悲しき闘いの後



「あれから、一週間か」


 呟き、京馬はその病室の窓に見える『アビスの力』を使った『疑似空間』の陽を眺める。

 サイモンの話によると、今は傷も精神も大分回復し、明日からは学校へ通学することもできるそうだ。


「まさか、こんな休む事になるなんてな」


 気がつくと、京馬ははアダム内の地下病院で寝ていた。

 美樹──アスモデウスを倒した後、精神力を生命が保つ限界ギリギリに使い果たし、気を失ったのを桐人が運んでくれたらしい。

 桐人は、京馬がが先に奥へ行った後、激しい戦闘の末に何とかウリエルを撤退させるのに成功したとサイモンさんから聞いた。

 強敵だったらしく、負傷してしばらくは戦闘に参加できないそうだ。


「……俺の為に、すいません」

 

 陽に向かい、京馬は告げる。

 桐人の協力が無かったら、京馬は無事ではなかっただろう。

 自分が、『世界の鍵』である事から死ぬ事は無いと思うが、間違いなくこんな五体満足の平常とした精神で生きてはいなかった筈だ。

 正直、言ってしまえば、今回の件は『失敗』した。

 だが、『ガブリエル』の力を完璧に得ることが出来た。

 京馬は、その得られた力でいつか桐人の恩を返そうと決意する。


 ガチャッ


 静かに扉を開く音を木霊させ、美しい金髪を棚引かせるエレンが病室に入室する。

 京馬を労う顔が、隠す事無く表に出ている。

 京馬の寝るベッドの横に足を組んで座り、その視線を京馬の眼へと向ける。


「桐人から聞いたわよ。自分で最愛の女の子を手にかけてしまったそうね。……辛かったでしょう?」


「……はい。正直言うと、すごい辛いです。今でも、倒した後でも、あのアスモデウスは憎いです。殺しても殺したりないってこういう気持ちなんでしょうね」


 何もかもを包み込もうとする慈愛を漂わせるエレンの表情に、京馬は自分の本当に素直な気持ちをエレンに告白した。


「……でも、美樹は生きていました。精神は、崩壊してしまいましたけど……」


 そう、美樹は生きていた。

 今は精神病院に入院している。

 意識はあるが、何を質問しても答えず、目は見開いたまま虚空を見つめ、まるで人形のようだったという。

 サイモンの話だと、アスモデウスが完璧に美樹に同化したおかげで、体の耐久力はかなり上昇していたらしい。

 そして、京馬の『ガブリエル』の力によって、内にいたアスモデウスを滅したという。

 しかし、その攻撃でズタズタになった精神は戻ることはなく、体だけで心が空の状態になってしまったというのだ。


「俺は美樹のいる精神病院に出来る限り毎日通うことにします。毎日行って、一日の出来事を話して、それで──」


 顔を伏せた京馬は、か細く告げる。

 その途中、途端に涙が溢れ出し、言葉が上手く構築出来なくなってゆく。


「そ、それで、う……うぅ……」


 涙が止まらない──

 死にはしていない。

 だが、自身の最愛の人を『助けられなかった』。

 毎日、人形の様になった美樹へと語りかける自分を想像する。

 それは、寂しく、悲しく、辛く――

 だが、それこそが助けられなかった自分の『罪』だと、京馬は、その懺悔を胸に秘める。

 悲しみに支配される京馬は、ぎゅうっ、とエレンに抱きしめられる。


「いいのよ、好きなだけ泣いて──強がっちゃ、ダメ。私も、一緒に泣いてあげるから……」


 そのエレンの胸の温もりに、内にある京馬の、強い、強い、感情が外に溢れ出てくる。

 劣情なんて沸かない。

 溢れ出るは、その優しい抱擁によって刺激され、解放された自身の噴出する一点の『感情』であった。


「う、うわ、うわあああああああぁぁぁぁぁ! うわああああぁぁぁぁんっ!」


 ――それは、恐らく、京馬の人生の中で一番の泣き声であった。

 喧嘩で負けた時よりも、部活の大会で負けた時よりも、何倍もの大きな声で。

 それは、自分への罪と、後悔と、無力さと、何より、美樹を失った悲しさと──


「ぜ、絶対……俺は、『世界』を守って見せる……こんな悲劇を二度と起こさせはしない! そして……それだけじゃない! 変えてやるんだっ! この『世界』をっ! このガブリエルの力を使ってっ……!」


 もう、『失いたくない』。

 もう、こんな『想い』は沢山だ。

 京馬は、悲しき『世界』に反旗を翻すが如く、強い決意を秘め、叫ぶ。






「これで良いんだろう……? なあ、『神様』」


 東京湾の港に立ち、海の遠くを見つめながら桐人は呟いた。

 その桐人の体には全身、包帯が巻かれていた。

 桐人はウリエルと別れたあと、自らの左腕を折り、全身に切り傷を入れていたのだ。

『本当の自分』を隠蔽するため──


「桐人、ちょっと話があるんだけど、いい?」


 京馬を介抱したエレンは、電磁音とともに、桐人の背後に姿を現す。

 そのエレンの目は据わっていた。

 その瞳には怒りが宿り、今にも桐人へと殴りかかりそうな表情であった。

「……京馬君のことか。大体、お前の察しの通りだ。エレン」


「……! 最低っ!」


 バチッ! と、エレンの怒号と共に、雷撃が迸る。

 瞬間、バリバリと勢いを増した雷撃は、桐人を含む空間を喰い殺すかの如く強烈に放射される。

 大気が震え、海の飛沫が二人を包む。

 しかし、その雷撃を伴った拳を桐人は片手で受け止めていた。

 二人の立つ地面は何事もないかのように健在。

 桐人を避けるかのように、地面が抉れるのみだ。

 振り向いた桐人は、悲しみに満ちた瞳でエレンを見つめる。


「……なんでっ、そんな悲しい目をしてるのよっ! 方法はいくらでもあったじゃないっ! 何でよっ! 何で……」


 もどかしそうに奥歯を噛みながら、エレンは言う。

 申し訳なさそうに、桐人は顔を沈め、視線を横に流す。


「彼を目覚めさせるには、これが一番良い方法だったんだ。最もポテンシャルを引き出せる方法だったんだよ。彼には『神のいる場所』に到るまでに越えなければならない、『試練』がある。今思えば、彼がインカネーターになる前の試練や葛藤がなかったのは、そういう理由があったからだったのかも知れない」


 そう、桐人は告げる。

 その唇をぎゅっと噛み締め、悔しそうに。


「それが、『本当に世界を変える』ために必要なことなの!?」


 桐人の言葉に納得できないエレンは、声を荒げ、抗議する。


「『神に人の意志を伝えることが出来る』のは彼だけなんだ。それはこれからの計画で重要となるだろう。まあ、彼が『予知夢』なんて見なければ、俺もただのミカエルをおびき寄せるためのエサとしてしか彼を見ていなかったけどね。だが、今は違う。最初は確証を得なかったが、彼が『神の夢』の一端を見たと言ったんだ。つまり、彼は俺やお前のように『選ばれたんだよ』。もともと、インカネーターとなった時点で『神に愛されている』がな。その選りすぐりというわけさ。だったら、早急に仕上げなければならない。『予知夢』が本当にならないためにもね」


 エサ、か。

 随分な『物としての見方』だ、と桐人は自嘲の笑みを向ける。

 嘆息した桐人は、また海の遠くを見つめる。

 その遥か地平線の向こうを、覗き込む様に。


「なあ、エレン。俺は『どの時代』の俺よりも非道なのかな。少なくとも、『お前の祖父』であった時よりは非道であることは認めるが」


 背を見せる桐人の表情は分からない。

 だが、エレンはため息を吐き、呆れ声を漏らす。


「……何が非道よ。あんた、振り向いた時、涙の流れた痕がついてたわよ。私がおばあちゃんから聞いた、『おじいちゃん』と全く同じよ。ひょっとしたら、『ソロモン王』の時から何も変わっちゃいないかもね」


「……そうか。転生を繰り返しても、俺は『俺』のままなんだな。少し、安心した」


 『安心した』そう告げた桐人の背中は、それでもどこか悲しそうだった。


「そうだ、一つ言っておこう。アスモデウスの化身が宿った美樹ちゃんだが──まだ、心は生きているぞ。アスモデウスもな。全く、俺の周りはお前を含めイレギュラーが多すぎて困る。どう転ぶかはわからないが、彼女も神の戯れの配役の一人なのかもな。こういう気配察知の鋭敏さには自分でも不気味に感じるよ」


「えっ!?」


 振り返った桐人の表情は悲哀から無感情に、淡々とした言葉で告げられる。

 エレンは桐人の意外な情報に驚愕し、その眼を大きく見開く。


「つまり、インカネーターになったんだよ、彼女は。まあ、『特殊な状態』のインカネーターではあるがね」


 ふっ、とまた自嘲の笑みをし、桐人は呟く。


「それが京馬君にとって幸なのか不幸なのか……どっちだろうね」






 生温かな夜風が吹き向ける精神病院の一室。

 その闇の病室の中、無表情に虚空を見つめる少女が一人、ぽつんと人形の様に硬直している。

 

「……」


 だが、ピクリとその手を動かす。

 突如、動いたゼンマイ人形の様に。

 その眼は、ぎょろりと動き、口元を僅かに吊り上げてゆく。

 人形――『であるフリをした』美樹は、今、夜の精神病院にいる。

 何故、こんな一室で佇んでいるのか、美樹は理解していた。

 全ては『この悪魔』の誘惑に負けてしまったから――


「おい、美樹。そろそろ『乾いてきた』。こんな芝居は止めて、とっとと街へ繰り出すぞ」


 頭の中の悪魔が言う。

 美樹はこの悪魔……『色欲の大悪魔アスモデウス』に憎悪している。

 『京ちゃん』の前で辱しめをされ、終いには自分の深層に秘めてた欲望をその『想い人』の前で告白したからだ。

 美樹の『本質』。

 それは、本当は男好きで、自分が好きな男どもと交わりたいと思っているという『色欲』に塗れた本性。

 本当は自分が男性に言い寄られるのはすごい快感であった。

 そして……『悪魔』の誘惑に負け、本当に交わった時、感じた。

 色欲に溺れ、その快感に陶酔する。

 それこそが『ああ、これが本当の私なんだ』、と。

 この感覚は他の女性とは常軌を逸しているのかも知れない。

 しかし、美樹は何故、この悪魔の化身の宿り主となったのかが、今のこの感覚でわかった気がした。


「もう少し我慢しなさい。タイミングを計って抜け出さないと……ところで、本当にそんな伝手、あるんでしょうね。私達みたいな、はみ出し者を引きいれてくれる組織が?」


 心の中で、私はアスモデウスに問い質す。

 その美樹の問い、ふふ、と笑い声を挙げ、アスモデウスは告げる。


「ああ、ウリエルが教えてくれた。近々、ミカエル天使勢、アダムと続き、第三勢力となるつもりらしい。組織の名前も尤もらしい名前だ。『アウトサイダー』。そのまんまだな。ははは」


 声高に笑いながら、アスモデウスが心の中で言う。

 もともと、美樹はこの悪魔に完璧に精神を同化され、『美樹』という存在は消えかけていた。

 しかし、『京ちゃん』とのやり取りをする内にアスモデウスは段々と美樹に興味を持っていったらしい。

 美樹の『京ちゃん』への愛情、反する淫らに男を誘惑したい『色欲』、そして、その男を『色欲』へと陥れる容姿……

 最初は、アスモデウスは少しばかり気にいっていた程度だったらしいが、それがより強く大きなものへとなっていったという。

 そして、決め手は最後に『美樹アスモデウス』が『ガブリエルの矢』によって貫かれた時、薄れる意識の中、目覚めた『美樹』の強い精神力。

 そのおかげで体へのダメージも最小限に抑えられ、精神もこのように維持できたらしい。アスモデウスの話では、それは美樹がアスモデウスが宿った後の強い葛藤によって鍛えられた精神力という。


「『アウトサイダー』、ね。確かに、私達にはぴったりかもね」


 自嘲の笑みで、美樹は呟く。

 確かに『はみ出し者アウトサイダー』である『私達』には好都合な組織である。


「ああ、インカネーターとしても『半端』なはみ出し者だ。これはある意味、運命かもな」


 アスモデウスが言う。

 そう、美樹はインカネーターという、この内に宿る化け物達の力を使役することが出来る者達の中でもかなり特殊な存在となっていた。

 まず、インカネーターとなったものはこのように内に宿る化身と話すことはできない。

 完全に自分の内に化身の意志を秘め、あるのは自分の意志のみになるのだ。

 そして、美樹にはもう一つ、他とは異なった特殊な仕様がある。


「しかし、その『半端』が返って良い結果を与えるとはな。『力』を使っても察知されないのはインカネーターとしては、非常に有利なファクターだ」


 そう、アスモデウスの言うとおり、美樹は『力』を使っても他のインカネーターに察知されないという能力を得た。

 これは、アスモデウスという存在の意志が美樹の意志と混在することにより、『この世界』では『二人』は同一視され、この世界が美樹の使う『力』をバグとして判別しないため、そのバグによって『力』を察知する方法では『力』を使っても美樹を察知することができなくなったためらしい。

 バグによる察知は、基本的なインカネーターの察知方法であるため、よほど特殊な察知方法を使うものでないと察知されないという。


「さて、そろそろ消灯時間ね。皆が眠りについたらいくわよ?」


「ふふ、了解。しかし、お前……何でそんな生き生きとしている? 私はもっと絶望としていると思っていたぞ」


 深く、楽しそうに口を吊り上げる美樹。

 それは、美樹の無意識が起した行動であった。

 アスモデウスは美樹の活力のある意志を感じ取り、尋ねたのである。


「私はあなたを嫌いだけど、感謝もしているのよ? 本当の私を目覚めさせてくれたのだから。あなたとこう会えたのは運命なのかも知れないわね」


 確かに、この悪魔を『憎悪』している。

 だが、それと同時に、美樹はおぼろげで迷いのあった『本質』をはっきりと灯したその悪魔に敬意も持っていた。

 それは、男を魅了する容姿とフェロモンを持ち合わせ、同性から嫌悪されていた自身の『道筋』をしっかりと整備してくれたのだから。

 艶美な、しかしそれを包み隠す様な、屈託ない笑顔をし、美樹は病室から消えていった。

 静まりかえった病室は、まるで何事もなかったかのように、ただ窓から吹く風の音しか発していなかった。







 悲しき闘いの後、各々は様々な思惑で別々の道を歩み出す事になる。


 そして、世界はまだ、京馬という波紋に僅かに波立っているだけである──



 END

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