#017 法王宮殿大鐘楼、少女たちの想いと月に
♯星歴682年 10月16日 午後11時45分
アゼリア市中区
少女はサンダルの音を響かせて、大鐘楼の
最上階に駆け上がった。
瞳を閉じて、心の耳を澄ませた。
弾む息と鼓動の向こう、夜風の渡る風音の向こうに、微かな天空船の推進音が聞こえた。ゆっくり廻る天空船の船尾メインローターが夜風を掻く音だった。
――見えない
月空の真ん中に突き出した大鐘楼の最上階に、少女はひとり息を詰めて、耳を澄ました。夜風に溶けた風切り音を探ろうと、帝都アゼリア市に灯るガス燈の夜景と溶け合う
帝都の真上に漆黒妖魔の天空船が入り込んでいる。
でも、どこに、いるの?
魔法力で探ろうにも、自壊した機械獣魔が撒き散らした
黒髪を振って揺らした。
完全に後手に回ったことが悔しかった。
でも、まだ、負けたわけじゃない。できることはまだある。
少女は、祈るような目で、真上に吊された巨大な
◇ ◇
やはり……という感じだった。新種の不可視魔法を使えるのは、
夜風の中に微かにだけど、風切り音が混じっていた。遠くて反響するからどこに音源があるのかすら判別がつかないけど、不可視魔法を被った
でも、音だけでは位置が解らない。妖魔の天空船を追い払うには、正確に位置を追い続ける必要がある。そのためには、何とかして不可視魔法を破る必要があった。
これが帝都アゼリアの真上でなければ、まだ方法があった。この時点で
新種の不可視魔法が相手だとしても、
でも、アゼリア市の真上では、それは
帝都の真上でこんな物騒な物を使うことは禁止されていた。この種の強力すぎる魔法の音韻は、さっきも話したけど体に悪いの。特に成長期の子供たちやご病気の方には深刻な悪影響がある。
幼少期の子供たちにとって
だけど、
でもね、帝都に住む小さな子たちは母語と魔法を同時に獲得して大きくなるの。だから、馬鹿力だけで単調な機械魔法の雑音が成長の過程ですり込まれてしまうと、魔法力の成長を
満月は東の空から中天へと移りつつある。
空に雲はなく、天空の星、そしてアゼリア市という名の地上の星が混じり合って、もう冷たくなり始めている風の中で揺れていた。
外周運河の内側、つまり帝都を形作る十六区の中に
この街に住んでいるたくさんの人たちのことを想い描いて、頑張ろうと思った。
夜風の冷たさに負けないように声をあげた。
「でもね、まだ、負けたわけじゃない!」
大鐘楼に吊された巨大な鐘を見あげた。
巨大な鐘が奏でる魔法音韻は本当は強力なはず。だけど、帝都に住む人々はこの鐘の音色を毎日聞いて寝起きしている。みんなこの鐘の音色には慣れている。だから、
そして、初めて侵入に成功した
螺旋階段を駆け上がる足音が追い駆けて来た。
臨時騎士団のみんなが慌てて追いかけてきたのは、予定どおりだった。心の中では、ごめんなさいとお詫びした。
オーフェリア伯爵様、アガスティア教導騎士団長から了解を取り付けていた。ペーシオン参謀官にも事情は説明済みだった。準備を整えたうえで、私の臨時騎士団とユカを置き去りにして走り出したの。
「さ、
ふらふらのユカを抱き留めた。そのまま、
「帝都上空に不可視魔法を被った
私は
「展開中の
通信布は魔法音韻を用いる秘話通信手段だった。便利なんだけど……こんな風に
◇ ◇
ユカには、私の考えていたことを半分だけ伝えて、手伝ってもらった。
天空帝国は、普段から帝都十六区の中には、あまり艦船を置いていない。外周運河で荷物の積み降ろしをすることが帝都へ寄港する一番の理由だった。
だって、私たちは帝都を戦場にするつもりはない。帝都内に艦船を残しても積極的な意味はない。レアトゥール関門までが天空船が砲撃戦をしてもいい限界線だった。
事態がこんな方向に転がった時点で、セオル戦術技巧官までもが謝りに来た。
「レアトゥール関門を完全に閉鎖したはずが、すり抜けられてしまったなんて、僕の戦術評価ミスです」
またも慌てた。だって、私は右往左往していただけでまだ何もできていない。セオル戦術技巧官にまでこんな風にお詫びされるのは絶対おかしいよ。
その時は、ただ慌てるだけだったから気が付かなかった。
後でペーシオン参謀官に尋ねて、答えをもらって解ったのだけど……
オーフェリア伯爵様も、セオル戦術技巧官も、教導騎士団のみんなも、法皇親率艦隊群に所属している。だけど、法王様は、公正かつ平等な法による支配、それを体現するお役目を負っていらっしゃるの。戦うことは二の次だった。だから、法王様の血筋であり、対妖魔戦のエースでもある法印皇女が、法王様の代役を務める慣例になっていた。そして、そのお役目はお母様が担っていた。
だけど、そのお母様が直轄領外縁部で妖魔の軍船団と対峙している状況だから、自然との法王様の孫娘である私が、選ばれてしまった。
……私は、とても、法王様の代わりなんて、そんな大役が務まる器じゃないのに……
◇ ◇
お話を戻すと……
セオル戦術技巧官は、妖魔側が不可視魔法を被った天空船を使うことは読んでいた。だから、レアトゥール関門に
あの小型機械獣魔が自壊するまでは、妖魔側は積極的に帝都を攻めてはいなかった。銀雪聖堂に取り付いたものの力不足な機械獣魔と、直轄領境界線を窺うフリをするだけの妖魔の軍船団…… 妖魔が仕掛けてくる時は、必ず両者の間を繋ぐはず。その役目を担うのは不可視魔法を使う天空船のはず。
そして、その連携ルートにあるのがレアトゥール関門だった。
したがい、見えない魔法を使う妖魔の天空軍船が、必ず、レアトゥール関門を通ろうとするはず。
でも、作戦が上手くいかなかった。
セオル戦術技巧官は、
オーフェリア伯爵様は、無言でうなずいた。それから作戦の立て直しについて協議を始めた。職人同士、こういう場面での振る舞い方は解っているみたいだった。
そんな事情があったの。
だから、帝都はいつも以上にからっぽだった。
港区の桟橋で定期補修を受けていた船や、消耗品補充のために外周運河に降りていた船まで、オーフェリア伯爵様にお願いして掻き集めた。何とか六隻を確保できた。浮素管を分解洗浄中で高度変更がまともにできない船まであったけど…… 本来なら飛ばさないはずの修理中だった天空船まで引っ張り出した。頑張ってくれたユカには本当に感謝している。
はあ~
先ほど、アガスティア教導騎士団長から頂いた言葉を思い出した。
夜風に煽られたユカの栗毛を腕の中に集めて、ため息をついた。
――自身と仲間を信じられるか?
付き従う者との信頼関係を望んでいるか?
一夜限りの臨時騎士団だが、信じられなければ何もできない。
ユカとは数時間前に知り合ったばかりだった。でも、ユカとは親友になりたいと望んでいた。アガスティア教導騎士団長は、逃げ出したユカに向けた、私の一瞬の視線に気付いていた。アガスティア教導騎士団長に提案をした難しい場面なのに、ユカは傍にいなかった。さりげなく逃げ出していた。
気にしないって、心の中で念じたけど、きっとアガスティア教導騎士団長には見通されていた。私はその瞬間だけ、ユカのことを少しだけど、嫌な子って思っていた。
友達関係が壊れてしまう始まりは、小さな出来事から。
親友になれるのも、つかの間の笑顔や小さな言葉から。
だから、傍にいて欲しいって願うのなら、毎日、一緒にいたいと願わなきゃいけないの。
私、ユカには親友になってと願ったくせに、傍にいたいと願う努力が足りてなかった。ユカのこと、信じようって思ってなかった。
アガスティア教導騎士団長は、飛竜に騎乗する訓練を通じて、ユカのことを良くご存じだった。ユカは侍女官だけど、法印皇女である私の傍にお仕えするために、飛竜に乗る訓練を、アガスティア教導騎士団長の指導下で懸命に繰り返していた。ユカは私と一緒にいるために、一生懸命だった。
後でお話しするけど―― その腕前には本当に驚かされた。だって、私を護ることに執着するガストーリュまでもが、ユカを認めたんだから。
それなのに、私はユカのこと、今日、出逢うまで何も知らなかった。
ユカは将来の主である法印皇女のことを、任命式のずっと以前から予習していた。ユカはテュー男爵家の娘だからね。お父様、つまりテュー男爵様の影響もあって、将来の主はメートレイア伯爵家の総領姫と決めていたの。
私、本当はこんなにダメな子なのに、数学が大得意なせいで不思議と怜悧なタイプに間違われるらしい。
私はユカの頑張りを何も知らなかったし、ユカは私の虚像を見ていた。
だから、アガスティア教導騎士団長は、私とユカを試すようなことを提案した。
意地悪なことだから躊躇した。
せっかく出会えたのに、ユカを失うことになるんじゃないかって、心配した。
だけど、アガスティア教導騎士団長は、私にユカを試すように言ったの。
アガスティア教導騎士団長は正解を知っていた。
ユカは、本当に一生懸命だったことを。
その一生懸命な気持ちに、私が触れて気付くことを望んでいた。
……あの時は考える余裕はなかったけど、後でゆっくり考える時間ができてわかったの。
すっと、大きく息を吸い込んだ。
「散開させて、砲戦の用意をさせて下さい」
意識して抑揚を抑えて言葉を紡いだ。腕の中に抱いたままだったユカが、しゃっくりのように驚いた声をあげた。
「そんな……待って下さい。夜間に帝都の真上でいきなり砲戦なんて……」
私はユカの言葉を無視した。同様に戸惑い顔の
ちらり。ユカの表情を見ると、潤んで熱を帯びた紅い瞳が私を見詰めていた。
――ごめんなさい。私はユカと
私たち
もしも、帝都の真上で砲戦を始めて、
そんなことは、絶対にダメだった。 だって、みんな何も知らされないまま、ぐっすり眠っていたんだよ。
だけど、淡々と指示した。
「ユカ、あなたには……号令役をお願いします。私は、魔法を使いますから」
柔らかい声でユカに命じて、くるりと振り向いて、夜空を見あげた。ちょうど、雲間から満月が現れたところだった。
月明かりがアゼリア市の街並みに降り注いでいるのに、目を凝らしても、そこにいるはずの
「始めましょう……」
「お止め下さいっ!」
背中で黄色い泣き声がした。意地悪を心の中で詫びた。
「……ユカ、あなたの合図で始めます」
振り返らなかった。ユカの泣きそうな顔を見ながら演技できる自信はなかった。
だから、肩越しに命じた。
数瞬の苦しそうな息の後、震え声が言葉を絞り出した。
「できません。夕刻に
花丸で合格だった。泣きそうな声は、一生懸命だった。きっと、ユカは――私が酷いことをする人になること、何よりもそれが怖かったんだと思う。
私もユカもこの街の人たちを守りたいって気持ちは一緒だった。本当は一緒に過ごす時間を通して、もっと、ゆっくりユカとの信頼関係を築いていきたかったし、こんな風に一方的に確かめるなんて、酷いことはしたくなかった。
だって、私が命令する側で、ユカが試験される側って決めつけるなんて絶対、おかしいでしょ。でも、いまは時間がない。私は、熱くなると、無理をし過ぎる悪い癖があるの。正直に言えば、もしもの時は、私を叱ってくれる人が傍にいて欲しい。
新種の不可視魔法を使う
そう、これがアガスティア教導騎士団長がくれた、私が、ユカを信じられるかを試すテストの中身だった。試されていたのは、本当は私だったかも知れないけど。
私もユカの前にぺたんと座った。
「ごめんなさい。私、ユカを試したの。ごめんなさい……止めてくれて、ありがとう……」
ユカの手を取って、詫びた。途中で私まで泣き声になっていた。
「えっ? そんな、 えっ……?」
きょとんと戸惑いの表情を揺らすユカを抱きしめた。
「――だいじょうぶ。心配しないで」
ユカを抱き支えて、ふたりで立ち上がった。吹き渡る夜風に、私の黒髪とユカの栗毛が絡んだ。こんな時間に外に出るなんてあんまりしないから、夜風がこんなに気持ちいいって忘れていた。
さあ、種明かし。
「着色演習珠を用意させて下さい」
帝都の上空では絶対に実包は使えない。だから、着色魔法を撃ち出す演習珠で色を付けてしまうことを指示した。月が出ているのだから、色さえ付ければ見えるはずでしょ。
着色演習珠がどんなに派手に目立つ着色魔法なのかは、先日の〈アキアカネ〉での件で思い知ったよ。あの魔法、お洗濯しても簡単には色が落ちないの。染み抜きもダメ。一定の時間が過ぎるまでは、漂白剤入りのお湯に浸け置き洗いしても取れない。イヤな感じで粘着質な魔法だった。
ここは帝都だもの。
私は、大鐘楼に吊された退魔の鐘を使うアイディアをユカと
そして――
作戦開始。
「ユカ、カウント、お願いっ!」
つま先立ちになって、鐘を鳴らす引き綱にすがった。
「はい――五、四、三……」
ユカの黄色い声に合わせて、
「……二、一、打てっ!」
私は、ユカの声に合わせて、心の中で小さく風魔法を唱えながら、引き綱にぶら下がった。
――り~んっ!
私が唱えたのは、風魔法〈レーアの羽音羽根〉運搬や加速の風魔法だった。大鐘楼の鐘の音は、間違いなく帝都、十六区全部に届いたはず。
最初に見付けたのはユカだった。
東南方向、
「あっ、あそこにいますっ! 月の光に照らされています」
騎士が用意していた双眼鏡を借りて
直ちに
とたん、東の空に砲煙が一発だけ閃いた。夜空に溶けて消え去ろうとしていた
ユカと
私も声をあげかけて――気づいた。色が付いたから、船体の形が解った。そして、手遅れに気づいた。
「待ってっ! あの船、砲船じゃない。あれは――揚陸艦よ」
もう、何かを投下していると見て間違いない。どうしよう……
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