#020 銀雪聖堂上空、機械獣魔を迎え撃て

♯星歴682年 10月 17日 午前5時15分

  アゼリア市北区銀雪地区上空


 統合指揮所にはオーフェリア直轄領守護艦隊司令ちょっかつりょうしゅごかんたいしれいをお留守番に残して、私とアガスティア教導騎士団長きょうどうきしだんちょう銀雪聖堂ぎんゆきせいどうに移動した。


 全ての閘門こうもんを開いた影響から外周運河がいしゅううんがの水位は、規定のティンティウム湾平均海面プラス五百セタリーブをかなり割り込んでいた。機械獣魔きかいじゅうまの通過を確認できた順にゲートを閉じて、大急ぎで湛水中たんすいちゅうだけど、水位を回復するまでには時間が必要だった。水位が低いから、喫水きっすいの深い大型天空船を降ろすことはできなかった。

 もしも、無理をして規定水位未満で大型天空船を外周運河がいしゅううんがに降ろしたら、メインローターや主舵しゅだを川底にぶつけてしまう。私がアキアカネでやってしまったのと、同じね。天空船てんくうせんは船体よりも大きな主舵しゅだとメインローターを船尾せんびに備えている。その姿は、そうね、エンゼルフィッシュに例えるとイメージしやすいかも知れない。


 それに何よりも時間優先。だから、呼び寄せた天空揚陸艦パレイベルは外周運河がいしゅううんがへは降ろさず、法王宮殿ほうおうきゅうでんの側を通り過ぎる途中で、乗り移ることになった。つまり飛竜に跨がり天空船てんくうせんまで飛ぶの。

 飛竜は教導騎士団きょうどうきしだんから貸して頂いた。

 飛竜の手綱はユカが握った。私はユカに手伝われて、ユカの前に座った。頑張り屋さんのユカは、侍女官なのに飛竜を乗りこなせた。

 これが、宮廷貴族のお姫様付き侍女官だったら、飛竜なんて物騒な乗り物は、怖がるだけで近寄ることさえしないと思う。だけど、ユカがお仕えするって決めた相手は私、法印皇女だった。古の漆黒妖魔が遺した魔法機械と戦うことが役目である以上、侍女官と言えども、飛竜を乗りこなす必要があったの。

 でかい飛竜を操るのってすごく難しい。ユカは、私の側にずっといるために、いっぱい練習を頑張ったんだと思う。

沙夜様さやさま、しっかり掴まっていてください」

 やあっ! とユカの黄色い声が叫んだ。

 ばさりばさりと飛竜が羽ばたいた。


 法王宮殿ほうおうきゅうでんや統合指揮所では借りてきたネコのように萎縮いしゅくしていたユカが、飛竜にまたがると別人みたいに生き生きして見えた。深窓の姫君みたいに可憐なユカが、凜々りりしい飛竜使いに変貌へんぼうした。そんなユカの横顔を見ていると嬉しかった。同時に私も頑張らなきゃ……そんな気持ちになった。


 私は飛竜を操るなんてできない。武家であるメートレイア伯爵家の娘としては、かなり恥ずかしいことだけど、練習しても飛竜は私を怖がってしまうの。

 魔法力に敏感な生き物である飛竜には、チビの私が本当は魔法力に限っては、とんでもなく馬鹿力だって見抜かれてしまう。私が指示を出しても、飛竜はパニックを起こしたり、怖がって地面にうずくまってしまったりと、全然ダメだった。


 だから、教導騎士団きょうどうきしだんから借り出した慣れていないはずの飛竜を、ユカが自由に乗りこなす姿に素直に感動した。私も乗せてくれるのだから、この飛竜はかなり訓練されているか、逆に魔法に鈍感な個体なのかも知れないけど。


「ユカ、アガスティア伯爵様はくしゃくさまへご挨拶をお願い――『女神メティーン様のご加護を』」

 これは天空艦隊てんくうかんたいで出撃前に交わす定型文だった。

 ユカは燭光信号しょっこうしんごうも完璧だった。ユカは何でもそつなくこなせる才女なの。

 左手で飛竜の手綱を握り、右手で燭光信号器しょっこうしんごうきを器用にチカチカ。一緒に統合指揮所を出たのに、もう空の彼方に飛び去ったアガスティア教導騎士団長きょうどうきしだんちょうの駆る飛竜へ、メッセージを飛ばしてくれた。

 それにひきかえ、私は……燭光信号しょっこうしんごうも苦手なの。

 燭光信号しょっこうしんごうは、光の明滅のパターンで短いメッセージを送る通信手段だった。見通し可能な短い距離でしか使えないけど、小さな信号筒を持ち歩くだけで済むから、飛竜では専らこの方法が使われていた。

 だって、真空管がいっぱい詰まった無線機は大きくて重いし、すぐに電池が切れるから、統合指揮所みたいな地上の施設か、最低でも突撃艦以上の大きさがある天空船じゃないと扱えなかった。今回は、同じ帝都内だから銀雪聖堂ぎんゆきせいどうとの間では、情報共有には無線回線も使われていたけど。

 他に魔法を使う通信布もあるけど、こっちは小さくて便利な反面、魔韻まいんノイズには弱い。魔韻擾乱まいんじょうらんが巻き起こっている現状では使いづらかった。

 だから、どんなときでも見渡せる距離なら絶対に大丈夫な燭光信号しょっこうしんごうは、主に飛竜を駆る天空騎士たちに愛用されていた。 


 アガスティア教導騎士団長きょうどうきしだんちょうは、当然だけど飛竜も燭光信号しょっこうしんごうもパーフェクトだった。だって全ての天空騎士てんくうきしにとって〈生ける教科書〉というべきお方だから。

 その模範演技の綺麗きれい燭光信号しょっこうしんごうでも、私は読めなかった。うっかり、読めないって言うと燭光信号しょっこうしんごうの実技について補習を受けるハメになるので、内緒だけど。

「アガスティア先生から返信です……」

 ユカの声が、ちょっと低くなった。「先生」とアガスティア教導騎士団長きょうどうきしだんちょうを呼んでいるのは、こってり絞られた経験がある「生徒」の特徴だと思った。ユカもアガスティア教導騎士団長きょうどうきしだんちょうだけは苦手だよね?

「あの……『研鑽けんさんせよ。漆黒しっこく貴姫きひめの高みを目指せ』……以上です」

 ため息。六百年前、どんなに頑張っても勝つことが叶わなかった漆黒しっこく貴姫様きひめさまという存在は、天空軍にとって最大級の努力目標となっているの。アガスティア教導騎士団長きょうどうきしだんちょうがおっしゃりたいことが解ったら、胃が痛くなりそうだった。

 この騒動を勉強の場にしなさいという意味らしい。


 侵略軍のお姫様が努力目標なんて、地上に住むみんなには不思議と思えるかも知れない。でも、世界守護天空艦隊せかいしゅごてんくうかんたいの全てを喪失して完敗した過去は、私たち天空騎士てんくうきしを謙虚させていた。

 ことあるごとに、研鑽けんさんせよと繰り返されるのは、さすがにご勘弁だけどね。

 アガスティア教導騎士団長きょうどうきしだんちょうが駆る飛竜は、一足先に銀雪聖堂ぎんゆきせいどうに向けて飛び去った。


 もう一度、ふたりでため息をついたら、ユカが空の向こうを指さした。見遣みやると、朝焼け前の紫色に変わり始めた東の空に、黒いシルエットが浮かんでいた。

「パレイベルです。寄せますね」

「お願いします」

 飛竜のことは、ユカに丸ごとお願いすることにした。

 天空揚陸艦パレイベルは、昨日の朝の時点では直轄領ちょっかつりょうの東側にあるペーファリユ回廊かいろうにいた。セオル戦術技巧官せんじゅつぎこうかんは、直轄領守護艦隊ちょっかつりょうしゅごかんたいでは唯一の天空揚陸艦であるパレイベルを呼び寄せていた。


 チカチカとパレイベルが燭光信号しょっこうしんごうを送ってきた。光の明滅がメッセージを伝えていた。

「ラファル技巧官ぎこうかん様から、沙夜さや様宛に燭光信号しょっこうしんごうです――魔法機械騎士まほうきかいきしガストーリュをお届けしました、とのことです」


 パレイベルはまず港区甲羅虫通こうらむしどおり魔法機械工廠まほうきかいこうしょうへ立ち寄り、魔法機械騎士まほうきかいきしガストーリュの他、教導騎士団きょうどうきしだん機械騎士きかいきしたちと、その整備に当たる技巧官たちを積み込んだ。

 ラファル技巧官ぎこうかんたちは至急扱いで魔法機械騎士まほうきかいきしたちを整備した。中には核である魔法機環まほうきかんを分解整備していた機械騎士きかいきしすらあったらしい。それを昨夜からの徹夜作業で組み直した。

 それでも一番に手のかかるガストーリュは整備しきれず、パレイベルの中で整備を続けている……統合指揮所を飛び立った後に届いた続報によると、相当な無理をしているらしい。

 蒸気投射管で撃ち出すという無茶なリクエストに応えるために、魔法機械工廠まほうきかいこうしょうのみんなは総力を挙げて突貫作業でガストーリュを戦えるように仕上げてくれたの。

 心の中でラファル技巧官ぎこうかんたち、魔法機械工廠まほうきかいこうしょうのみんなに感謝した。



 ユカは、巨大な天空揚陸艦の後部甲板へ飛竜を降ろしてくれた。ユカの操る飛竜には、初めて乗せてもらったけど、怖いとは少しも感じなかった。それくらい、ユカの手綱捌きは上手かったの。

 すぐに連絡役の従者が駆けてきた。さすが直轄領守護艦隊所属艦ね。些細なことかも知れないけど、しっかりしていると思った。

 お迎えに来てくれた従者の少年に案内されて、パレイベルの艦橋を訪れた。赤錆色をした装甲板に包まれた天空揚陸艦の船内は、外観のごっつさとは逆に小綺麗こきれいに整理整頓されていた。


 バレイベル艦長にご挨拶を申し上げて、艦橋で最新の戦況情報を仕入れた。

 敵、機械獣魔きかいじゅうまは予想どおり外周運河がいしゅううんが銀雪聖堂ぎんゆきせいどうに向けて反時計回りに移動中だった。

「十分前にナギリ閘門こうもんを通過しました。銀雪聖堂ぎんゆきせいどうまで、あと二メルトリーブです」

 パレイベル付きの戦術技巧官せんじゅつぎこうかんは、機械獣魔きかいじゅうま銀雪聖堂ぎんゆきせいどうに到達するまで、あと三十分足らずと予想していた。

 戦術技巧官せんじゅつぎこうかんからの説明によると、水位が下がった外周運河がいしゅううんがの河道内を妖魔ようま機械獣魔きかいじゅうまは、歩いて進んでいた。この段階ではもう、くだんの不可視魔法を展開していなかったから、上空からでもその姿を確認できた。


 機械獣魔きかいじゅうまは北区と東区の境目にあるナギリ閘門こうもんを通り過ぎた。これが最後の閘門こうもんだった。これで銀雪聖堂ぎんゆきせいどうまで機械獣魔きかいじゅうまの行く手を遮る物は何もない。

 繰り返しになるけど、こんな風に機械獣魔きかいじゅうまの行き先の閘門こうもんを開いて、まるで道案内しているみたいに対応した理由は、みっつ。

 もう、わかったよね?


 ひとつめは、閘門こうもんのゲートを壊されたくないから。

 ゲートの開閉ができなくなると、外周運河がいしゅううんがの水位調節が破綻してしまう。外周運河がいしゅううんが天空艦隊てんくうかんたいにとって、効率的な艦隊運用の要というべき施設だった。この運河を失うと、天空艦船てんくうかんせんへの食料、砲薬、そのほか消耗機材の補給が効率的にできなくなる。直轄領ちょっかつりょう外縁部に妖魔ようま魔法機械艦船まほうきかいかんせん遊弋ゆうよくしている状況で、外周運河がいしゅううんがの機能を失うのは致命的だった。


 ふたつめは、私たち、天空軍の意思と意地を示すこと。

 つまり、機械獣魔きかいじゅうまの行動を先読みして準備したことを解らせるの。不可視魔法に惑わされて、良いように先手を取られるなんてことは、もうないってね。

 ……半分は、強がってみせただけ、なのだけど。


 みっつめは、決戦の場を銀雪聖堂ぎんゆきせいどうに限定するため。

 妖魔ようま銀雪聖堂ぎんゆきせいどうの攻略を目標にしていることは間違いなかった。対する私たちも、帝都の中で満足に戦える場所は、実質的には銀雪聖堂ぎんゆきせいどうしかなかった。

 最初の獣魔じゅうまが自壊したときと同じね。世界守護結界せかいしゅごけっかいの影響下にある銀雪聖堂ぎんゆきせいどうならば、この機械獣魔きかいじゅうまが再び盛大に攻撃呪法こうげきじゅほう音韻おんいんを撒き散らしたとしても、市街地への被害を抑えられる。

 だから、銀雪聖堂ぎんゆきせいどうに至る経路にある外周運河がいしゅううんが閘門こうもんの全てを開き、停泊していた天空船てんくうせんを全部移動させた。

 おかげで、昨夜から帝都上空は、外周運河の北側から、南側へと回航される天空船の群れで大混雑になった。外周運河管理所と天空回廊管制局てんくうかいろうかんせいきょくは、徹夜でこの降って湧いた大量移送を捌いてくれた。

 

 天空揚陸艦パレイベルの艦橋は、この巨大天空船を操る機能だけでなく、展開した魔法機械騎士まほうきかいきしたちを指揮する役目も兼ねていた。だから、艦隊旗艦並みに戦術技巧官せんじゅつぎこうかんが専属で乗り込んでいた。


 先発組は、銀雪聖堂ぎんゆきせいどうへ先行していた。その様子を確かめたくなって、心配を言葉にした。

「展開準備は……?」

 私の問いに、往年の戦術技巧官せんじゅつぎこうかんがにんまりと笑みを浮かべて応えた。

教導騎士団きょうどうきしだんは、すでに銀雪聖堂ぎんゆきせいどう敷地内に展開を完了しています」

 さっき別れたばかりなのに、アガスティア教導騎士団長きょうどうきしだんちょうが直接に機械騎士きかいきし隊を率いているとのことだった。それに、あのクムク副騎士団長ふくきしだんちょう魔法機械騎士まほうきかいきしに騎乗して先陣を担当していた。

 もう展開完了って、このお仕事の速さはやっぱり教導騎士団きょうどうきしだんだと思った。


 そして、ガストーリュの整備に時間がかかるから、私たちは後発組に編成されていた。私たちの準備の方が遅れていたの。

「ガストーリュは? あの、整備の方は……」

 遠慮がちにたずねると、後ろから良く知っている声が湧いた。

「仕上がっています……というか、無理矢理で間に合わせました」

 振り向くと、艦橋の入り口に油汚れだらけの作業着姿が、にやりと笑っていた。ラファル技巧官ぎこうかんだった。徹夜仕事明けのせいで目つきが、ちょっと怖くなっているけどね。


 魔法機械騎士まほうきかいきしの格納甲板に案内された。パレイベルは揚陸艦だから、船体中央部に巨大な魔法機械騎士まほうきかいきしの格納庫を設けていた。


 ガストーリュは教導騎士団きょうどうきしだんから貸し与えられた大ぶりの長剣を携えていた。本来ならば、魔法機械騎士まほうきかいきしであるガストーリュは自分自身の剣を持っているはずだった。

「イル砂漠に置き忘れてきたのでしょうね」

 ラファル技巧官ぎこうかんが言うには、発掘記録を再度、確認したが、剣はなかったてっいうの。


 私が駆け寄ると、ガストーリュは巨大な白亜の魔法機械騎士まほうきかいきしは、左手を差し伸べてくれた。巨大な真銀特殊鋼の手に包まれた。私も冷たいガストーリュの指を抱いた。チビだから、ガストーリュの大きな指が相手だと、抱き着いてるみたいになっちゃうけど。

 それに、帝都の内くらいの近い距離なら、私とガストーリュの魔韻はいつも共鳴しているから、いま、どこで何をしているのかぐらいなら、イメージでわかるんだけど…… でも、やっぱりこうして触れ合う方が絶対にいいもの。


 ガストーリュ、無理させてごめんなさい。

 一緒に頑張ろうね。


 法印皇女の衣装は、色鮮やかで柔らかくて軽くて――ガストーリュにも見てもらいたかったから。

 触れ合って、こんな風におしゃべりした方が気持ちが満たされるから。

 強大な機械獣魔きかいじゅうまと戦うのは、怖かったというのも本当だけど、ね。


 でも、私とガストーリュのは、あんまり一般的じゃないらしい。やっぱり金属の塊である機械騎士きかいきしとじゃれ合うって、普通じゃないよね? 

 ひとしきり、へんてこな抱擁の時間を過ごして満足して、ガストーリュの両手に包まれて…… 下を見たら、取り残された格好になったユカが驚いたような呆れたような顔をして、私たちを見上げていた。

 

 魔法機械工廠まほうきかいこうしょうで積み込んだ魔法機械騎士まほうきかいきしたちとともに、大挙してこの天空揚陸艦パレイベルへ乗り込んだ技巧官ぎこうかんたちは、徹夜仕事にもかかわらず、魔法機械騎士まほうきかいきしたちの剣を全て研ぎ直し、さらに切れ味をあげるために風系統の硬化魔法を印加いんかしていた。パン屋さんが届けてくれた写真をもとに、技巧官ぎこうかんたちも対策を練っていたの。

 古文書アーカイブに当たった結果、敵対する機械獣魔きかいじゅうまは、真銀特殊鋼製のとても硬い装甲外骨格を持っていて、攻略はかなり難しいと技巧官ぎこうかんたちは判断していた。

 機械獣魔きかいじゅうまの装甲が極めて硬いという情報は、剣を研ぎ直したという報告とともに、展開中の各騎士団に統合指揮所経由で共有されていた。


 だから、私も追加の対策を求めた。

 天空揚陸艦パレイベルを預かる直轄領守護騎士団ちょっかつりょうしゅごきしだんから、魔法符札まほうふさつを貸してもらったの。私が得意な風魔法を中心に要りそうな魔法符札まほうふさつをバレイベル艦内の騎士きし操演術士そうえんじゅつしたちから掻き集めて頂いた。 

 これも本来ならば、もっと手間暇をかけて私専用の魔法符札まほうふさつを、専門の技巧官ぎこうかんに作って頂くはずだったのだけど…… 法印皇女ほういんこうじょに任命されてすぐにこんな事態に巻き込まれたから…… こんなことをするのは、本当に申し訳なかったのだけど。


 手渡させた色鮮やかなカードを二束に分けた。どれも綺麗で大切に使われている様子がわかる。魔法符札まほうふさつは魔法戦を行う騎士きしや、天空船てんくうせん操演術士そうえんじゅつしにとって、時には騎士たちの命を預かるとても大切なものだった。


 ひとつめの束はガストーリュのために、ふたつめの束はもしもの時に……本当の非常時にしか使わないと決めていた、ある魔法のために。

「ありがとうございます。 あの……もしかしたら……」

 これから相手をする機械獣魔きかいじゅうまはフェリム第4期に作られた最も手強い種類の魔法機械だった。不完全な状態のガストーリュには、正直に言って厳しいかも知れなかった。でも、負けるわけにはいかない。だから……

「ご所望の魔法符札まほうふさつの組み合わせを拝見して、すでに承知しております。沙夜法印皇女様さやほういんこうじょさまは存分になさってくださいますように」

 私の魔法力が馬鹿力なのは、天空騎士たちの中でも知られていた。帝都でを使う可能性は限りなくゼロに近いのだけど、本当に追い詰められた時は…… そう、嫌な予感がどこかでしていた。

「……ごめんなさい」

 魔法符札まほうふさつを貸してくれた天空騎士たちに深く頭を下げた。それくらいしかできることがなかった。もしもの時は、大切なものなのに、焼き切れるまで魔法符札まほうふさつを使ってしまうからお返しできなくなる。

 まだ、どんな戦いになると決まったわけじゃないのに、魔法符札まほうふさつを実質的に召し上げてしまったことに、胸がちくちくと痛かった。


◇  ◇


 準備と打ち合わせを済ませたら、再び、飛竜を駆って、天空揚陸艦パレイベルから飛び立った。メインローターを最大速力で廻したパレイベルは、北区上空へ差しかかっていた。飛竜を駆って、銀雪聖堂ぎんゆきせいどうの上空へ向かった。

 まだ、寝静まっている帝都の家々を飛び越えて飛んだ。

沙夜様さやさま、あそこに……」

 ユカが指さした先で、チカチカと燭光信号しょっこうしんごうが瞬いていた。

 真砂通まさごどおりに繋がる銀雪橋の上で、外周運河がいしゅううんがを見張っていた騎士きしから、機械獣魔きかいじゅうまの到達が知らされた。

 ユカにお願いして、飛竜をゆっくり旋回させてもらった。銀雪聖堂ぎんゆきせいどうを眼下に見下ろした。


 ――やっと、追い付いた。始終、妖魔ようまのペースで振り回されていたけど、今度は教導騎士団きょうどうきしだん直轄領守護艦隊ちょっかつりょうしゅごかんたいが待ち構えている最中へ、問題の機械獣魔きかいじゅうまがやってきた。


 そしてついに、機械獣魔きかいじゅうまは外周運河の中をのし歩くのをやめて、銀雪聖堂ぎんゆきせいどうへ長い首を向けた。その姿は、理科の教科で習った大昔の恐竜を思わせるほどに巨大で禍々まがまがしい。漆黒しっこく色をした装甲外骨格が、濡れて不気味に輝いていた。

攻撃こうげき、待て……」

 アガスティア教導騎士団長きょうどうきしだんちょうの指示が展開中の全ての騎士きしを凍らせた。再び外周運河がいしゅううんがに潜られないように、機械獣魔きかいじゅうまが完全に上陸するまで攻撃こうげきを待った。これが帝都外周運河ていとがいしゅううんがでなければ、上空に展開した天空艦隊てんくうかんたいから攻撃法符こうげきほうふの爆雷が雨のように降っていたはずだった。


 ……っ!


 ふいに機械獣魔きかいじゅうまの巨体が空気に溶けた。

「そんな……っ!」

 驚いた。思わず声をあげた。新種の不可視魔法はかなりの高性能と予想していた。だけど、こんなに短時間に溶けるように見えなくなるなんて。だって、呪符じゅふで編んであるはずの魔法陣まほうじんも一瞬しか見えなかった。


 教導騎士団きょうどうきしだんが反応した。先陣はクムク副騎士団長ふくきしだんちょうだった。温和で柔和な方だと信じていたのは、大間違いだった。見えないはずの妖魔ようま機械獣魔きかいじゅうまに向かって、猛然と斬りかかっていた。

 さすがの練度だった。緑の芝生に覆われた銀雪聖堂ぎんゆきせいどう前の庭園に、歪な足跡が忽然と現れたのに反応したの。

 だけど、蜃気楼みたいな不可視魔法の塊に振り下ろした剣が火花とともに弾かれた。

「硬い、この機械獣魔きかいじゅうまの装甲は半端ないぞ」

「太刀が通らない!」

 蓮の徽章を刻印された教導騎士団きょうどうきしだん機械騎士きかいきしたちも、揺れる不可視魔法の塊に次々と斬り付けた。でも、その全てがことごとく弾かれた。雑音交じりの通信布は、教導騎士団きょうどうきしだんが苦戦する有様を伝えてきた。


 クムク副騎士団長ふくきしだんちょうが騎乗する機械騎士きかいきしだけが、執拗に見えない敵――複雑に軌道を変えて進む機械獣魔きかいじゅうまを追い回していた。他の騎士たちが見失っても、クムク副騎士団長ふくきしだんちょうだけは、不可視の敵を見失わなかった。


 だけど、激しい連撃の末に、剣が砕け散るように折れた。

 すると、すぐに後方にいた機械騎士きかいきしが、クムク副騎士団長ふくきしだんちょうへ新しい剣を投げた。僅かな中断を挟んで、なおも副騎士団長ふくきしだんちょう機械騎士きかいきしは、銀雪聖堂ぎんゆきせいどうに向けてジグザクに進む不可視の敵へ立ち向かい続けた。


 先陣を務めるクムク副騎士団長ふくきしだんちょうが、不可視にも係わらず機械獣魔きかいじゅうまの位置を捉え続けているから、他の教導騎士団きょうどうきしだん騎士きしたちも対応できた。

 私には、ほとんど不可視魔法を見破ることなんて出来なかった。後から尋ねたず たら、クムク副騎士団長ふくきしだんちょう機械獣魔きかいじゅうまの足跡や動作音、それに巨大な見えない塊が周囲の物音を遮ることで生まれる気配に反応していたらしい。つまり、たとえ機械獣魔きかいじゅうまが静止して追跡をかわそうとしても、機械獣魔きかいじゅうまの巨体が周囲の様々な雑音を遮る壁になる。その周辺雑音を遮ることで生まれる音の影を「見ていた」っていうの。すさまじい闘争心だと思った。普段はあんなにのんびりお話しする方なのに……


 でも、教導騎士団きょうどうきしだん魔法機械騎士まほうきかいきしの出力では、巨大な機械獣魔きかいじゅうまを止められなかった。クムク副騎士団長ふくきしだんちょうが駆る機械騎士きかいきしが、執拗に立ち塞がり、鋼鉄の剣を振るった。しかし、再び剣が折れた。

 クムク副騎士団長ふくきしだんちょうだけではなかった。他の機械騎士きかいきしたちも、クムク副騎士団長ふくきしだんちょうから誘導を受けて次々と見えない敵に切り結んだ。だけど、鋼鉄の剣は振り下ろすたびに刃こぼれを起こした。

 必死に阻止を試みた教導騎士団きょうどうきしだんの奮闘にもかかわらず、じりじりと妖魔ようま機械獣魔きかいじゅうま銀雪聖堂ぎんゆきせいどうに向けて進み続けた。

「この獣魔じゅうまは硬すぎます。剣が役に立ちません……」

 クムク副騎士団長ふくきしだんちょうが苦しげな声をあげるなんて、めったに見られる光景じゃないと思った。副騎士団長ふくきしだんちょうが的確に指示を出すから、高い戦技せんぎを誇る教導騎士団きょうどうきしだん機械騎士きかいきしは、見えない目標に対してもかなり正確に対応したはずだった。

 しかし、敵である機械獣魔きかいじゅうまを捉えて、何度も振り下ろした剣がことごとく弾かれてしまう。そればかりか、妖魔ようま機械獣魔きかいじゅうまへ打ち込んでいるうちに、鋼鉄の剣がまるでガラス細工になったかのように脆くも砕けてしまうの。

 敵の装甲外骨格が硬いことを予想し、剣を研ぎ直して魔法までかけてあった。にもかかわらず、刃が立たなかった。残念だけど、魔法技術の最盛期だったフェリム第4期に属する機械獣魔きかいじゅうまを相手に、現在の技術力はあまりに非力だったの。


 最後は、クムク副騎士団長ふくきしだんちょうが回り込んで必死に足止めしたところで、三騎の機械騎士きかいきしが連携して見えない機械獣魔きかいじゅうま攻撃こうげき魔法を浴びせた。副騎士団長ふくきしだんちょうの指示と、獣魔じゅうまの動作音や足跡を頼りに獣魔じゅうまを包囲したの。そして、閃光が庭園を焼いた。


 ユカはとっさに高度を上げて、飛竜を魔法攻撃こうげきの閃光から守っていた。一瞬、見えた魔法符形まほうふけいから教導騎士団きょうどうきしだんの使用した魔法が何か解った。火魔法〈マルギスの火炎車〉だった。金属類を融かす魔法で、この機械獣魔きかいじゅうまみたいに金属製の装甲外骨格を持つ機械獣魔きかいじゅうまには、考えられ得る限りで最も有効な攻撃符法こうげきふほうだった。

 でも……

「だめです。こいつには火力が足りません」

 至近距離から浴びせた強力な火魔法の直撃が、ようやく不可視魔法を破った。でも、それは絶望を確認するだけの効果しかなかった。


 妖魔ようま機械獣魔きかいじゅうまは恐ろしく硬い装甲外骨格の鎧で自身を包んでいた。〈マルギスの火炎車〉で灼かれたはずの装甲外骨格には、ほとんど傷がなかった。装甲板の表面付近が溶けただけで、法外に分厚い外骨格を貫くことはできなかったの。

「クムク副長っ!」

 教導騎士団騎士きょうどうきしだんきしたちの悲鳴が走った。クムク副騎士団長ふくきしだんちょうは、自らみずからも〈マルギスの火炎車〉に灼かれることもいとわず、機械獣魔きかいじゅうまに切り結んで、獣魔じゅうまを押さえ続けていた。

「……うそ」

 私に天空船てんくうせん操演そうえんを指導してくれたときは、あんなにもやんわりした雰囲気のクムク副騎士団長ふくきしだんちょうが、こんな激しい戦い方をするなんて信じられなかった。思わず口元を覆った。泣きそうだった。副騎士団長ふくきしだんちょう機械騎士きかいきしは限界を超えたダメージを受けて、倒れ込んだ。


 そして、教導騎士団きょうどうきしだんが押されていた。機械獣魔きかいじゅうま銀雪聖堂ぎんゆきせいどう守護しゅごする魔法防壁に迫った。

沙夜様さやさまっ!」

 ユカの声が悲鳴みたいに私を呼んだ。銀雪聖堂ぎんゆきせいどうの中にはユカのお母様がいて、今も世界守護結界せかいしゅごけっかいを守るために祈りを捧げ続けていた。この世界守護結界せかいしゅごけっかいには、絶対に妖魔ようま機械獣魔きかいじゅうまを近づけてはいけない。

 深呼吸した。

「うん。私たちも行くよ」

 なるべく笑顔を作ってユカに答えた。ガストーリュを迎えに行くと、身振りでユカへ合図した。パレイベルから銀雪聖堂ぎんゆきせいどうへ向けて、蒸気投射管で撃ち出されるガストーリュの降下ライン上に移動した。


 ――大丈夫、きっと、何とかできるはず。頑張ろう。


 不安でつぶれそうなユカの横顔に、そう呼びかけた。

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