転移魔法と機械獣魔と

#023 少女たちの時間と鳩時計

#星歴 684年11月 4日 午後10時00分

  ティンティウム市朱鷺ヶ丘ときがおか16番地 銀杏金枝寮ぎんなんきんしりょう



 ぱっぽ、ぱっぽ……


 談話室の壁に掛けられた鳩時計が鳴き始めた。小さな白い鳩が、からくり細工の羽根でぱたぱたと羽ばたいた。


 すっと、息を吸い込んで、声をあげようとして…… ふいに鳴きだした鳩時計を見遣みやって、少女は可笑しくて、ぷっと吹き出した。

沙夜様さやさま、もうこんなお時間です。今夜のところは、お開きになさってはいかがでしょうか?」

 ユカの声に、少女、沙夜さやはうなずいた。

 ちょうど、お話は魔法機械騎士まほうきかいきしガストーリュが剣を振るい大立ち回りを演じた場面だった。だから、沙夜さやの声は少しだけ熱を帯びていた。さあ、と意気込んだところで鳩が鳴いた。


 鳩時計のどこか気の抜けた鳴き声で、我に返ってしまったから、沙夜さやは気恥ずかしさを取り繕って、てへへと照れ笑いをした。


 ◇  ◇


 クッキーは食いしん坊な女の子たちに綺麗きれいに食べられちゃった。少し残ったら良いな…… と心の隅っこで期待していたけど、鈴猫さんのクッキー食べ放題を見逃してくれるわけないよね。


 とりあえず、安堵した。

 ずっと言いたくても言えなかったことを吐き出したら気が楽になった。


 と、思ったら……甘かった。すぐに質問責めにされたの。

 地上の街ティンティウム市で生まれ育った女の子たちにとって、天空騎士てんくうきしの都、帝都アゼリア市は憧れの的だった。行ってみたいって話す子はいっぱいいた。

 でもね、ティンティウム市から帝都は結構、遠いの。快速の天空客船で航海してもティンティウム市からは気流を逆行することになるから、二週間近くかかる。だから、みんな私が帝都にいた頃のことを話すと言ったら、談話室に集まってくれた。


 ずいぶん、話したつもりだったけど、みんなは、まだまだ、聞き足りないみたいだった。

 それに、興味関心の方向も様々だった。


 そろそろ退散してお布団に潜りたかったのだけど……


 最初に口火を切ったのは、寮長で四年生のレーネ先輩だった。

沙夜様さやさま、大変に興味深いお話ですが…… 私は魔法機械騎士まほうきかいきしの活劇よりも、帝都の華やかさをお話し頂けたらと思います」

 他にも何人かうなずいていた。そう言えば、先輩方は教導騎士団きょうどうきしだんの青年騎士きしたちが登場するたびに、はしゃいでいた。例えば、クムク副騎士団長ふくきしだんちょうのことを話した時は、凄く熱心に聞き入っていた気がする。

「えっと…… 教導騎士団きょうどうきしだんの方々はみんな麗しい容姿の騎士きしたちが多いみたいです。それに、アガスティア教導騎士団長きょうどうきしだんちょうはご高齢ですが、優しくて高潔で教育熱心な方です。青年騎士きしたちからも先生と慕われていて……」

 ……物凄く厳しいけど。

 たどたどしく、取りあえず受けそうなことを口にした。でも、そっちじゃなくってと遮られてしまった。

沙夜様さやさまは、法印皇女ほういんこうじょ、つまり法王様ほうおうさまのお血筋なのでしょう? 帝国宮廷の美しさを教えてくださいませんか」

 えっ……?

 そう言われて気付いて、単純に困った。

 メートレイア伯爵家はくしゃくけは、天空帝国てんくうていこくにその名を知られる武家ぶけなの。不作法、不調法っていう悪名が天空貴族てんくうきぞくたちの間に轟いていた。帝都では絶対にこんな質問は受けることがなかった。

 どう説明して良いか見当が付かなくって、言葉に詰まっていたら、ユカが進み出た。こういう役回りはユカの方にお任せした方が上手くいく。

「メートレイア伯爵家はくしゃくけは帝都を妖魔ようまの脅威から守る役割を果たす家柄です。ゆえに、舞踏会など宮廷貴族の方々が集う場には参加したことが、ないのです」

 レーネ先輩は残念そうにため息をついた。

「華やかな舞踏会…… 一度で良いから行ってみたいものです。麗しい貴族家の方との逢瀬おうせもあるかも知れませんし……」

 舞踏会という単語が引き金だったらしく、レーネ先輩はうっとりと宙を見あげた。

 一方、私とユカは、うんざり気味に顔を見合わせて嘆息たんそくした。

「あれは、窮屈きゅうつくで重たいドレスを着せられて、政治をやらされる場所ですよ」

 法王宮殿ほうおうきゅうでん、その離宮で開かれる舞踏会の実情を知っているから、素直になれない。舞踏会とは気疲れの塊だった。

「でも、帝国貴族家の青年騎士せいねんきしの方々と躍るのでしょう? 心惹こころひかれる出会いもあるかも知れないですし……」

 レーネ先輩は絵物語の読み過ぎだとおもう。空想の物語と現実はかなり違うってことを、どう話したら良いのだろう。またも言葉が見つからなくって困っていたら、ユカが少し声を潜めた。ユカは不機嫌になると、こんな風に声を低くする癖がある。でも、これは演技かな? と思った。

「それが政治です。もしも、仮に意中の方がいらっしゃっても、勝手に躍るわけにはいきません。貴族家同士の婚姻は、帝国内の勢力均衡を破る火種になりかねませんから……」

 一瞬、レーネ先輩は、はっとなって私とユカを見た。

「えっ…… それは、そうですね……」

 それから口元を覆いながら、レーネ先輩までもが声を潜めて、そう理解したと答えた。

 ユカは本当に上手だと思った。これ、悲恋物の絵物語にありがちなお約束の筋書きだった。貴族家同士の派閥争いに巻き込まれて、家柄違いの若い騎士きし深窓しんそうの姫君は、けして叶わない恋に落ちるの。

 いかにもレーネ先輩が好みそうな説明だった。帝都アゼリア市と、ここティンティム市は三千六百メルトリーブも離れているから、大声でも絶対に聞こえないのに、すっかりユカの演技に引っかかっていた。 

 ユカは普段が凄く誠実だから、嘘をつくとみんな信じてしまう。

 そして、ユカの嘘はいつも私を護るためにある。


 ――本当は、私の魔法力が化け物だって貴族たちは知っている。まめまめしく舞踏会に通う甘えた貴族のご子息たちは、怖がって近づきもしない。

 そうね、もしも、私を本気で怒らせたら、舞踏会の会場なんて、一瞬で焼き払ってしまうかも知れない…… そんな感じで、くわばらくわばらって怖がられていた。

 もちろん、さすがにそんなこと絶対にしないけど。

 それに、私、全然、踊れないから、私の相手を務める騎士きしは、たっぷり靴を踏まれる覚悟が必要なはず。

 ユカは、私がこの化け物じみた魔法力を使うことを恐れていた。チビの私には、あまりにも大きすぎる力だから。

 だから、嘘をついてごまかしたの。



 興味津々で聞きたがる先輩方に、ユカがちょっと怒った顔をしていた。私のことを一生懸命に庇ってくれるのは、ありがたいけど、ユカはちょっと、過敏に反応しすぎかも知れない。


 凜としたユカの横顔にちょっとため息をついたら、すぐ横に、ひょこっと、リボンを結んだ、緩い巻き毛が揺れた。

「あの、沙夜皇女様さやこうじょさま…… あの、魔法のこともう少しだけ、お話ししてください」

 今度は一年生、シルファが遠慮がちに声をもらした。

「シルファ、今までどおり、沙夜さやって呼んで。それに、シルファは魔法、使えるよ」

 えっと、この子は一年生で一番に私に懐いてくれたシルファ。少し控えひか めなハスキーな声が可愛い子だよ。 


 シルファは天空貴族てんくうきぞくの家系じゃないけど、魔法が使えるはずなの。上手く説明しにくいのだけど、魔法の音韻おんいんを感じるの。それも、凄く透き通った上質な音色だった。


 シルファが魔法を使えないのは、シルファ自身が魔法が使えないと思い込んでいるから。魔法はイメージが大切だから、できないと思うとできなくなっちゃう。

 シルファは魔法に凄く憧れているのに、昨日までは教えてあげられなかった。

 でもね、今夜は違う。


 シルファを呼び寄せて、抱き寄せた。この子はペーファリユの森が出身地で、とても色白だった。北部地方出身の私も雪肌で、南国ティンティウムの紫外線はちょっと苦手だった。でも、シルファはもっと真っ白だった。ゆらゆら揺れる髪までも透き通った白銀色だった。

「シルファは、風魔法も水も土も使えるよ。本当は天空艦隊てんくうかんたい操演術士そうえんじゅつしに欲しいくらいに才能があるよ」

 これは嘘じゃなかった。でもね、天空艦隊てんくうかんたいは人材に飢えているけど、無分別に地上から才能を駆り集めたりはしない。少なくとも跡継ぎ娘や息子は避ける傾向があった。シルファは、ペーファリユの森にある集落のひとつで村長を勤める家系のひとり娘だった。

「うそ……」

 ここまでは、四月にシルファたち一年生が銀杏金枝寮ぎんなんきんしりょうに入って以来、何度も繰り返してきたやりとり。だけど、秘密を話しちゃった今は、もう一歩踏み込める。それが嬉しかった。

「嘘じゃないよ……今まで、魔法、教えてあげられなくって、ごめんね」

 シルファの自信なさげな言葉を遮って、笑って見せた。法印皇女ほういんこうじょであることを隠していたから、思わぬ尻尾になりそうな気がして、魔法のことも控えひか めにしか話していなかった。

 でも、もう秘密の尻尾を間違えて踏んで転ぶ心配はしなくていい。

 法印皇女ほういんこうじょは、天空帝国てんくうていこくが誇る法符魔法ほうふまほうのスペシャリストのはずなの。

 戦うだけじゃなくって、本当は天空騎士てんくうきし操演術士そうえんじゅつしに魔法を教えるお役目もあるはずだった。お母様も、お婆さまも、そうしてきた。あの人もそうだったって…… 微かに消え残る記憶の欠片が言っている。

 私は……だめだめだけどね。

 

 でも、シルファが相手ならば、こんな私でも教えられると感じていた。だって、シルファは本当に才能があるし、それに四月にシルファが入学して以来、ここで半年以上も一緒に暮らしてきた。お料理当番も一緒の班だし、良くお部屋にも遊びに来てくれた。お風呂も一緒のことが多いし……


 だから、大丈夫と思った。

 魔法はイメージが大切なの。

 魔法符札まほうふさつも、呪文も、蛍砂けいさや様々な魔法機械まほうきかいも、全部、補助手段にすぎない。人から預けられた魔法の音韻おんいんや呪文を循環詠唱じゅんかんえいしょうすることで、様々な力場を発生させる魔法機械まほうきかいもあるけど……

 それでも、最終的には、魔法力の根源は私たち、人の心の中にある。

 心の中の〈音色〉が、魔法の根源だった。


 だからね、いつも一緒にいて、私のことを慕ってくれるシルファとなら、上手くいくと思うの。


「教えてあげるよ。風魔法でいい?」

 シルファが戸惑いがちに小さくうなずく。

 やっぱり一番に得意な〈レーアの羽音羽根〉を教えることにした。

 抱き寄せて、呪文と言うよりは、風のイメージの言葉の欠片をささやいた。


 これは、お母さんが小さな子供に初めて魔法を教えてあげる時のやり方なの。

 例えば、風魔法だったらね――

 そよ風、暖かい春風、湿った雨風、暴風雨の最中の風、乾いた秋風、凍てついた雪風…… 優しい風、怖い風、色々な風を描いた絵本と、幼い子を一緒にお膝に載せて、ゆらゆらしながら、風魔法のイメージを教えていく。


 私も風魔法が得意になったのは、きっと、お母さんがこうして教えてくれたから、かなぁ?


 私、チビだから、お膝は無理だけど、シルファを抱き寄せてたっぷりと風のイメージの言葉や詩片をささやいて、それから私も風魔法を途中まで心の中で唱えた。


 そして、

 招き寄せて、ぎゅっと抱きしめたシルファと唇を重ね合った。


 驚いた様子で瞳がどんぐり眼になったシルファに向けて、しーっと、唇の前に一本指を立てて、静かにと合図した。


 残りの詩文をシルファの耳たぶに吹きかけて教えた。

 声に出してごらん。きっと、上手くいくよ。そう、表情に出して伝えた。


 シルファが、こくんとうなずいた。

「れ、〈レーアの羽音羽根っ!〉」

 黄色い震え声が、魔法の鍵となる法符ほうふの名を言葉にした。

 とたん、銀杏金枝寮ぎんなんきんしりょうの談話室は、ちょっと強めのつむじ風に掻き回された。カーテンがはためいて、窓が勢いよく開いた。照明もゆらゆら揺れていた。


「……す、すごい。凄い、です。沙夜さや先輩」

 びっくり眼のシルファに、えへへと笑い返した。

「これがシルファの実力のほんのひと欠片だよ。練習したら、もっと凄くなれるよ」

 

「魔法って、口移しで教える物なんですか?」

 今度は、ロズリナ。シルファと同じく一年生。私とシルファが魔法を口移ししたのを見て、すっかり頬を赤らめていた。

 恥ずかしいから、あんまり意識しないで欲しいのだけど。

「本当は、お母さんとちっちゃい子供でこうします」

 でも、シルファは地上の街に住んでいたから、たまたま今まで最初の魔法を教えてもらう機会がなかっただけだもの。

「そうなんだ……」

 ロズリナの声のトーンが下がった。ちょっとがっかりしたような下がり方だった。

「恋人同士とか、学校の先生と生徒の間とかでも、こんな風にするのかと思ったのに……」

 私とユカは、反射的に「ない。ない」と首を振ってしまった。


 えっと、恥ずかしいから条件反射みたいに、「ない」って答えてしまったけど、私、ユカとも魔法の口移しをしたことがある。私が使えない水魔法だけど、ユカは大得意なの。どうしても水魔法の法符ほうふが必要な時は、ユカから移してもらったことが、一度ならずある。


 それにね、漆黒妖魔しっこくようまはこの魔法の口移しを大人になっても行っていた。

 妖魔ようまは、私たち人間と違う。私たちの場合は、魔法を口移ししても、それは魔法を学習するための、あくまできっかけのひとつにすぎない。

 そうね、鉄棒の逆上がりができない子に、親が付き添って抱き支えて廻してあげる、あんな感じと同じね。


 でも、漆黒妖魔しっこくようまは違うの。

 魔法を唱えて口づけを交わすと、相手はその魔法を直ちに使えるようになってしまう。

 たったそれだけのことで、魔法の法符ほうふ呪符じゅふに変えて、取り込んでしまう。

 それは〈周転円環魔法陣プラスミド〉交換と呼ばれて、恐れられていた。

 誘惑されて、うっかりキスをしたら、悪い妖魔ようまに魔法を取られてしまうぞって、お父様に教えられた。


 盛大に談話室の中がひっくり返ったのに、レーネ先輩は全然、気付いていなかった。談話室の中をこんなにしたら、寮長であるレーネ先輩に怒られると思ったのだけど、その心配はなさそう。もっと別のことは心配だけど。


 見遣みやると、レーネ先輩はユカの語った〈深窓しんそうの姫君と若き騎士きしとの許されざる恋物語〉の余韻にまだ浸っていた。嵐のように夜風が吹き荒れるのも、確かそんなお話ではおきまりのシチュエーションだった気がする。

 レーネ先輩はそんな絵物語をお部屋の中、レースが掛けられた綺麗きれいな本棚に飾っていた。


 うろ覚えだけど、帝都中区桜通にある国立公文書館の古文書アーカイブ、あの開架書庫には悲恋物ばっかり集めたライブラリがあった…… はず。

 えっと、〈白薔薇しろばらライブラリ〉だったっけ? 帝都の学校へ通っていた頃、貴族家の女の子たちが、ちょうどレーネ先輩みたいにうっとりした感じで話題にしていた。


 私には理解出来ないお話ばっかりだけど。

 お話について行けないから、私、お弁当の時間は校庭の隅っこでひとりで食べてた。ユカが来てくれるまでは、私、本当にひとりぼっちだった。


 だって、イバラの垣根や蔓薔薇つるばらの檻に大人しく閉ざされているお姫様なんて、有り得ない。騎士様きしさまが助けに来てくれるまで待っているなんて、非合理的だと思う。帝国貴族なんだもの。魔法が使えるはずでしょ?

 そんな面倒くさいものなんて、私だったら〈メルディズクの煉獄矢れんごくや〉で焼くけど…… 

 

 ふと、アルカの様子が気になった。

 いつもは、私とユカとアルカで一緒なのに、アルカは私の視界に入ることを避けて、談話室の隅っこで雑誌を読んでいた。

 帝都にいた頃のお話は、アルカにとって少し辛いと思う。自分の居場所がないのは、イヤだよね。でも、ごめんね。もう少しお話が進んだら、私、アルカのこと大好きだって話せると思うから。

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