#019 帝都外周運河、潜んでいたものは
偶然にも、現場に居合わせたパン屋さんによって、その
その写真乾板は大急ぎで
「猫池製パンさんですか。こんな写真を撮ってくれたなんて……」
パン屋さんに謝金を支払ってくださいと、統合指揮所付きの事務官にお願いした。猫池製パンは美味しいって以前から
手に入らなくって苦労していた機械獣魔の情報が、こんな精細な写真で届くなんて、パン屋さんの勇気に心から感謝した。だって、不可視魔法が解けた瞬間を狙って撮影するなんて、離れ業をキメるパン職人がこの帝都にいたなんて。
写真が持ち込まれる少し前に、猫ヶ池周辺で異変が報告されていた。
午後十一時三十分頃に猫ヶ池に何かが落ちたような音や水柱、水面の波立ちなどが報告されていたの。多くは池の畔に住んでいた人たちから、びっくりして目が覚めたといった話だったけど。
ふだんの帝都なら街角の駐在所止まりの苦情だけど、大鐘楼から統合指揮所へ駆け戻った私は、そんな街角情報を残らず統合指揮所まであげてもらうように指示を出していた。
「ひとつめは成功で、ふたつめも上手くいったけど、最後は手遅れでした」
アガスティア教導騎士団長とオーフェリア伯爵様、ペーシオン参謀官に、そう報告した。ユカや臨時騎士団のみんなと仲良しになれたことを感謝した。
だけど、見つけた妖魔の天空軍船は揚陸艦だった。
絶対に何かまずい物をアゼリア市の中に投下しているはずと伝えた。
着色魔法で真っ赤にした妖魔の天空軍船の後片付けは、オーフェリア伯爵様が引き継いでくれた。
絶対にまずい物、つまり追加の機械獣魔をどう探そうかと思案していた矢先に、パン屋さんから写真が届いた。敗色濃厚な状況に潰されそうだった心が、一気に明るくなった。
この騒ぎを乗り切れたら、絶対、猫池製パンのチョコデニッシュでお祝いするんだと、心の中で誓った。ご迷惑にならない限り、大量発注して、この統合指揮所のみんなに配ろう。
そして、引き延ばして現像された写真を、みんなで見詰めて唸った。最初に侵入した
細かい部品の形状から、この
そう、写真から得られた情報をもとに古文書アーカイブが吐き出した検索結果は、フェリム第4期の
それは――漆黒の貴姫様に連なる魔法機械獣魔の可能性を、データは示唆していた。でもね、それを見落としてしまったの。
貴姫艦隊と呼ばれ恐れられる、漆黒の貴姫が直接に指揮した天空艦隊はたった六十隻程度の小さな艦隊でしかなかった。その全船と搭載された魔法機械騎士や
ガストーリュもそう。名前は欠落していたけど、容姿や戦歴など天空帝国が苦労してわかる限りをデータとして収集している。こんな巨大で歪な異形の
でもね……
漆黒の貴姫様は、本来が魔法機械や天空船を作る技巧官だった。
自身が指揮したことのない天空船や、設計だけ携わった魔法機械も数知れない。
特に、
つまり、貴姫様の魔法機環は、いくつもの製造系統にまたがって適合する便利で、厄介な存在だった。
その優れた汎用性が、私たちの判断を誤らせた。
それに、写真が撮れたのは大きいけど、事態はそう簡単じゃなくって…… この後も、私たち天空騎士も統合指揮所も徹夜でてんてこ舞いするハメになった。
◇ ◇
「こいつが、本命だったわけね」
私の声に、臨時騎士団のみんながうなずいた。
やっと、妖魔側が何をどう仕掛けるつもりなのか、見えてきたと思った。
ところが、またしても
「現地に
ペーシオン
パン屋さんが知らせてくれたのと同時に、現地に騎士を走らせた。
それなのに今度は、
猫ヶ池通はもちろん、その先にある
それに、最初に現れて自壊して果てた
いくら不可視魔法を唱え続けているからっていっても、人口密集地の真ん中をでかい
「いくら不可視魔法だって言っても、間近にいるのが全く見えないわけじゃないのでしょう?」
頭を抱えた。たとえ見えなくっても、市街地の裏路地にいたら少なくとも足音で気付くはず。重量から推測するに、敷石舗装を踏み荒らすから足跡は見えるはずだし、裏路地には家々のお洗濯だって吊るされていた。色々と引っかけたり擦ったりするはず。絶対、誰か気付くはず。だって、パン屋さんは気付いたでしょ。それなのに、天空艦隊がまたも見失うなんて恥ずかしいことは、絶対に避けたかった。
テーブルに広げた帝都の状況図を、行き詰まり気味の唸り声ばっかりが、取り囲んでいた。臨時騎士団だけじゃなく、教導騎士団や直轄領守護艦隊、さらに遅れて作戦に参加した第四艦隊群の騎士までもが、私のテーブルに来て首をひねっていた。
そんなとき――
「
状況図を見詰めていたユカがふとつぶやいた。
私を含めて、そこにいた
「ごめんなさい……わたし……」
私は、震えていたユカの細い肩を叩いた。
「そこだよっ!
他の
ユカのひとことで気付いたの。不可視魔法を使う
だって、流れのない水を溜めるだけの水路だったら、たちまち水質が悪くなって帝都は生活できる場所でなくなる。よどんだ水は悪臭だけでなく疫病の原因にもなる恐ろしい物だった。だから、常に新しい水を自然の河川から流し入れていた。
妖魔の機械獣魔がどこへ向かっているのかも、その瞬間に解ったと思った。
「敵、
あっ……っ!
言いかけて気づいた。まずよ。これ。
「そうじゃなくって、シラサ
もの凄く頑丈な鋼鉄製のゲートだから
わずか数パーセント歪んだだけでもゲートを巻きあげることができなくなるの。
つまりね、幅が四百から六百セタリーブもある巨大な運河を仕切るのだから、その
もちろん、普通にしていたら壊れることなんてあり得ないくらいに、閘門塔に並ぶ鋼製ゲートは頑丈だった。もしも、あの教習の時に、天空教習艦〈アキアカネ〉を間違えて、ゲートにぶっつけたとしても、壊れるのは〈アキアカネ〉の方だったはず。
それくらいには頑丈な鋼鉄の扉だけど…… 熱魔法には弱いって弱点がある。
最初に
詳しくは、後で話すけど、漆黒の貴姫様は帝都に侵入したことがあるの。
さすがは
いまも当時も最大のホウゴ
そう、記録では伝えられていた。
でもね……
その当時は、最初は何をされたのかすら、すぐには解らなかったらしいの。
だって、一見すると
だけど、さて閘門を開いて水位を調節しようとして気付いた。ゲートが引っかかって引き上がらなくなっていた。降ろすこともできなかった。
そして、修理しようにも、この鋼鉄製ゲートはめちゃくちゃに頑丈だった。普通の工具と人力では壊れたゲートを
魔法機械騎士まで動員して、それでも分解するのにもの凄く手間がかかったらしい。しかも、ゲートの修理に駆りだした魔法機械騎士は、外周運河の中で作業を強いられ、やっとの思いでゲートを開くことに成功したとたんに水没した。
多数の魔法機械騎士までもが、水没の結果、こちらも分解修理が必要になってしまった。
当時、天空艦隊は大慌てだったそうよ。
外周運河のゲートは、いつも運河の水で冷やされていることを大前提に設計されているの。だからゲートの製造に使われた特殊鉄鋼は、錆びないことはもちろん、衝撃や摩耗にも強い素材が選ばれていた。でも、熱膨張についてはあまり考慮されていない。常に運河の流水に冷却されていることが大前提だから、温度変化については設計に含まれていなかった。
それに
電気防食に頼って
そして、あきれたことに、漆黒の貴姫が帝都アゼリア市にした悪戯は、本当にこれだけだった。その気になれば全てを焼き尽くすことだってできたはずなのに、市街地や
だけど、
きっと、貴姫様は、帝都に人的な被害を出さないように、かつ、天空艦隊がほどよく困るようにと考えた結果、
その結果は貴姫様の予定どおりだった。
なによりも当時の天空艦隊関係者がショックを受けたのは、自分たちが気付かなかった
◇ ◇
天空艦隊は唖然としてしまう敗北から、多くを学んでいた。
外周運河を失わないようにするための事例研究なら、私だって読んだことはあった。だから、どうしたらいいのかは、もう知っていた。
事情を外周運河管理所や天空回廊管制局にも伝えて、協力を求めた。外周運河は天空艦隊にとって、補給の要だけど、実際には民間船籍の貨物船や旅客船の方がはるかにたくさん、外周運河を利用していた。
「東区、西区、北区、
ゲートが熱で変形する理由のひとつは、運河の水を堰き止めているから、下流側は濡れていないのに対して、上流側は運河の水を溜めて冷えているため。この裏表の温度差が熱魔法を受けた際に歪みの原因になる。上流側だけ水で先に冷えて縮んでしまい、加熱したままの下流側が伸びたまま――これでゲートが反ってしまうの。
空中へゲートを引き揚げてしまえば、妖魔の進路を塞がないから攻撃される可能性が大幅に下がるし、水による冷却がないから裏表の温度差が生じなくなる。変形するおそれは減るはずだった。
そして、一気に活気づいた統合指揮所を眺めながら、正解を導くきっかけを生んだユカを抱き寄せた。
「……もう一度、
もう一度、もはや確信になった言葉を繰り返した。
私の廻りに集まっていた騎士たちが、決意のこもった瞳を返してきた。
ユカも身を強ばらせながらも、小さくうなずいてくれた。
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