『想い』の熾天使ガブリエルの力

 いつも通りの通学時間。

 しかし、京馬の心境は穏やかなものではなかった。

 あんな悪魔さえいなければ──今のこの時間をもしかしたら美樹と一緒に歩めていたのかも知れないのに。

 そんな、怒りともどかしさと切なさが京馬に込み上げてくる。

 しかし、そんな心境でも周囲を常に観察し、異常がないか確認しなければならない。

 京馬はピリピリしていた。


「おいおい、今度はそんな挙動不審になっちまって、どうしたんだ、京馬?」


 そう、隣にいた賢司が京馬に語りかける。


「いいや、なんでもないよ。いやー美樹がどこにいるかなーなんて探しててさ。なんてな、それじゃストーカーみたいか。重症だな、俺」


 自虐を込めて京馬は誤魔化し、笑う。


「はあ? 美樹……? 誰だそれ? 別のクラスの女子か?」


 賢司は恍けるまでもなく、真剣な顔で言う。

 美樹を無碍むげにする様な賢司の台詞に、京馬は睨みそうになる。

 だが、


「あ……」


 京馬は思い出した。

『アビス』の力はこの世界に拒絶される力──だから、自分の捕縛結界の中にいる美樹は、この世界から『存在しない』ことになっている事を。

 それを悟り、京馬は誤魔化しの言葉を作る。


「あ、ああ、えーと、ここに生えてる木の幹で大量の樹液が出てる幹があった筈なんだよ。うちの弟が昆虫採集に興味があってね。もう一度、見つけたら教えてやろうかなと……」


「……? ふーん。お前の弟って、そんな趣味があったのか。意外だな」


 賢司は違和感を感じながらも相槌を打つ。

 勿論、そんな趣味をあんな勉強一直線の弟である『しき』が持っている筈は無い。

 まあ、最近はやたらと聖書とか、サブカルな書物に手を出して、本当、プライベートでは何をやっているか京馬も全く把握していないが。

 そんな奴が、自分を差し置いて、万人受けしそうな可愛らしい彼女を持っている事に若干、腹を立てるも、


(しかし、あれだけ散々、美樹のことで俺をいじっていた賢司がこれか。インカネーターやアダムが今まで一般人に存在を知られていないのも納得できるな)


 京馬は改めて自分達の力への世界の拒絶の力の凄まじさを思い知った。

 これならば、数百年と世界で暗躍する『アダム』が公になる筈も無い。



 特に何事もなく通学を終え、京馬は学校に着き、一時限目の授業を終えていた。

 仲間達と談笑することなく、京馬は中休みを窓を見て過ごしていた。


(未だ……何も反応はない。一体、あの『大悪魔』はいつ動き出す!?)


 落ち着かず、カリカリとしていた京馬に、着信が鳴り響く。

 マナー? 知らん。そんなのは、この窮地に気にする訳が無い。


「もしもし、京馬です」


「京馬君かい!? 今、そちらで何か異常がなかったか!?」


 着信相手は、予想通り桐人であった。

 桐人がいつもの余裕ある声でないことから、緊急事態であることを京馬は容易に知ることができた。


「いえ、こちらでは何も! 何かあったんですか!?」


 だが、予想以上の桐人の焦り声に動揺し、京馬も慌てて尋ねた。


「今しがた、アスモデウスの気配を『この世界』で察知してね。捕えようと思ったんだが、すぐに捕縛結界内に姿を晦ましてしまった! とりあえず、予定を変更して僕は奴の捕縛結界へ侵入しようと思う! 校舎裏の駐車場前まで来てくれ!」


 そう言うと、通話が切れてしまった。

 京馬は急いで、廊下を駆け、階段を駆け降り、駐車場前に向かう。

 途中、先生に怒られたが、そんなの知ったこっちゃない。

 駐車場前まで行くと、そこに桐人が立っていた。


「さあ、奴に逃げられぬよう、早く行こう」


 そう言うと、桐人は指輪に口づけし、オリエンスを呼び出す。

 そして、シルフィード・ラインを何もない空間上に突き刺し、目を閉じ、何かを念じながら、ゆっくりとその剣槍を前方に押しこむ。

 すると、空間に亀裂が走り、肉壁がびっしりと埋め尽くす別の空間が前方に映し出される。

 人が入れるぐらい空間の亀裂が開き、桐人はその空間に入って行った。


「はやくこっちへ!」


 桐人が京馬にその空間に入るように促す。


「は、はい!」


 京馬は突然開かれた、その醜悪な空間に驚きながらも前進していった。



 京馬達が入った空間はまるで、人の腸の中のような細長い道が続く迷路のような空間だった。

 ところどころに人の臓器のようなものや、紫の骸骨が壁面に埋め込まれている。

 ──間違いない。

 これはアスモデウスの捕縛結界の中だ。

 京馬は美樹がアスモデウスに乗っ取られた時に発生した異様な空間と、この空間のオブジェクトが合致したことから、この空間がアスモデウスの捕縛結界と判断した。


「アスモデウスはこの捕縛結界のまだ浅い層にいる。急いでいけばすぐ追いつけるだろう。」


 途端、何を思ったのか、桐人は京馬をお姫様だっこする。


「え、ちょ、桐人さん! いきなりどうしたんですか!?」


 突然の桐人の行動に京馬は驚く。

 これは、主人公がヒロインにする行為で、本当は俺が美樹にしてみたい行為で──

 そんな困惑をする京馬など関係なしに桐人は言う。


「僕は四元素のうち、風を司る元『四界王』の大悪魔、オリエンスを化身としている。風はあらゆるものを早める力に優れている。一気に飛ばすよ」


 そう言った桐人の足元に緑の魔法陣が展開され、緑のボードが発現──刹那、桐人と京馬の体は風に流れるように急加速した。



 しばらく進むと、大広間に出た。大きさは京馬の通う高校全域ぐらいか。

 そこで、桐人は止まる。


「やれやれ、雑魚が」


 そう言った桐人の視線の先には、人間の上半身をそのまま切り捨てたような下半身のみの体に手が生え、目がある二メートルほどの化け物がいた。

 さらに人間の男と女の上半身がくっ付き、その下にそのまま足が生えた、こちらも二メートルほどありそうな化け物がいる。

 それらは複数、こちらの進行を妨げるように立ち塞がっていた。


「うわ、気持ち悪い! 何なんですか、こいつら!」


 京馬はこの醜悪な化け物達を指さして桐人に尋ねた。


「こいつらは、アスモデウスが創りだした下等な悪魔だ。RPGで言う雑魚モンスターみたいなもんだな。まあ、君には良い相手になるくらいの実力はある」


 そう言った矢先、醜い化け物どもが京馬達に襲いかかる。


「さあ、デモンストレーションだと思って、戦ってみるといい。僕は多い方の左をやるから、君は右をお願いね!」


 桐人はそう言って、駆けだし、難なく一匹を駒切りにして屠り、残りの化け物も余裕で蹴散らしていく。

 一方、京馬は複数の魔法陣から展開した光魔法『レイ』を放ち、化け物達に対抗する。


「くそ、タフな上に数も多い……!」


 魔法陣から射出された無数の光の槍は、化物どもへと刺さってゆく。

 そして、爆散する中、よろめきながらも化物は京馬へと迫ってゆく。

 徐々に押されていく京馬を見て、それでも桐人は屠った死体の山に立っているだけだった。


「さて、君の成長を見守ることにするよ。京馬君」


 そう言った桐人は口を吊り上げていた。


「折角、苦労して立てた舞台なんだ。頑張ってもらわないと」


 剣槍を振るいながら、浮かべた笑みを深いものにして興味深そうに桐人は呟いていた。



「ぐあっ!」


 京馬の『レイ』を受けても迫りくる化物の中、目の前の化物がその紫の筋繊維で出来た脚を振り払う。

 放たれた回し蹴りは、京馬の腹部へとめり込み、その身体を浮かせ、吹き飛ばす。


「くっ、そ……!」


 体制を立て直そうとする京馬の眼前に、黒の魔法陣から展開される。

 そこから放たれるは、禍々しい黒い球体。

 それらは、四方から取り囲む様に京馬に襲いかかる。


「うわあああああぁぁぁぁ!」


 叫びとともに、爆風で京馬は吹っ飛ばされる。

 だが、京馬の身体は五体満足である。

 代わりに、自身の精神にひび割れる様な感覚が襲う。


(これが、『アビスの力』を使った闘いかっ!)


 僅かに、爆風による擦り傷や殴打感という外傷もある。

 しかし、あの一撃で一番響いているのが、内面──『精神』へのダメージだ。

 京馬は立ち上がり、思慮する。

 ──残る敵は十体、一匹倒すのに五発の『レイ』を撃ち込む必要がある。

 京馬にそれを撃ち出すほどの精神力が残っているのかわからなかった。

 しかし、段々と意識が薄くなっていることから、もう自分の精神力が底を尽きそうなのがわかる。


「くそっ! どうすればいいんだ……!」


 見れば、桐人は遠くで化け物どもを始末し終えて、死体の山で京馬を眺めるだけだった。


「これぐらいは自分でどうにかしろってことですか……!」


 京馬は若干、桐人の放任さに苛立ちながらも考えた。

 ──この状況、どうすれば良い?

 京馬は状況を打破する方法を考える。


『──別の力の発現の仕方を考えるのよ』


 以前、試験で言われたエレンの助言を思い出す。


「別の……力の発現……!」


 危機的な状況の中、京馬はイメージする。

 正直、そんなものが膨らんだ所で、新たな力を発動出来るか分からない。

 だが、より固まっている十匹の敵──それをまとめて始末することが出来れば!

 残る精神力を振り絞り、京馬は決死でイメージを構築する。

 イメージは先程よりも大きな閃光を伴う大爆撃。

 シンプル──だが、それ以外に思い浮かぶものは無い。


(こいつらを、ぶっ飛ばす、爆撃っ……!)


 京馬が必死に念じると、ふっ、とそれが力が抜けるかの如く『抜け出る』。

 気が付けば、京馬は怪物達を取り囲むように極大な魔法陣を展開していた。

 茫然とした表情で、一瞬、呆けていたが、京馬は歯を噛み締め、


「……っ! くらええええええぇぇぇぇぇ!」


 周囲を吹き飛ばすイメージを構築し、叫ぶ。

 途端、魔法陣から巨大な眩い光が放たれる。

 閃光と共に、大爆発が生じ、怪物達の絶命の叫びが響いてゆく。

 

「へ、へへへ……やったぜ。で……も……も、う意識が……」


 光が晴れ、怪物達が消滅したのを確認し、ふらっと京馬の意識は途絶えてゆく。


「おっと」


 崩れゆく京馬が地面に倒れ伏す前に、瞬時に移動した桐人が抱きかかえる。


「力の行使は感覚的なコツがいるからね。こればっかりはやってみないと出来ないし……やっぱり、実戦でやるのが一番だ。魔法イメージの具現化はOKっと。順調だね。後は『ガブリエル』の力の発現だ」


 計画通りと言わんばかりの笑みを桐人は浮かべていた。


「あとは、アスモデウス次第か……さて、どうなるかね」


 ふっと愉快そうに笑って、桐人は呟く。

 だが、後にその表情を曇らせる。


「まあ、計画通りにいっても美樹ちゃんは助けられないかもな……そうしたら、済まない。京馬君」


 申し訳なさそうに、桐人は呟く。

 自身の背徳感に押し潰されそうになりながらも、ふう、と息を吐き、京馬を見つめていた。



 京馬が目を覚ましたのは、それから一分も経たないうちだった。


「……あっ! お、俺は……!? 確か、新しい魔法で化け物ども倒して……?」


「ああ、あめでとう。さらに成長できたね。良かった。良かった」


 京馬は桐人に抱きかかえている状態で目を覚ました。

 バタバタと動かした足は、現状を理解し、大人しくなる。


「あ、ありがとうございます……もう、大丈夫です」


 桐人に礼を言って、京馬は自分の足で立つと同時に言う。


「あれ、でも俺、完全に精神力を使い果たしたはず……?」


「僕の精神力を分けたんだよ。ああ、心配しないでくれよ?こう言っちゃなんだが、君の精神力を満タンになるまで譲渡したとしても、僕の精神力はさして変わることはないんだから」


 そう告げた桐人の言葉に、京馬は顔を伏せる。

 やはり、自分はまだまだなのであろう。

 そう理解し、思考を切り替えて、京馬はお辞儀をする。

 桐人の足元にまた緑の魔法陣が展開され、緑のボードが発現する。


「さあ、邪魔者を退けたことだし、先を急ごう。もうすぐだ」


 京馬は頷き、二人はまた緑のボードに乗り、腸の迷路を駆け抜けた。




「そろそろ、あの『アダム』どもが追いつくな。予定よりちょっと遅いくらいか。順調だな」


 一方、足の全域から生え出た触手を利用して跳ねながら美樹──否、アスモデウスは腸の迷宮内を移動していた。

 その脇に抱えるのは一人の人間。


「美樹が二番目に気に入っているこの人間を回収するために、わざわざ『人間の世界』に姿を現したんだ。順調にいかなくては困る」


 やがて、肉の扉の前まで行き、アスモデウスは手を扉に向けて翳す。

 すると、肉が裂け、扉が開かれる。


「遅かったじゃないか。アスモデウス。ちゃんと回収したいものは回収できたのか?」


 扉を開いたその先に天使の羽を無数に生やした赤と青のオッドアイを持った男が立っていた。


「ああ、もちろんだ。いやはや、まだ完全に支配しきれていないせいか、どうも動きが緩慢でね。しかし、ちゃんと君のターゲットも招待しておいたよ。ウリエル」


 そのアスモデウスの言葉を聞き、ウリエルと呼ばれた男は笑みを浮かべた。


「ふふ、そうか! また、あいつと殺し合いができるのか、楽しみだ! はははははは!」


 ギラギラした目で笑うウリエルにアスモデウスは言った。


「しかし、君がいてくれて助かったよ。私一人ではアダムの幹部に到底敵わないだろうからね。まあ、インカネーターとなったら別だが。結局はこの少女はそこまでの器ではなかったからな。『私』になってしまったんだよ」


「相変わらず、よくわからんな。その『化身』としての感覚が。所詮は仮の自身、故に化身なのだろうが。俺のように直接、現界しておけばいいものを」


 嘆息して、ウリエルは言う。


「どの口が言う。君のような『アビスの住民』の異端の方がよっぽど私にはよくわからないよ。あげくに『神殺し』を目的にしている。そのためのミカエル打倒……協力しているが、本当に理解に苦しむ」

 呆れたようにアスモデウスが言う。


「俺は、自分をこんな存在に位置付けている『この世界』が嫌いなだけだ。まあ、『アビスの住民』として高みに登りたいという崇高な目的が大半を占めるがな」


 遠い目をしてウリエルが語る。

 黄昏たその表情の中には、憤怒、切望、野心──様々な感情が内包されている様に見えた。


「……さて、私はそろそろアスモデウスとしての『お楽しみ』をすることにするよ。それまでの時間稼ぎはお願いするよ」


 やれやれ、と本当に理解できないように首を振り、アスモデウスはさらに奥の部屋へと入っていく。

 それを見届けるが先か否か、ウリエルは勇猛な威厳ある表情を膨らませる。


「ふふふ、桐人! いいや、『ソロモン王の生まれ変わり』よ! また、俺を楽しませてくれよ!!」


 滾らせた闘志を隠すことなく表情に浮かべ、ウリエルは扉の前で仁王立ちする。



 一方、京馬と桐人は高速で腸の迷宮を駆けていた。

 腸の迷宮は進む毎に段々広くなっていく。

 時折、出現するアスモデウスが創った下級悪魔どもは、桐人の圧倒的な戦闘力を前に一瞬で滅せられる。

 順調に、否、『順調過ぎる』潜入を、逆に不安に思いながらも、京馬達は更に腸の迷宮の最深部へと進んでゆく。


「もうすぐだ! 戦闘の準備をしておいてね!」


 『アスモデウス』の気配を感じた桐人は、京馬に対して言う。


「はい! もう準備万端です!」


 そう言って、意気込んでいる京馬はいつでも戦闘開始しても大丈夫であることを告げる。


「……っ! あいつは……?」


 開いた肉の扉の前まで着くと、桐人の表情が一気に険しくなる。

 その眼前に堂々と立つは、二メートルは超えるであろう屈強な男であった。

 その両肩には、多数の白い羽を携えている。

 ギラリとした赤と青のオッドアイは、桐人を視認するとニタリと曲がり、同時に口を吊り上げる。


「ふふ、久しぶりだな。桐人。寂しかったぜえええぇぇぇぇぇっ!?」


「『ウリエル』……厄介な奴がきたな」


 緑のボードを消し、桐人は京馬を後ろに下がる様に促す。

 剣槍を静かに構え、目の前の『天使』を前に身構える。


「あのまま勝ち逃げされたら、たまったもんじゃないからな。悪いが、リベンジさせてもらうぞ。ははははは!」


 豪快に笑うウリエルの左手には、灰色の炎が。

 そして、右手には白と黒の螺旋を描いた大剣。

 隠す事無く、放たれる圧倒的な強者の覇気に、思わず京馬は背筋を凍らせる。


「……前にも戦ったことのある相手ですか?」


「ああ、正直かなり強い相手だ。アスモデウスの比じゃない。まずいな、『本気を出さないと勝てない相手』だ……」


 京馬の問いに苦虫を噛みながら桐人は答える。

 その表情は、京馬が今まで見た事の無い、桐人の戦慄の表情であった。

 何事も動じなさそうな桐人の頬から伝う冷や汗は、この『ウリエル』という天使の力を推し量るに、充分足る情報であった。


「そっちがいかないなら、こっちからいくぜぇっ!?」


 言うが早いか否か。

 ウリエルは、螺旋の剣を桐人目掛け、豪快に振り払う。

 

 ズシャアアアアァァァァァァ!


 空間を千切り、抉り散らす様な轟音が響く。


「っく!」


 桐人は京馬を抱えて跳躍し、間一髪、その斬撃を避ける。

 だが、京馬は絶句する。

 その自分達がいた空間が、ページが破れる様にビリビリに『裂け』、漆黒とした『無』の空間を覗かせていたからだ。


「アスモデウスの捕縛結界も貧弱だねえ。こんなんで、結界がぶっ壊れるとは!」


 はあ、と呆れたようにウリエルが言う。


「っし!」


 そのウリエルの僅かな隙を見計らい、桐人は大気を震わせる剣槍の振り払いの一撃を放った。

 それは緑の衝撃波を生み、ウリエルに襲いかかる。


「なんだ? また、出し惜しみをする気か!? 俺の実力は知っているだろう?」


 呆れた表情のウリエルが軽く剣を一振りすると、いとも簡単に衝撃波が防がれ、消滅する。

 その光景に、京馬は戦慄する。

 正直、桐人の移動速度も、放った一撃も、『全く見えなかった』。

 だが、その瞬速の動きをいとも簡単に捉え、その一撃をも凌駕する恐ろしい一撃を叩き込むウリエル。

 絶体絶命の状況だ。

 この状況下の中、京馬は不安になり、桐人の表情を窺う。

 だが、その表情は──『呆れていた』。


「……ふう。アスモデウスにもなにか思案があるというのはわかっていたが、まさかお前が来るとは思っていなかった。しょうがない、『俺』も本気を出してやるよ」


「が、はははっ! そうだ、そうこなくてはなぁっ!?」


 『降参』と、する様なポーズを取り、桐人は告げる。

 その桐人の態度に、ウリエルは歓喜の笑みを浮かべる。


「京馬君、ここは俺に任せて、先に行ってくれ。大丈夫。すぐに駆けつける」


「で、でも……」


 ウリエルの圧倒的な力を目の当たりにした京馬は、躊躇し、その足が動けなかった。

 ──桐人が負ける。

 今の状況を見れば、誰もがそう思ってしまうだろう。

 どんな手を尽くしても破かれそうな圧倒的な力の持ち主を前に、そんな桐人の台詞は、捨て台詞の様にしか聞こえない。


「本当に大丈夫さ。なんとかやっつけてやるさ。何、こんな修羅場、『俺』はいつでもくぐり抜けてきた」


 京馬の不安を察知したのか、桐人は優しく言う。

 ポン、と京馬の頭に手を置いて、微笑する桐人は、何故だか頼もしく見えた。

 そして、視線をウリエルへと戻した桐人は、相反した獣の様な興奮の瞳孔の開きをする。

 そう、それはまるで、この窮地を楽しそうに──


「わかりました! でも、ちゃんと来て下さいね! 来ないなんていうのは無しですよ!?」


 途端、そんな桐人のまた違った側面を垣間見た京馬の背は、再度身震いする。

 それは、今度はあの天使ではなく、自分の頭に優しく手を置いた『桐人』に。


「ああ、また奥で会おう」


 気付いていたら、京馬は奥に続く闇の中へと駆け出していた。

 これは、生物的な本能であろうか。

 人智を遥かに超越した恐ろしい何かが衝突しようとしている──そんな恐怖に、背を押されて。


「そう簡単に、いかせるかよ!」


 だが、ウリエルもそう都合良く待っていてはくれなかった。

 螺旋の剣を振りかぶり、京馬に向かって斬撃を放とうとする。


「させないよ」


 だが、空間を裂きながら進む衝撃波を、桐人は剣槍で受ける。

 先程とは比べ物にならない程の圧倒的な覇気を纏った桐人は、『いとも容易く』その衝撃波を霧散させる。

 その桐人の真の実力に、京馬は目を丸くしながらも、一人、闇の中に消えていった。


「ふん、ようやっと四分の一ぐらいか? 俺も舐められたもんだ。そんな『オリエンス』じゃなくて、お前のとっておきを見せてみろよ!」


 告げる、ウリエルはとても不機嫌な表情で右手を手前に動かす。

 その行為に、桐人は頬を掻き、嘆息をする。


「やれやれ、だから君は厄介なんだよ。『俺』の『本気』を知っている数少ない人物なんだから。いいよ。その代わり、またぼろぼろになって戦意喪失なんてのにはならないでおくれよ?」


 口元を深く吊り上げる桐人は、先程まで猛威を奮っていた天使に対し、見下した様な表情で言う。


「へっ!」


 だが、ウリエルは憤慨もせず、表情を険へと変える。

 口は吊り上げ、その闘いに興奮するも、だが頬には冷や汗が垂れてゆく。

 地を蹴り上げ、後方に下がったウリエルは乱れる呼吸を整え、螺旋の剣を構え直す。


「……俺は今度こそ超えてやる。本当の『最強』を……!」


 ウリエルは、震える足を地団駄し、抑える。

 途端、セピアの空間が周囲を埋め尽くす。

 それは、ウリエルが発動した『固有能力』。

 その力の発現を確認した桐人は、更に深く口元を吊り上げた。


「この力を二度も同じやつに見せるなんてね」


 桐人は指輪に口づける。

 その身体からは、白と黒の極光が放たれる。


「さあ、ふ、ははははっ! この、『俺』を見せてやろうっ!」






 はぁ、はぁ、

 京馬はひたすら駆けていた。

 奥へ進むと、また、肉の扉があり、さっきとは逆に段々と道は狭くなってゆく。

 そして、また肉の扉が見える。途端──


 ジジジジジジジジジジジジジッ!


 またもや、ラジオのノイズが頭の中を走る。


「くそっ! こんな時に!」


 頭を抱えて、京馬は呟く。

 恐らく、この扉の先に美樹は─―アスモデウスはいる。

 何となく、そんな気がする。

 それは、この『力』特有の気配のおかげだろうか。

 触覚でも、視覚でも、嗅覚でもない。

 ──『第六感シックス・センス』と例えれば良いのだろうか。

 否、そんな『脳内』では無く、もっと、自身に踏み入った……『精神』。

 それが感じ取る不思議な感覚。


「……もしかして、このノイズは美樹の中にあるアスモデウスの力に反応して生じているのか?」


 ふと、京馬は今までのノイズが起きた経緯を思い出した。

 それはいずれも美樹の精神がダメージを受けていた時だった。

 すなわち、それはアスモデウスの力に美樹の精神が浸食される時だ。


「だったら、まずい! 早く、美樹を助けるんだ!」


 はっと閃いた京馬は、目の前にある扉に一秒でも早くと駆ける。

 ガチリとその扉へと手を掛け、急いで扉を開けた──









 扉を開けたそこには、


「美樹、と菊池……先輩?」


 そこには、裸で交わる美樹と『菊池先輩』がいた。

 その先輩の足を、蛇の様にチロチロと舐め回し、いやらしい笑みで美樹は京馬を見やる。


「ふぅ……ふふ、やっぱり良いわあ。人間は!」


 その京馬へと挑発する様に、艶美な笑みを深くし、美樹は告げる。

 その光景を……京馬は、目の前で何が起こっているのか、すぐには認識できなかった。


「あらあ、京ちゃん? 待ちくたびれたよぉ……待ちくたびれすぎて、菊池先輩に抱いてもらっちゃった。うふふ、あぁ気持ち良かった」


 惚ける様に首を捻り、美樹は立ち上がる。

 全裸の美樹の身体は、美しく引き締まっていた。

 その万人の男を魅了する様なボディラインは、京馬の目を釘づけにする。

 『色欲』。

 その『大罪』を強烈に刺激する様なプロポーションと、周囲に漂うフェロモンは、混乱する京馬をその『大罪』に陶酔させるかの様な『麻薬ドラッグ』の如く。

 うふふ、と笑む美樹は、京馬へと向かい歩きだす。

 その股目からは、血と体液が流れ落ちてくる。

 硬直する京馬の目の前まで進んだ美樹の身体を、周囲の地面から生え出た触手が包む。

 それは、美樹を完全に呑み込み、一寸の間の後、触手の繭は解放される。

 すると、マジックの手品のように美樹は黒いチャイナドレスのような衣装に身を包んでいた。


「どう? 愛しい人を寝とられるこの感覚? 最高でしょ? あははははははっ!」


 京馬の顎に、二本の指を沿わせ、美樹は甲高く笑う。

 言葉を失った京馬は、ふと脇目を逸らし、美樹の後ろで全裸になり、仰向けに倒れ伏せた『菊池先輩』を見やる。

 白眼を剥いてうわ言で美樹の名前を繰り返すその光景は、とても正気とは言える状態では無かった。

 多分、いいや十中八九、アスモデウスに操られているのだろう。


「アスモッ!……デウスッ……!!!!」


 そう考えた瞬間、激しい怒りが京馬の頭の中を埋め尽くす。

 震える口元を噛み締め、その瞳を『美樹であったもの』へと睨み付ける。

 気付いていたら、京馬は高速で幾つもの白の魔法陣を展開していた。

 それは、エレンとの一戦で放った倍以上の光の槍――『レイ』の嵐を降り注がせる。

 明らかに、『許容量過剰キャパ・オーヴァー』の力。

 だが、激情に駆られた京馬は、我を忘れて、自分のありったけの力を振り絞る。


「ふふ、あはははははははっ! 無駄よっ! 無駄よっ! この男の精気を吸いとって、私はさらに強くなったっ! それに、そのショックで完全に美樹は私そのものになってしまったしね!」


 だが、それらは美樹から生え出る多量の触手によって、全て弾かれてゆく。

 愉快に笑み、美樹は衝撃の事実を京馬に打ち明ける。


「なん……だって……?」


 『完全に美樹は私そのものになった』……?

 京馬は『アスモデウス』の言葉を聞き、攻撃を停止させる。


「だから……言っただろう? 『美樹』は私、『アスモデウス』になった! ふふ、どうやら、彼女を助けたかったようだが、残念だったな」


 茫然とした京馬へと、更に追い打ちを掛ける様に、『アスモデウス』は告げる。

 その告白は――事実上、『美樹が死んだ』と同様のことだった。


「う……嘘だっ! 嘘だっ! 嘘だあああああぁぁぁぁぁぁっ!」


 そんな訳が、そんな訳が、そんな訳が、そんな訳が、そんな訳が、そんな訳が、そんな訳が、そんな訳が、そんな訳が、そんな訳が、そんな訳が、そんな訳がっ!


 京馬は頭を振り払い、『アスモデウス』の言葉を『消去デリート』しようとする。

 呪いの言葉を滅する様に、再び京馬は『レイ』を放つ。

 だが、京馬の全力の一撃は、無残にもアスモデウスの強固な触手の壁により阻まれる。

 無情、あまりにも、無情。

 そんな『世界』があってなるものか。

 ある訳が無い。

 頭の中を否定の言葉で埋め尽くそうとする。

 だが――『美樹が死んだ』。

 その言葉は、消えても、消えても、京馬の中に戻ってくる。

 徐々に伝う、目尻から零れた涙は、その体積を増やしてゆく。

 只管に、震える指先をアスモデウスへと向ける。


「あははははっ! 実に愉快、痛快、爽快っ! これだから、人間は良い! 一つ教えてやろう。実は、このシナリオ。『美樹』が心の中でふと思っていたことでもあるのだぞ?」


「……え?」


 絶望に自暴自棄となっていた京馬は、気付けば顔を歪ませ、多量の涙を流していた。

 その京馬を『美樹の顔』を歪ませて笑うアスモデウスは、後ろの『菊池先輩』を指差して告げる。


「これは、美樹がこの男に告白された時に思ったことだ……もし、この告白を受け入れて、この男と付き合うようになったら、お前は嫉妬するのではないのか。もし、この男と交わるのを見つけられてしまったら、嫉妬に狂ってしまうのではないか。それは自分への愛のため……ああ、こんなにお前に愛されている、嬉しい!それも悪くない。……そんな妄想をこの少女はしたことがある」


 にたりと、更に口元を歪ませてアスモデウスは続ける。


「事実、この少女の深層では愉悦に浸っているぞ。お前だけではない、この男の愛情も快楽の一部としているぞ。いいや、他の言い寄ってくる男達もそうだ。本当は規則などなければ、気にいった皆と交わりたい、皆の愛を感じたい。それがこの少女の本質だ。そんな少女をお前は命を賭して助けようとしていたのだぞ? 馬鹿げていると思わないか?」


「……」


 アスモデウスは、京馬の歪んだ表情を覗き込む様に凝視し、美樹の本質を語る。

 その言葉に、京馬は何も反応出来なかった。

 精神力も底を尽き、茫然と涙を流すのみ。


(これが……サイモンさんが言っていた、美樹の『本質』……?)


 京馬はサイモンに告げられた言葉を思い出す。

 認めたくは、無い。

 認めたくは無いが……美樹の精神に結び付いたこの大悪魔の言葉は、恐らく、本当に――


「もう、お前も疲れただろう? そして、私とこの少女が憎いだろう? だったら、この体を好きなだけ貪るがいい。私は別に構わないぞ? 何て言ったって『色欲』の悪魔だ。交わるだけ交われば、その分、力になる」


 京馬は、そう告げるアスモデウスへの攻撃を止める。

 力無く顔を伏せ、ゆっくりとその『色欲』へと歩み出す。


「そうだ、それでいい。もう何も考えるな。私を……美樹を貪り、蹂躙し、慰み者にしろ。さあ……きて、『京ちゃん』」


 アスモデウスは『美樹』の顔で艶やかな笑みを浮かべる。

 差し出された美樹の手。

 だが、京馬はその手を掴む事は無かった。


「……? どうしたの京ちゃん?」


  艶麗な表情で問い掛ける美樹は、京馬の顔を覗き込む。

 歯を噛み締め、震える顔は、ぼたぼたと涙を流していた。


「……きだ」


 京馬は小さな声で呟く。

 本当は、擦り切れそうになる精神を前に、言葉を放つのも辛かった。

 だが、沸々と沸き上がる、京馬の『感情』は、それでも口を動かせる。


「それでもっ! 美樹はっ! 俺が愛した人だった! 好きだった! 好きだったんだよっ!」

 

 辛い――悲しいッ! ……そして、熱い怒りで、はち切れそうだッ!

 京馬は想いを叫ぶ。

 その『想い』は、京馬の中の精神の最奥――その中にある一片の『一翼』を目醒めさせる。


(さあ、『我』よ! 目覚めよ!)


 『自分』の声が響く。

 途端、京馬の両腕が眩く光る。

 キリキリとした精神の痛みが、『感情』と共に薄らいでゆくのが分かる。


「……っ! これは!」


 京馬から放たれる強烈な重圧に、アスモデウスは戦慄する。

 警戒したアスモデウスは、触手で京馬を縛りあげる。


(……なんだったんだ? さっきの爆発したような急激な力の上昇は……!)


 アスモデウスは京馬の未知の力の増幅に戦慄を覚える。

 だが、難なく自身の触手でその身体を絡め取る事が出来、その戦慄は杞憂であると信じる。

 だが、アスモデウスは京馬の行動に釈然としなかった。

 そして、一つの疑問を投げかける。


「……そんなに好きならば、抱けば良いではないか。何故、躊躇う?」


 本来、『人』とは欲に忠実な生物だ。

 それが、法を定め、倫理を説き、いつしか『理性』を獲得出来る様になった。

 そんな事を、とうにアスモデウスは知っている。

 だが、目の前の少年は、何もかもに絶望し、想い人が淫らに誘うという状況で『色欲』に手を出さなかった。

 それが、全く理解出来なかったのだ。


「好きだからだ。好きだから、これ以上はそんな美樹を見たくない。いいや、美樹の抜け殻なんて見たくないんだ! だからっ!」


 その問いに、迷いのない芯の通った声で京馬は叫ぶ。

 直情的な『感情』は、更に京馬の『力』を押し上げてゆく。

 京馬は『ガブリエル』の力を得た時の言葉を思い出す。

 

『──お前はお前であって俺でもある。力を振るい、示せ! 記せ! 己が道を──人の道を!』


「……ああ、示して、記してやる! 俺の道を──」


 頷いた京馬の身体から、強烈な『蒼』の閃光が迸る。 


「……! 何だとぉっ!?」


 閃光は、京馬を拘束していた触手を千切り飛ばす。

 そして、眩く光る両腕から青白い光の弓と矢が発現する。


「俺は、お前を許さない! そしてお前と美樹を引き合わせた、この『世界』を認めない! 俺は、全てを変えてやる! こんな『運命』も! こんな『悲劇』も!」


 叫ぶ、京馬の表情はもう絶望に塗れたものでは無くなっていた。

 そのブラウンの瞳は『蒼』に。

 滾る『感情』を爆発させ、弓を引き、さらに京馬は言った。


「変えてやるんだ! 俺の力でっ! 『世界』をっ! このガブリエルの力でっ!」


 決意の叫びを放ち、京馬の腕に力が込められる。

 京馬から迸る莫大な力はアスモデウスに恐怖の顔を作らせる。


「ひっ、ひいっ!」


 美樹の顔で怯えたアスモデウスは、大量の触手を京馬へ目掛けて、放つ。

 先程の倍はあろう多量の触手群に、しかし、京馬は眉一つ微動だにしない。


「無駄だ」


 一言。

 その言葉と共に、京馬は青白い矢を放つ。

 それは、肥大し、大量の触手をその『氣』に当て、呑み込んでゆく。


 ズガァ!


 そして、アスモデウスの頭上の肉壁を穿った。

 穿った肉壁は消滅し、捕縛結界へヒビを生じさせていた。


「『怒り』は力を、『悲しみ』は衰退を。俺の『想いの矢』はお前に力と衰退を叩きこむ!」


 京馬は、更に自身の『感情』を高める為、声高に叫ぶ。

 その様子に、狼狽していたアスモデウスは、追い詰められた鼠の如く、戦慄とした表情で、


「調子に乗るなよ! 何が『想い』の力だっ! 所詮は我々の『欲』に忠実に生きるだけな下位に位置する生物のくせに!」


 禍々しい黒色の炎を揺らめかせ、放つ。

 迎え撃つかの様に、京馬は矢を再び放つ。


「はあああああああああああ!」

「やあああああああああああ!」


 拮抗する、両者の激しい力の衝突は、空間に悲鳴を挙げさせる。

 互いが互いを呑み込もうと、


 ズガガガガガガガガガガガガガガガッ!!!!!!!


 と、強烈な摩擦音を引き起こす。

 その衝突は空間を激しく振動させ、捕縛結界内に亀裂を生じさせる。


「く、ば、馬鹿……! こんな急激な力の上昇はアビスでも聞いたことがない! なんなんだ! こいつはっ! 『想い』の力だと……!? 『想い』だけで力が強まる、『固有の能力』っ! 本当に馬鹿げているっ!」


 だが、勝敗は決しようとしていた。

 アスモデウスは顔に裂傷を刻みながら呟く。

 徐々に黒炎が青白い閃光へと呑まれていく。

 必死に抵抗するアスモデウスは、恐怖に顔を塗り変えてゆく。


「……終わりだ。さようなら、美樹」


 京馬は頬を伝う一滴の涙を流す。

 その雫が地に落ち、その瞬間、『想い』の力が最大限に高まる。

 それを皮切りに、一気に青白い閃光は黒炎も、アスモデウスをも呑みこんでゆく。


「いやああああぁぁぁぁぁぁ!」


 断末魔とともにアスモデウス──美樹と捕縛結界は消滅する。




 時間を遡り、京馬が『ガブリエル』の固有の力に目覚めた頃──既に桐人とウリエルの戦いは決着がついていた。


「おお、やっぱり目覚めてくれたか。良いスパイスだったね、アスモデウスは」


 常に自分の思案にあるような顔でにっこりと笑い、桐人は呟く。


「へへっ! 何もかも計算通りかよ、この化け物めっ!」


 そう、意気揚々と告げたウリエルは、しかしその身体は無茶苦茶であった。

 右腕を失い、右目も失ったウリエルが息絶え絶えに桐人に言う。


「君は化身でもなく、紛れもない本神、『アビスの住民』だろう。一般的に見たら、君の方が遥かに化け物だけどね」


 ため息を吐き、桐人はウリエルへと指を差す。


「その、化け物をあっさりと倒しちまうんだから、もうお前はその化け物の仲間入りだ。人の皮を被ったな!」


 ち、と舌打ちをして告げたウリエルの皮肉に、桐人は少し考える。


「まあ……ある意味当たっているか」


 顎に手を当て、ボソリと呟き、桐人は振り返る。


「そろそろ、この空間も崩壊するだろうね。君はこれから、どうするんだい?」


 問われたウリエルは、口元を吊り上げて、答える。


「お前に俺を殺すっていう選択肢がないなら、逃げさせてもらうぜ。生憎、俺は戦うのは好きだが、死ぬのは嫌いでね。ただ、脅しをかけるわけじゃないが、今俺を殺せば、『この世界』の『ウリエル』の名は消えてしまうぜ?」


 冗談を交える様に告げるウリエルの様子に、桐人は嘆息する。


「君には騎士道っていうものがないのかい? 仮にもギリギリ堕天してないのに。まあ、命は取らないようにするよ。君には『利用価値』があるから。ただし、僕の正体を曝すような真似をしたら、その時は、ね」


 忠告する桐人の眼は、据わっていた。

 思わず、息を呑んでしまったウリエルはぶんぶんと頭を振り、承諾する。


「……まあ、そういうことなら、その甘さに甘えることにするぜ。しかし、『利用価値』、か。アスモデウスといい、敵を利用するのがとことん得意だな。お前は」


「ふふ、俺が『利用』しないのはエレンぐらいなものさ。それに俺の『利用』は愛情があるのさ。そう、悪いことではないと思うのだけどね。人は繋がりと言って常に他人を『利用』しているのだから」


 ウリエルのさらなる皮肉に桐人が世の皮肉を合わせる。

 互いが微笑し合う中、結界内の崩壊が始まる。


「お、こんな早く決着が着くとはね。僥倖、僥倖。では、また逢う日まで、ウリエル。限りなく人に近い意志を持ったアビスの住民よ」


「命を狙った奴にかける言葉かよ。調子狂うぜ。あと、最後らへん、お前『素』が出てたぞ。気を付けな」


 ウリエルはそう言って、霧散して消えていった。


「君も大概じゃないよ。ウリエル。さて、京馬君を慰めに行ってくるか」


 消滅しかけている結界内で、桐人は呟く。

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