色欲の大悪魔『アスモデウス』

 登校中、昨日の出来事のせいか、京馬はこの世界が全く違って見えていた。

 この世界には、悪魔や天使の化身を宿らせられた人間がいて、自分達の認識できないところで世界の命運を賭けて戦っていて──

 そして、二日前、自分はその中の一人となった。

 ホントは賢司とか仲間に見せてやりたい!

 美樹にもカッコいいとこ見せてやりたい!

 でも、力を使っている時は他の人に認識されない仕様なのだ。

 故に親しい人にも知らせることはできない。


「……ヒーローって、こんな感覚なのかな」


 ポツリと京馬は言う。


「おうおう、世界平和の次はヒーローかよ。葛野葉のヒーローになりたいって?」


 突然、にひひ、と下品な笑みで横から小突いてきた賢司が言う。


「おお、びっくりした! よう、賢司!」


 物思いに耽っていたため、またもや賢司の存在に気付かなかった。

 ……今の独り言を聞かれたのはまずかったな、と京馬は思う。


「最近お前おかしいぞ? 授業中でもなんか上の空で考えているし」


 賢司が、京馬の顔を見上げ、心配そうに尋ねる。

 それは……そうなるだろう。

 突然、魔法みたいなファンタジックな力を手に入れ、『世界が滅びます。あなたは、その鍵となる存在なんです』と、突き付けられた様なものだ。

 勿論、長年やってきたバスケの事とか、美樹の事とか、『日常』も大切に考えている。

 だが、それ以上にその『裏事情』の方が、何倍もウェイトが高い。

 同じ様な立場なら、今目の前にいる賢司も、否、多くの一般人も同じ気持ちになるだろう。


「なんでもね――、っ!?」


 京馬が弁解の言葉を発しようとした時、ジリッ、とまたラジオのノイズの様な音が響く。

 しかも、以前に美樹と出くわした時よりも圧倒的に強い。

 昨日のエレンとの戦闘実技試験での鍛錬が無かったら、それこそ気絶してしまうくらいに。

 頭を抑える京馬を首を傾げて見つめる賢司。


「ああ、別になんてことはないんだ。いつも通りだよ。美樹とどう接近しようかと──」


  心配そうな表情の賢司に京馬は苦笑し、言い訳を告げようと試みる。


「お、おい……」


 ……?

 だが、賢司は明後日の方向に首を回して、目を丸くして口をぽっかりと開ける。

 何、間抜けな面してんだ?

 と、京馬は昨日のエレンとの一戦の自分を棚に上げ、その視線の先を辿ると――


「私がどうしたって? 京馬くん?」


 振り向いた瞬間、京馬は賢司と同じ表情になる。

 否、もっと間抜け面かも知れない。

 それもそうだ。

 何て言ったって──そこには、話題に出そうとした美樹が立っていたんだから。


「や、やあ、いやぁ……最近、美樹が元気ないなって話をしてただけだよ!」


 突如として現れた意中の人に、京馬は動揺を必死に取り繕い、誤魔化す。

 だが、俺は何を言ってるんだ。

 と、京馬は思う。

 何故、赤の他人の俺が美樹の体調について友人と話しているんだ?

 それこそ、誤解され兼ねない――いや、本心で好いて好きまくっているわけだが。


「そう……? やっぱりそう見えるんだ。なんかお母さんにもそんな風に言われちゃって……」


 そう告げた美樹の言葉に、一寸、京馬は唖然とする。

 京馬にとって予想外な、取り繕いの問いに対する正当な答えが美樹から返ってきたからだ。

 しかし、よく見ると確かにあまり良い顔をしていないのがわかる。

 ふと、昨日の昼食時に感じたことが蘇る。

 美樹が実は陰では除けものにされたり、嫌がらせを受けているという噂──


「なにか良くないことでもあったの!? 俺で良ければ力になるよ!」


 その昨日の話題を思いだした京馬は、少しでも美樹の助けになろうと、自分でもちょっと引くぐらい、凄んで聞いてしまった。


(やべえ……こんながっついて、引かれるんじゃねえか?)


 と、京馬は思ったが、もう遅い。

 もう何でもこいだ。


「え!? い、いや……そんな良くないことなんかないよ? ごめん、自分でもなんか良く分からないんだ」


 予想通り、美樹は京馬の反応に少し驚いて答えた。

 だが、思った以上に引いてはいないようだ。

 否、少し、その頬を緩ませている?

 若干、口元も緩んでいる気がする。


「で、どういう用件なんだ? 京馬に話しかけようとしてたよな?」


 少し、ジッと美樹の様子を見てしまった京馬は、はっとしてまた取り繕うとした。

 しかし、それを遮る様に、賢司が言葉を挟む。

 特に表情の変化も無く、首を捻って告げる賢司に悪意は無いだろうなと、京馬は思った。

 だが……少し驚きだ。

 下手に自信があるイケメンならともかく、『あの』賢司が臆せずに美樹と言葉を交わすなんて、京馬は想像だにしていなかったからだ。


(しかし……マジか。美樹は、俺に話かけようとしていたのか。ちょいと上の空が過ぎたか)


 なんだろう? と美樹の顔を見やると、その頬は赤く染まり、緊張しているのか、口元が少し震えていた。


「今日の放課後、部活始まるまで時間ある?」


 緊張で噛みそうな声色で告げた美樹の言葉。

 え? 今……何て、言った?

 一瞬、その言葉が衝撃的過ぎて、京馬は理解出来なかった。

 しかし、告げた美樹は目線を伏せて、恥ずかしそうに顔を赤らめている。


(……なんだこれ? これは……もしや!? こ、告白!?)


 ドクドクと、京馬の心臓の鼓動が速くなる。

 体温が上がる。

 上気が沸々と沸いてくる。

 しばらく、時間が止まったかと思った。

 目の前の、学校一の美少女が、自分に告げた言葉――


「うん! うん! 全然時間あるよ!」


 まじまじと恥ずかしげな表情の美樹を見つめ、京馬は答える。

 ちょっと高すぎるテンションを必死に抑えながら、だが抑えられない筈はない。

 その興奮した表情は、最早、抑える事は不可能だ。


「じゃあ、放課後に図書館前に来てね! またね!」


 その京馬の表情に、ひゃっと動揺の表情を作り、美樹は早口で告げ、珍しく走りながら校舎に入って行く。


(……なんだこれは、人生はいつ、何が起きるかわからないというが。いきなりこんな大チャンスが来るとは)


 京馬の心臓の鼓動はずっと鳴り響いている。

 このまま、心臓発作で倒れてしまうのかと思うくらいに。


「おうおう、やったじゃねえか京馬。ちょっと顔殴らせろ!」


 茫然と顔を真っ赤にしながら立ち尽くす京馬を、ドンっと賢司が小突く。

 ドンっ、ドンっと小突きがマジになってきた賢司を制しながら、京馬の顔は終始ニヤニヤしっぱなしだった。




 一方、天橋高校の屋上では一人の美青年が望遠鏡を片手に、少し悲しそうな顔をしながら京馬を見つめていた。


「これは……辛いな」


 望遠鏡を遠ざけ、その美青年――桐人は呟く。

 そして、望遠鏡をしまうと同時、携帯電話が鳴り響く。


「……エレンか。ああ、そうだ。化身が入り込んだ対象を確定した。まだ、アスモデウスは片鱗を見せていないが、時期、正体を現すだろう。その時が行動の時だ」


 エレンからの着信を切り、桐人は携帯電話をしまう。


「すまない、京馬君……まさか、初陣がこんな悲しい戦いになるとはね。でも、それは君を確実に成長させる。──とても、とても大切な一戦なんだ。健闘を祈るよ」


 そう呟くと同時、桐人は風とともに消えていった。

 まるで、その後に悲哀が待ち受けている様に。




「でよ!? そこで、そいつが──」


 午前中の授業を終え、京馬はいつもの仲間達とともに昼食を摂っていた。

 京馬は昨日見たバラエティ番組の内容を上機嫌で話していた。

 京馬の顔はいつもとは比べ物にならないほど、活気に溢れていた。


「……おい、賢司。なんであんなに京馬は上機嫌なんだよ?」


 だが、対して、周囲は非常に冷めた表情をしていた。

 不気味な絵でも見たような顔をしながら、本橋尚吾は京馬の大親友の深山賢司にひそひそと聞く。


「それが、俺も信じられないことなんだが……」


 ごにょごにょと、賢司は今朝の学校への通学中での出来事を話す。

 その内容に、思わずギョッとして尚吾は驚愕する。


「──マジか!? ありえねえ……! でも、そういうのは大抵、実はどうでもいい用事だったりするというオチだったりするんだがねえ」


 尚吾がそう、賢司の耳元で告げる。


「いやあ……あれは完全にそんな、どうでもいい用事を頼むようには見えなかったぜ? 完全に恋する乙女な雰囲気だったよ、ありゃ……」


 賢司はうんうん、と思い出しながら羨ましそうに呟いた。


「ありえねえ! 俺は認めねえぞ!? ……確かに京馬は見た目悪くねえが、それ以外は軒並み普通、いや、色々差し引いてそれ以下レベルの男だぞ? そんな奴があの『難攻不落の鉄壁美人』なんかと!」


 憤慨しながら、告げる尚吾の声が段々と大きくなる。

 その声に気付いたのか、京馬は尚吾へと顔を向ける。


「ん? 何こそこそ、話してるんだよ、お前ら? 俺の悪口か?」


 京馬は意地悪そうににやりと二人を見つめ、問う。


「いやー。今日のお前、何か元気良いなと思ってよ」


 ケッ! と言いたい気持ちを抑えながら、尚吾は答えた。

 その表情に、頬を緩ませている京馬を見て、更に尚吾はイライラを募らせる。


「ふふふ、実は賢司は知っているが、今日、美樹が俺に放課後に待ち合わせの約束をしてきたんだよ! しかも、その時すごい顔真っ赤でさ!? 恥ずかしそうに目を伏せて言ってきたんだよ! これは、もしかして、もしかしてかもな!?」


 ウザい位のテンションで京馬は今朝の出来事を話す。

 その京馬に『キシャっー!』と猿の威嚇の様に叫ぶ尚吾を見て、賢司が爆笑する。


「そんな、京馬くんにさらに朗報ですよー」


 対して、クールに――悪く言えば、つまんなそうな表情で見ていた清水将太は、京馬へと口を開く。


「実は昨日、菊池先輩が美樹に告白したんだが、断られたらしいぜ。周りの女子も『ありえない!』みたいな話をしていたな」


 『一体、お前は何のマジックをした?』と言わんばかりの、納得のいかない表情で将太は言う。


「マジかよ!? あの菊池先輩が惨敗しただと!? さすが、『難攻不落の鉄壁美人』」


 そう、佐藤慎二が驚愕して感想を漏らす。

 にしても、彼はさして興味が無いのか、他の三人と比べたら反応が薄いが。


「しかも、断った理由が『昔から好きな人がいるから』、らしい」


 将太はさらにその朗報を付け足す。

 ち、と舌打ちを交えて悔しそうに告げる将太。

 それもそうであろう。

 この取り巻きの中でも、『俺、一番もてるぜ?』という内心が見えまくっていたあの将太だ。

 事実、この中でも女子人気は圧倒的に高い。

 だが、そんな自分を差し置いて、『あの』京馬が、『難攻不落の鉄壁美人』を射抜いたとなれば、それこそ面目が無い。


「京馬……お前が、ナンバーワンだ……!」


 若干、空気が重くなってきたな、と悟った賢司が、某サイヤ人のセリフを丸パクリして告げる。


「何だよ……! 幼馴染って、そんな重要なファクターだったのかよ!? クソッ!俺にも美人で可愛い幼馴染が欲しいっ!」


 キー、と猿の様に発狂しながら、目的と手段がごっちゃになったようなセリフを尚吾は言う。

 『お前は猿かっ!』と、まんまの心情を叫んだ賢司は、小テストの回答を丸めて、尚吾の頭を叩く。ハリセンツッコミの如く。


 そんな、友人達の反応を見て、何故だか申し訳なく思い、しかし、京馬は余計に今日の放課後に期待を膨らませた。


(これは、もう、確定じゃないのか……? だめだ、緊張と興奮で心臓がドクドク言ってる……早く、放課後になってくれ!)


 いつもは、ネタに回る係なのに、今はそんな頭が回らない。

 そんな京馬の高揚と緊張を察したのか、皆は目を合わせ、苦笑する。


「もう、お前の気持ちを言っちまえよ。ここまできたら、ほぼ確定だろう。むしろ言わないと失礼かもなあ? そして、全男子生徒に妬まれる存在になれよ! この超絶ラッキーボーイめ!!」


 バシッ! と京馬の肩を叩きながら、他三人の言葉を代弁して賢司が言う。

 うんうんと頷く他三人……否、尚吾だけは猿の様に未だに威嚇しているが。


「は、はは……そうだな。うん、そうだ、よな? ありがとな、皆」


 京馬は将太からの朗報による緊張と興奮で、さっきまでのウザい位のテンションが下がり、逆におとなしくなってしまった。

 そんな京馬の肩に手を回し、『応援してんぜ?』と、賢司は呟く。

 ……本当に、何て良い友達だろう、と京馬は頷く。



 授業が終わり、京馬にとって待ちに待ちわびた放課後が訪れる。

 待ち合わせの図書館前までいくための廊下を歩いている最中だった。

 いよいよ、坂口京馬、16歳、人生の最大にして最高(予定)となる時間が迫ってきた。

 息をすー、はー、と大きく吐く京馬の状態は、さぞ滑稽に見えるだろう。

 だが、彼自身は真剣そのものの表情で、待ち合わせ場所まで向かう。

 一歩、一歩の時間が遅く感じる中、近くのトイレで女子の話し声──否、誰かを蔑む叫びともとれる複数の声が聞こえた。


(誰だ? ここは図書館へ行くための旧校舎付近の廊下で、あまり使われないトイレのはず。それこそ、根暗な文化部以外では使う事はないところだ。声からして、あいつらの声ではないのがわかる。これは──)


 いけないとわかっていても、京馬は気付かれぬよう、こっそりと隣の男子トイレに入り、便所の壁に聞く耳を立てる。

 この天橋高校の壁は、古い時代に建造されたのか、こういう風に壁に耳を当てると隣の声が聞こえるのだ。

 これは尚吾がトイレや更衣室での女子トークを聞くために発見したものだ。

 まさか、あの談笑で得た知識がこんな時に役立つとは……世の中、何が、どういう風に役に立つのかわからないものだ。


「お前、いい加減にしろよ。なに、『私は清純です!どんなに素晴らしい人が来ても、あの昔好きになった人が忘れないの!』的な一途な乙女演じてるわけ? そんなに男振り回して、弄ぶのが楽しいのかよ」


 京馬が耳を傾けると、とても女子とは思えない口調が聞こえてきた。……というか、今の声は、もしかして同じクラスの白井!?


「案外、こいつ援交とかで親父かまけてたり、大学生のイケメンとヤリまくってるのかもよ?ほら、こいつ結構胸あるじゃん?胸って揉まれると大きくなるって言うし」


 さらにもう一人の女子が男子生徒の夢をぶち壊すようなことを平然と言う。

 この声も聞いたことがある……これは同じクラスの峰岸だ。


「折角、こいつと表面上仲良くしてやってるのに、何も良いことないよね。私なんて、好きだった高井くんが目の前でこいつを告白してきて……あの時のショックは忘れられないわ」


 どうやら、もう一人いたようだ。

 これは……別のクラスだが、うちのクラスでも割と人気だった大崎だ。

 そういえば、よく白井と話しているのは見たことがある。

 というかこの面子は全体的に男子に人気がある面子だと気付く。

 それこそ、美樹がいなければ人気で各クラスのトップに立てたであろう女子たちだ。

 白井はその可愛らしい顔と立ち振る舞いで、峰岸はその明るさと話しやすさ、大崎はその美人オーラで。

 しかし、隣のトイレ聴こえてくる彼女たちの声は、そんな自分が見てきたイメージとは大分かけ離れていた。


「おまけに昨日はあの菊池先輩から告白されて、しかも振る始末……おい、なんか言ったらどうなんだよ!このタラシ女!」


 白井が微妙な大きさの声で叫ぶ。

 このトーンなら、トイレに入るぐらいの近さではないと内容は聞き取れないかも知れない。

 その狡猾さに京馬は恐怖を覚える。


「前から言ってるでしょ……私は……そんな男子を振り回して弄ぶなんてことは考えていないし、ましてや援交なんてのもしたことないし、一度も付き合ったこともないし……」


 若干、怯えた声で、自分のあらぬ誤解を解こうと訴えるこの、声色――


(この、声は……! 美樹っ……!?)


 クラスでもトップを争う人気女子達に罵倒されていた少女の声に、京馬は驚愕する。

 間違える訳が無い。

 幼い頃から知っているその少女の声。

 それは、今でも変わらない綺麗な、そして艶やかな声色。


「その割には、男子によく甘えたような声で頼みごとするよね? あれは何なの? あの声を聞くだけでムカムカするんだわ。こっちは必死に男子にも女子にも分け隔てなく接するように頑張ってんのに」


 峰岸は自分の努力を美樹の行動が否定していると言わんばかりの口調で言ってくる。


「あれは、前が女子校だったから、男子に慣れてなくて緊張しちゃって……別に私、甘えて言ってるわけじゃあ──」

「はあっ!? 前が女子校だったから、男子の前だと緊張しちゃうって? ないない。アンタ、マジで男ウケするようにキャラ作りすぎ。きめえ!」


 美樹の弁解の言葉に、峰岸は激しく罵倒する。

 その棘を捩り込む様な声色は、壁伝いの京馬の耳から入り、凄い剣幕でまくし立てているのが容易に想像出来る。


「それと告白した男子にまだチャンスあるような思わせぶりな感じで断るの止めてくれない? いい加減、高井くんに興味ないなら、バッサリ言ってよ。彼、まだ諦めてないんだから、アンタのこと」


 若干低い声で、一見は平静そうな大崎の声。

 だが、僅かに震えるその声色は、今にもヒステリーで切れそうな危うい声色だ。


「あれは、はっきり言うと悪いかなと思っちゃって……でも、そういうことなら今後ははっきり断るようにするよ」


 美樹は大崎の迫力に気をされながら、申し訳なさそうに承諾する。


(なんなんだ……! これはっ……!)


 愕然とし、京馬は、まるでパンドラの箱を開けてしまったような絶望を味わった。

 自分の知らないところで美樹がこんなことになっているとは露知らず、自分の想いを伝えたいという事ばかりに考えがいってしまっていた。

 情けない。

 下らない。

 自分が許せない。

 『最愛の人』が、そんな状況になっているのに。

 『あんな』美樹の噂があった時点で、動き出せば良かったのだ。

 あの――子供の頃のように。


 ふと、今朝の会話を思い出す。

 京馬が美樹が元気なさそうだと賢司と話していたと伝えた時、


「そう……? やっぱりそう見えるんだ。なんかお母さんにもそんな風に言われちゃって……」


 そんな風に答えた時の美樹の疲れたような顔。

 あれは、こんな風に他の女子から悪態をつかれていたからだったのだろうか。


「しかし、本当にコイツといるとロクなことないよね。言い寄る男子も並み以下だし。あの深山ってやつにアド交換しようって言われた時、どう断ろうかめっちゃ悩んだわ」


 と、白井が賢司の話題をした。

 途端、


「あはははっ! そっか、あいつ、アンタに最初アド聞いたんだっけ? 私はちゃんと応じたよ。男子は誰でもわけ隔てなくってスタンスだし。まあ、友達としてキープするだけのつもりだけど。しかし、総合点が並み以下のクセによくこんなに積極的に動けるもんだね」


 爆笑しながら、峰岸は賢司の悪口を言う。

 ギリッ、と京馬は拳を強く握る。

 それは、更に京馬を激昂させるに充分の言葉であった。

 美樹も友人も激しく罵倒する。

 『こいつら』は、許さないっ……!

 そう、拳を震えさせる京馬は、今にも飛び出しそうであった。


「ところで、今までは教えてくれなかった、昨日言ったその『昔好きになった人』ってのはどいつなんだよ。というか、そんな奴本当にいるのかよ?」


 そんな京馬の状態を尻目に、白井は美樹に問う。

 その問いに、美樹は若干言うのを躊躇いながら、


「……いるよ」


 そう、答えた。

 その言葉に、京馬は激昂を勝る興味に駆られる。

 もし――もし、自分で無かったら?

 こんな激昂を感じずに済むか?

 美樹が、他の人を恋するのならば、自分はどう想う?

 瞬間、京馬に冷や汗が伝う。

 その後は――想像したくない。


(ああ……それでも、俺は)


 だが、してしまった。

 しかし……それでも、京馬は美樹を想っていたのだ。

 その、幸せを願う、一人の惨めで哀れな男として、虚しくこの高校三年間を過ごしたであろう自分を想像して。


「誰なの?」


 静かに圧力をかけ、大崎が尋ねる。

 冷や汗と心臓の鼓動が多くなる。

 その問いに対する回答を、京馬はより耳を傾けて聞こうとする。


「……坂口、京馬くん」


 絞り出すように美樹は答えた。

 全身から、込み上げてくる歓喜の感情は、思わず京馬にガッツポーズをさせる。


(やった! やっぱり、そうだったんだ! 美樹は、俺を……!)


 そんな京馬を尻目に、周りは一瞬静まり返り──そして笑いが起こる。


「あははは! あいつかよ。確かにルックスは悪くないしバスケ部所属は良いかも知れないけどね。なんであんなパッとしない奴を選んだのかね──」


 笑いながら白井は言う。

 しばらくの喜々とした声色を止め、真剣な声で美樹に尋ねる。


「で、本当にそいつなのかよ。嘘は言ってないよな?」

「うん。京ちゃんへの想いは今でも変わらない」


 そう、美樹は真剣な声で答える。

 その一言のあまりの嬉しさに、京馬はそっと頬を緩ませる。

 絶対、この人だけは全身全霊を持って、幸せにしてやろう。

 そう、心に誓い、また耳を傾けてゆく。


「じゃあ、私達でバックアップしてやろうぜ。『美樹と京ちゃんはラブラブよ~!』ってのを学年全体に広めるんだよ。それで他の男子はコイツを諦めるはずさ」


 白井は、意地悪い笑い声で告げる。


「そういうことだから、もうお前は一切、他の男とは話すなよ?ちなみにいつも通り、『おつかい』は続けてもらうからな」


 その白井の言葉に続き、峰岸が言う。

 ……『おつかい』?

 妙な単語に、京馬の内に疑問と同時に嫌な予感がよぎる。


「ただでさえ、お前といるとロクなことがないのに加えて、つまんないんだよ、お前。おまけにちょっとズれてるし。友達料として『おつかい』は絶対だからな」


 威圧的な物言いで峰岸が言う。


「私、今度はあの映画のDVDがいいなあ。ほら、最近アカデミー賞取った映画でさ、明日あたり買ってきてよ」


 そして、大崎も楽しみそうに言う。


(こ、い、つ、らっ……!)


 気付いたら、京馬は青白い閃光とともに多数の白い粒子を拡散を拡散していた。

 同時に魔法陣を展開する。

 京馬の頭は一つの感情によって真っ白となっていた。

 不思議と漲る京馬の『力』は、まるで今の京馬の『想い』に相応しい荒々しさがある。

 そして、京馬の手は眩い光でより強く輝いていたが、湧き上がるこの感情によって全く気付かなかった。


(このまま、こいつらを殺してしまえば──)


 京馬の頭にそんな人として禁句な発想が突発的に浮かぶ。


(この力を使えば、こいつらを他の人が認識せずに殺すことが出来る。『人のルール』では合法的に殺すことが出来るんだ……!)


 だが、京馬は同時に理解していた。


(くそっ! わかっている。所詮こいつらを殺したところで現状は全く変わらないんだ……! どうせ、また別の女子が同じようにする。クラスの女子の中心人物がこのような扱いをするんだ。もう、クラス全員の美樹への見方は『そんな状態』になっている可能性が十分過ぎるほどあり得る)


 京馬は歯をギシリと噛み締め、


「それに、この力を人殺しになんか使いたくない!」


 そう呟くと、京馬は魔法陣の展開を止め、白い光の粒子も消えていた。

 もどかしい想いが京馬に渦巻き、悔しそうに、京馬は頭を壁に打ち付ける。


「とりあえず、今日はこんなもんでいいだろう。まあ、私達もお前の恋は応援してやるって言っているんだ。『おつかい』、頼んだよ。お互い約束は守ろうな」


 白井は満足気に言う。


「──でも、私、そろそろおこづかいのお金が……」


 だが、美樹は困惑してお金がないことを訴える。

 すると、クスクスと周囲から笑いが零れる。


「じゃあ、バイトでもすれば? ああ、でもすぐあの映画のDVD欲しいからなあ……本当に援交してお金稼げば?」


 冗談交じりに、大崎が言う。

 更に、小馬鹿にする笑い声は大きくなってゆく。


「それか、坂口に金づるになってもらうとかね? 『大好きな美樹のためにお金を貸して!』みたいな? 多分あいつなら応じてくれると思うよ。騙されそうなタイプに見えるし。ははは!」


 そう、大きな笑い声で峰岸が言うと、他の二人も遂に盛大な笑い声を響かせる。

 だが、美樹は黙ったままだ。

 悲しくて、泣いているのだろうか。

 悔しくて、歯を噛み締めているのだろうか。

 それとも、ぎこちない笑みを覗かせているのだろうか。

 どちらにしても……許せない。

 殺しはしない。だが、このまま黙って見る事は、今の京馬には出来なかった。

 意を決し、白井達が出るのを見計らい、『力』で見せしめようとした時であった。


「ぐあっ!?」


 ジリッ!ジジジジジジジッ!


 また、ラジオのノイズみたいな音が聞こえ、京馬は激しい頭痛を起こす。

 それは今までで一番激しい音であった。

 まるで、憤怒しているかの様な荒々しいノイズの後、微かに声が響く。


「……せない」

「ん? なによ?」


 美樹が何かを呟いたが、白井は聞き取れなかった。

 眉尻を下げ、『何よ? 口答え?』と、問い掛けようとした瞬間、

 


「許せない! 許せない! 許せない! 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎いっ! アンタ達なんかっ!」

 


 美樹は叫ぶ。

 射殺す様な眼光で、白井達の喉元を喰い千切ろうとする獣の様に。

 その美樹の『殺意』に、一同はその身体を硬直させる。

 まるで、捕食される寸前の、怯える小動物の様な怯えの表情で、美樹を見つめる。


 そして、『それ』は一瞬であった。

 辺りの空間は、おどろおどろしく、融ける様に、瞬く間にその姿を変貌してゆく。


「な、なによ!? これっ!?」


 信じがたい現象に白井は驚愕する。

 乳白色のタイルで敷かれた地面、昔に建てられた建造物のためか塗装されていないコンクリートの壁面。

 そんな女子トイレの内装が、紫と赤に彩られたグロテスクな内装に様変わりする。

 さらに、その壁面、地面には貼り付けられているように無数の赤の贓物のようなものや、紫の骸骨のようなものがあった。


「な、なんだこれは!?」


 それは、京馬のいる男子トイレも例外では無かった。

 恐ろしい容貌に姿を変える空間に、京馬は戦慄する。

 しかし、直感で京馬は理解する。

 この現象が自分が最近会得した力と同種の力という事が――

 だから、京馬は瞬間、駆ける。

 羞恥なんていう感覚は、全く無かった。

 美樹を守るために、隣の女子トイレへと。


「美樹!」


 大声で、自身の想い人の名を叫ぶ。

 だが、京馬はそこで信じがたい光景を目の当たりにした。

 美樹の右腕の先から無数の赤い触手のようなものが展開していたのである。

 そして、その触手は先ほどまで美樹を激しく罵倒し、糾弾し、脅していた少女三人の体を締め付けていた。

 紫色に変化した瞳をにやけさせて美樹は三人の少女を見つめている。


「う……あ、う、」

「ふふふ、苦しいでしょう? でもあなた達はもっと苦しい思いを美樹にさせたのよ? でも、おかげで美樹の精神は敗北し、私は覚醒した。そして、この美しい少女の精神を乗っ取ることが出来た。ふふふ……はははははっ! 礼をいうよ」


 苦しむ白井に対して、美樹は──否、美樹であったものは愉快そうに告げる。


「さて、本当は、俺は、私は、貴様達にはっ! ……もっと感謝したいところなんだけど。ふ、はは! 我がパートナーの念願は成就しないとな。さあ、目一杯苦しんでくれ!」


 美樹は左手から、『邪悪』と形容するに相応しい黒色の炎を発現し、正面の苦しむ三人の少女へと向ける。


「美樹! 止めろ! その力はそんな人を殺すための力ではない!」


 あまりの信じがたい光景に茫然としていた京馬は我に返り、美樹へと叫ぶ。


「あら、京ちゃん。ここは女子トイレよ? 勝手に入っちゃだ~め。く、ふふ……そういえば、そもそもは貴様がこの器を成熟させる発端だったな。どう、京ちゃん? 私と愛を深めない? とっても気持ちいいと思うよ」


 口調も、言っていることも安定していない『気が狂った』様な美樹に、非常に違和感を覚えつつも、京馬は訴える。


「その力は世界を守るために存在するんだ! そんな、人を傷つける力ではないんだ!

 ……実はさっきの会話、全部聞いてたんだ。ごめん! 確かに、そいつらは嫌な奴らだった。俺もそいつらは女だけど、一発ぶん殴ってやりたかったよ! でも、そんな奴らを殺しても無駄に罪を被るだけだ! それなら、その力を平和に向けて使わないか!? 俺の加入している組織、アダムはそんな力の使い方を知っている! もしかすると、こいつらとの一件もそのアダムの組織の力で解決できるかも知れないし!」


 京馬は、既に『理解』していた。

 今、美樹から漂う、このおぞましく、『不可思議』な現象を。

 それは、不思議と自分の底にある『異能』と似た感覚――『アビスの力』。

 何故、美樹がその力を扱えるようになったかは分からない。

 だが、それはまごうこと無き、『異能』である事は確かだ。


「お前はアダムに入っていたのか? 伝わる力からして新米のようだが。アダム……か、残念だが私はあの組織は好かないのでね。ミカエルを打倒するという目的は同じだが、馴れ合うつもりはないよ。それに……私は七つの大罪の一つ、色欲のアスモデウス。人を弄び、色欲の限りを尽くしたい」


 しかし京馬の説得の声に、美樹はため息をついて、まるで別人の様な口調で告げる。

 そして、京馬という存在を意に返さず、その淀んだ視線を触手に巻き付けられた三人の少女へと向ける。


「ああああああああああっ! 熱いっ! 痛いぃぃぃぃぃぃぃっ!」 


 無言で、蔑んだ表情で、美樹は容赦なく、白井達に黒炎を浴びせる。

 恐怖と激痛で叫び出す少女達を、『美樹であったもの』は、愉快そうに眺める。


「……くそっ! なんでだ!? 一体、何が起きたんだ!? 美樹、正気を取り戻してくれっ!」


 京馬は困惑しながら、必死に美樹へ叫ぶ。

 何故、こんな事に……?

 悲しみにも勝る、この『異常』への混乱は、京馬を只只、狼狽させる。


「一歩、遅かったか……なかなかのものだね。君の捕縛結界は。入り込むのに相当時間がかかったよ。アスモデウス」


 途端、風が京馬と美樹の間に吹き荒れ、渦巻く。

 その発生源である中央、長大な剣槍を携えた男が姿を現す。

 そして、少女達を包む黒炎を風とともに消し去り、剣槍を一振りしたかと思うと、少女達を締め上げていた触手をスパッと切っていた。

 切られた触手はバタバタと足掻いた後、砂のように霧散してゆく。


「あら、よく言うわね。並みのインカネーターなら、この結界内に入り込むのにあと二~三十分はかかるのに」


 ふふっ、と笑いながら『美樹であったもの』は言う。

 突然の来訪者にも、まるで驚愕せず、舌で自身の唇を静かに舐める。


「桐人さん!?」


 ようやっと、京馬はその後ろ姿を思い出し、叫ぶ。

 突然、姿を現した意外な人物に、京馬は驚愕する。


「いい加減、その少女の口調は止めにしないか? 貴様がその少女の精神を浸食しているのはわかっているんだ。馬鹿にされてるようで虫唾が走る」


 美樹を睨み、気に喰わなさそうに桐人は告げる。


「そんなに睨みつけるなよ、怖い怖い。……どうやらそう簡単に見逃してはくれなさそうだな」


 不敵に美樹が笑みを浮かべると、突如、空間が悲鳴を上げる。

 突如として、グロテスクな肉壁の四方から無数の触手が発生し、桐人と京馬に襲いかかる。


「芸がないね」


 だがそう言って、桐人は難なく数十はあった触手を一瞬で切り捨てる。


「では、これならどうだ?」


 しかし、美樹は臆せず、両手から黒炎を発生させて前方を黒炎で埋め尽くし、桐人に放つ。


「これは!? ……っち!」


 美樹が放った黒炎に対し、桐人は顔を引き締まらせる。

 歯を噛み締めながら、桐人は展開した魔法陣から発生した風魔法で対抗する。

 それらは、美樹の黒炎を吹き飛ばし、桐人は剣槍を美樹へと構える。


「その黒炎は精神に作用する力だ。触れるだけで精神を削がれ、廃人と化してしまう。その剣槍で防がなくて正解だ。一瞬で見極めるとは、流石だね。ふふ、さっき少女達に放ったのはいたぶるように弱めに放ったものでね。どうだ?なかなかの威力だろう?」


 桐人の追撃である剣槍の振り払いを、新たに発現させた触手で制しながら、美樹の身体はずぶずぶと肉壁へとめり込んでゆく。


「私はできる限り、自分の欲に忠実に生き、楽しみたいのでね。ここでやられるわけにはいかないのだよ。では、さらばだ」


 徐々に肉壁へとめり込ませた身体は、完全に埋め尽くされ、そしておぞましい空間はすうっと元の京馬達の世界へと戻ってゆく。




「……ふう。すまない、京馬くん。もっと早く駆けつけるはずだったんだが──少し邪魔が入ってしまってね」


 まるで、何も無かったかのように、陽が差し、沈黙としたトイレの中。

 申し訳なさそうに桐人が京馬に謝罪する。


「いえ、あそこで桐人さんが来なかったら、美樹が人を殺してしまったかも知れない。あの空間に来てくれただけでもありがたいですよ」


 まるで悪夢を見ていたかの様な光景であった。

 最愛の人が、突如、化物へと変貌し、同級生である白井達を殺そうとした――

 普通ならば、それだけで気が触れてしまうそうな展開。

 だが、幸いな事に、京馬は、それが『ありうる現象』と片付けるだけの経験を先日までに体験している。

 事態をある程度呑み込み、京馬は桐人の謝罪に感謝を含めて告げる。


「それで一体、美樹に何が起きたんですか? まるで、何かに取り憑かれたような──」


 だが、結局の根本の原因はさっぱりだ。

 何故、どのように、美樹は自分と同じ力を手に入れ、あんな化物へと変化してしまったのか。

 京馬は桐人にさきほどの美樹の変化について尋ねた。


「取り憑かれた……まあ、ある意味正解だね。美樹ちゃんは七つの大罪の一つ、色欲を司る大悪魔、アスモデウスの化身が宿り、そして精神を完全にアスモデウスに乗っ取られてしまったんだ」


 桐人は冷静に、衝撃的な事実を口にした。

 七つの大罪――京馬も聞いた事がある。それは、色々な小説や漫画の様な創作物で出てくる言葉だ。

 その中でも、『色欲』を司る『大』悪魔。

 如何にもな、脅威な存在……それが、美樹に宿り、そしてその精神を『支配』された?

 

「君もエレンから聞いたと思うが、インカネーターになるには化身が宿った状態で、自分と化身の意識の奪い取りあいに勝利しなければならない。そして、互いを理解し、初めてインカネーターになることが出来る。しかし、その意識の奪い取りあいに敗北すると─化身に精神も体も乗っ取られ、最終的にはその化身そのものとなる。今の美樹ちゃんは、アスモデウスに精神と体を乗っ取られている状態だ。そして、時期に完璧にアスモデウスと同化し、アスモデウスの化身そのものとなってしまう」


「そんな……嘘だろ!?」


 桐人は更なる衝撃を与える言葉を放つ。

 美樹が……そんな、化物へと完全に変化してしまう。

 突然、そんな事を聞かされても、信じられない。信じたくは無い。

 だが――皮肉にも、今、自分に宿る力はその『証明』となっていた。


「美樹を……美樹を助けることはできないんですか!?」


 歯を噛み締め、京馬は叫ぶ。 

 まるで、『救世主メシア』へと懇願する様に、請う様な眼差しで、京馬は桐人を見つめる。

 自分の最愛の人を、こんな形で失いたくない。

 そんな京馬の強い気持ちが言葉に発せずともわかるぐらい、その声に感情が籠っていた。


「一応、不可能というわけではない。似たような状態からインカネーターになった子がうちにはいるからね。でも、はっきり言おう。今の状態から自我を取り戻すのは、とても確率が低く、難しい」


 桐人の言葉に、京馬は僅かばかりの安堵をする。

 『とても確率が低く、難しい』、だが、『不可能というわけではない』。

 京馬の瞳は、瞬時に希望を灯らせる。


「それでも、俺は美樹を助けたい! どんなに僅かな可能性でも、自分の大切な人を助けたいんだ! 桐人さん。その方法を教えてください!」


 希望を灯らせた京馬の心の叫びに、桐人は頷く。


「わかった。では、まずは足元に倒れているこの子達を病院に連れて行こう。──恐らく、怪我はないが、精神をひどくやられている。精神病院行きは確定だろうな」


 京馬をなだめ、桐人は視線を地面へと落とす。

 京馬が、その視線の先を確認すると、『熱い……痛い……怖い』とうわ言を繰り返して気絶している三人の女子高校生がいた。

 正直、今の京馬の心情的には、そのまま寝ていてもらっても構わなかったが、そうもいかない事は、『人の倫理』として理解していた。

 桐人へと視線を戻し、頷く京馬を確認した後、桐人は携帯電話を取り出し、119番を押す。



 夕方、学校に救急車が現れ、三人の少女が運ばれていった。

 部活をしていた学生達は何事かとその光景を見ていた。

 教員も救急車に駆けつけ、何があったのかと尋ねている。

 平穏な放課後の学校は、今日に限っては賑わっていた。

 口に手を当て、本気で心配するもの。

 野次馬に、興味本位で覗き込むもの。

 騒ぎの中、京馬と桐人はその光景を体育館前の外廊下から見つめていた。


「こんなに騒ぎになって……大丈夫なんですか?」


 京馬はこの事態に不安になり、桐人に尋ねた。

 アダムは世間には全く存在が明かされていない。

 いわゆる秘密組織だ。

 自分もインカネーターとならなければ、存在を知ることができなかった。

 不自然に意識を失った少女達、そしてその場にいた謎の部外者の青年。

 下手したら、桐人が疑いをかけられ、しまいにはアダムという組織が世間に白日のもと、曝け出されてしまうのではないかと京馬は不安に思ったのだ。


「まあ、大丈夫だ。君に前に言ったと思うが、この世界は僕達の使う力を否定するように作られている。つまり、今回の事態の原因が勝手に別のものへとすり替えられてしまうのさ」


 桐人は何も不安に思うことなく告げる。

 そんな話をしていると、救急隊員にお辞儀をしてから教員達が走ってきてこちらに近づいてきた。

 教員達の眼差しは真剣な目で桐人を見ていた。

 ──これは、まずいんじゃないか?

 京馬はそう思って、冷や汗が頬から首へ伝う。


「はぁ、はぁ、ありがとうございます。あなたが彼女達を救ってくれたんですね!?」


 息を切らしながら、教員の一人が言う。


「聞けば、あなたが『有毒ガス』で呼吸できなくて気絶した彼女達を救ってくれたとか。もし、あなたがいなければ彼女達は死んでいた。なんと、お礼を言ったらいいか──」


 教員の言葉に京馬は疑問しか浮かばなかった。

 何故なら、そんな事実は当然ないし、桐人もただ、トイレ近くで三人の少女が倒れていると告げただけだったのだから。

 なにより、学校の部外者がこんなところにいて不思議に思わないのだろうか。


「いえいえ、僕のおかげで彼女達を救えただけでも良かったですよ」


 と、さらっと桐人は答えた。

 全く、この異質を異質と思っていない様子で、淡々としている表情であった。

 その光景は、本当に奇妙だった。

 まるで、先程まで自分が見ていた事が幻なのかと思うくらい。


「では、こちらも用事があるので、これで─彼女達の親には何もお礼はしなくて良いと伝えておいて下さい。おいで、京馬君」

「え……? あ、はい!」


 そう言うと、桐人は神妙な顔の京馬を連れて歩きだした。

 何度も振り変える京馬に、『気にするな』と言葉を掛け、桐人はその場を去ってゆく。


「あ……」


 ささっとした桐人の切り返しの早さで、何かを言いかけた教員達は結局何も言えず、茫然としていた。



 しばらく歩いた後、京馬はパーキングエリアに止めてあった桐人の車に乗せてもらっていた。


「これでわかっただろう? 大丈夫だって」


 そう、桐人が車のキーを差しながら言う。


「はい……しかし、不思議ですね。冷静に考えればあり得ないことなのに……しかも、もし有毒ガスだったなら、事件ですよ? なのに誰も警察に通報しようとしないし」


 京馬は周囲のありえない反応に若干、不気味さを感じながら答えた。

 だが、桐人はいつもの事の如く、淡々とキーを回し、車のエンジンを吹かせる。


「しかも、明日になったら、『毒ガス』も『三人の少女達が気を失った』という事実も話題になることはないだろうな」


 駐車券を入れ、ウィンカーを切り、桐人は道路へと車を走らせる。

 さも当然のように告げる桐人に、全く動揺の色は見られない。


「これが、僕達の力への世界の拒絶なのさ。そして、その事実に気付いているのも僕達、インカネーターだけ。実に都合が良いだろう?犯罪し放題だね」


 口元を緩ませながら、桐人は告げる。

 釈然としなさそうな助手席の京馬をちらりと見つめ、


「でも実際は、そういうわけにはいかない。何故なら、力を好き放題使うものは『アビスの住民』や、ミカエルの擁する天使勢、さらに僕らアダムなどの組織に目を付けられるからさ」


 桐人は真っ直ぐ視線を戻し、告げる。


「力を使うだけで、相手に場所を知られてしまう。どこの組織にも属していないものがそんな行為をしたら、探して下さいと言っているようなものだよ。そして、見つかったものは二択を選択しなければならない。組織に入るか、殺されるか、だ。当然、悪魔の化身を宿したものが天使勢に見つかったら問答無用で殺されるけどね」

「じゃあ、俺はガブリエルの力を得た時点で、既にミカエルの天使達に目を付けられているんじゃ──」


 京馬は桐人の説明で不安になり、聞く。

 実際、京馬は力が覚醒した時、アダムの防護が何も無い自宅で力を使ったのだ。

 その時は少なくとも敵襲に見舞われる事は無いが、先程の話からすれば、遅かれ早かれ、『天使』に自分が狙われるのではないか、と。


「ああ、そうだとも。今、この瞬間だって天使どもは君を狙っているだろうね。でも、僕達がそれをさせない。ああ、そういえばうちの組織に来た時、剛毅が君に案内をしている途中、勝手に帰らなかったかい? 実はあの時、君を追った天使を察知して、迎撃に向かっていったんだ。まあ、察知したのは僕で、あいつは援護をしに来たって感じなんだけどね」


「ということは、俺は今も常にアダムに監視され、守られ続けていると……」


「前にも言ったが、君は今回の世界の命運をかけた大作戦のキーパーソンなんだ。本当だったら、常にアダムの幹部を五人ほど張りつけたいほどだ」


 京馬の言葉に、ふう、と桐人はため息をつく。

 そこで、京馬は桐人の『予知夢』での行動に理解する。

 それは、例えれば、『雛鳥を守る親鳥』の行動みたいなものであった。

 数々の脅威を防ぐには、『巣』に『雛鳥』を囲うのが一番だ。

 ――自分を『雛鳥』と例えるには、少し気が引けるが、あのエレンの脅威的な力と、それと同等かも知れない相手達を想像すると仕方が無いとも思える。


「でも、俺は君の自由を優先にすることにした。仲間の反対を押し切ってね。それに今、君は規格外にどうしようもなく弱いけど──期待しているんだ。いつか、君が僕達の組織、いや、世界を導いてくれる存在になることを……」


 京馬は助手席から桐人の横顔を見る。

 その桐人の顔はいつになく真剣の面持ちで、言葉にはずしりとした重みがあった。


「アダムでは、ガブリエルの力は『世界を変える』力を秘めていると言われている。鍛練され、非常に強力な『意志』を持ったガブリエルの化身を宿したものが神の住まう世界に近いところで願えば、その願いは叶えられるという」


 京馬は予知夢で桐人が同じようなことを言っていたのを思い出す。

 桐人は、そんな京馬の『可能性』に期待していると……そう、解釈しても良いのだろうか。

 何にせよ、自分を決して天使をおびき寄せる『道具』として見ていないと思える桐人の発言に、安堵を覚える。


「君が見た予知夢、あれはもしかしたら、本当の意味での『神のお導き』なのかも知れないと思うんだよ。この現状を含めてね。君は強大な存在に守護されているのかも知れない。それが愛されているのか、利用されているのか、わからないけどね」

「『神のお導き』、ですか……」

「そう、ミカエルなんかじゃなくて、君にね。まあ、時期がくれば色々とわかるさ」


 そう言った桐人は、いつもの何でも自分の理解の範疇にあるような、余裕のある顔を浮かべていなかった。

 しかし、桐人はまだ自分にもわからない未知に怯える顔を取り繕いながら、笑いながら言う。

 桐人のそんな表情を、京馬は初めて見た。

 いつも完璧そうに見えた一寸の、桐人の人間らしい『迷い』が感じられた表情は、いつもとは異なり、『およそ人間らしい』。


「要するに、君はまだまだ死ぬなんてことはないはずだ。そこは安心していいかもね。つまり、僕はそこを見越して君をどんどん前線に出して成長させようと思っているんだ。君だって、自分の身は自分で守りたいと思っているだろう?」

「はい! 可能だったら、ミカエルを自分の手で倒せるぐらいまで成長したいです! ……でも試験で見せたエレンさんの力を見た時、正直、到底辿りつけないだろうなと思いました」


 自分を成長させ、戦闘に立つと認めてくれた桐人の言葉に、京馬は思わず頬を緩ませる。

 だが、そこにきて、一抹の不安が京馬を襲う。

 戦闘実技試験で見せた、エレンとの圧倒的な力の差。

 それは、どう足掻いても一朝一夕で近付く事すら出来ないであろう。

 否、恐らく、永遠に辿り付けないかも知れない。


「まあ、破壊力で言えばあいつは世界一だからな。例えではなく本当に。現状のどんな力や兵器だってあいつの『マッシヴ・エレクトロニック』には勝てないだろう。文化と農耕の神であるケツアクウァトルの力を極限まで破壊力に傾斜させ、注ぎ込んだんだ。あれはある意味、常軌を逸してる。気にしなくて良いよ」


 桐人は自身の言葉に、少し目を伏せる。

 悲しんでいるのか、同情しているのか。

 今の言葉に、そんな感情が出てくる理由は分からないが、桐人はそんな表情を浮かばせる。


「さっきは『俺』も酷いことを言ってしまったけど、もっと自分の力に自身を持っていい。君はまだ自分の『固有の能力』を取得していないからね。それが使えるようになったら案外化けるかも知れないよ」


 大人げない、と苦笑し、桐人はそんな励ましの言葉を京馬に送る。

 告げた桐人は、いつもの余裕ある顔に戻っていた。

 また、桐人が自分を『俺』と言ったことに京馬は気になったが、何だか聞くのは野暮だった。

 それよりも、京馬は最も知りたい、聞きたい事を思い出し、口を開く。


「ところで、美樹を助ける方法ですが、どうすれば良いんでしょうか?」


 一連の騒ぎと、桐人の変化で聞きそびれた情報を京馬は問い質す。

 その問いに、桐人は再び、険の表情を浮かべ、答える。


「そうだったね。その話を優先してするべきだった。美樹ちゃんを助ける方法、それは──さんざんアスモデウスを痛めつけた後、美樹ちゃんの深層意識に潜り込み、アスモデウスと再度話し合うように促すことだ」

「話し合う?」


 桐人が告げた解決法は、意外にシンプルで、突拍子も無い方法であった。

 首を傾ける京馬に、桐人は流し眼で表情を確認し、続ける。


「そうだ、美樹ちゃんはアスモデウスに気に入られているが、認められてはいない。本来、人に宿るのは高次元超級エネルギー空間世界『アビス』に住む、人とは全く位が違う『アビスの住民』の化身。要するに僕達、人なんかよりよっぽど高位の存在が宿っているのさ。その化身と話し合い、自分が如何にその化身に対して魅力的なのかを感じてもらう。例えるなら、王様に一般市民である自分を色々とアピールして認めてもらうのと同じさ」


「じゃあ、俺はその状態になるために、どのように行動すれば良いんですか?」


 例えで分かり易く伝えようとしていた桐人であったが、京馬はあやふやな理解しか出来なかった。

 とりあえず、京馬は自分が為すべき行動をいち早く知ろうとする。


「まず、第一に君はアスモデウスに取り憑かれた美樹ちゃんと戦い、瀕死の状態まで追い込む。──僕も協力しよう。というか君の実力的にほとんど僕がやることになると思うけどね。そこまでいったら、僕が君と美樹ちゃんの精神をリンクして繫げる。後は君が美樹ちゃんの意識を探し出し、アスモデウスと対面させるように促す。たったこれだけだ。実にシンプルだろう?」


「確かに俺がやることはシンプルですね。でも、これだけ聞くと、そこまで成功する確率が低いとは思えないのですが……?」


 京馬は桐人に説明された作戦プランを聞き、疑問を感じる。

 単純に力に差がなければ、さして難しいことではないと京馬は思ったからだ。


「問題なのは、アスモデウスとの対話で美樹ちゃんがアスモデウスに認められるかどうかなんだ。美樹ちゃんは一度、アスモデウスの囁きに敗北してしまっている。そうなってしまうと、そこからアスモデウスに認められるのは非常に難しくなるんだ。場合によってはアスモデウスの試練に美樹ちゃんを受けさせるのも良いかもね。まあ、失敗したら、精神崩壊、もしくは死んでしまうが。どのみち、ここまでくればあとは美樹ちゃん次第なんだよ。僕達は手を出せない」


 少し、歯がゆいそうに桐人は言う。

 京馬は思う。

 どうも、数々の仕草から、この人は未だ『本心』を隠している様にも見える。

 だが、その『正義』の心は確かにある。

 京馬は、桐人のその『正義』を信じようと誓う。

 だが……


「美樹次第、ですか……」


 同様に、歯がゆい気持ちが京馬を包む。

 その事実は、つまりはどう足掻いても、自分達ではどうしようも無い『不確定要素』があるという事だ。


「とりあえず、今は君は何もすることはない。本番でできるだけ力が出せるように集中するんだね。今のアスモデウスの状態は天使や僕らにその存在を隠すため、自分の『捕縛結界』のさらに深層で身を隠している状態だ。容易に見つけられないだろう。普通だったら、僕が『捕縛結界』の障壁をさっさと突破して追いかけていたんだが……さすが、七つの大罪を司る大悪魔だ。隠れるのが上手いね」


 苦虫を噛み潰した様に、桐人は顔を歪ませる。

 その桐人の言葉に、更に京馬は不安になる。

 自分の数倍は強いであろう、長年、この『不可思議』に浸った桐人を、美樹に宿ったアスモデウスは出し抜いたのだ。

 そんな『大悪魔』を前に、果たして上手く作戦通りいくのであろうか。


「しかし、明日になったら『捕縛結界』の力は衰え、侵入しやすくなる。作戦は明日の朝に行う。さて、そろそろ着く。今日はうちに帰って休むんだ」


 不安に表情を曇らせる京馬を、微笑し、桐人は宥めさせる。

 狭い路地を進み、右折すると、京馬の家が見えた。




「あの……やっぱり今、俺になにかできることはないでしょうか? 例えば、よくバトル漫画にあるような修行とか? どんなことでも良いんです! 少しでも、明日の作戦の成功率を上げたいんです!」


 桐人の車から降り、京馬は運転席に座る桐人を見下ろしながら言った。


「残念だけど、今からそんな修行なんかしても、さして変わらないよ。むしろ、精神の負担が大きくなりすぎて、明日までに回復されずに消耗した状態になってしまう可能性だってありうる。いきなり強くなるなんて、都合のいい修行なんてものもないし。まあ、準備運動がてら適度に精神を集中することをしておけば、当日に力は出しやすくなるかもね」


 桐人の答えに京馬は落胆しながら言う。


「わかりました。では、無理をせずに休むことにします。今日は本当にありがとうございました!」


 そう京馬が言うと同時、『ああ、また明日ね』と言って、車の窓を閉め、桐人は車を走らせた。


「とは言ったもののこんな状態じゃ、気楽に休めないよ」


 小さくなってゆく車に手を振り、嘆息しながら京馬は呟く。




 自分の部屋に戻ると、京馬は力無くベッドに倒れこむ。


「どうしてこんなことになってしまったのだろう……何でよりにもよって美樹なんだ。しかも、あんなタイミングで……」


 京馬はベッドに突っ伏して、嘆く。


「それに、何が『神のお導き』だ! こんなお導き、いらないよ! くそっ!」


 ベッドで暴れまわり、京馬は頭にあった枕を壁へと投げつける。

 しかし、枕は壁に当たることなく、ポンッと人がキャッチするような音が聞こえた。


「災難だな。京馬君。一つ、忠告しておこう。神とは必ずしも人の味方ではないんだ。そもそも、神は私達を小さなアリぐらいにしか思っていまいよ」


 突然の声に、京馬は思わず、瞬間的に枕を投げた方角を見る。

 そこには、アダムの最高責任者、サイモン・カーターが立っていた。


「サイモンさん!?」


 突如、姿を現したサイモンに驚き、京馬は思わず大きな声で驚く。


「そんな大声だしたらいかんよ。力を発現していなかったらどうなっていたか」


 口元に人差し指を当て、そう言ったサイモンの周りには、青い粒子が展開されていた。


「何でここに……?」


 京馬は素直な疑問を投げかける。

 何故、自分の家にアダムの最高責任者が訪問してきたのか、京馬は一瞬のうちにわからなかったからだ。


「それはすごく単純なことだ。君を天使どもから、護衛するために来たんだよ。桐人から聞いているだろう? アダムは君を常に監視し続け、守っていると」


 それはなんとなくわかる。

 しかし、そこに最高責任者という組織のトップがくるのは何故かわからなかったのだ。そして、直接姿を現し、自分に話しかけてきたのは何故なのかも。


「ああ、何故私のような組織のトップが護衛なんかに? と思っているのだろう? 実は君を狙っている天使に大物がいてね。ちょっと他のものが相手だと荷が重かったので、こうして私が出向いてきたわけだ」


 そう言ったサイモンは少し疲れているようだった。

 成程、確かに以前基地であった時と比べ、スーツが綻んでいる様に見える。


「まあ、それも今さっき奴の『捕縛結界』内で終わらせたのだがね。今頃、戦った相手は結界の深層で傷を癒しているだろう。全く、懲りない奴だよ」


 やれやれ、とサイモンは呟く。

 その様子から、苦戦していた訳では無さそうだ。

 面倒な仕事の雑務をこなしてきた様な言いぶりだ。


「そして、もう一つの理由は君と話がしてみたかったんだ。京馬君。悲しいことに君の愛した人が化身に精神を奪われてしまったわけだが──何故、彼女がアスモデウスという大悪魔の化身を宿ってしまったのか。疑問に思っていたはずだ」


 サイモンは単刀直入に、京馬に尋ねる。

 自身の心の突っかかりに堂々と踏み込んできたこの老人の言葉に、京馬は頷く。


「はい! 何で大勢の人の中、よりにもよって美樹なんですか!? 美樹には一体何があるっていうんですか!?」


 こなくそ、と思いながらも、京馬は自分の中の嘆きを、目の前の老人に叩きこむように大声で叫ぶ。


「正直言うと、君も、あの少女も、他の人と全く何も変わらない、『只の人』だ。化身が宿りやすいとか、そういう性質を持っているわけではない。ただ、単純に君達は良くも悪くも、『たまたま選ばれてしまった』んだ。『アビスの住民』にね。本当にただそれだけなんだよ。まあ、私のように無理やり自身を化身に振り向かせた人間もいたりするがね」


 サイモンは掛けているサングラスを弄り、言う。


「じゃあ、その『たまたま選ばれてしまった』せいで美樹はあんな悪魔に乗っ取られてしまったんですか!? 誰でも良かった中で適当に選んだ美樹を!?」


 その言葉に、京馬は憤慨する。

 納得がいかない。

 『運が悪かったんだ』。

 そう、捉えられる言葉に、京馬は訴える。


「誰でも良かったわけではない。少なくとも自分の化身を宿すには面白そうな人間を選ぶ。そして、『アビスの住民』達は楽しむのだよ。その人間が自分の化身を宿したものの末路を。だが、そこに人の考える善悪はない。要するに我々は彼らに試されているのさ」


「そんな……人をおもちゃみたいに!」


 京馬は怒りで拳を震えさせていた。

 そんな傍若無人な『神どもの戯れ』に、ブチ切れそうになる。

 その怒りの瞳に、『尤もだ』とサイモンは頷き、口を開く。


「だが、実際、本当にそんな扱いだろうな。一つ言わせてもらえば、彼ら『アビスの住民』を人の価値観なんかで考えないことだ。ただ、彼らは好みというのがある」


「好み?」


「ああ、例えば、件のアスモデウスだが──あいつは色欲を司る悪魔だ。故に色欲を愉悦として楽しむ。だから、その色欲を十分に楽しめそうな相手を化身の宿り主として選ぶ。今回、選ばれてしまった美樹という少女は学校一の美女とか、そういう子ではなかったか?」


「はい、その通りです。学校内にファンクラブができるぐらい学校内で人気がありました」


「そういう女を淫らにするのが奴の愉悦であったりする。だからこそ、選んだのであろう。しかし、それは彼女の本質でもあったりするのだ。それを彼女自身が認めなければ、インカネーターとして目覚め、彼女の精神を救うことは困難となるだろう」


「つまり、アスモデウスの愉悦が、美樹の本質ということですか?」


 サイモンの言葉から推察し、京馬は言った。

 だが、それは……納得がいかない、否、納得したくはない。

 アスモデウスの愉悦――それは、『色欲』。

 淫らなそれが、美樹の『本質』となれば、それは……


「まあ、大体そういうことだ。これは頑張っている君に送る、私からのヒントだ。あとは、幼馴染である君ならではの説得の言葉を考えておくんだな。ああ、それと──」


 複雑な表情へと変化してゆく京馬に、だが、サイモンが掛ける言葉は無かった。

 『ヒントだ』と、その一言だけ告げ、サイモンは思い出した様に告げる。


「君の『ガブリエル』の固有の能力、もしかすると私の推察なんだが──とりあえず、君は自分の感情に正直になるんだ。そうすれば、活路が見出せるはずだ。では、そろそろ私はまた姿を晦ますよ。明日の健闘を祈っている」


「ちょっと待って下さい! まだ、聞きたいことが……!」


 京馬の叫びも虚しく、サイモンは砂のようにサラサラと体を粒子状にして消えてしまった。


「奴の愉悦が美樹の『本質』……?」


 サイモンが消えたあと、京馬はベッドに仰向けになり、枕の上で腕を組んで頭をその上に乗せながら考える。


(美樹は淫らになることを望んでいる? 嘘だ! 美樹は、そんな奴じゃない! でもサイモンさんの口ぶりからして本当のようだし……美樹は本当にそんな欲望をずっと耐えていたんじゃ……)


 京馬の頭の中で、多数の男を前に淫らに乱れる美樹の悪いイメージが想像される。

 その光景をぶんぶんと頭を振って、振り払い、京馬は無理矢理、別の事を考えようとする。


「それに、俺の『ガブリエル』の固有の能力って一体……? 自分の感情に正直になる?どういうことだ?」


 サイモンに教えてもらったヒントで、京馬は逆に訳が分からなくなる。

 『感情に正直』?

 そんな単純な事で、自分の『固有能力』が覚醒するのか?

 否、そんなものはとうにしている。

 だって……恥ずかしいぐらい、美樹への想いに一直線なのだから。


「あー! もう意味がわからない! もう寝よう! そうしたら、すっきりして考えがまとまるかも知れないし!」


 そう言って枕に顔を埋め、京馬は眠りについた。



 翌日、京馬は結局のところ、考えが一向にまとまっていなかった。

 目には若干、くまが出来ていた。


(結局、サイモンさんの助言の意味を考えて、あんまり寝られなかった……今日、作戦を決行するのに大丈夫か?)


 不安に思いながら、京馬は学校へ行くための身支度をしていた。

 その途中、携帯電話が鳴る。


「もしもし、京馬です。おはようございます。桐人さん」


「やあ、おはよう。すまないね、こんな朝早く」


 電話の主は桐人だった。


「早速だが、これからの作戦に向けての君の行動を指示するよ。まず、君はいつも通りに学校へ通学してくれ。そして、通学中に何か異常があったらすぐにこちらへ知らせてくれ。君が戦闘前にする行動はその二点のみでいい。異常があった場合、それはアスモデウスが捕縛結界から姿をこの世界に現している可能性が高い。だから、どんな細かいことでも知らせるんだ。あと、自分の力の発現もしておくように。なんとなくわかっていたと思うけど、力の発現だけで僕達、インカネーターの身体能力は飛躍的に上昇する。突発的なあちらの攻撃があっても、力の発現である程度はガードできるはずだ」


「はい、わかりました」


 一、学校にいつも通り向かう。

 二、異常があったら、直ぐに連絡。

 三、結界内に入ったら、即座に『力』を展開。


 朝方早々の桐人の指示の内容に、京馬は必死に頭を働かせながらも、承知する。


「僕はその異常、もしくは自身でアスモデウスの存在を感知した後、すぐに駆けつける。その後は『僕の捕縛結界』にアスモデウスを捕えて、二人でアスモデウスと戦い、瀕死のところまで追い詰める。まあ、あとは昨日言った手順通りだね。以上だ。何か確認したいことはないかい?」


 京馬は桐人の問いにしばらく考え──


「いえ、特にはないです」


 と、はっきりと告げる。

 京馬は実際は色々と気になることがあった。

 それは、自身の力の覚醒の件。

 そして、美樹を悪魔から退けるヒント。

 だが、それは桐人ではなくサイモンに尋ねたかったことだった。


「そうか、なら良いのだけどね。では、美樹ちゃんが助かるよう、お互い頑張ろう」


 そう、桐人は告げ、通話が切れる。


「……さあ、美樹を助けるために、頑張るぞ!」


 決意を新たに、京馬は気合いを叫ぶ。

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