#016 帝都、震撼


♯星歴682年 10月16日 18時45分

  アゼリア市中区法王宮殿ほうおうきゅうでん 別棟「天空艦隊統合指揮所てんくうかんたいとうごうしきしょ


 最初の指示を出した後は、報告を受けたながらの食事になった。精巧な透かし彫り彫刻で飾られた天井、白亜の大理石造りの大ホール、テーブルを彩る鮮やかな花々。まるで結婚式の披露宴会場みたいと思ったけど、夕食が配られると本当にそう錯覚してしまいそうだった。


 ここは、七つの天空艦隊群を束ねる天空艦隊統合指揮所てんくうかんたいとうごうしきしょなんだって、頭で解っていても、美味しそうな料理を見てしまうと…… つい、気持ちが浮かれてしまいそうになる。


 だけど……

 まだ緊張で硬くなっているユカが、記録紙を片手に私の前に直立した。

 ユカはまじめでいつも一生懸命だから、美味しそうな暖かい匂いにも負けないで、侍女官のお仕事をしてくれたの。

沙夜さや様、報告します。お父様の天空第四艦隊旗艦てんくうだいよんかんたいぐんきかんグルカントゥースと連絡、取れました。沙夜様さやさま法印皇女ほういんこうじょとして、臨時騎士団りんじきしだんの指揮を取られていることを報告さしあげました」


 お父様が指揮するグルカントゥースは、直轄領西部に出現した妖魔軍船団へ向かう途中、帝都のすぐ北側で妖魔の軍船と偶然すれ違い、急遽、反転してこれを追い回していた。そして、件の不可視魔法を使われて取り逃がした。

 その直後、機械獣魔が銀雪聖堂に出現した。

 そこまでが私が法印皇女に任命される直前の出来事だった。

 

 私はきっと困った顔をしていたと思う。でも、ユカは緊張しまくった様子で続けた。

「お母様の法印皇女船ほういんこうじょせんレアルティアへも同様のご報告を致しました」

 お母様の指揮する法印皇女船ほういんこうじょせんレアルティアは、大型船としては帝国最速を誇る。一番槍で敵艦隊がうろうろしている直轄領西部に向かっていた。そのあとを本来の進路に戻ったお父様の第四艦隊群が追いかけている。他方、直轄領守護艦隊は、レアトゥール関門目指して帝都方面へ引き返し中だった。夕食前の報告では、ちょうど、そんな位置関係になっていた。


 ユカはちゃんと今日の任命式に合わせて正式な侍女官じじょかんとしての衣装を身につけていた。スカートにも「沙夜法印皇女付さやほういんこうじょづ侍女官じじょかん」と古代象形文字で刺繍ししゅうされた飾り帯を結んでいた。綺麗きれいな栗色の髪を三つ編みにしているから、本当に清楚で、私よりももっとお姫様らしく見えた。

 ユカのお家は、テュー男爵家だんしゃくけというちゃんとした貴族家きぞくけだった。代々に渡って、うち、つまりメートレイア伯爵家はくしゃくけに仕えてくれる家柄だった。ユカのお父様は、天空第四艦隊群てんくうだいよんかんたいぐんでは第二分支艦隊だいにぶんしかんたいの指揮官を務めていた。

 つまり、平たくいうと、ユカのお父様は天空第四艦隊群てんくうだいよんかんたいぐんの副隊長で、お母様は銀雪聖堂ぎんゆきせいどうを護り祈る司祭様だった。

 法印皇女ほういんこうじょなんていう化け物が相手だから、侍女官じじょかんになってしまうのだけど、ユカは本当はお姫様の身分だった。


「あのね、ユカ、ご飯食べよう」

 私はユカが席に着くまで用意された夕食に手を付けなかった。だって、ユカが座ってくれないと、「いただきます」ができない。

「あの、でも、まだ、ご報告すべき内容が……」

 ユカは無電で届いた記録紙を他にも抱えていた。でも、私はにっこり笑って見せた。お腹も空いていた。

「座って、手を合わせて、ね」


 天空艦隊てんくうかんたいで作戦中に摂る伝統的な夕食は、スープやパスタ。それに今夜はリゾットも付いている。空の上は寒いから、温かい物を中心にした食事だった。その習慣は、地面の上にあるこの統合指揮所にも及んでいた。そして、凄く美味しいの!

 メートレイア伯爵家はくしゃくけ天空第四艦隊群てんくうだいよんかんたいぐんの運用を実質的な面で担っているから、お屋敷には天空騎士てんくうきしたちが日常的に出入りしていた。当然、ここ、統合指揮所に詰めている騎士きしたちもやってきた。

 毎年、星華月パンザ・イネに全ての天空艦隊群てんくうかんたいぐんが参加して行われる連合演習れんごうえんしゅうの際には、この統合指揮所で供される夕食がいつも話題になっていた。

 もしも、帝都アゼリアでいちばんにスープが美味しいお店は? って問われたら、天空艦隊てんくうかんたい関係者ならば間違いなく、ここ、統合指揮所だって答えるって冗談話があるほど。

 でも、この日の夕食も本当に美味しそうだった。特に白身魚入りのリゾットが先ほどから気になっていた。

 当然だけど……ここに並んでいるお皿は早く食べないと、冷めたり延びたりして美味しくなくなるメニューばっかりだった。私が手を付けないから、他の騎士きしたちもユカを待っていたの。

「えっ! あっ…… ご、ごめんなさい」

 やっと気付いたユカは、頬を赤らめて、しゃっくりみたいな黄色い声をあげた。このときのユカの表情を、きっと、私、ずっと忘れないよ。


 夕食の後は歯磨きして、それから一度、法王宮殿ほうおうきゅうでんの離れにある子供部屋に戻って、着替えた。さすがにずっと学校の制服のままっていうわけにはいかなかった。

 法印皇女ほういんこうじょの正装は、本当はもっと飾りっ気が多くって動きにくい服だったのだけど、私に用意されていたのは、大幅に簡素化された活動しやすい衣装だった。貫頭衣風かんとういふうのチュニックに仕立て直されていた。

 最初にこれを仕立て直したのは、お母様だった。帝国で最も獰猛な赤毛の雌豹という怖い二つ名で呼ばれる、最強の法印皇女ほういんこうじょだから、動き回れるように衣装を弄りいじ回していた。着崩すのはみっともないでしょ。お母様は規律に厳しくって、衣装の乱れは精神の乱れと口癖のように言うくらいだからね。それに、武闘派だけど、お母様はお裁縫が得意なので、気に入るように自分で仕立て直してしまったの。


 妖魔ようま魔法機械船まほうきかいせん直轄領外縁ちょっかつりょうがいえんに出没するなんて状況だから、任命式はすっぽかしたけど、私の衣装は手縫いしてくれていたの。洗い替えと、色違いも含めて律儀に四着も用意されていた。


 暖かインナーを着込んだ上に、手縫いの法印皇女の衣装を被った。暖かいのにさらさらして、纏わり付いたりもしない。ウエストをきゅっと締めると、なんか気分も引き締まる気がした。

 今度は、お飾りだけど、レイピアも腰に吊るした。帯剣しても私は、お野菜くらいしか切れないけど。


◇  ◇


 統合指揮所へ戻ったら、みんなに注目されて恥ずかしかった。でも、そんな笑みの時間はすぐに終わって、戦いの時間がもたらす緊張が統合指揮所を満たした。


 教導騎士団きょうどうきしだんが機械魔獣に接触したという報告が無電で入った直後だった。魔法の波動は、音よりも、天空軍の指揮連絡系統よりも早く空間を伝わって来た。

「あれっ? 何これっ!」

 感じた波動に驚いて、立ち上がり天窓を見あげた。思わず口元を覆った。完全に想定外だった。と直感した。

 帝都まで気づかれずに侵入を果たした、新種の機械獣魔きかいじゅうまの能力を測りかねていた。だから、最初は獣魔じゅうまの能力を確かめながら、慎重に接近を――と、指示したばかりだった。


 ところが……

 席を立って、隣のテーブルにいる通信担当の騎士きしへ走った。

「あの、沙夜皇女様さやこうじょさま?」

「現地の展開部隊に至急連絡。一時退避。それと被害報告をください」

 通信担当の若い騎士きしは、怒ったような顔をした私を見て、戸惑った声を漏らした。でも、説明しない。すぐに解るから。

 当惑を隠せないまま騎士きしが復唱した。


 そして――

 遠雷みたいな砲声みたいな低い振動が、統合艦隊指揮所にも届いた。窓の外では驚いた鳥たちが鳴き騒いでいた。都心で緑の多い法王宮殿ほうおうきゅうでんの敷地は、鳥たちのねぐらにもなっていた。休むために法王宮殿ほうおうきゅうでんの森に帰ってきた鳥たちが、けたたましく鳴き声をあげて羽ばたいた。

 続いて、現地に展開中の天空船てんくうせん魔法機械騎士まほうきかいきしからの報告が慌ただしく入り始めた。騎士きしは驚いた顔をして私を見ていた。

「報告をお願いします」

 天を仰ぎたい気分だった。完全に想定外だった。そう来るとはね。

魔法機械まほうきかい獣が自壊じかいしました」

「我が方の損害は、四騎です。接近中だったところをやられました」

 こういうのは嫌だった。心臓がしゃっくりを起こした。

 機械獣魔きかいじゅうまはこっちの魔法機械騎士まほうきかいきしを四騎も道連れに、いきなり自壊した。突然、熱共振系統ねつきょうしんはけいとうの上位魔法をばらまいて、爆発した。それも、攻撃中だった銀雪聖堂ぎんゆきせいどうではなく、魔法機械騎士まほうきかいきしたちを狙って攻撃魔法をばら撒いたらしい。

 大切な魔法機械騎士まほうきかいきしを半壊する被害が出たけど、繰り返し警戒を命じたお陰なのか、騎士きしたちは擦り傷す きずくらいで済んだらしい。


 ……ため息。

 あぶない、あぶない……


 うっかり突撃とか、獣魔じゅうまの破壊とかを命じていたら、今頃、大変な被害を出していたかも知れない。

 へたり込みそうだった。いつの間にかひかえていたユカに、後ろから抱き支えられた。


 ユカのお母様、セリム司祭様は優れた魔法の使い手だった。世界守護結界せかいしゅごけっかいの魔法力をフル活用して、銀雪聖堂ぎんゆきせいどうを包む極めて強固な防御結界ぼうぎょけっかいを展開していた。突然の機械獣魔きかいじゅうまの襲来にもかかわらず、最初の対応が迅速じんそくだったことは、この後の私や天空軍、教導騎士団きょうどうきしだんなど色々な関係者に、何よりも貴重な対応のための時間を生み出してくれた。


 襲来した機械獣魔きかいじゅうまを精密観測できたのも、セリム司祭様が防御結界ぼうぎょけっかいにこの機械獣魔きかいじゅうまをきっちり足止めしてくれたからだった。


 その精密観測の結果、機械獣魔きかいじゅうまの戦闘能力はそんなに大きくないことが解った。多重防御の奥底に包み込まれている帝都アゼリア市に忍び込むためには、目立たない程度に装備を抑える必要があったのだろう。この機械獣魔きかいじゅうまは小型で、あまり大きな魔法力を持っていなかった。


 見た目の体積に較べて観測された魔法力が小さく、質量も少なめだった。内部に搭載された魔法機環まほうきかんは限定的な物だろうというのが、教導騎士団きょうどうきしだん所属ペーシオン参謀官さんぼうかんの見立てだった。だけど、まさか、本当に張りぼての捨て駒だったとは思わなかった。


 そして、怖いくらいに精強せいきょう教導騎士団きょうどうきしだんならば、例の不可視魔法さえ気をつけていれば、大丈夫なはずと思っていた。

 包囲し追い詰めたならば、機械獣魔きかいじゅうまは不可視魔法を使うはず。教導騎士団きょうどうきしだんが取り囲んでいる状況で魔法を使わせれば――特殊な魔法符形まほうふけいで編まれた魔方陣だとしても、きっと、解析できるはず。

 未知の不可視魔法だから、問題なの。解析してしまえば、それは脅威ではなくなる。だから、機械獣魔きかいじゅうまの破壊を命じなかったの。


 それなのに、機械獣魔きかいじゅうまはまさかの自壊じかいを遂げた。木っ端微塵こっぱみじんだった。鹵獲ろかくされて不可視魔法を解析されることを防ぐ目的だろうけど……


 ――終わったの?


 ううん、違うっ! これって!


 八メルトリーブも離れているこの天空艦隊統合指揮所てんくうかんたいとうごうしきしょさえも、魔法音韻まほうおんいんの騒音で掻き回されていた。私が目を閉じても、周囲は魔法の雑音ばかりで、魔法的な意味では、何も空間のイメージが掴めない。

 おそらく帝都の北半分は、いま、魔法的な雑音に見舞われて……警戒用の探知魔法が通らない状態のはず……


 そして、気付いた。

 銀雪聖堂ぎんゆきせいどうへの侵入に成功した貴重な機械獣魔きかいじゅうまを、妖魔側ようまがわが惜しげもなく自壊じかいさせた理由に……


 立ち上がって、思い切り息をした。

「全天警戒、急いでっ!」

 弾けたように統合指揮所の真ん中で叫んだ。広い大理石作りのホールに、私の黄色い声が反響した。

「敵は一頭だけじゃないわっ! この魔法音韻まほうおんいん擾乱じょうらんに紛れて、何かに侵入されたはずよ」

 妖魔ようまは、間違いなく、未知の不可視魔法を使っている。あの自壊した魔法機械獣魔まほうきかいじゅうまは、私たちの注意を引き付けるとともに、派手に攻撃こうげき魔法の波動をまき散らして、私たち天空艦隊てんくうかんたいの目や耳を奪うことを意図しているっ! その可能性に気づいたの。


 思い出して!

 お父様のグルカントゥースは、帝都北部で不可視魔法を使う妖魔の軍船を一隻、取り逃がしていた。さっき、自壊したのとは別に、もうひとつ妖魔は帝都へ侵入させているの。

 波状攻撃。それも先に侵入した機械獣魔を踏み台にして、あろうことか天空帝国帝都の空を奪ったの。

 こんな凝った手を妖魔が仕掛けてくるなんて……!


 その後は、時間との競争だと気付いた。すでに、先手を奪われて敗色濃厚な状況だったけど――いま、帝都にいる法印皇女ほういんこうじょは私しかいない。その危機感が私の背中を突き飛ばしていた。


◇  ◇


「機械魔獣が自壊じかいに使用した呪法じゅほうが判明しました――熱共振系統ねつきょうしんはけいとう音韻爆雷おんいんばくらいです」

 古文書アーカイブからの参照結果は最悪だった。解析結果を聞いた瞬間、ひっと体中が竦みあがった。複数の熱共振呪符ねつきょうしんじゅふをブレンドしたもので、空間的な攪乱かくらんを目的にしていることが推察される…… そう、戦術技巧官せんじゅつぎこうかんたちから説明された。でも……


「幸い、世界守護結界せかいしゅごけっかいの影響下での起爆だったため、守護結界しゅごけっかい法符力ほうふりょくにより、音韻爆撃おんいんばくげきのほとんどが相殺されました。市街地への影響は軽微です」

 深く、ため息。

 今度こそ、私は統合指揮所のタイル張りの床にへたり込んだ。

 漆黒しっこく妖魔ようまの忘れ物――機械獣魔きかいじゅうまってば、市街地の真ん中でなんて物を使うのよ!


 音韻爆雷おんいんばくらいというは、天空艦隊てんくうかんたいの艦船が使う対艦爆雷だった。うちの天空第四艦隊の艦船だって少しなら積んでいたはずで、敵艦隊が展開した魔法を破壊するために使う、魔法の爆弾だった。

 魔法力で劣る側が主に使う武器で、魔法音韻まほうおんいんの雑音でとにかく空間を掻き回して、無差別に魔法を無効にしてしまう。力任せで無理矢理な兵器だった。

 至近距離でこんな爆音を浴びたら、魔法に敏感な人ならショックで倒れてしまう人も出てしまうだろう。天空騎士てんくうきしならば訓練である程度は対応できるし、護符も携えている。だけど、アゼリア市内に棲んでいる人々は全く無警戒、無防備で過ごしていた。だって、アゼリア市民八十万人にとって、ここは自分のお家だもの。自宅でのんびりしている時に、突然、攻撃こうげき魔法を浴びたら体を壊しちゃう。

 こんなとんでもない物を八十万都市の中で使われてしまうなんて、私、指揮官失格だよ。


沙夜法印皇女様さやほういんこうじょさま、ちょっとよろしいでしょうか……」

 落ち込んでいたら、今度はペーシオン参謀官が、私に歩み寄ると耳打ちした。

「おそらく妖魔の狙いには世界守護結界せかいしゅごけっかいの解析も含まれているはずです」

 えっ?

 驚いた。そしてペーシオン参謀官に説明されて気付いた。

 妖魔側は、多重防御の奥深くにあり銀雪聖堂内ぎんゆきせいどうないに安置されている世界守護結界せかいしゅごけっかいについて多くを知らないはずだった。だから、その至近距離、影響下内で強烈な魔法を使って探りを入れてきたというの。

 つまり、世界守護結界せかいしゅごけっかいの対応能力を調べるために、音韻爆雷なんて面倒くさいものを使ってきた。世界守護結界せかいしゅごけっかいは、市街地を護るためとはいえ、膨大な魔法ノイズの塊である音韻爆雷の効果を一瞬で相殺した。優れた魔法防御力を妖魔に見られてしまった。

 セリム司祭様もそのことは気をつけているらしい。地上付近に広がった魔法ノイズだけをきっちり相殺して、それ以外の高度に向かった音韻ノイズの相殺は行わなかった。だから、帝都上空は、いま、大変な音韻擾乱おんいんじょうらんに覆い尽くされていた。


 だけど……


 してやられた。

 新種の不可視魔法を曝いてやるつもりが、あべこべに世界守護結界せかいしゅごけっかいの情報を取られたっていうの。


 そして、頭を抱えたくなる出来事は、まだ、終わっていなかった。現在進行形で、しかも妖魔ようま魔法機械まほうきかいに先手を取られていた。

 全周囲に警戒を求めてから、一時間近くも経過していた。でも、まだ、音韻爆雷おんいんばくらいが作り出した魔韻擾乱まいんじょうらんが収まらない。

 天空船てんくうせんだったら、移動して擾乱じょうらん空間から外に出てしまえば良い。使用された音韻爆雷おんいんばくらいを解析できたのならば、逆位相の爆雷を使って影響を打ち消す方法もある。でも、帝都アゼリアではどっちも不可能だった。

 もちろん、世界守護結界せかいしゅごけっかいの加護を乱発するわけにはいかない。この守護結界しゅごけっかい加護かごは、私たちに遺された唯一にして最大のアドバンテージだった。何度も妖魔に見せて良い物ではない。


音韻擾乱おんいんじょうらんが自然に減衰げんすいして収まるまでには、後三時間は必要と見込まれます。警戒方法を目視による天測に切り替えてはいかがでしょうか?」

 困り果てていると、ペーシオン参謀官さんぼうかんが意見をあげてくれた。魔法による警戒ができないならば、もの凄く迂遠うえんな方法だけど、肉眼で空を見上げて探す――それしかなかった。


 天空艦隊関係部署てんくうかんたいかんけいぶしょだけじゃなく、帝都を管理しているあらゆる公官署に電話をかけまくって、空を見張るように協力を求めた。水上バス運行局や上下水道局、ガス供給所、外周運河管理所がいしゅううんがかんりしょ、もちろん空を見慣れている天空回廊管制局てんくうかいろうかんせいきょく天象局てんしょうきょくにも、妖魔ようま天空船てんくうせんが帝都上空に侵入した可能性があると伝えた。


 きっと、驚かれたと思う。銀雪聖堂ぎんゆきせいどうでの機械獣魔きかいじゅうま襲来の騒ぎは伝わっていたし、異常な魔法音韻まほうおんいんの雑音が帝都を覆っていることにも気づいていたはず。でも、あの法王親率教導騎士団ほうおうしんそつきょうどうきしだんが、突然に妖魔ようまを捜す手伝いを求めてきたら、絶対にあっちこっちの公官署に勤めている人たちを脅かせたと思う。

 でも、恥をいとわず帝都中に「空を見あげて妖魔ようまを捜して」とお願いした甲斐はあった。

月ヶ瀬分流閘門つきがせぶんりゅうこうもんより至急電――妖魔天空船ようまてんくうせんらしき船影を見ゆ」

 一番乗りは、帝都西端にある外周運河がいしゅううんがと、アゼリア川を繋ぐ分流点にある水門塔からの知らせだった。

 続いて……

那湖の揚水塔なこのようすいとうからも、天空船てんくうせんらしき影が満月を横切ったとの報告があります」

 帝都西側に水道水を送っていた巨大な揚水塔からも何か見えたと連絡が届いた。ユカが私の隣で、次々と電話に出て報告をまとめてくれた。


 妖魔ようま天空船てんくうせんらしい影を見たという報告は帝都の西側に集中していた。不可視魔法を被っているとはいえ、満月の前を横切ったら、見えない天空船てんくうせんが黒いシミになって見えたの。直接は見えなくっても、逆に影が見えるというわけ。

 この時間、空高く上がっているけど満月はまだ東の空にあるから、帝都の西側から見えたってことは――妖魔ようま天空船てんくうせんは帝都の中央か東部にいると推測できた。

敵性天空船てきせいてんくうせんは、音韻爆雷おんいんばくらいの影響が最も激しかった北区上空から侵入し、中区上空を通過後に東区または智草区ちくさく方面に向かったと考えられます」

 帝都の地図にプロットされたたくさんの目撃情報をたどるとそうなると、ペーシオン参謀官さんぼうかんが報告した。だけど、教導騎士団きょうどうきしだん参謀官さんぼうかんから報告を受けると、なぜか事例研究か何かの講義を受けているような感じがした。

 そして、ペーシオン参謀官さんぼうかんの声が講義口調な理由に気付いた。

「えっ? 中区を十九時半頃に通過した可能性って……」

 蛍砂表示官けいさひょうじかんに浮かぶ帝都の地図に添えられた時間データが、何を示しているのか理解したら、絶句した。ここ、中区だよ。私たちが慌てふためいている間に、妖魔ようま天空船てんくうせん法王宮殿ほうおうきゅうでん天空艦隊統合指揮所てんくうかんたいとうごうしきしょの真上を素通りしたかも知れないと気付いた。

 頭を抱えたくなった。完全に敵のペースだった。先手を取られてから、やられちゃったって理解しているんじゃ、だめだよ。


 ぱんっ!

 自分で自分の頬を叩いた。

「仕切り直そう!」


 ユカにお願いして、夕食後のお茶とお茶菓子をたくさん用意してもらった。統合指揮所は素晴らしいことにお菓子が食べ放題だった。紅茶の茶葉も香りが良い銘柄が揃っていた。

 広い統合指揮所のテーブルを廻って、みんなに声をかけて集まって頂いた。

 直轄領守護艦隊司令ちょっかつりょうしゅごかんたいしれいオーフェリア伯爵様はくしゃくさまと、教導騎士団長きょうどうきしだんちょうアガスティア伯爵様はくしゃくさまにも、私たちのテーブルにお越し頂いた。


 オーフェリア伯爵様はくしゃくさまが率いる直轄領守護艦隊ちょっかつりょうしゅごかんたいは、天空艦隊てんくうかんたいの内部では「突破困難な壁」として知られていた。少数の艦船しか持たない小規模編成の艦隊だけど、重機甲要撃艦じゅうきこうようげきかん装甲巡洋艦そうこうじゅんようかんみたいな、とにかく硬い船を集めた艦隊だった。

 戦い方も、相手がうんざりするほどに堅実で、とにかく手堅い。「後退陣戦術こうたいじんせんじゅつの職人」とかいう、聞いただけでうんざりな二つ名の持ち主でもある。

 だから、天空艦隊てんくうかんたい最速さいそくが自慢の第四艦隊群だいよんかんたいぐんとは凄く相性が悪かった。お父様は演習えんしゅうから帰るたびに、オーフェリア伯爵様はくしゃくさまのことを、「妖怪通せんぼ」とか、「通行止め艦隊」とか、散々に文句を言い散らしていた。

 そう、先日、〈アキアカネ〉で挑んだ私もあっけなく通せんぼされて負けた。


 そのオーフェリア伯爵様はくしゃくさまが、私のテーブルに来て頂いたとたん、「面目ないですな」と詫びた。もちろん、慌てた。先任順でも経験でも、あらゆる面で格上のオーフェリア伯爵様はくしゃくさまが私に詫びるなんて、あり得ないと思った。

 きっと、職人としてのプライドがそうさせたんだと思う。直轄領ちょっかつりょうを堅固に守る、通さないはずの「壁」を、妖魔ようま魔法機械船まほうきかいせん機械獣魔きかいじゅうまは、不可視魔法を駆使することですり抜けてしまったのだから……


 それからもうひとり。教導騎士団長きょうどうきしだんちょうアガスティア伯爵様はくしゃくさまは、天空騎士てんくうきしたちにとって「生ける教科書」というべきお方だった。

 教導騎士団きょうどうきしだんは、法王親率艦隊群ほうおうしんそつかんたいぐんに所属している都合から、本営を帝都においているけど、管轄区かんかつくの制限がない特別な騎士団きしだんだった。つまり、帝国版図ていこくはんとの端から端までどこへでも出かけて行き、練度が低い艦隊や天空騎士てんくうきしを厳しく容赦ようしゃなく鍛えるのが、そのお仕事だった。


 もちろん、他の艦隊にとってお手本となるべき教導艦隊きょうどうかんたいの運営をも担う騎士団きしだんなので、教導騎士団きょうどうきしだんは自身にも厳しいことで知られていた。

 とにかく厳しく、誠実で、天空騎士てんくうきしとして求められる技術と立ち振る舞いの全てを体現せねば気が済まない。その教導騎士団きょうどうきしだんの中にあって、最高位の生きた教本とされる方が、アガスティア教導騎士団長きょうどうきしだんちょうだった。


 その指導力には定評があり、どんなに不器用な騎士見習きしみならいでも飛竜を乗り熟せるようになるとか、四則演算の順序を間違えるほどに計算が苦手な技巧官見習ぎこうかんみならいが微積分ができるまで懇切丁寧こんせつていねいに指導するとか……もちろん、講義は凄く厳しいけどね。

 だから、私やユカみたいな学生や、若い天空騎士てんくうきしたちは教導騎士団長きょうどうきしだんちょうのことは、「アガスティア先生」と心からの尊敬と畏怖いふを込めて、そうお呼びしていた。


 そのアガスティア先生をお招きした以上は、失敗は許されない。アガスティア教導騎士団長きょうどうきしだんちょうは、私が次に何をしゃべるつもりなのかを、興味深く待っていらっしゃった。

 誤解がないように言い添えると、アガスティア先生の怖さは、叱られる怖さじゃなくって、できるまで繰り返される懇切丁寧こんせつていねいな反復指導にある。苦手なところを見つけると、スモールステップに分解して、解るまで繰り返し学習させられる。先ほどの計算が苦手な技巧官見習ぎこうかんみならいの例では、割り算が苦手と判断されたらしく、特製の約分表の練習を百回もやらされたとか。


 そのアガスティア先生の蒼く澄んだ鋭い瞳が、私のことを、まるで因数分解いんすうぶんかいの問題が書かれた黒板に立ち向かう生徒を見守るかのように見詰めていた。

 少し考えてから、言葉を選びなから、ふたりの司令官に話しかけた。

「少しだけここを離れても良いでしょうか? 試したい方法があるんです……」

 話し始めて気付いた。さっきまで寄り添ってくれたはずのユカがいない。見遣みやると、それとなく給仕役を務めるふりをして、離れたところに逃げていた。

 後で聞いたのだけど、飛竜を乗り熟せるまでしごかれた騎士見習きしみならいって、ユカのことだったらしいの。ユカは侍女官じじょかんだから、狭義きょうぎでは騎士きしではないのだけど、噂話だからね。


 このときは、さすがにそこまでの事情には思い当たらなかった。でも、アガスティア先生の補習授業が怖いのは、みんな一緒なのでユカが逃げ出しても何も疑問に感じなかった。だから、大鐘楼だいしょうろうの鐘の音と直轄領守護艦隊ちょっかつりょうしゅごかんたい天空艦船てんくうかんせんを組み合わせて使うプランは、ユカに説明しないまま、ふたりの司令官から承認を取り付けた。


 このとき、離れたところに逃げたユカを見遣みやる私の目線に何かを感じたらしく、アガスティア先生から、ちょっとしたアイディアを頂いた。驚いた。でも、気遣いが嬉しかった。アガスティア先生はお友達づくりの指導までできる方だったの。


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