『裏世界』の転校生

 朝日が昇り、ベッドの横にある窓から陽が差す。

 けたたましく鳴るアラームを眠気眼で少年は止め、同様にけたたましく鳴り響いている携帯電話を手に取る。


「……何だよ。こんな朝っぱらから」


 寝起きをアラーム時計と着信音のダブルパンチで阻害され、若干の不機嫌と共に、少年――坂口京馬は焦燥とする『それ』を手に取る。


「もしもし。ああ、桐人さん。どうしたんですか、そんなに慌てて?」


 その着信相手は、京馬が慕う『不可思議』へと導いた恩師であった。

 スピーカーから伝う音声は焦燥とし、鬼気迫っていた。


「なんだって!?」


 その恩師から伝えられた事実に、携帯電話を片手に坂口京馬は驚愕する。


 ――京馬が最愛する葛野葉美樹が天橋区内の精神病院から、姿を消した。


 その情報は、京馬の眠気を一瞬で消し飛ばす程の衝撃であった。

 京馬がアスモデウスという大悪魔との戦いで負傷し、入院した『アダム』という秘密組織の地下病院から退院した後の事に起きた事らしい。

 しかも異能の力、『アビスの力』が察知されず、未だに行方不明だと言うのだ。


「僕もこの件は全く予想外だった。アスモデウスは消え去り、『アビスの力』を失った美樹ちゃんはもう廃人同然で歩くことすらできなかったはずだ。もしかすると、誰かに攫われたのかも知れない。くそっ! こんなことだったら、監視を回せばよかった!」


 京馬を『アダム』へ加入させた椎橋桐人に問い質しても、何が起きたのかわからないらしく、混乱している様子だった。

 葛野葉美樹という少女は京馬の幼馴染であり、京馬が愛していた少女である。

 しかし、お互いが両想いであると知った直後、アスモデウスに精神を乗っ取られてしまい、最終的に 美樹はアスモデウスと完全に同化してしまう。

 京馬は美樹と完全に同化したアスモデウスに、覚醒した『ガブリエル』の力を放ち、その死闘に勝利した。

 その後、精神がズタズタになり、体だけで心は空の状態となった美樹は天橋区内の精神病院で入院することになる。

 京馬が聞いた話だと治る見込みは全くないような感じだった。

 しかし、そんな彼女がいきなり精神病院から抜け出し、未だ行方不明となっているというのだ。


「とにかく、美樹ちゃんは僕が責任を持って探すよ! ……大丈夫、今日中に必ず見つけてみるさ」


 そう言って、桐人は電話を切った。


「一体、どうなってるんだ……?」


 京馬の心情は期待と不安がごちゃ混ぜになっていた。

 美樹が奇跡的な回復を果たしたのか、それとも何者かに何らかの意図で誘拐され、以前自分が見た『予知夢』のように監禁されたりしているのではないか。

 そんな複雑な心境の中、現在、京馬は自分の通う天橋高校の通学路を歩いていた。




「よっ! 京馬! 久しぶり! 怪我の具合はどうだ? 練習出れそうなのかよ?」


 いつものことながら、天橋高校の校門前で京馬の親友、深山賢司は京馬の肩を叩いた。


「や、賢司! ああ、もう大丈夫だ。部活、しばらく出てなくて悪いね……」


 苦笑し、京馬は言う。

 申し訳そうに、しかし、何とも無さそうな京馬の表情に、賢司は安堵する。


「そうか、そりゃ安心した。いつも欠かさず練習してたお前が休むって珍しいからな。皆、心配してたんだぜ?」


 賢司はそう言って、京馬に肩を組む。


「この一週間分の遅れを取り戻すよう頑張るよ」


 嘆息して京馬は答える。

 京馬はバスケットボール部に所属しているが、病院で入院していたため、しばらく部活の練習に出れなかったのだ。

 尤も、その『病状は皆知らない』が。

 『アビスの力』に関連付けられた京馬の入院は、『病気で休んでいた』という理由だけで、皆に納得される。

 場合によっては、『別の理由』で無理矢理関連付けられる事もあるが、今回の『事象の置き換え』は非常にシンプルに型が嵌った様だ。

 その『事象の置き換え』が生じた事に京馬は安堵しつつも、だがその表情は芳しく無い。

 それもその筈であった。

 『表世界』の京馬にとっての大切なイベントの一つであるバスケットボールの大会が間近に迫る中、京馬は一週間まるごと練習出来なかったからだ。

 だから、京馬は今回の大会の出場は半ば諦めかけていた。


「は~そんなやる気のない声を出すなよ! まだ、レギュラー取れないと決まったわけじゃないんだからよ」


 そう、賢司は京馬の肩に手を叩き、励ます。

 だが、それも正直、絶望的だろう。

 京馬が授かった『アビスの力』を使えば、脅威的な身体能力で易々と全国大会優勝も夢ではない。

 だが、その力を使った途端、『事象の置き換え』で認識出来ない為、それは『別の何か』の結果となり、京馬は評価されないらしい。

 まあ結局、そんなズルをして念願の夢を達成しても、自己嫌悪で素直に喜べはしないだろうが。

 更に、京馬が落胆している事情には、別の要因もあった。

 それは、部活よりも優先するものが出来てしまった事。

 下手したら、また部活を休んで『世界』のために働かなくてはならないかも知れない。

 しかも、桐人から言われたのだが、近いうちにミカエルの天使勢側で大きな動きがあるかもしれないと知らされたのだ。

 そんな状況は、とてもバスケどころでは無い。

 だから……京馬は一つの選択肢を考えていた。

 ──部活を辞めるという選択肢。

 もちろん、自分が好きで入った部活だ。

 大切な仲間もいる。

 できれば、止めたくない。

 しかし、このまま部活と『アダム』の仕事を両立するのは難しいと考えていたのだ。


(それに俺は『ガブリエル』の力を完全に使えるようになったけど、まだまだ弱い)


 椎橋桐人やエレン・パーソンズの圧倒的な強さを見てしまうと、自分が如何に無力であるかわかる。

 そんな若干の劣等感が、京馬を包む。

 そして、京馬は想う。

 もっと強くなりたい、と。

 そのためには、そんな強者であるアダムの幹部達と毎回手合わせを行い、徐々に成長するしかない。

 自分を狙う天使達との闘い……それは『予知夢』通りであれば、直ぐだ。

 周囲の批判はあるかも知れないだろうが、その後にだって頑張れば充分に巻き返せる。


「……なあ、賢司。もし、俺が部活を辞めたいとか言ったら、どう思う?」


 それは、だが今は告げまいと想った京馬の声。

 しかし、思わず思案していたことを京馬は賢司に尋ねてしまった。


「あ? 辞めさせねーよ。お前はもう、俺の……いいや、うちの部活にとって大切な存在になったんだ。それを、そう簡単に辞めさせてたまるかってんだ」


 賢司ははっきりと答えた。

 その揺らぎのない答えに京馬は躊躇する。


「そうか……」


 京馬はそれしか言葉が出なかった。

 そんな京馬の顔を賢司はまじまじと見つめる。


「……お前、やっぱり美樹のこと気にしてるのか? しょうがないだろ。あの転落事故で、命があるだけでも良かったじゃないか。お前はどうすることもできなかったんだよ。確かに、好きな子があんなになっちまって、すごい悲しくて、つらいのはわかるけどよ」


 賢司はそう言って目を伏せた。

 『アビスの力』を持つもの以外の美樹の精神崩壊の原因は『それ』だった。

 賢司達には美樹が廃人同然になったのは、たまたま体育館にいた美樹に吊るされたバスケットゴールが外れて落ちてきて、どうにか衝突は免れたが、バスケットゴールから外れた鉄の支えが美樹の頭に接触し、脳に障害を患ったためという原因になっていた。

 美樹は最初は通常の病院に行き、頭に何針も縫ったらしい。精神病院行きはその後になってからだった。

 そして、京馬は練習で体育館にいたのだが、そんな美樹を助けることが出来なかった。

 ただ、その様子を見つめることしかできなかった。

 そして京馬はショックで終始うなだれていたらしい。

 しかし、賢司の言うその『事実』は実際とは異なっていた。

 いや、『この世界』がそのように認識しているならば、それがこの世界の事実だと言えるが。

 京馬のような『アビスの力』を持つものはその『事実』とは根本的に違う『事実』となっていた。

 先程の京馬の入院と同様に、この世界は別次元の力を否定するように作られているらしく、『アビスの力』で生じた人や物の変化は『その力』で変化したという『事実』を否定するように動く。

 そのため、京馬が悪魔に完全に支配され、同化した美樹を倒すために放った、『ガブリエルの矢』によって美樹が廃人同然となってしまったという『事実』は、賢司達のような『この世界の住民』は認識できず、別の事象で起きたと置き換わるのだ。

 今は美樹が精神病院から姿を消しているが、賢司は認識できていない。

 つまりは何らかの『世界の拒絶』でそういう状態になっているのであろう。

 しかし、美樹の存在自体が忘れられているわけではないため、捕縛結界内に美樹がいるという線はなさそうだと京馬は判断する。


「ごめん、賢司。そういうわけじゃないんだ。今のは忘れてくれ」


 京馬は思わず出てしまった自分の言葉を聞き流すように促す。

 だが、美樹のことを言われ、感情を揺さぶられた京馬はその動揺と悲しみが顔に浮き出るのを隠せなかった。


「……京馬、あまり無理するなよ? 辛いってのが顔に描いてあるぜ。もうしばらく休んで気持ちの整理してから部活来い。他のみんなには俺から言っておくからよ」


 賢司は京馬の表情の変化を読み取り、心配して言った。


「賢司、ありがとう。そして、すまない。お前は最高の友達だよ」


「はは、よせよ! むずかゆい! とにかく、本当にもう大丈夫だ、っていうぐらいになるまで休んでおけよ。……元気のないお前を見るのはこっちもつらいんだから」


 京馬の言葉に照れくさそうに賢司は返した。


「ああ……そうだな! もっと気持ちに整理がついた後に部活に戻るよ! 変なこと言って悪かったな!」


 そう言って、京馬は賢司とともに学校の昇降口に向かう。

 京馬の顔は、さっきまでの美樹の件や自分の無力さからきていた気持ちの沈みが消えていた。



 登校時の賢司とのやり取りで、気持ちが少しばかり安らいだ京馬は席に着く。

 そして、いつもの如く、尚吾、将太、慎二、そして賢司の四人でHRまで談笑しながら過ごしていた。

 予鈴と共に叫ばれる『はいはい、静かにー』という担任の声に、皆が渋々と席に着き始める。

 いつも通りの『日常』が始まる。

 せめて、この時間だけでも普通の世界を楽しもうと京馬が頬を緩ませていた。


「今日は突然だけど、転校生を紹介します」


 そう先生が言うと、クラス全体が静かにひそひそと沸き起こる。

 男か、女か。

 イケメンだったり、美少女だったりするのか。

 という、割りかしハードル高めの願望が多くを占める一同の中、ドアが開けられる。


「おおっ!」


 男子側で声が挙がる。

 ドアを開け、入ってきたのは『少女』であった。

 一斉に、好奇の眼差しが少女へと向けられる。

 無垢ではっきりとした瞳と、長い茶髪を側頭部の片側で結び、まるで向日葵のような明るい雰囲気を持った子だった。

 正直、満場一致で『可愛い』に分類されるその少女は、にこやかな笑顔で開口一番、元気に挨拶する。


「桂馬咲月です。よろしくお願いします!」


 印象の良い、はっきりと、それでいてしっかりとした声色に、周りの評価は更に高まる。

 それは、京馬も同じではあった。

 『美樹よりは劣るけど、良い子だなぁ』なんて、上から目線な感想を抱きながら少女を見つめる。


「桂馬咲月ちゃんは親の仕事の事情で都心の高校からこの天橋高校へ引っ越してきました。皆さん、仲良くするように」


 そう言って、担任は自分から見て京馬の右隣の空席を指さす。


「では、咲月ちゃんはあの席が空いているから、あそこに座ろうか」


(ああ、やっぱりそうだよな。ここ、空席になってたし)


 その担任の指示に、京馬は合点する。

 京馬の席は奥の窓側の隅、そこの空席を空けた席だ。

 当然、その空いた席に少女が座る事は必然であった。

 ちなみに、もう片方の席も空席である。

 それもある意味、必然であった。

 何て言ったって――そこは、『美樹の席だった』んだから。

 そんな事を思い出し、再び顔を曇らせる京馬を余所に、


「はい」


 咲月は担任に指定された席へ歩く。

 一歩、一歩、足音が響く中、京馬はため息でその思考を吹き飛ばし、その転校生へと顔を向ける。


「よろしくね。京馬くん」


 そして、京馬は面を喰らう顔に表情を変化させる。

 眼が合った咲月は、物珍しそうに、興味津津に京馬を見つめていた。

 表情を変えた京馬に気付き、誤魔化す様にウインクをし、微笑する。


「う、うん。よろしく!」


 隣に座る咲月へと、京馬は挨拶する。


「うんうん。君が、例の……」

「例?」

「あ、ううん! 何でも無い。気にしないで」


 隣の席に着き、呟く咲月に京馬が首を捻ると、両手を振り、焦燥に咲月は言う。

 あはは……と、乾いた笑いを漏らす咲月の態度に、京馬は違和感を感じる。



 HRが終わった後、咲月は終始、質問攻めにあっていた。

 そんな咲月を、京馬はいつもの仲良し五人組で教室廊下側片隅を占拠し、見ていた。


「あの咲月って子、やっぱり結構可愛いよな。少なくとも、学年で五位以内には確実に入るんじゃないのか?」


 少し興奮して、本橋尚吾は咲月のルックスの感想を述べる。


「いいや、あれはスタイルも中々のものだと推測するぜ。よく女を見ている俺ならわかる」


 追加してスタイルに関して、自信気に清水将太が語る。


「しかも、性格も良さそうだな。なんか人の悪口とかあんま言わなさそうだし」


 佐藤慎二はルックスと周りとの会話を分析して、性格までも解析してみる。


「ははは、本当、お前らは仲良いな。そんな良い子なわけないだろ? よし、試しにこの後、俺はあの子のアドレス聞いてくる」


 呆れたように賢司が言いながら、携帯電話をスタンバイする。

 瞬速としたその構えの早さに、一同は呆れ、


「さりげに抜け駆けすんなよ!!」


 と、総ツッコミが賢司に対して入る。


「で、京馬はどうなんだよ? あの子、お前の隣りの席だぜ? 狙ってみるか?」


 尚吾が京馬に尋ねる。


「うん、可愛いと思うよ。でも、俺はまだ美樹がな……っと、ごめん、ごめん。つまんねえ返ししちまったな」


 その言葉に、頬を掻き、京馬は苦笑する。


「まあ……お前は美樹一筋だしな。本当、容態が回復すると良いな」


 その京馬の様子に、賢司は同情の目線で告げる。

 同様に、周りも京馬の想い人である美樹の事件を思い出し、何故だか気まずい空気になる。


「ま、まあ、そんな俺のつまらない感想は置いていて……案外、あの子は人には言えない隠し事があったりするかもよ? 例えば、変な趣味持ってたりとか」


 少しばかり、周りの空気が重くなったのを感じて、京馬は必死に話題を変えようとする。

 確かに、気が重くはなったが、それでこの友人達の場のお茶を濁す様な雰囲気に持っていきたくは無い。

 せめて、この『日常』はいつも通りの馬鹿で楽しい空間にしよう。

 そう思い、捻り出した話題であった。


「変な趣味って?」


 そんな京馬の機転を知ってか知らずか、将太が聞き返す。


「うーん。例えば、あんな可愛いのに実はヲタク趣味だったり、魔法とか本気で信じ込んで、家で儀式をやってたりとか?」


 京馬は答えた。

 『あ? 何、訳分かんねえ事言ってんだ俺?』

 と、自問自答しながら、自己嫌悪に顔を歪ませて。


「はぁ? なんだそりゃ? 確かにそりゃ、イタいけどよ」


 将太は苦笑いで答える。


「まあ……あんま、無理すんなよ? 凹む時は、凹んどけ」


 はは、と冗談混じりに将太はトンと京馬の胸に拳を置く。



「咲月ちゃんってさー趣味とかってないのー?」


 そんな中、ある女子が咲月に趣味について問う。

 一同は、一斉にその会話へと耳を傾かせる。


「なんか、咲月ちゃんって明るいし、スポーツやってそうだよね! ああ、そうだ! テニスとかやってそう! 当たってる?」


「ああ、私は、その……」


 口籠り、咲月は苦笑する。

 『どうなの? どうなの?』という周りの催促は止まらず、咲月の表情は段々とぎこちなくなってゆく。

 

「あのですね?」


 周囲の好奇に意を決し、咲月は遂に口を開く。


「実は私、ヲタクなんです! アニメとかマンガ見るの大好きで、一番好きなアニメは『魔道少女メイガス・ももこ』です! ももこの素晴らしい人生観っ! そして、その生き様こそ、私の生き方のイッツ、聖典バイブルっ! この作品の素晴らしさを語れる猛者を求めますっ!」


 そう、大声で咲月は言った。

 席から立ち上がり、頭上に叫ぶ様な体勢で。

 ずっと言いたいことを言えた。

 咲月は、そんな鬱屈から解放されたような、すっきりしたような表情になる。

 対して、周りを囲んだ他の生徒達は咲月の突然の告白と、その勢いに引き気味だった。


「と、言うわけで私はみんなの思っているような子ではないのですよ。だから、そういうの苦手な人は私と話合わないかも、です」


「あ、ああ……そうなんだ。確かに、私はそういうの疎いから合わないかもね……」


 一人の女子が言って、咲月から距離を取る。

 そして、周りも同意の合図をして、咲月から離れていく。


「マジかよ……」


 将太は唖然とする。

 半ば、京馬が適当に捻り出した話題の適当な回答が的中したからだ。

 それ以外に、その様な趣味を持つ見た目とは、程遠い容姿をしていた咲月の意外性にも。


「京馬が言ったこと、当たっちまったな。お前は予知能力か若しくは心を読む力でもあるのかよ。しかし、ああ見えてヲタクなのか。俺は全然イケるけどな」


 笑いながら、賢司は親指を立てて告げる。


「ああ、まさか当たるとは思わなかった……」


 そして、言った京馬本人が一番唖然としていた。

 しかし、『桂馬咲月』という少女……何から何まで不思議な少女である。




 静かになった席の周り。

 咲月は、晴れやかな表情で窓からのグラウンドを見つめる。 


「ふう、すっきりした」

 

 グラウンドに、咲月は呟く。

 全く、人の素性を知らないで勝手に踏み込んで、あげく本性現したら、『これだ』。

 これだから、『一般人』とは中々に馴染めない。

 どうせ、この『表』の生活は、仮初めのもの。

 無理して同調して、好きに好きやれる環境を無下にするのは無駄というものだ。


「まあ、わかってたことなんだけどね」


 やれやれ、と咲月は心の中で更に呟く。

 あの中で、『私も魔道少女メイガスももこ大好きなんです!』と、同意してくれる人なんている訳が無い。

 突然、あんな事を叫ばれれば、『痛い子』というレッテルは避けられないだろう。

 だが、それこそが咲月の狙いでもあった。


「さて、この学校での私の立ち位置がある程度決まったことだし、行動に移りましょうか」


 悪目立ち。

 それは、咲月の『表』の世界を楽しむ為の『同志』への餌付けでもあった。

 そんな堂々としたヲタク宣言をすれば、誰かしら、似た様な人が引き寄せられるだろう。

 そして、ある程度『不思議』な事をしてもそんなに不思議がれないという立ち位置――

 ちらりと、横目で咲月は京馬を見る。

 京馬は目が合うと、そそくさと顔を逸らす。

 こんなデビューを果たした転校生とはあまり関わりたくないのであろうか。

 まあ、そうだろうな。

 と、咲月は思う。


「でも、京馬くんは嫌でも私と関わらなければいけなくなるよ。『アビスの力』を持っている限りね」


 口を吊り上げる咲月の足下、巨大な茶色の魔法陣が発現される。

 その発現に伴い、世界は溶ける様にその様相を変化させる―― 




「!? っこれは!」


 学校の教室は瞬く間に呑みこまれ、代わりに真鍮で出来た巨大な神殿の内部へと姿を変える。

 天井はプラネタリウムのような天体のある風景があり、神殿外部は地面が見えず、この神殿がまるで 宇宙に浮いているかのように見える。

 突然の周りの変化に京馬は戸惑う、が。


「これは化身を宿したものの『捕縛結界』! 敵か!?」


 以前の経験から、京馬は瞬時に何が起きているのか理解できた。

 そして、目の前に見える相手を見据え、力を発現する。

 発現した『ガブリエルの矢』を構え、京馬は口にした。


「いきなり、どういうつもりだ! お前は何者だ!?」


 目の前の転校生──咲月に問う。


「ちょっと待って! 私は戦う気はないよ! ……というか、やっぱり何も聞かされてないのね。桐人さんは何を考えてるんだか」


 嘆息しながら、咲月は言った。


「私はアダムの構成員の一人、『イシュタル』を化身に持つ、桂馬咲月。改めてよろしくね」


 手を振り、咲月は挨拶した。


「アダムの構成員? 何でわざわざ、うちの高校に転校したあげく、『捕縛結界』で俺を捕えたんだ?」


「転校のことは、京馬君の護衛をより身近に置きたいと考えてるサイモンさんの提案なんだ。ミカエルの天使勢で大きな動きがあるから、より身近に護衛を付けることで急な襲撃にも備えたいんだって。ちなみに、『捕縛結界』は周りにあまり干渉されずに京馬君と話すために使わせてもらったよ」


 一息ついた咲月に京馬は言う。


「信用できないな。何か証拠はあるのか?」


 矢を構えた姿勢を崩さずに京馬は問う。


「ありゃりゃ、完全に信用してないみたいね……でも、信じて。私は敵じゃない」


 そう、咲月は言って京馬に一歩近づく。


「まて! それ以上近づいたら本当に撃つぞ!?」


「撃ってもいいよ。それでも、私は君に対して攻撃しない。それが、私が敵ではないことの証明になるなら撃たれても構わない」


 京馬の脅しに全く動じず、さらに咲月は一歩近づく。

 咲月の目は決意に満ち溢れていた。

 京馬はそんな咲月の目を見て、気圧されていた。

 そして、一歩、また一歩と咲月は京馬との距離を縮める。


「う、ううう……」


 京馬から冷や汗が伝う。

 自身に満ち溢れた瞳が近付く度、京馬を怯ませてゆく。

 弓を引く京馬の右手は震え、撃つか撃たまいかの葛藤が渦巻く。

 その葛藤の中、とうとう咲月は京馬の眼前、鼻と鼻がくっ付くぐらいまで接近する。


「……ここまで来て撃たなかったってことは私を信用してくれたってことだよね? うんうん、良い子、良い子」


 京馬の瞳をまじまじと見つめ、咲月は向日葵の笑顔で微笑む。


「ああ、俺の負けだよ。あんな目で見つめられながら接近されたら、溜まったもんじゃないよ。わかった、信用するよ」


 顔を伏せた京馬の頬は赤面していた。

 ここまで敵意を微塵も感じられない少女を『敵』と疑ってしまった事、そして、その笑顔に少しだけ可愛げがあると思ってしまった事――

 ふう、とため息を吐き、京馬は観念する。

 その京馬の表情に、咲月は満足気に覗き込み、口を開ける。


「じゃあ、今回はとりあえずお互いの顔合わせと簡単な説明だけだから、一旦解散するね。それじゃ、色々と頑張ろうね」


 バイバイ、と咲月が手を振ると同時、空間が揺らぎ始め、元の世界に瞬く間に戻っていた。

 咲月を見ると、捕縛結界に入る前と同じ向きを見つめていた。

 そして、まるで何事もなかったようにそこに佇んでいる。


「どうした? 京馬。ずーとボーとしちまって。あのヲタク系美少女を攻略する気にでもなったか?」


 賢司が意地悪く口を吊り上げて尋ねる。


「あ、ああ。いや、なんでもない。ちょっと考え事してただけだ」


 自分と同じ『力』を持った不思議な少女を思わず茫然と見つめていた京馬は、手を振り、苦笑する。

 そんな京馬を見て、賢司は心配そうな顔をする。


「そうか? ならいいんだけどよ。困ったり、つらかったしたら、いつでも俺達に言ってこいよ?」


「ああ。ありがとう」


 京馬は薄い笑みを作って言った。

 賢司は美樹のことで京馬の気が病んでいると思っているのだろう。

 事実、京馬は美樹のことで気が気でない状態だったが、賢司の励ましと咲月の突然の登場で、そんな 気持ちも薄れていた。



 その後、咲月とは何も話すことはなく、放課後まで時間が過ぎていった。

 今日、咲月は転校初日でいきなりのカミングアウトをしてクラス中の生徒に一旦距離を置かれたが、 徐々に咲月と同じ趣味を持つヲタク女子と意気投合し、仲良くなっていた。

 にこやかで楽しげに『魔道少女メイガスももこ』を語り出す、御世辞でも華があるとは言えない集団の中で、茶髪の咲月は余計に目立つ。

 それこそ、まるで向日葵の様に、暗めなヲタクグループを照らしていた。


「まさか、転校してきた美少女がいきなり陰日和なヲタクグループに入るなんてね。しかも、それがアダムの構成員で、俺の護衛としてきたとは……」


 アダム日本支部の地下基地へ向かう途中、ホームで電車を待っていた京馬は、そんな学校での咲月の様子を思い返す。

 そんな回想をしていた京馬に、トントンと肩を指先で叩く感触が伝わってくる。

 ビクリとして、京馬はその指先の相手へと振り向く。


「や! アダムの地下基地に行くんでしょ? 一緒に行こうよ!」


 そこには、向日葵の笑顔を振り撒いた咲月がいた。


「おおっ!?」


 突然の回想の中心人物の登場で、京馬は驚愕し、後ずさりする。


「……あれ、ちょっと遠慮しますって感じ?まあ、ヲタクグループの私と一緒にいて誤解されても困るしね。わかるよ。うん、わかる。ごめんね。じゃあ、車両離れて乗るよ」


 そんな気持ちの京馬を尻目に、淡々と咲月は告げる。

 気が落ちることもなく、そそくさと京馬の立つ先頭車両から離れて乗ろうとする。

 多分、咲月はこんなケースは慣れているのだろう、と京馬は感じた。


「ちょっと待って!」


 その咲月の後ろ姿を、京馬は呼び止める。


「え?」


 突然の京馬の声に咲月は少し驚いて振り返る。


「いや、さっきは突然現れたからびっくりしただけで、そんなことは思っていないよ。むしろ、俺がごめん……一緒に、基地へ行こう!」


 京馬は咲月の好意を態度で無下に返した自分を恨んだ。

 だから、そんな自分への恨みや咲月への申し訳なさから、そんな誘いの言葉が出た。

 それに本音を言ってしまえば、咲月は天橋高校内でも屈指の可愛さを誇る少女だ。

 同性にはヲタク趣味が受けいられず、そんなに好意的ではないが、男子ではむしろそれが良いというものもいて中々の人気を持っている。

 京馬は、そんな咲月と一緒に渋谷まで行くなんて、むしろお願いしますと言いたい気分だった。


「京馬君がそう言うなら、いいよ。なんだ、てっきり朝も顔背けられたし、あんまり一緒にいたくないのかなって思っちゃった」


 咲月はテヘッと言って、ウインクして、舌を出した。

 ……可愛い。

 少し、京馬は顔を紅潮させる。

 これでヲタク趣味がなかったら、と京馬は思ってしまった。

 しかし、ふと京馬の頭の中に美樹の顔が横切る。

 やはり、京馬にとって美樹が大きすぎる存在なのだろう。

 すぐに頭の思考回路が切り替わる。


「今日、トレーニングルームの修理が終わったから、また戦闘実技試験を再開するって言ってたんだけど、またエレンさんが相手をやってくれるのかな?」


「うん、そうだよ。場合によっては私も参加するかもね。その時はよろしく。年齢は一緒だけど、インカネーター歴は私の方が長いからね。覚悟しなよ~!」


 咲月は笑みを浮かべながら京馬の顔を指さして言う。

 互いが微笑みを浮かべると、アナウンスと共にホームへ電車が来た。



 電車に乗り込むと、咲月は京馬の隣り席に座った。

 しばらく、お互いは沈黙する。

 どういった話をしようか、京馬が思慮していると、


「京馬君のことは粗方聞いているけど、まだまだ知らないことたくさんあるから、聞いて良い?」


 沈黙を破ったのは咲月の方だった.


「いいよ。別に」


 頷き、京馬は耳を立てる。


「じゃあ──」


 次々とくる咲月の質問に、京馬は答える。

 自分の家族のこと、友人のこと、昔のこと、インカネーターとなった時のこと──



「へえ、一途なんだね。京馬君って」


 京馬が咲月の質問に答え終わると、咲月はそんな感想を漏らした。


「美樹ちゃん、見つかると良いね……」


「ああ、本当は今すぐにでも探しに行きたいんだけどね。桐人さんが責任を持って捜索してくれるって言ってたから、任せることにしたんだ。今日中に探し終えると言ってくれたし、俺はそんな桐人さんの言葉を信じることに決めたんだよ」


 京馬の目は電車から見える海の彼方を見つめていた。

 そんな京馬を見つめて咲月は言う。


「桐人さんがそう言うなら大丈夫だよ。あの人は信頼できる。実は、私も桐人さんに助けられたんだ」


 告げる咲月は、京馬と同じ海の彼方を見つめて言う。


「えっ?」


 咲月の言葉に、思わず京馬は反応する。


「私、その美樹ちゃんと同様に化身に精神を乗っ取られたことがあったんだ。イシュタルと精神が同化した私は異形の生物を次々と生み出す怪物になっちゃったんだよ。その時に、桐人さんが助けてくれたんだ」


 少し、懐かしむように咲月は黄昏た表情で言う。


「当時、化身に乗っ取られた人間は助けることができないと言われていたんだ。それでも、桐人さんは諦めなかった。怪物となった私と戦いながら、私の精神に同調して、語りかけてくれたんだ。そうしたら、おのずとイシュタルとの対話の中で……イシュタルが私に何を求めていたのか、わかってきた。そして、私はイシュタルの試練を乗り越えてインカネーターになったんだ」


「そうか、桐人さんが……」


 京馬は以前、美樹を助ける方法がないか桐人に尋ねた時の会話を思い出した。

 ──美樹と似たような状態からインカネーターとなったものがアダムにいる。

 それは今、目の前にいる少女のことだったと理解する。


「その時から、私は桐人さんに恋してたのかも知れない。でも、桐人さんはミカエルの天使勢との大きな戦いがあった後、エレンさんと恋人になっちゃった。あの時は辛かったなー」


 ふふ、と微笑した咲月はしかし、顔を伏せて少し悲しげな表情をしていた。


「咲月は、今でも桐人さんのことが好きなの?」


 その咲月の表情は、京馬には未だ未練がある様に見えた。

 別に咲月に好意がある訳ではない。

 だが、気になっていないとなれば嘘であろう。

 単純な興味本位感覚で咲月に問い掛ける。


「どうなんだろね。よくわかんないや。尊敬しているけど、何かもう手の届かないとこにいるような感じでさ。……諦めって言うのかな、これ?」


 嘆息して咲月は言う。


「諦め……か」


 京馬はその言葉を聞いて、ほんの少しだけ俯く。

 『恋の諦め』。

 それを、未だ京馬は体験した事が無い。

 厳密には、中学時代に何となく好意を寄せていた人がいた。

 しかし、それは『恋』と言うよりかは、思春期特有の煩悩と興味で出来た『気になる子』程度である。

 今の……京馬の美樹に対する『焦がれ』とは程遠い好意は、その子と先輩が付き合うと聞いた時に『そうですよね』という感覚で何事も無く終わりを告げた。

 咲月の『諦め』というものは、果たしてその程度であったかは分からない。

 だが、京馬が美樹に対し『諦め』た時――考えただけで、心の奥底が鬱鬱とする。

 その考えを振り切る様に、京馬は顔を上げる。

 電車から見える海の地平線を眺め、美樹の安否を願っていた。




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