招かれざる客〈1〉
早朝。
ドアのノックとメイドの声に、リシュは夢の園から現実世界に連れ戻された。
「お嬢様。お休みのところ申し訳ありませんが、お客様です。……起きてくださいませ」
メイドの、遠慮がちで困惑めいた声が扉の外から聞こえた。
「もー…… 誰なの? 朝っぱらからッ」
「オクトルジュ公爵様です」
「おじ様が? ……わかったわ。お茶でもだして少し待っててもらって」
オクトルジュ公爵ラスバート・ナグラスは、戦場で亡くなったリシュの父親の親友で、今はリシュの後見人だ。
溜息を漏らしつつ、覚めきらない目をこすり、リシュはノロノロと起き上がった。
自分が朝に弱いことを、ラスバートは知っているはずだ。
待たせても問題はない。
「あーあ。かったるい……」
リシュは思わず呟いた。
この二週間、公爵家が所有している農園の収穫作業を手伝っていたせいで、足腰が痛むのだ。
けれどそれもようやく昨日で一段落し、五日後の収穫祭までは、朝寝坊どころか、思う存分眠りを貪るつもりでいた。
昼までダラダラ寝て過ごすつもりだったのに。
「まったく、なんの用よ」
好きな時間を妨げられると、人は皆、不機嫌になるものである。
リシュにとって、それは眠りだった。
ある特殊な体質のせいもあったが、リシュは何よりも眠ることが大好きな娘だった。
♢♢♢
寝室から繋がる奥の小部屋へ移動し、水の用意された桶で顔を洗う。
クローゼットを開け、服を選びながら、リシュは顔を顰めた。
服選びは苦手だ。
いつも着ている簡素な野良着姿で客人の前に出るわけにはいかない。
そんなことをしたら、きっと何時間もラスバートの小言を聞くはめになるだろう。
それは避けたい。
リシュは迷った末、秋に映える葡萄色……紅紫の服を選んだ。
胸元に同色系だが淡い色合いのレース。
袖口には山吹色の細い縁取りとリボンの飾りがさりげなく付き、腰元も山吹色の紐で緩めに絞られ、裾にかけてふんわりと広がる可憐なデザインだった。
(でもこれ……)
思えば去年の今頃、ラスバートから送られた服だったような気がした。
しかも袖を通すのも今日が初めてのような気がする。
着慣れないせいなのか、それとも自分が成長したせいなのか、多少の窮屈感があるが仕方ない。
リシュは後ろめたい気持ちになりながらも素早く着替えた。
そして、まるで夜の海のように波打つ長い紺青色の髪を梳く。
髪の手入れを終え、鏡台の前で姿勢を伸ばし、リシュは身支度の最終チェックを行った。
黒紫色をした瞳が、眠り足りないせいで少しぼんやりしているが、客人の前に立つ装いとしては、とりあえず合格ラインだろう。
リシュは大きく深呼吸をし、自室を出た。
そして階段を下りながら考えた。
おじ様が、事前に連絡も無く来るなんて。
王都から、馬車で一日以上はかかる、こんな西の田舎街まで、わざわざやって来るなんて。
きっとろくでもない事情だろう。
……ふと、リシュはあの日のことを思い出した。
リシュがまだ十二歳だった頃。
六年前のあの日。
───あの日も、確かおじ様が来たんだわ。
恐ろしいとさえ思うほど、酷く焦燥した顔で。
母様を迎えに……。
ラスバートは母を王宮へ連れて行った。
連れ帰ったと言うべきか。
少しの間、ほんの数週間だけと言って……。
けれど実際、母リサナが帰ってきたのは、それから三ヶ月以上も過ぎた頃だった。
そしてその日、
母は罪を一つ背負って王宮から戻ってきたのだ。
その日を境に、リサナは頻繁に王都へ出向くようになった。
長い時で半年以上帰らないときもあった。
嫌な思い出がよみがえり憂鬱な気分になりながら、リシュはオクトルジュ公爵の待つ客間へ向かった。
おじ様、と呼んではいても、自分とはなんの血縁も無い他人だ。
会うのは二年振り、母リサナの葬儀以来だ。
ラスバートと縁深いのは、彼の異母兄であり、今は亡き前国王。
そしてその息子であり、ラスバートの甥にあたる現国王。
それが彼に一番近い縁者だろう。
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