#032 貴姫様のラシャ鋏と、新しい魔法と

  ガストーリュは、私の前まで歩み寄ると跪いた。間近でよく見ると、その体躯には、あの鈴虫攻撃を浴びたために負った、細かなひび割れや傷が走っていた。


 ごめんなさい、ガストーリュ。


 あの時、とっさの判断で〈テムテムカムナの鈴虫〉を撃ち返した。機械獣魔きかいじゅうまの放った鈴虫攻撃を相殺するはずが、間違えて半音下だったの。この頃、私の音感はこれくらいが限界だった。帝都にいた頃、法印皇女ほういんこうじょになるための勉強をしていた頃は、音楽のことはあんまり習っていなかった。天空船てんくうせんや魔法のことばっかり勉強していた。


 お母様がチェロを弾いていたから、私も……って、少し触らせてもらったくらい。でも、オタマジャクシも読めなかった。


 ガストーリュは全然、気にしないけど、私は何度も謝った。そうしないと気が済まなかった。


 

 それから、ガストーリュにユカとあの機械獣魔きかいじゅうまがどこにいるのかを尋ねてみた。私は見つけられなかったけど、もしかしたら、ガストーリュならば漏斗魔法ろうとまほうが解除された時に周囲の状況を把握していたかも知れない――そう、思ったんだけど……

 残念だけど、ガストーリュも分からないと答えたの。

 どうやら、空を飛べないガストーリュを安全に地上に降ろすために、貴姫様きひめさまが何か魔法を使ってくれたらしい。その影響らしく、ガストーリュの記憶領域には、漏斗魔法ろうとまほう解除から私と魔法音韻まほうおんいんで繋がるまでの間、肝心なところの記憶が何も残っていなかった。


 くしょんっ!


 十六夜の月光に照らされた岩砂漠の真ん中は、北風に晒されているから寒かった。法印皇女ほういんこうじょの衣装は着心地や動きやすさ重視で軽いから、寒いの。暖かインナー着込んで、大判のストールを羽織っているけど、それでも夜風は寒い。


 寒いから、毛糸のストールに熱共振系のごく弱い魔法を掛けようとした。ちょっとした魔法の応用技ってところね。ひなたに干したみたいに、毛糸のストールがふんわり暖かくなるはずだった。ところが、ごく簡単な魔法なのに、失敗したの。


 火魔法〈メルクメルトの羽毛〉を使ったとたん、心の中で紡いでいた魔法陣まほうじんのイメージに、ラシャ切りはさみが突然に割り込んできた。そして、ちょっきん! された。


 あれ? なに、これ……?


 こんなこと、初めてだった。

 魔法符札まほうふさつ蛍砂けいさを使って空中に魔法陣まほうじんを描くのならば、他の人からも見えるから、相殺魔法とかで邪魔されることはあるけど…… ここは誰もいない、針葉樹林帯のどこかにできた岩砂漠みたいな窪地の真ん中。それに、心の中に描いたイメージを邪魔されるなんて。


 えっと……

 ガストーリュが後ろに控えているだけ。邪魔する人は誰もいないけど、周囲を見廻した。

 それならばと、他の魔法も試してみたの。


 火魔法〈マルギスの火祭り〉もだめ。やっぱり、青焼き鉄製で凝った意匠のラシャばさみが、イメージの中へ勝手に割り込んでくる。色々と試したけど、火魔法の一部、魔法陣まほうじんの中に熱共振符を持っている魔法は使えない。


 もお、こんなラシャばさみなんて、私、お裁縫箱にも持っていないし、知らない。


 何度も繰り返しているうちに気付いた。

 心の中で熱共振符のイメージを思い浮かべたとたん、無理矢理に割り込んでくる青焼き鉄製の大きなラシャ切りばさみ、よく見ると桔梗咲きの朝顔がその透き通った刃に刻印されていた。


 まさか……!

 そういえば、貴姫様きひめさまは夢の中で私の全力飽和攻撃魔法に何をしてた?

 全力飽和攻撃魔法の中心にあり、この巨大な魔法陣まほうじんを構築する要でもある熱共振符を〈休止〉にしたはず。


 ため息。


 あのときは……新しい魔法符札まほうふさつの美しさに圧倒されてしまい、何が起きたのか、ぜんぜん理解が追い付いていなかった。でも、いまになって思い出して、良く確認して、唖然とした。

  貴姫様きひめさまは、私のこと、本当に心配してくれていて――だから、私の切り札だった危険すぎる全力飽和攻撃魔法を、あんなやりとりの間に、にっこり笑顔で取りあげてしまったの。


 ……ちょっと、ウソでしょ……


 そればかりか、代わりに作った新しい魔法〈沙夜さや冷雷鉄槌れいらいてっつい〉は、私の名前が付いているくせに、私の苦手な高位水魔法が、デカイ顔をして中心付近に居座っていた。


 この流れで気付いて、改めて手渡された魔法符札まほうふさつに込められた魔法陣まほうじんを確認して、目を丸くしたの。凄く綺麗きれい魔法符札まほうふさつの見た目に騙されたと、今更に気付いた。


 私の名前が冠されているってことは、この新しい魔法の始祖は私ってことになるのだけど……始祖が使えない魔法って、そんなの有り得ないよぉ。


 そうなの。私に無理をさせないために、呆れたことに……私の大嫌いな水魔法をわざと真ん中に組み込んであるの。困ったことに、どう魔法式を展開して変形しても、この水魔法だけは外せなかった。


 貴姫様きひめさまは、魔法鍵を破る天才だった。この世界が妖魔ようま侵攻の危機に陥ったのも、貴姫様きひめさまが時空転移門の閂魔法を破ったからと伝えられていた。

 その鍵破りの天才が、施錠する側に回ったとしたら……こんな面倒なことをするなんて!


 同時に〈沙夜さや冷雷鉄槌れいらいてっつい〉を使える条件もわかった。この新しい切り札魔法を使用するための決定権が、私にはないことも、ね。

 そう、水魔法が大得意なユカから分けてもらう以外に方法はなかったの。

 威力が大幅に制限されているとは言っても、〈沙夜さや冷雷鉄槌れいらいてっつい〉は充分すぎるほどに強力な魔法だった。街ひとつ焼き払えるくらいは余裕で火力がある。

 だからね、私のために一生懸命なユカが、危険な私の切り札魔法の鍵だったの。


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