、効率的にお互いを援護し合うの。結局、一隻に的を絞りきれず、三隻を分散して攻めてしまった。そして途中で演習珠えんしゅうじゅを使い切ってしまったの。

 最後は、時間切れ間際に仕方なく三隻いる相手を無理矢理すり抜けようとして、盛大に演習珠えんしゅうじゅの雨を浴びてしまった。

 


 ◇ ◇


「はあ~」

 行きはやる気がたぎっていたのに、帰りはため息ばかりだった。

 演習空域から帝都へ帰り道も、私は大負けしたショックを引きずっていた。

 私だって、あの第四艦隊群の絶対指揮権を持つメートレイア伯爵家はくしゃくけの娘だっていう気概くらいは、ちょこっとはあった。三対一の壁くらいなら突破してみせると意気込んでいたのに……


 それなのに……


 ボロ負けしてしまった。

 愛称の「アキカカネ」、そのもうひとつの意味が袋叩きにされてようやく実感できた。

 本当の戦いでは鋼鉄や、攻撃法符こうげきほうふ入りの砲弾を撃つのだけど、演習では着色演習珠ちゃくしょくえんしゅうじゅを用いていた。つまり、命中すると、真っ赤に塗られてしまう魔法が詰まった砲弾を撃ち合ったの。

 この天空教習艦が「赤とんぼ」とか「アキアカネ」って呼ばれている意味は、そういうことだった。ヘタっぴな練習生や天空騎士のたまごたちが、ぼこぼこにされて真っ赤に演習珠えんしゅうじゅで塗り潰されるっていう嫌な意味も込められていた。クムク副騎士団長ふくきしだんちょうは「違いますよ」って言葉では否定したけど、瞳は微妙に笑っていた。


 ……「アキアカネ」って、絶対、そういう意味に違いないよ。


 さらに、落ち込んでいるときは良いことはない。そういうものらしい。

 この教習艦は頑丈で知られる機甲要撃艦きこうようげきかんテアルーペを改装したものだった。(可愛いからずっと「アキアカネ」って呼んでいたけど、本当の艦名はテアルーペっていうの。これも後で調べ直した)


 機甲要撃艦きこうようげきかんは、本来は艦隊前縁に位置して、敵艦隊からの突撃艦を食い止める役目を担っていた。次々と襲来する突撃艦を捌くために高い運動性を持ち、しかも突撃艦の衝角しょうかくによる体当たり攻撃に耐えなきゃいけない。

 この「アキアカネ」の場合は、運動性の良さは使いやすさに、ムキムキな装甲厚はきっと、どこかに必ずぶっつける初心者のヘタっぴさに耐えるために活かされていた。船体のあっちこっちに刻まれた擦り傷の数だけ天空騎士が巣立ったともいわれている。


 そう私も、ごっつんしてしまった。天空船は踏ん張る物が何もない空の中に浮いている。風に流されたり、進入速度が速すぎで曲がり切れなかったりと様々な理由で、色々な場所にぶつかる危険がいっぱいあるの。


 私の場合は、外周運河に降りるときにやってしまった。散々な教習が終わって、後は運河に降りておしまいって場面でちょっと油断した。集中力が切れていた。

 それにね、その日はまだ終わりじゃなかった。天空教習艦アキアカネでの実践練習じっせんれんしゅうがすんでも、この後、さらに教導騎士団きょうどうきしだんの講堂で座学の授業が待っていた。私が普通に学校へ通っているから、時間的な余裕が全然ないってあたりに、やってしまった根本的な原因があると思う。

 とにかく、あのときは時間がなくって焦っていた。集中力も散漫さんまん有様ありさまで、良く確認しないで外周運河にひょいと降りてしまった。

沙夜姫さやひめ、進入速度が速すぎますよ」

 クムク副騎士団長ふくきしだんちょうは、涼しい顔でさりげなくいった。まるで紅茶に入れた角砂糖かくざとうがいっこ多いよっていうのと口調くちょうが変わらない。だから、私の判断と対応が遅れた。

「しまったっ!」


 慌てて機関をリバースして減速をかけたけど、もう間に合わない。高度計、速度計、船の姿勢を大急ぎで確認して、青ざめた。

 焦って機関をリバースしたのは大失敗だった。速度落ちて行き足がなくなると、主舵しゅだの効きが悪くなって、風に流されやすくなるの。着水をやり直そうにも船体は外周運河に向けてどんどん降下していた。

 浮素管には外周運河の水面と同じ高度へ降りるように指示を出したままだったの。船体の姿勢を立て直す時間もなかった。

「350のマイナス5の200に、ホルク閘門塔こうもんとう。接触に注意せよ――と、指導教官としては発声する義務がある状況ですね」

 この数字は見通し系座標。船の進行方向をゼロに時計回りに360度の水平座標すいへいざひょう、プラスマイナス90度の垂直角度すいちょくかくど、10セタリーブ丸めの距離の組み合わせで、船から見た場合の方向と距離を表すもの。

 この場合は、左前方にすぐ近くに、閘門塔こうもんとうがあるから、ぶっつけるなって意味だった。

 速度がありすぎて、間に合わない。本当はこのホルク閘門こうもんより手前の水面に降りるはずだった。だけど、止まれない。

 とっさの判断で操演球そうえんきゅうを廻して、閘門塔こうもんとうを飛び越した。そして、着水。

 なんとか外周運河に降りられた…… と、ため息をついた。

 ところが……

「シライ閘門区こうもんくに着水。水深不足ですから、艦底部構造物が河床かしょうに接触しますから、注意してください」

 クムク副騎士団長ふくきしだんちょうが、またも緊張感に欠ける声で告げた。


 へ……っ? 深さが足りないって?

 えっ? あっ!


 言われて気付いた。というか、外周運河は区間によって深さが異なることを、うっかり忘れていた。ホルク閘門こうもんを飛び越えてしまったから、ひとつ下流側にある小型船向けのシライ閘門区こうもんくに降りてしまったの。

 慌ててクラッチを切って、メーンローターを主機関から切り離して止めた。船体下部にある操縦翼面そうじゅうよくめんも可能な限り上に向けた。でも、熱帯魚のしっぽみたいに大きい主舵しゅだだけは仕舞えない。アキアカネの絵柄えがらに飾られた、この船尾主舵せんびしゅだは凄くお気に入りだったのに。


 ガリガリ……


 外周運河の川底と主舵しゅだが接触した、身を削られるように嫌な音が響いた。泣きそうだった。

 帝都外周運河の深さは区間によって異なるの。つまり大型船対応に深く掘られている区間と、小型船向けの浅い区間がある。もちろん、標識が色々と出ているし、天空回廊かいろう管制局からも、外周運河管理所からも音声による誘導があった。だから、ちゃんと気をつけていれば大丈夫なはずなのに……


 こんなダメダメな状況でも、クムク副騎士団長ふくきしだんちょうは礼儀正しく優しかった。私を貶たり嘲笑したりなんて全然しない。

 やっぱり調子が出なかった。うちのお父様だったら、豪快ごうかいに笑い飛ばしてくれるのに……その方が、気が楽なのに…… 品位も格式もある、常識的な天空貴族様の相手は、本当に疲れたよぉ。

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