妖艶なる少女の目的

「京ちゃん――!」


 美樹は突然の幼馴染の乱入に戸惑う。


「やっと会えた……」


 対し、京馬は待ち望んだように言う。


「美樹……だよな?」


 確認するように美樹の名前を呼び、京馬は美樹に手を差し伸べる。


(いや、だめだよ! 京ちゃん、私を……見ないでっ!)


 美樹の悲鳴は口から発せられることはなかった。

 そして、

 ……決めた、事なんだ。

 決意は開けた口を締める。

 その後、美樹は口元を引き攣らせる。


「そうだよ、京ちゃん!また、会えて嬉しい……!」


 途端、美樹は屈託のない満面の笑みになる。


「俺も美樹に会えて嬉しい……!」


 京馬は偽りのない言葉を告げる。

 そして首を回し、辺りを観察、現状を確認。


「教えてくれ、美樹。何故、こんな組織に入った? そして何で俺達、アダムと敵対するんだ?」


「アウトサイダーは私の『目的』を達成させるのに都合が良いから加入した。そして、アダムは私の目的の邪魔にしかならないからだよ。いえ、邪魔というより、『最大の障害』、って言えばいいのかな……」


 目を逸らせ、美樹は言う。


「美樹の『目的』って何だ? 俺たちじゃあ協力できないのかよ!?」


 京馬は訴える。

 だが、美樹は首を左右に振る。


「駄目なんだ、駄目なんだよ。京ちゃん。私は、『アダム』とは戦わなくちゃいけない」


 美樹は言葉を止め、一寸の沈黙。

 沈黙は躊躇いを示す。


「だから、京ちゃんもアダムなんか止めて、私と一緒に行こう! 二人で、『世界を創り変えよう』!?」


 美樹の懇願の声に京馬は戸惑う。

 美樹と一緒に行きたい。

 自分の中の気持ちの大半はそれを占めている。

 だが、

 桐人、剛毅、エレン、咲月……アダムで得た仲間達を裏切ることは──


「だったら、その目的を教えてくれ! 美樹がやろうとしていることは一体何なんだ!?」


「それは……」


 美樹は躊躇い、横目で倒れる咲月を見つめる。


「『あの子』が聞いてる手前、教えられない。あの子を排除しないと」


 美樹は黒炎を携える。

 その美樹の行為を京馬は手で制止する。


「分からないっ! 何でそこまでしなきゃならないんだっ!? 教えてくれ! 美樹は……一体何をやろうとしているんだっ!? そこまで美樹を突き動かす目的っていうのは何なんだ!?」


 困惑の顔を浮かべ、京馬は叫ぶ。

 その声は対面する美樹も困惑させる。

 躊躇い、一寸して美樹は口を開ける。


「私は……この世界を創り変えたいだけ。それが目的。それには、アダムの世界を『在るべき形』に戻すという目的が邪魔なんだ。だから、アダムと戦わなきゃいけない」


「世界を創り変える……?」


「そう、私は『宿命』を断ち切るために、『世界を創り変える』」


 突然の美樹の告白、その言葉に京馬は眉をひそめる。

 アダムの世界を『在るべき形』に戻すという『目的』と、美樹の『世界を創り変える』という『目的』。

 それらは同時に叶えることができないという。

 そこには、何らかの事情があるに違いない。

 だが、京馬にはその事情を解決できる手があった。


「それなら、俺の力を使えばいい! この『ガブリエル』の力は……熟練して、世界で最も神に近い場所で自分の願いを告げると叶えられる力を持っている!」


 京馬は自身の化身の特徴である。

 『願いを叶える』力を美樹に告げる。

 だが、


「それは……知っている。でも、その力は『制限』がある。世界そのものを変えることはできないんだ。それに、確証もない」


「そんな……」


 京馬は美樹の言葉に愕然とする。

 自分の『目的』、目の前の少女との幸せな世界を築くという目的が、その少女の言葉によって否定されてしまったからだ。

 どうにか、美樹を説得出来ないだろうか。

 京馬が考えあぐねると、一つの疑問が沸き起こる。


(だが……何故、『それ』を美樹が知っている?)


 京馬の宿すガブリエルには、他の化身には無い『異質な能力』がある。

 それは、『神の頂』にて、その願いを叶えられるという夢の様な能力である。

 だが、その詳細な内容――特に『制限』なんてものは、アダムの幹部にも聞いた事が無いし、『インカネーター指南書』にも載せられていない。

 その様な貴重な情報を、何故、美樹が知り得ているのか。

 極秘で調査していた?

 それとも、あの『アウトサイダー』での裏情報なのか?


「だが、何で美樹がそんな事を知っているんだ?」


 困惑の表情で問う京馬の質疑に、美樹は背ける様に視線を逸らしてゆく。


「私は、特殊なインカネーターの覚醒をしたの。それで、私の中には……あの、アスモデウスがいる。――知ってるでしょ? 『あいつ』は、『アビスの住民』。そして、元は『熾天使』だったの。その知識は、アビス中でも中々のものだよ」


「つまりは、あのアスモデウスが教えてくれたって事か!?」


「そう……ね」


「そのアスモデウスに、命令されて、『こんな』事をしているのか!?」


 『アスモデウス』。

 七つの大罪『色欲』の大悪魔。

 それは、京馬が最も忌み嫌う存在である。

 何故ならば、今目の前にいる少女を淫欲にただらせ、そして一度殺しかけた存在であるからだ。

 故に、京馬は『怒り』を込めた激情の訴えをする。

 だが、美樹はその言葉に、悲しそうに、否、罪悪感に駆られた唇の噛み締めから、震える首を左右に振る。


「違うの……! これは、私の意志……! わかったら、退いてっ! 京ちゃん! 私はっ! その子を殺さなきゃいけない!」


 アダムに対峙するという目的が『美樹自身』の意志であるという事をはっきりと告げられた京馬は愕然とする。

 告げた時の美樹の表情は、辛そうであった。

 アスモデウスに操られている?

 脅されて、言わされている?

 美樹の言葉に、疑念を持つ京馬を前に、美樹は黒炎の標準を背後の少女へと向ける。

 美樹への言葉に悩む京馬は、その光景を見て我に返り、叫ぶ。


「それはできないっ! 咲月も大切な仲間だっ!」


 その制止の言葉に美樹は眉をひくつかせる。


「何よ……仲間って! 私は……私は何時でも孤独だった! 孤独だったんだよ!?」


 美樹はヒステリックな叫びを上げる。

 その叫びは悲哀、怒りが籠っていた。


「京ちゃんの周りには……何時でも仲間がいた。眩しかった」


 美樹は顔を伏せる。

 そして、か細く呟く。


「そうか、私は……そう、そうだった。そうだったの」


 美樹は、嘆息の後、頭上を見上げる。

 目を閉じて、口をきつく締め上げるその表情は、過去への回想、そしてその中の憤りを込めているかの様であった。

 しばらくの後、美樹はその両眼を開かせ、京馬へと向ける。


「もう、いいよ。どうせ、この世界じゃ、京ちゃんは相容れない。京ちゃんも、私を抱いて、色欲に溺れて……!」


 そう言った手前、美樹は京馬に抱きつく。

 突然の美樹の行動に京馬は驚き、困惑する。


「私を、抱いてよ! 京、ちゃん……!」


 美樹の求める声に京馬は戸惑う。

 その声は美樹にアスモデウスが取り憑かれた時のような艶のある声ではなかった。

 必死。

 一言で言えばそうだった。

 それは京馬の知る美樹であって、その声は紛れもなく今の美樹が『アスモデウス』ではないことを示唆させる。

 つまりは、『あの言葉達は、美樹の言葉』である事を再確認せざる得なかったのだ。

 再び、京馬は愕然とする。

 巻き付けられた腕を、京馬はそっと外し、


「ごめん。俺は今の美樹を抱けない……」


 京馬は拒絶する。


「どうして……!? 私の色欲に溺れて、従属してよ!」


 必死に懇願する美樹。

 動揺と、女としての恥じらいで赤み掛かった頬は、正しく美樹だ。

 だが、京馬は分かっていた。

 それは本当は、自分を求めているのではなく、美樹が、美樹の『目的』のためにで行った行為であると。

 何故だ?

 何故、そこまで――

 わからない。

 きっと、それはこの身に宿す天使の『異質な能力』のせいなのだろう。

 本当は美樹を抱きしめ返し、愛の言葉を呟きたい。

 だが、だけど――


「俺は……そんな美樹が見たくない……!」


 目を背け、京馬はギリ、と歯を噛み締め、呟く。

 その言葉を放つ京馬へと、愕然とした表情を、露わにする美樹の眉尻が水滴で滲みだす。

 だが、溢れ出すそれを両眼の締め付けで踏ん張り、顔を上げると同時、美樹は不敵に笑う。


「ふ……ふふふ。どうやら、上手くいかないみたいね。私の『誘惑の奴隷テンプテーション・スレイヴ』で奴隷にしようと思ったのに」


 告げると同時、美樹は触手をバネのように使い、後方へ跳躍。

 神殿の柱の頂きに立つ。


「しょうがないね。今回はもう撤退させてもらうよ。次会った時は、京ちゃんでも容赦しない。私の目的のために殺してあげる。私を拒絶したのを後悔しなさいっ!」


 無理矢理に、『思惑の範疇』である事を想起させる様に、美樹は口を吊り上げて言う。

 そして、黒いチャイナドレスを翻し、美樹は黒炎を両手に携える。

 振り被り、背後の虚空に黒炎をぶつけると、空間が破砕し、漆黒の狭間が現れる。


「京馬くん、良いの!? 美樹ちゃんが……逃げちゃうよ!?」


 会話を見守るように聞いていた咲月が京馬へ問いかける。


「今の、俺じゃあ……何も言えないし、できない」


 京馬は唇を噛み、拳を握りしめる。

 やっと、美樹に会えた。

 だけど、拒絶してしまった。

 どんな理由があろうとそれは事実で。

 この瞬間は覆す事ができない決断。

 何故だか、京馬はそれこそが『宿命』であるかのような、絶対的なものに感じていた。

 手を伸ばそうにも、力が出ない。

 だが、京馬はどうしても、美樹に教えてもらいたいことがあった。


「美樹っ!」


 京馬は叫ぶ。


「もし、『世界の創造』が出来たら、一体、どんな世界に変えるつもりだっ!?」


「──今さら、それを聞くの……?」


 美樹は再び、悲しそうな目をして言う。


「私は──自分が『闇』に堕ちた過去を取り除いて、『愛』だけの世界に創り変えたい」


 美樹は虚空を見つめる。


「そのためなら、どんな困難でも突破して、『宿命』すらも変えてやるんだからっ!」


 放たれた美樹の声は強い意志を持っていた。


「そうか」


 美樹への宣戦布告とする言葉。

 だが、京馬は頷いた。

 美樹の『目的』、『世界の創造』で創り変える、美樹が望む『世界』。

 自身の最愛の人が望む世界――それも良いのかもしれない。

 だが、京馬は知ってしまった。

 世界の理不尽を。

 絶望を。

 それは以前から気付いていたのかもしれない。

 だが、自身が体験し、伝えられた、その『裏側』は、より明確に京馬の心を打ち付けた。

 変えなければならない。

 この『力』を持っていなかった時には反らすしかなかった、その『裏側』を。

 しかし、美樹から得られたこの『ガブリエル』の力の『制限』の情報から、どうやらそんなに大それたことはできないらしい。

 だったら――

 自分の能力で『世界を変える』ことができないのならば、美樹の『知っている方法』を自分もすれば良い。

 その『決意』を持ち、京馬は口を開く。


「今の俺じゃあ、美樹には何も言えないし、することもできない!」


 だけど、


「俺は、美樹が……皆が、『絶望』に呑まれず、『希望』を抱く、そんな世界に創り変えてやるっ!」


 京馬は一息つき、最後の一言を放つ。


「だから、どっちが先に世界を変えられるか、競走だっ!」


「えっ……?」


 京馬の提案は、美樹を驚愕の表情へと変えさせる。

 一寸の驚きの間の後、美樹は面白可笑しそうに笑った。


「ふふ、望むところだよ」


 頷いた美樹は、とても嬉しそうであった。

 まるで、先程までの悲哀を消し飛ばすかの様な満面の笑みで。


「『世界の創造』のやり方……それは教えられない。だけど、京ちゃんに忠告はしてあげる! 忠告は二つ!」


 その美樹は意気揚々とした表情で告げる。


「一つ、アダムで『世界の創造』の事実はタブーだよ! それは『絶対に知られてはいけない』ことなんだ! 気を付けて!」


 そんな美樹の活力が戻った声色に、京馬は微笑して頷く。


「そして、もう一つ!」


 告げた美樹は、しかし、表情を険とした。

 一寸の沈黙の後、美樹は視線を倒れている咲月に向ける。


「その子は、できるなら殺した方が良い。その子に宿る化身は非常に危険だよ……!」


「何だと……!? 美樹、どう言う事だっ!? 待ってくれ!」


 突然の衝撃的な言葉に、京馬は驚愕する。

 だが、


「また会おう、京ちゃん。今度は、『敵』として――」


 その言葉を遺し、美樹は消え去っていった。


 

 辺りを静寂が包む。

 京馬は美樹が最後に遺した忠告に唖然としていた。

 一つは、アダムが『世界の創造』ができるという事実をタブーにしていること。

 それを組織内の人間に話してしまったらどうなるのか。

 何か得体の知れない恐怖が染み込む。

 もう一つは、


「咲月に宿る『イシュタル』が危険……?」


 疑問とともに京馬は倒れている咲月を見つめる。

 目が合った咲月は困惑していた。


「私も……美樹ちゃんが言ったことが真実なのか、わからない」


 ふらつきながらも咲月は立つ。


「でも……実は私も、『イシュタル』について不明なことが多いんだ」


 がくっと膝が地に突きそうになる。

 それを傍らにいた京馬は支える。


「大丈夫か!? 咲月!」


「うん……ありがとう、京馬くん。どうやら、美樹ちゃんの黒炎で大分精神のダメージがきてるみたいだね……この威力、とても一週間前にインカネーターになったとは思えない」


 告げる咲月は、美樹の黒炎の威力を思い返し、戦慄の表情を造る。


「ともかく、美樹ちゃんが嘘を言っているとも思えない。私は……もっと自分の化身に向き合わなきゃいけないみたいだね」


 咲月は息を上げながら言う。


「あと……『世界の創造』が出来るという事実。そしてそれが、アダムの『目的』とは相反するということ。私も知らなかった。任務が終わったら、色々と調べなきゃいけないみたいだね」


「ああ、俺も協力するよ。どうやら、知らないといけないことがたくさんあるみたいだしね」


 京馬が頷くと同時、咲月は自身の捕縛結界を解除した。

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