#033 太古の門、天空航路の道標は


 もう、ため息しかでなかった。それさえも星明かりと月明かりの中で真っ白な息になる。寒いよお……


 ここ、どこ? それに、時間さえもあやふやで……


 帝都よりもずっと北方、ユーフリア地方の広大な針葉樹林帯のどこか? のはずだけど、はっきり言ってユーフリア地方は広すぎるから……どうしよう。


 日没直後でこの寒さなら、夜半はきっと風邪をひいちゃう。どこか、天空艦隊てんくうかんたい統合指揮所に連絡できる場所を探すか、そうじゃなきゃ、小さなの村落でも、何でも良いから屋根のある暖かい場所を見つけなきゃ……


 それに、ユカとも合流しないと…… ユカもきっと、この沙漠のどこかで心細い思いをしているに違いないもの。


 そこまで考え込んで、ふいに思い出した。そういえば、法印皇女ほういんこうじょの衣装に付いてきた持ち物の中に……

 ウエストホーチを弄った。ユカが用意してくれたから、魔法符札まほうふさつ以外はあんまり気にしてなかったけど、ちっちゃなウエストポーチの中身は意外と充実していた。携帯食少し、お薬も各種類がちょっびっと、お金や天空帝国てんくうていこく関係の色々な施設で使える無料パス、地図と、蛍砂珠けいさしゅ、簡易お裁縫セット……そして……

 

 あった!


 ウエストポーチから、ハンドコンパスを取り出した。折り畳み式で軽量化された片手サイズの簡易なものだけど、結構、これ役に立つの。

 呪文をささやいて起動。使い方は簡単。蛍砂珠けいさしゅを用意してから、北極星に向けてボタンをピッと押す。これだけ。

 蛍砂珠けいさしゅが弾けて表示管になった。

 このハンドコンパス、こんなに小さいのに航法支援魔法が使えた。自動的に半径五百メルトリーブ以内を探して、あっちこっちに天空艦隊てんくうかんたいが設置している航法支援魔法陣まほうじんを計測してくれるの。方向音痴の私は帝都の中でも普段使いしていたのだけど……


「……あれっ?」


 そのはずなのに、ハンドコンパスの横に浮かんだ蛍砂けいさ表示管には、北極星の観測から得られた、精度が粗々な緯度だけが表示されていた。

「えっと……航法支援陣がひとつも見えないって……そんな?」

 恥ずかしいけど、それで気づいた。このハンドコンパスは、本来なら、天空船てんくうせんの船橋で使うもの。空の高い所から見下ろすから、遠く離れた後方支援陣が見えるって仕様だった。言い添えると、帝都ならもっと簡単。だって天空帝国の帝都なんだもの。外周運河管理所や天空回廊管制局にある航法支援陣が使えた。


 だけど、私、ちびだった。窪地の真ん中にいたら、私の背丈で見渡せる範囲は狭いって、やっと気づいた。

 それならばと、後ろに控える白亜はくあ魔法機械騎士まほうきかいきしを振り向いた。

「ガストーリュ、お願い」

 重機械の動作音が降ってきた。ガストーリュの右手に乗せてもらった。そのままガストーリュが立ち上がった。

 ガストーリュの左肩の上に立って、ハンドコンパスを空に掲げた。

「あれ……?」

 またも、航法支援魔法陣まほうじんからの信号は見つからない。緯度から判断して、ここがユーフリア地方の大半を占める北部針葉樹林帯どこかなのは確かだった。問題は、北部針葉樹林帯が広すぎるってことだった。目視できる範囲に街道でも街でもあれば、まだ、何とか望みがあるのだけど。


 途方に暮れ始めたとき、ガストーリュに呼び掛けられた。振り向くと、ガストーリュの左首筋に何か光る場所がある。触れると、魔法陣まほうじんが浮きあがった。

「もしかして、これ、使えるの?」

 


 #星歴682年 11月 17日  午後9時25分

  ユーフリア北部地方ファレム特別区内 第5時空転移門ファレスティカ門跡。

 

「来たっ!」


 やっと、現在位置判明。

 ユーフリア北部地方 第5時空転移門ファレスティカ門中央部……?


 見慣れない地名に続いて世界測地系の三次元座標が並ぶ。同時に時間信号も取れたから、懐中時計もリュウズを廻して合わせた。

 そして、驚いた。これ、天空艦隊てんくうかんたいの航法支援陣じゃない。大昔の……漆黒しっこく軍の航法支援陣だった。


 かつて、漆黒しっこく妖魔ようま軍団はこの世界に侵入した後、彼らが戦いやすいようにと、全世界に航法支援陣を勝手に敷設したの。もちろん、天空艦隊てんくうかんたいはそんな危険な魔法陣まほうじんは全部探し出して壊したはずだった。そのはずなのに……ガストーリュの魔韻まいんリンクを経由して、手元へ呼び出した蛍砂けいさ表示管は、今もばっちり生きている漆黒しっこく軍の航法支援陣からデータを受信していた。

 元々が漆黒しっこく貴姫きひめ付き魔法機械騎士まほうきかいきしだから、ガストーリュは漆黒しっこく軍の航法支援陣へ繋がる魔法音韻まほうおんいんリンクを自身の中に眠らせていたの。その魔法音韻まほうおんいんリンクを通じて、かつての漆黒しっこく軍の地図情報が取れたという訳だけど……


 蛍砂けいさ表示管に引き続いて精細な地図データが来た。天空艦隊てんくうかんたいに所属する立場としてはちょっと悔しいくらいに、高精度な地図が表示された。


 えっ……?


 それは、六百年前の天空海戦時代を現す古い地図データだった。何もない岩砂漠とは全く違う大昔の地図を見て、さすがに気付いた。現在は、何もない岩砂漠だけど、大昔、ここには巨大な時空転移門があったらしいの。

 貴姫様きひめさまが大昔の漏斗魔法ろうとまほうっていってたのは、つまり、これのことだと解った。

 不可能なはずの漏斗魔法ろうとまほうの中断をどうやったのかも見当が付いた。異世界まで通じる時空の扉があった場所だから、その魔法の残滓を利用して、〈ランペル・シュルーペの漏斗ろうと〉に中断を掛けたらしいの。


 データ表示は続いて――このファレスティカ門が漆黒しっこく第4艦隊の攻略目標であること。さらに、この時空転移門が機能していない可能性と、漆黒しっこく第4艦隊との通信リンクが途絶していることを重ねて表示した。


 古代艦隊史の時間に習っていた。

 六百年前、この世界に侵入した漆黒しっこく艦隊群は、分散してこの世界にあった七つの時空転移門の全てを制圧しようとした。

 漆黒しっこく第4艦隊との連絡がつかない理由も習っていた。漆黒しっこく第4艦隊は、目標攻略に成功してしまったの。

 かつて南半球にあった朱環を突破してこの世界へ侵攻した漆黒しっこく第4艦隊は、嫌になるほどに鮮やかな電撃作戦を成功させて、北極圏にほど近いファレスティカ門を制圧した。


 その後、ファレスティカ門を全船で通り抜けて、他の時空世界へ侵攻。盛大に暴れ回ってくれたらしい。

 それは、私たち天空艦隊てんくうかんたいにとって赤っ恥の歴史だった。だって、南半球から北極近くまでを妖魔艦隊ようまかんたいにあっさり縦断されちゃったんだよ。途中でアゼリア直轄領ちょっかつりょうの近くも通り抜けていたし……

 それに他の異世界にもご迷惑をかけしてしまった。情けないことに、漆黒しっこく第4艦隊がその後、どこまで突き進んでいったのか私たちは知らない。遠くに行ってしまったから、その後の所在を把握できていないの。


 黒髪を横に振った。

 今は、歴史の授業じゃない。


 いま、戦っている相手は、あの不可視魔法を使い、めちゃくちゃに硬い魔法機械獣魔まほうきかいじゅうまだもの。

 そう、一緒に跳んだはずの機械獣魔きかいじゅうまの行方も気がかりだった。必ず近くにいるはず。跳躍魔法は負荷が大きいから、魔法力を再充填するまで使えないはずだけど、ぐすぐすしていられない。帝都の奥深くにまで侵入された、未知の不可視魔法なんて厄介なものは、貴姫様きひめさまにお願いされなくても、ここで取り押さえる必要があると思っていた。


 天空艦隊てんくうかんたいでは、もしも行動中にはぐれて迷子になった場合の再集合方法も、一応は考えられていた。現地指揮所は、事象が発生している地点から少し離れた場所にある街や村落などと決められていた。

 したがい、はぐれた天空騎士てんくうきしは、近くにあるこの条件を満たす街を目指すことになる。

 付け加えていうと、銀雪聖堂ぎんゆきせいどうで戦っていた時は、この条件を満たす場所に偶然にも天空艦隊てんくうかんたい統合指揮所があったから、現地指揮所を置かなかったの。まあ、帝都内で問題発生っていう時点で、充分に想定外だけどね。

 

 蛍砂けいさ表示に浮かぶ地図データをじっくり眺めた。複数の小さな街があるけど、条件に合うのはどれだろう。飛竜に乗っているユカも、きっと、同じことを考えているはずと思った。答えが一致すれば、きっと、暖かくて美味しい食事もある場所で合流できるはず。


 ファレスティカ門跡地を囲む円周の上に、小さな町や村がぽつぽつ…… 目が留まったのは、もっとも北にあるかつての門前町、アルティナ市跡だった。

 かつてはファレスティカ門を行き交う交易商人で賑わった都市だけど、現在は、廃墟に近い有様のはず。アルティナ市は、こんな北部の森林地帯の真ん中にあったから、時空転移門を失ったとたんに、ただの交通不便地になってしまったの。

 漆黒しっこく第4艦隊との戦い、続くファレスティカ門の消滅――詳細はもう歴史の彼方に埋もれてしまったけど、アルティナ市という煉瓦造りの街は大混乱のうちに急速に失われてしまったらしい。


 何となくだけど、感覚的な物だから上手く言葉にできないけど、ここに、ユカも、あの機械獣魔きかいじゅうまもいる気がしたの。


 廃墟になった街だけど、無人って訳じゃないらしい。以前、お父様にぽそっと聞いただけだけど、いまも馬車で世界を旅している交易商人たち向けに、ちいさなサライ旅館が残っているらしいの。


 日が落ちて、夜風が強くなり始めていた。これ以上、寒空の中にいるのは、ご勘弁。考える時間はおしまいにしようと決めた。

 旅館が営業中だとしたら、きっと、何か温かいカボチャのスープとかポットパイとかあるよね。ミネストローネでも、ロールキャベツでも、せいろ蒸しでもいいかな。


 思い浮かべたら、お腹が空いてきた。

 よいしょっと、ガストーリュの肩から掌へ飛び降りた。地面に降ろしてもらうつもりが、そのまま太い白亜の指に包まれた。お腹を空かせた私を北風から守ってくれたの。


「あの、私、まだ、歩けるよ……」と、言いかけたところで……


 くしょんっ!


 くしゃみが出ちゃった。鼻をすすったら、ガストーリュは私を右手の中に包んで歩き始めた。


 ちょっと、甘やかしすぎだよ……


 心の中で白亜の魔法機械騎士まほうきかいきしに呼びかけた。その声までも甘え声になってたけど。ガストーリュは、私のことを守りたいから、守らせて――と、いうの。凄く嬉しかった。

「ガストーリュ、行きましょうか」

 大きな機械の掌の中から、いつも私を守ってくれる白亜はくあ魔法機械騎士まほうきかいきしを振り返った。

 

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