組織と日常の狭間の中で

 電車の揺れる音が聞こえる。

 その不規則な振動音を感じながら、京馬は学校へ向かっていた。

 今日の夕方、美樹に会えるかも知れない。

 美樹は何のために姿を消し、何故『アウトサイダー』という組織に入ったのか。

 何故、自分の所属するアダムではダメなのか。

 何故、自分に会ってくれないのか。

 何故、悪魔の『愉悦』に興じているのか──


「それが美樹の本質?」


 ふと、呟いてしまった。

 以前、サイモンが京馬に言っていた美樹の本質について思いだす。

 結局、あの思い描いた運命の幼馴染との恋物語は露となり失せてしまったのだろうか。

 京馬は唇を噛んだ。

 そうだ、こんな悪魔に美樹と巡り合わせた世界のせいだ。

 そう、京馬は刻む。

 目は、世界という虚空を見つめる。


「俺には、ガブリエルの力には、世界を変える力がある。俺がいつか、その領域まで達することができれば全てを叶えることができるんだ」


 そう、心に告げた途端、電車のドアが開く。

 天橋中央駅。

 京馬の通う天橋高校の最寄り駅だ。

 京馬は席から立ち上がり、バックを持ちあげる。

 電車から出た後、改札口を通る。

 最寄りのコンビニを通り過ぎようとした時、自動ドアが開き、出てきた人物と目が合う。


「「あ――」」


 思わず、両者が声を上げる。


「咲月」


「京馬くん」


 京馬の眼前には、紙パックのジュースを腕に包み、ストローを包む包装を開けようとする咲月がいた。


「やあ、昨日ぶりだね。咲月はこの時間に学校くることにしたの?」


 先に話したのは京馬だった。

 咲月は予想外の出来事があったかのようにキョトンとしている。


「……咲月?」


 我に返ったように咲月は京馬に言う。


「あ、ああ。ごめん、ごめん! ヲタクっ子の私をまさか京馬くんが呼び止めてくれるとは思わなくて」


 そう、咲月は言いながら、頬を少し赤らめる。


「別に学校では他人の振りしてても良いんだよ? 私、本当に気にしないから」


「それはないだろ。あんなにした仲だ。無視できるわけないだろ!?」


 京馬は自然とそんな言葉を発した。

 途端、一部の学生は動きを止める。


「ちょ、京馬くん、それ誤解されるって!」


 顔を赤らめながら、焦って咲月が言う。

 周りからひそひそと声が聞こえる。

 一寸して、京馬は自分が発した言葉が大変曲解しやすいものだと気付く。

 やばい、何か言い訳を考えないと!

 と、思い立ち、京馬はしどろもどろと口を回す。


「あ、あんなに好きなアニメで討論した仲だろ!? そんな無視なんて出来るわけないだろ!」


「そ、そうね! いやー私はダントツで『魔道少女メイガスももこ』が一番だけど、まさか京馬くんが『神槍戦機ヴァルハラーズ』を好きだったとはね! 以外だったよ!」


 はっはっは、と、上擦った声で両者が口を揃える。


「なんだよ? その『神槍戦機ヴァルハラーズ』って? そんなの知らないぞ、俺」


 ジト目で京馬は咲月に小声で言う。


「しょうがないじゃん! 他に思いつかなかったんだから! というか、そっちの話に合わせるなら、ああいうしかないでしょ!」


 小声で咲月が返す。

 微妙な空気が辺りを包む。

 京馬は嘆息。そして頬を人差し指で掻く。

 そんな二人を未だ一部の学生達が見つめている。

 その目は疑惑と好奇の目だ。


「さ、さあ行こうか! 遅刻するぞ!」


「う、うん! 行こうか!」


 周りの視線を脇に二人は歩を進める。




 京馬と咲月は二人で天橋高校の正門へ続く坂道を登っていた。


「なーんか、変なことになっちゃったね」


「ごめんな。俺があんなこと言わなきゃ……」


 京馬は俯き、咲月に謝罪する。


「私は良いけどさあ、京馬くんがこんなヲタクっ子が彼女と勘違いされて、良い迷惑なんじゃないの?」


 伏せ目がちで咲月が言う。


「そんなことはないよ。むしろ嬉しいくらいさ」


 えっ、咲月は顔を京馬の横顔へ向ける。


「でも、京馬くんは美樹ちゃんが──」


 ああ、と京馬は自分の言葉の誤解を解くために付け足した。


「咲月みたいな可愛い子と彼女と勘違いされるのなら、男なら別に悪い気はしない、ってことさ。まあ、確かに俺は美樹が好きだからこのままっていうのは困るけど」


 京馬は咲月と顔を合わせて言う。


「そ、そういうこと、か」


 咲月は少し伏せて、呟く。


「私って可愛い?」


 咲月は伏せた顔を上げて京馬に聞く。


「え?ああ、うん。うちの学校の中でもかなり可愛い部類に入ると思うよ」


 京馬はすらりと告げる。

 咲月はそんな京馬の直球な感想に目を丸くする。


「お、おお!? 京馬くんはそういうこと、ズバッと言うね? そうかあ、私って可愛いのかあ……」


 視線を下に向け、まるで他人に対する感想を聞くように咲月は頷く。


「咲月?」


 そんな咲月の様子を変に感じて京馬は話しかける。


「いやね、あんまり人に自分の容姿について聞いたことなかったものだから……」


 咲月は薄い笑みを作りながら、言う。


「私、『そっちの趣味』に没頭してたから、あんまりそういうの考えてなかったんだよね。前の学校でも男子に距離置かれてたし」


 ははっと咲月は苦笑した。


「そうなんだ」


 京馬は同じく苦笑して相槌を打つ。

 と、京馬の視線の先に見慣れた後ろ姿が見えた。

 京馬は一足、駆けだしてその肩を叩く。


「お、おお! 京馬か!?」


「おお、じゃないよ。気付いて通り過ぎようとしただろ? 賢司」


 肩を叩かれた深山賢司はわざとらしく今気付いたと言わんばかりの反応をした。

 京馬はそれを見透かす。


「いやあ……彼女と一緒にいるのを邪魔しちゃ悪いと思ってよ。しかし、意外だったぜ。まさか、お前が桂馬と付き合うとはな」


「違う! それは誤解だ!」


「そうだよ! 私達は付き合ってなんてないんだから!」


 京馬と咲月は強く否定する。


「わ、わかったって! だから、そんなに顔近づけるなっての!」


 凄んで接近してくる二人の勢いに賢司は怯む。


「ふう……しかし、どうしてそんな一緒に学校行くくらい仲良くなったんだ?」


 二人を制止し、賢司は疑問を投げかける。


「咲月とはコンビニの前でたまたま会っただけなんだ」


「それにしては、随分と仲良さ気に見えるんだが」


 賢司は少し怪しむようにして問う。


「え、えと、それは……」


 京馬は返答に詰まる。

 アダムや、ましてや天使や悪魔などの話なんか信じてもらえるはずがない。

 京馬は首を斜めに向け、空を見つめる。


「私達、実はアニメの趣味が合うんだ」


 そんな悩んでいる京馬を隅に置き、咲月は言った。


「そ、そうなのか?お前って、アニメとか見てたっけ?」


 意外そうに賢司が言う。


「ちょ、何言って……モゴッ!」


 京馬が咲月に対して言いかけた時、咲月は京馬の口を塞ぐ。


「これ以上、面倒になったら嫌でしょ? もう、それで通しちゃいなよ」


 咲月がそう、京馬の耳元で呟いた。

 口を塞いでいた手を離す。


「ああ、『神槍戦機ヴァルハラーズ』ってのが中々面白くてね。それでその話で意気投合したってわけさ」


 京馬はため息をつきつつ、適当に今の流れに合った言い訳を考えた。


「へえ、しかし、意外だったな。お前がアニメ見ているなんて」


「まあ、そういうわけで京馬くんと私は特にそう言った関係ではないってこと。ところで、賢司くんと京馬くんも仲良いよね? 二人って中学校一緒だったの?」


「別に一緒だったってわけじゃねえんだけど──」


 咲月は上手い具合に話を切り返した。

 他愛のない話を続け、三人は昇降口へと向かってゆく。




 京馬がインカネーターになってから、便利になったことがいくつかある。

 例えば、この英語の授業の時間。

 以前はわからなかった英文が、今ははっきりと理解できる。

 それだけではない。

 発音も完璧なのだ。


「では、京馬くん。この英文を読んでみてくれ」


 英語の先生は京馬を指さす。

 京馬は立ち上がり、読みだす。

 流麗な発音は、周囲の目を釘にする。

 それは、賢司を初め、仲良し五人組も例外ではなかった。


「凄い! 完璧な発音だ! 京馬くんは入院中に英会話の勉強でもしていたのかい?」


 思わず、先生から絶賛の声が漏れる。


「いやあ、じつはちょこっと……」


 京馬は少し照れながら言って席に座る。


「これも『アビスの力』のおかげだね」


 隣り席の咲月がウインクして言う。

 咲月に聞いた話だと、京馬達インカネーターは化身が様々な人種と語り合うために備えた語学をインカネーターになった際に引き継ぐらしい。

 おかげで京馬は英語に関しては学内でトップクラスの実力を持っている。

 さらに英語だけでなく、中国語、ドイツ語などの全ての世界の語学を理解できるようになっていた。



「しかし本当にインカネーターになってからお得なことばかりだな~」


 授業が終わり、咲月と一緒に教室を移動している最中に京馬は呟く。


「でも、サイモンさんは言ってたよ。『物事は表裏一体。何かを得れば、何かを失う。力には代償が求められ、無償で得られるものは何もない。もし、何かを無償で得たら、それは何かを失う前兆だ。』ってね」


 咲月が得意げに言う。


「無償で何かを得たら、何かを失う前兆……か」


 まるで、自分のことを言われているようだな、と京馬は思った。


「だから、私たちがインカネーターになれたのは、それ以前の苦難があるからこそで、今はさらに訪れる苦難への橋渡しだって」


 一息し、咲月は言う。


「サイモンさんって、過去に色々あったらしいけど、何か思想が悲愴に満ちているよね。私はそんなマイナスに考えられないや」


「そうだな。だけど、何かわかる気がする」


 頷き、京馬は呟く。


「俺はインカネーターの力を得て、美樹を失いそうになった。ミカエルの天使勢に狙われるようになった」


「でも、その先には明るい希望を信じるものじゃない?」


 咲月は、サイモンの言葉を肯定する京馬の返事に気に食わなさそうに言う。


「不幸ばっかりを思い描くって、何か間違えてるよ」


 そう言って、咲月は京馬の前に回り込む。


「京馬くんだって、美樹ちゃんが無事でいてくれることを、先にある希望を信じているじゃない? そんな希望を持たないって、何か悲しいよ」


 窓から光が差し込み、咲月の顔が霞む。


「だから、私はサイモンさんのような悲愴な考えにはなりたくない。希望を何時までも持ち続けたいんだ」


 咲月は微笑む。

 しかし、その笑みは自然に作られたものではなかったように京馬には見えた。


「ああ、そうだな。俺も、希望は無くしたくない」


 京馬は淡い光に返事をする。




 昼休み。咲月とは別に京馬は食事を摂っていた。

 京馬はいつもの仲良し五人組。咲月は同じヲタク仲間の女子達と。


「で、お前らは本当はどこまでいってるんだよ?」


 本橋尚吾が言う。

 言葉には若干の毒気が入っていた。


「どこまでって、何がどこまでなんだ?」


「惚けるなよ! 俺にはちゃんと情報が入ってきてるんだぜ!」


 尚吾は首をひねる京馬に対し、叫ぶ。


「お前と咲月が昨日電車でどこかへ行っていたこと、今日の朝の怪しい会話!そして、授業中のイチャラブトーク!」


 尚吾は怒りと悲しみに打ち震えるような目線で京馬を見る。


「美樹一筋と思わせといて、実は美少女だけどヲタク趣味で男が近づきがたい転校生を密かに射止めているなんて! この裏切り者!」


 まるで子供のようにバンバンと机を叩く。


「いやあ、咲月と俺はお前の思っているような関係じゃないぞ?」


 嘆息して京馬は言った。


「でも、俺から見ても怪しいんだよなあ。お前らの関係。何か二人だけの隠し事があるような……」


 清水将太が目を細めて言う。


「そ、そんなことはないよ」


 ぎくりと、京馬は将太の鋭い洞察力に不意を突かれて驚く。

 男女間の心境の変化に敏感な将太に、京馬は少し恐怖を覚えた。


「昨日は二人でその神槍戦機なんちゃらってやつのグッズを見に行ってたって言うけど、それっていわゆるデートというやつでは?」


 佐藤慎二も二人の関係を怪しむ。


「うっ」


 京馬は迫ってくる三人にたじろぎする。


「俺は京馬の言うとおりだと思うぜ? お前ら、よく考えてみろ」


 そう、迫る三人を諭しだしたのは賢司だった。


「京馬が美樹との接する時は本当に好きだってオーラが凄まじかっただろ?対して、咲月との接し方はどうだ? 俺には本当に『友達』って感じにしか接していないように見えるぞ」


 賢司の自身に満ちた態度からくる言葉に三人は注目する。


「まあ、確かにそう見えなくもないな。京馬がそんなに器用な奴ではないのはわかるし」


 尚吾が考え込む。


「俺も実際話してみたけど、咲月って案外気さくで結構接しやすいし、ヲタク趣味がなければ割と普通な子だぜ?」


「お前、咲月と話したことあるのかよ!?」


 尚吾は賢司の言葉に驚愕する。


「ああ、今日学校の正門前で京馬と一緒に、な。咲月は基本、男子とは京馬と話すような感じだぜ」


「そうそう、結構明るくて話しやすいんだよ。咲月って。だからお前らもヲタクだからって距離を置かないようにしてやってくれよ」


 賢司のフォローに重ねて京馬は言う。


「そ、そうなのか……?」


「ああ」


 京馬は頷く。

 尚吾は二人の言葉に少々、疑いを持ちながらも納得する。

 他の二人もまだ若干京馬と咲月の関係を怪しんでいたが、何とかこの場は凌げたようだ。




 放課後、京馬は賢司と一緒に昇降口の前にいた。


「今日はありがとうな、賢司」


「昼休みのことか? ああ、良いってことよ。それに俺はお前を信じてるからよ」


 そう言って賢司は微笑む。


「いや、それだけじゃなくて……部活の事もだ」


 京馬は顔を伏せて言う。


「昨日は美樹のことで悩んでいる俺に対して心配してくれたあげく、みんなに部活を休むことで説得してくれた。それなのに結局俺は咲月と遊んでいたんだぞ」


 京馬は賢司へと顔を向ける。


「自分で言うのも何だが、最低だとは思わないのか? 俺はてっきり、その事実を話した時に絶交されると思ってた」


「それなんだがよ……本当に遊んでいたのか?」


 賢司は京馬の告白を流すように問う。


「俺には、そんなふうには見えなかった。俺に見えるお前らは……そう、何か使命があって、それを乗り越えるための『仲間』って感じがしたんだ」


 賢司の顔は険しくなり、京馬に向けられる。


「昨日は、その使命を全うするために二人で『何か』をした。だから、仲良くなった」


 さらに険の表情になり、賢司は一言。


「違うか?」


 二人を一寸の沈黙が包む。


「少し違うけど……大体は当たってる」


 京馬は答える。

 そうか、と振り向いて賢司は昇降口の入り口から刺さる夕日の光を顔に当てる。


「ごめん、賢司。騙しているようで。でも、俺と咲月がしようとしていることは言ったところで信じてもらえないだろうし、証拠もない」


 俯き、京馬は言う。


「それは美樹も関係しているのか?」


 京馬を見つめ、賢司が問う。


「ああ、だから、今日も確かめなきゃいけないことがあるんだ。だから、部活には出れない」


 その京馬の言葉に、賢司は納得していないのか、沈黙として険の表情を向ける。


「今から話す事は冗談でもなく、嘘でもない。だから、真剣に聞いて欲しい」


 その賢司へと、京馬は意を決する様に、口を開いた。


「俺と咲月は『この世界』のために戦っている。それは美樹も関係していて、避けようがないことなんだ。そして、これからもこんな事が毎回起こると思う」


 一息し、京馬は続ける。


「だから、俺は部活を止めようと思っている。これ以上、みんなに迷惑をかけるわけにはいかない。お前に絶交されても、俺は文句も何も言わないよ」


 京馬の発したその言葉は、自分自身に対する重みに感じられた。

 ふう、京馬の言葉を受け止めた賢司はため息をつく。


「ったく。俺がそんなんで絶交なんてするわけないだろーが。さっきも言ったろ?『お前を信じてる』って」


 そう言った賢司の顔は穏やかな笑みを浮かべる。


「行ってこいよ。世界のために、美樹のために。また、みんなには俺が言っておいてやるからよ」


 賢司はそう言って、拳を握り、親指を立てる。


「……! ありがとう、賢司! やっぱりお前は最高の友達だ!」


 京馬は感激の笑みを返し、同じ様に拳を握り、親指を立てる。


「だからそれ、むずかゆいっての。結局、何だかよくわかんねえけど、怪我せず無事戻ってこいよ!」


 賢司は恥ずかしそうに頬を掻きながら言う。


「ああ、じゃあな! また、明日学校で会おう!」


 京馬は別れの挨拶をする。

 手を振り、振り返って正門へと歩き出す。


「おう、じゃあな!」


 賢司は背を向ける京馬を見つめ、同じく手を振る。

 やがて、京馬の姿が見えなくなる。

 しかし、賢司は京馬のいないグラウンドを未だ見つめ続ける。


「……頑張れよ。『伝令者』」


 誰も聞こえない細い声で、賢司は呟く。

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