戦闘実技試験
待合室から退出し、エレンに案内され、京馬はトレーニングルームに着いた。
「うわっ、まじか……でかい……!」
扉を開けた京馬の目に飛び込んだのは、京馬の通う高校にある体育館のおよそ二倍の規模を誇る巨大な部屋であった。
京馬は、しばらく茫然とその部屋を見上げる。
「で、戦闘実技試験というのは具体的にどういう風にやるんでしょうか?」
徐にトレーニングルームの中央へ歩きだすエレンに、京馬は続き、問い掛ける。
「とてもシンプルよ。君の中にある、ありったけの力を使って、『私に触れることが出来れば』合格。触れるっていうのは、例えば魔法を使って間接的にでもいいし、武器によって直接でもいいし。とにかく、力の一端でも触れたら合格。仮に何回も触れることが出来れば、さらに組織内の評価は上がるわ。私に君の力が触れた瞬間、トレーニングルーム内の感知システムが反応して、ブザーが鳴る仕組みよ。ちなみに制限時間は無しね。君が諦めたら、そこで終了」
エレンは歩きながら淡々と説明する。
制止したエレンが『君はこっちね』と、差し出した指先の向こう側に移動し、京馬はエレンと向き合う。
両者を遮る地面の白線を見つめ、京馬は思う。
――随分となめられてるんだな、俺。
京馬は、心の中で嘆き、エレンへと視線を戻す。
まあ実際、力を手に入れたばかりで自分でも未熟なのは自覚しているが。
しかも、相手はこの組織のナンバーツーなのだ。
やはり、相当な実力があっての余裕なんだろう。
だが……やはり、『デカい』。
目の前で、別の意味で圧倒される巨大な双丘に、京馬は前のめりになりそうになる。
そして何より、綺麗だ。
勿論、美樹への想いは変わらない。
だけども、こんなスタイル抜群の美女と闘うのは、少し気が引ける。
「では、そろそろ始めましょうか。いつでもかかってきなさい! なんなら不意打ちだって構わないんだから!」
しかし、京馬の心の中の訴えに、堂々と両手を組み、エレンは楽しそうに叫んで挑発する。
「じゃあ、いきますよ!」
どうやら、どう足掻いても、この美女との戦闘は避けられそうになさそうだ。
意を決した京馬は、無数の白い魔法陣をエレンの周囲に展開する。
実は京馬は自宅でひたすら魔法のイメージを練習し、七つほどの魔法陣を同時に展開できるようになっていた。
それも、当然だ。
あんな『予知夢』の悲劇を見せられて、只、指を加えて何もしないなどという思考は京馬にない。
「俺だって、ミカエルを倒すために何もしてなかったわけじゃないんだ!」
京馬の叫びと同時に魔法陣から光線が射出される。
それらは、正確にエレンへと狙いをすまし、その場所へと突き刺さってゆく。
そして、ズガアッ、と爆炎が生じ、白煙が生じる。
予想以上の威力と迫力に、力を発現させた張本人である京馬自身が驚愕する。
爆炎が拡がる光景に、正直、やりすぎてしまっただろうかという不安が京馬に募る。
だが、
「俺、すげえ……! 人間兵器にでもなったみたいだ……!」
それにも勝る、自分の得た脅威の力への感嘆を、思わず京馬は呟く。
「あら、こんなんで驚いてちゃ、この試験は永久に終わらないわよ?」
だが、その京馬の感嘆を、一瞬で剥ぎ取る美女の甘い声が耳元で囁かれる。
ふわりと漂う同様の甘い香りが周囲に伝う。
「う、うわっ!」
突如の囁きに、京馬は驚き、思わず拳を振るう。
──だがしかし、拳は空を切る。
ぶんぶんと拳を回し、視線を泳がせる京馬は、やっとエレンを視認する。
「──ダメダメね。そんな自分でも視認できないようなやたらめったらな攻撃、相手に隠れてくれって言ってるようなものよ? ……まあ、圧倒的すぎる力ならそれでも構わないだろうけど」
エレンは、京馬が力を放った元の位置で堂々と立っていた。
それも、元の腕を組んだ姿勢のままで。
何が起きたか分からず、混乱している京馬に、エレンは忠告の言葉を放っていたのだ。
「正直、さっきのを見て君は力でガツガツいくタイプではないと判断したわ。恐らく、君は時と場所で対応した行動をして敵を攻略するタイプね。だって、発動時間の割に魔法の威力が『弱すぎる』んだもの」
目を丸くしている京馬に対し、ため息混じりでエレンは言う。
(あ、あれで弱すぎる、だって……?)
京馬は更に、驚愕の表情をする。
口をあんぐりと開けるその表情は、間抜けそのものだろう。
しばらく呆けていた京馬は、歯を噛み締める。
「くそ!」
この『試験』の前、京馬は京馬なりに、自分に宿った力を研究し、使いこなしたつもりであった。
しかし、その努力を踏み躙る様なエレンの言葉に、憤慨する。
エレンを一泡吹かせてやろうと、今度は横一列に魔法陣を展開し、前方広範囲に連続して光線を射出する。
「そんな極細の『レイ』、あくびをしながらでも避けられるわ!」
魔法陣の位置をずらしながら展開する、雨あられのような京馬の光魔法『レイ』をエレンは余裕の笑みを浮かべながら、ギリギリの間合いで避けている。
……完全に遊ばれてるな。
ギリッ、と京馬は更に歯を噛み締め、悔しみを全放出する様に、『レイ』を放つ。
「こんなに、こんなに差があるのかよっ!」
だが、当たらない。
当たる気すら、起きない。
四苦八苦する己に対し、エレンは表情を崩さず――否、寧ろ、落胆する様な表情にまで変化してゆく。
悔しい。
だが、同時に、京馬の中で冷や汗が伝う。
自身を保つ、内にある何か……抽象的ではあるが、京馬の中に宿る『エネルギー』がどんどん失ってゆくのが、分かる。
その損失の後に、自分がどうなってしまうのか、感覚的に京馬は理解していた。
(死ぬ……?)
段々と意識が朦朧と、そして、心の中をグリグリと抉られる様な不可解な『痛み』。
それは、外傷とはまた違った、内面的な損傷と言えば良いのだろうか?
このまま『力』を使い続ければ、気絶――下手したら死にかねない状況に、京馬は戦慄しながらも、京馬は『レイ』を撃ち続けてゆく。
「では、私からアドバイス。君は魔法のみ、しかも『レイ』なんていう下級光魔法しか使っていないわよね? 先も言ったけど、君は力でガツガツいくタイプではないわ。別の力の発現の仕方を考えるのよ」
そんな戦慄とした表情の京馬へ、エレンは告げる。
普通だったら、このスピードで会話なんてのは不可能なのだが、エレンはまるでテレパシーを使ったようにはっきりと聞き取れる声で京馬に助言をしてきた。
これも魔法による影響なのだろうか。
それとも、エレンの何らかの力によるものか。
今は、どうでも良い。
それよりも、この状況を打破出来る可能性があるエレンの言葉に、京馬は耳を傾ける。
「別の力の発現……?」
疲弊し、ぜえぜえと息を荒げる京馬は、魔法陣の展開を止め、エレンに問い掛ける。
「そう、君は結局一つの力しか使っていない。しかも、それは天使を化身としたものだったら誰でも使える下級光魔法レイ──要するに君は『ガブリエル』の力を全く使いこなしていないことになるわ」
エレンから告げられたのは、必死に努力して力を使っていた京馬を更に絶望させる言葉であった。
自分がすっかり使いこなしたと思っていた特異な力が実は全く使いこなせていないという事実は、京馬を地面にへたりこませる。
「はあ、はあ……じゃあ、どうすれば、『ガブリエル』の力を使いこなすことができるんですかっ!?」
ありったけの力を使いこなし、自分の意識ギリギリまで『力』を使い続けた京馬は、極限まで疲弊していた。
それで、仕打ちを受けるかの様なエレンの言葉に耐えかね、京馬は思わず叫んでしまった。
折角、あんな惨劇にならないために自分も拘束されず、表舞台に立つことを選んだのだ。
こんなところで『ガブリエル』の力が使えず、戦力外通告なんてのはまっぴらごめんだ。
悔しさと同時、京馬の内に焦燥感が募る。
これでまた、自身が世界の為に『拘束』されたらたまったもんじゃない。
そして下手したら――『予知夢』通りに世界が崩壊してしまうかも知れない。
そんな必死な表情の京馬に、流石に申し訳なく思ったのか、エレンは眉間に皺を寄せ、人差し指を頬に当てる。
「普通だったら、化身を宿した後、いくつかの葛藤や試練を乗り越えて、化身と自身が認め合って、『インカネーター』になるんだけど……そういえば、君は特別だったと桐人が言ってたわね」
「『インカネーター』……? 特別? どういうことですか?」
思い出した様に、ポンと両手を叩き、エレンは告げる。
その言葉に、京馬は顔を挙げ、問い掛ける。
「『インカネーター』とは私達、化身と完全に同化して力を自由に扱える人のことを言うのよ。君はいきなり『インカネーター』になったからわからないでしょうけど、普通は化身を宿った直後の人間は化身との精神の奪い取りあいがあって、それに勝利し、化身と心を一つとした時、初めて『インカネーター』となって力を振るう事ができるようになるの」
その言葉を聞き、京馬は桐人出会った時のことを思い出す。
──ほぼ無償で『ガブリエル』の力を得たのだから。
そんな言葉を桐人は言っていた。
つまり、京馬はその『インカネーター』になる過程の葛藤や試練をすっ飛ばして『インカネーター』となってしまったのであろうか。
「──どうして俺にはその葛藤や試練がなかったんですか?」
京馬は尋ねる。
そういう辛いものを体験せず、この超常の力を得られたのは、光栄だ。
しかし、幸運だったという気持ちよりも疑問の方が大きく京馬の中を占めていた。
当然だ。そのせいで、自分が不完全な力の覚醒をした可能性があるのだから。
「……さあ? こればかりは桐人も私も、サイモンでさえもわからないわ。だって前代未聞なんだもの。まあ、正直羨ましいわね。あんな地獄を味わなくて済んだんだから」
京馬の問いに、俯いた後に、嘆息して告げるエレンは、本当に羨ましそうであった。
思い出したく無さそうに、忌々しげに告げるエレンを見て、京馬は何故だか申し訳なくなる。
「そうですか……なんかごめんなさい」
そんな葛藤や試練なんて関係なしに、気付いたら『インカネーター』となってしまった自分はさぞ幸福なのであろう。
自然と謝罪の言葉を京馬は告げる。
「いや、別に謝らなくていいのよ? 自分が幸福だったと思えばいいわ。それで話を戻すけど、通常は『インカネーター』となる過程で化身の本質を理解することで、その化身の『固有の能力』を発現することができるの。だから、本来は力の発現の仕方がわからないなんてことはないのだけど」
「そうなんですか……楽した罰みたいなものでしょうかね」
ふう、と俯き、京馬は呟く。
最初は、突然人智を超えた力を手に入れた自分が嬉しかったが、話を聞く内に、段々と気持ちが落ちてゆく。
だが、それでも『得られた』のだ。
それは……決して無駄にしたくはない。
あの『予知夢』と闘うと、心に決めたのだ。
「しかし、『固有の能力』というのは例えばどのようなものなんでしょうか? 魔法以外の不可思議な能力みたいな?」
そして、京馬は落ちてゆく気持ちを払拭するかの様に、顔を挙げ、エレンへと問う。
ここで嘆いても始まらない。
自分がやってきたバスケットボールでもそうだ。
諦めたら、そこで試合終了。
意識を高め、集中すれば、或いは勝機を掴める。
「概ね、そうね。ああ、そうだわ。ちょっと私の能力を自慢がてら見せてあげようかしら」
京馬の問いに頷き、エレンは苦笑する。
『危ないから、後ろに』と、エレンは京馬を自身の後ろに促す。
京馬が安全な場所までいった事を確認すると、その左腕を頭上に掲げる。
掲げた腕から閃光が迸り、しばらくして静まると、手から腕にかけて鋼と流麗な黄色の閃光を放つラインが施された、何かを射出するような機械が装着されていた。
機械の中央から見えるガラス越しにモーターのようなものが見える。
「これは、私に宿る化身、『ケツアクウァトル』の固有の力である『電気の流れを操る力』をアダムの技術力で内包した機械よ」
告げるエレンは、その機械の射出口を反対側の誰もいない壁に向けた。
そして、片手でポケットから取り出した小型の機器をいじる。
すると、いくつもの障壁が壁とエレンの前に展開される。
「北側、障壁レベル MAX……と。見てなさい。これが私の『能力』の最高峰。単純な破壊力だったら、サイモンやミカエルなんて目じゃないくらいの威力よ。何て言ったって、『世界最高の破壊力』なんだから!」
告げたエレンの腕からモーターの回転音がする。
次第に、そのモーター音はギュアギュアと渦巻き、辺りに途轍もない重圧が襲い掛かる。
余りにも圧倒的な重圧に、京馬の身体は、痺れ、その膝を地に落とす。
「こ、これが……エレンさんのっ……!?」
自分の『異能』とは比べ物にならない脅威のパワーが放たれる前に、京馬は戦慄する。
これから、世界が音と共に壊れるのではないのか。
それほどまでに、『暴虐』、『神秘』、『破滅的』。
ガクガクと口が震えるのが分かる。
恐怖で引き攣りそうになる顔を必死に正し、京馬はエレンの背を見る。
パッ……
それは、一瞬であった。
だが、走馬灯の様に、ゆっくりと時間が流れるかの様な錯覚。
辺りが真っ白になり、京馬の意識は遠ざかりそうになる。
ドオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォン!
強烈な爆発音が遅れて聞こえてくる。
一体、何が起こっている!?
世界が一瞬で消去されたかの様な、おぞましい轟音は、直ぐに消え去る。
沈黙――目を開けるのが、怖い。
だが、自分という意志は未だ、生きている。
恐る恐る京馬が目を開けると、そこには、圧倒的な『破壊』が展開されていた。
障壁は消え、壁は、このトレーニングルームの半分ぐらい抉れていたのだ。
「す、凄過ぎる……!確かにこれじゃ俺の魔法なんて貧弱に見えるわけだ……!」
京馬はその圧倒的な威力を前にただただ驚愕していた。
強い――強過ぎる。
こんなものと、自分の矮小な力を比較しようとしていたなんて、とてもじゃないが少し前の自分が信じられない。
「あ、やば、ここまでするつもりじゃなかったのに……というか力を三分の一にしてこの有様!? とてもじゃないけど、私はこの施設を使えそうにないわね……」
ぽつりと、エレンは呟く。
そんなエレンの言葉を聞いて、更に京馬は目を丸くする。
自分の魔法では傷一つつけることが出来なかったこのトレーニングルームの壁を、しかもいくつもの障壁を展開したのにも関わらず、いとも簡単に破壊した。
それだけでも脅威的。
だが、それで三分の一の力ときた。
(これが、アダム日本支部ナンバーツーの実力者……)
戦慄と、そして尊敬の眼差しで京馬はエレンを見つめる。
しかし、これで『ナンバーツー』である。
組織のナンバーワンとされ、こんな実力のエレンからもその実力を認められている、あのサイモンというおじいさんはどれほど強いのだろう。
……考えるだけでも恐ろしい。
だが、京馬は驚愕とともに妙な安心感を覚えた。
確かにこんな実力者ばかりいるならば、ミカエルを倒すと豪語できるだろう。
だが、それでも予知夢ではあんな惨劇が展開されていた。
(まともに対決すれば勝てそうなのに……何かのイレギュラーが起きたのか?)
それとも、組織の想像以上にミカエルが強かったのだろうか?
分からない。スケールが大き過ぎて、考えたくも無い。
「と、とりあえず、試験を再開しましょう! 俺もここまでとはいかないけど……なるだけ皆さんの実力に近づけるように努力します!」
完全に出鼻を挫かれた京馬は、気持ちを切り替えて、エレンへと叫ぶ。
正直、自身の力は、もう底尽きようとしている。
だが、少しでも、少しでもこの圧倒的な力に近付く為に……頑張らなければ。
「そうしたいのは山々なんだけど……」
その京馬の意気込みに、気不味そうな表情でエレンは首を振る。
首を傾ける京馬が『何故?』と問おうとした時、突如、ブオンッと左側にある大きなモニターに眉間に皺を寄せたサイモンが映し出される。
「おい、エレン! お前、何をやった!? トレーニングルームばかりではなく、その周りの設備にも甚大なダメージを負ったぞ! まさか、『マッシヴ・エレクトロニック』を使った訳じゃあないよな!?」
サイモンは先ほどの紳士っぷりとは間逆の、怒りに満ちた声で怒鳴る。
酷く動揺した表情で、ビクリとその声に反応するエレンは、まるで先程の脅威の力を放った人物とは思えない。
「その、まさかです……っていうか私の『マッシヴ・エレクトロニック』の三分の一の威力で破壊されるようじゃ、まだまだ改良の余地がありすぎるわ! 何が最新式よっ! ただのポンコツ障壁じゃないっ!」
鬼の剣幕で叫ぶサイモンに、逆切れしてエレンが怒鳴る。
その様子は、まるで親子喧嘩の様なチープな雰囲気であった。
「……一つ教えてやるが、このトレーニングルームは核兵器をぶち込んでも壊れないように障壁をプログラムされている。それが、この有様だ。『私と同様、本気を出せば日本なんて跡形もなく破壊できる』、お前の能力が異常なんだ。それを弁えて、力を行使するのが組織のナンバーツーとしての筋ではないのか?」
大体な? と、サイモンは続ける。
「お前の『マッシヴ・エレクトロニック』を完璧にガードできる障壁が完成できれば、ミカエルなんて簡単に封殺できる。そんなものが出来れば、私がノーベル賞と同等の賞金を開発者に提供するよ。要するにお前の力を全て受け止められる障壁なんてのは不可能なんだ。三分の一の力で都心の地盤が破壊されて、都心陥没、なんてことにならないだけでもありがたいと思え」
ふん、と、息を荒げ、サイモンは黙る。
無言の
「……わかったわよ。私が悪かったわよ! ……それで、この処分はどうなるの? 自宅謹慎? 罰金? もしかして、体? 良いわよ。何でも来いだわ!」
半ばヤケっぽく告げるエレンは、先程の大人の雰囲気とは打って変わった、幼稚な反抗の様であった。
「なんでそうなるんだ……全く、お前は。とりあえず、もう試験が出来ないのだから、京馬君を返してあげなさい。お前は反省するだけで良い。──設備班に謝るのは絶対忘れるなよ?」
サイモンは嘆息してなだめるようにエレンに言う。
すっかりしょぼくれたエレンは、顔を伏せ、力無く口を開く。
「それは忘れないわ。頑張ってるみんなに悪いことしちゃったからね。後、自分に出来ることは可能な限り手伝うつもりよ」
はいはい、と告げるエレンは、すっかり反省している様子であった。
「そうか。いい子だ、エレン。では通信を切るぞ」
その様子を見て、再度ため息を吐いたサイモンは、モニターから消え失せる。
しばらく、ポリポリと頬を掻いたエレンは、若干頬を赤らめていた。
「京馬君、ごめんなさいね。試験はまた今度、トレーニングルームの修理の目途が立ってから行うわ。後、見苦しいとこ見せてしまったわね。できれば忘れてくれるとありがたいわ」
苦笑しながらエレンは京馬に言う。
「いえ、別に良いですよ。寧ろ、俺は試験が延びた方が都合が良かったかも。精神力結構すり減ってたし、『ガブリエル』の力も全く発現できていなかったわけですから」
京馬はその言葉に、正直、安堵していた。
疲弊し、ほとんど力を使い果たした状態。
意気込んだは良いものの、どう考えても、この試験は切り抜けられそうにない。
「ありがとう。優しいのね、京馬君。私はてっきり、『落し前は体で!』みたいなこと言われるかと思ったわ」
エレンは笑いながら冗談を言う。
全く、この人は──そんな気はない癖に。
と、思いながら京馬は笑う。
「や、やだなあ。そんなこと言える訳ないじゃないですか。あんな力を見せつけらたら尚更です。正直、同じ人間とは思えないですもの」
エレンの圧倒的な力を見せられた京馬は本心を告げる。
だが、その京馬の言葉に、エレンはピクリと反応し、目を細める。
「……そうね、やっぱりこんな私の全てを受け止められるのは、桐人だけだわ」
「えっ?」
俯いて、か細く告げるエレンの呟きは、しかし、京馬の耳に届かなかった。
再度、聞き直そうとする京馬に、エレンは振り向き、恍けた表情で口を開く。
「んん? 私、何か言ったかしら? さ、もう遅いし、帰りましょう。明日も学校あって早いでしょう?」
何か……聞いては不味い事であったのだろうか?
そう思い、京馬は疑問を心の中へとしまう。
組織を出て、バーを出た京馬とエレンは駐輪場にあるエレンのバイクを取りに行っていた。
京馬は試験後、気になった事をいくつかエレンに質問した。
まずは何故アダムの地下基地が人に認識されないのか。
これは、アダムの整備班が開発した『アビスの力』を取りこむ金属によって作られた施設であるためであるらしい。
アダムでは、その金属によって一般人でもアビスの力を認識できるようにして、有名大学や企業からヘッドハンティングした優秀なエンジニアなどを組織内で働かせているというのだ。
それが、『インカネーター』である幹部以外の整備班、監視班、補給班の従業員達であるいう。
さらに組織の人数も聞いてみたが、全世界を合わせて一万人ぐらいらしい。
京馬は多いように感じたが、エレンはむしろ少ないと思っているらしい。
事実、現在では天使やインカネーターになったものの破壊行為によって世界各地で公にされていない死傷者が増えているという。
また、基本的に国一つにつきアダムの支部は三つほど存在するのだが、日本は小国ということもあって一つのみらしい。
そのため、日本のアダムの構成員は百人ほどしかいないという。
そして、エレンの使った『マッシヴ・エレクトロニック』について。
この兵器はエレンの固有能力をアビスの力と科学の融合によって百パーセントに引き出したもので、普段はエレンの周囲に存在する仮想結界内に存在し、エレンの呼応とともに発現する。
その威力は、現時点でこの世界に存在するどの力よりも高く、実質『最強』の破壊力を持つという。
しかし、燃費は非常に悪いらしく連発はできないらしい。
それでも、あの一撃必殺の威力は本当に恐ろしい。
まともに当たれば、ミカエルでさえも無事では済ませられないというから、尚更に。
「これが私のバイクよ」
京馬が今日の出来事を反芻していると、エレンの声が響く。
後ろのバイクへと親指を向けるエレンはまた何処か活き活きとしていた。
その後続のバイクを京馬は見やる。
他の並んでいるバイクとはどこか異なった黒光りした車体は、ところどころ黄色の流麗なラインが施されている。
その車体は、破天荒なエレンという人物の個性と何故だか合致した車体に見えた。
「かっこいいですね」
とりあえず、京馬はありきたりな感想を述べる。
「……もっと良い感想はないの? この場所が──とかさ。そんなんじゃモテないよ」
だが、ジト目でエレンは適当に京馬が感想を述べたのを見透かすように言った。
「だって、俺バイクとか詳しくないですし」
「あっそ……じゃあ、後ろ乗って」
「えっ!?」
困惑した京馬を、バイクに跨ったエレンは後ろに乗る様に促す。
二人乗りというのは条約違反などという詭弁はさておき、こんな豊満で贅沢な身体を持つ美女の後ろに跨るというのに、京馬は躊躇う。
「早く乗りなさいよ」
そんな勿体ぶった京馬の戸惑いに、エレンは呆れ声を漏らし、急かす。
「は、はい。ではお言葉に甘えて……」
京馬はバイクの後部に乗る。
だが、
「あ、あの、どこを掴めばいいんでしょうか……?」
バイクなど乗った事の無い京馬は、ましてや一人乗り用のバイクに無理矢理空けたちょこんとしたスペースに乗り、あたふたとする。
その反応に、更にジト目となったエレンは嘆息をして口を開く。
「私の腹辺りを掴めばいいわ。……なんなら別に胸でも良いわよ? 実際あんまり気にしないし」
「む……胸!?」
京馬はエレンの胸の言葉にビクリと反応する。
もしかして……その身体を弄くり回したいという自分の欲求が見透かされてしまったのか!?
という、ギクリとした気持ちと、
(あの豊満な胸を、この状態なら鷲掴みできるんだよな……? 良いのか? ホントに良いのか? 冗談じゃないよね?? ホントに触ったら、ライトノベルよろしく殴られるとか、ないよね?)
……という邪な欲望の声を交えながら。
「ああ、じれったいわね。発進するわよ?」
だが、途端、エレンはエンジンを吹かせる。
慌てて、京馬は振りおとされないよう、結局、腹辺りを掴んでしまった。
ああ、男のロマンが……京馬は心の中で嘆く。
しばらく京馬とエレンの乗せたバイクは走り、道路を駆け巡っていた。
「私の力は本当に便利でね。ええと、確か君の家はここだったわね?」
エレンは高速道路に入ってから腕に装着したカーナビのようなものに三次元に表示された京馬の家の位置を指刺した。
……この装置もアダムで開発されたものだろうか?
京馬はエレンの顔の脇からそのディスプレイを眺めた。
「はい、そこで合っています! しかし、すごいですね! そのカーナビみたいなもの!細かい建造物とかもはっきり立体で表示されているし!」
ディスプレイで表示された立体の自分の家を確認し、風でかき消されない様、大声で対抗して京馬は叫ぶ。
「まあ、リアルタイムで見れるグーグルマップみたいなものよ。対してすごいものでもないわ」
特に自慢げもなく、淡々とエレンは言う。
「ここで合っているのね? わかったわ。しっかり捕まってなさい!」
エレンが叫んだ途端、バイク全体が黄色い閃光に包まれ、瞬間──京馬を吸いこまれるような感覚が襲う。
一瞬、不思議な――幾何学? と言えば良いのだろうか。
複雑怪奇な世界が拡がったかと思えば、
「う、うわあああああああああっ!?」
一瞬の出来事だった。
道路にはもう、京馬達を乗せたバイクは消えていた。
突然な超常の現象に、目を瞑っていた京馬が目を開くと、そこには見慣れた光景が拡がっていた。
「ん? ここは……家!? いつの間についたんだ?」
、あれから、一体どれくらいたったのだろう?
携帯で京馬は時刻を確認しようとする。
「多分、一秒以下ね」
前に乗っているエレンは、特に声色に変化もなく告げる。
「一秒以下!?それってワープしたってことですか?」
天使、悪魔、神――そして魔法。
もう、何でも来いだ。
これも、そういった類の『超常』だろう?
と、予測しつつも、だがそれでも驚愕してしまった京馬は問う。
その問いに、エレンは被っていたヘルメットを外し、長いブロンドの髪を舞わせながら口を開く。
「まあ、そんな感じかしら? 私が『電気の流れを操る力』を持っているのは知っているでしょう? それはつまり、電子を操ることが出来るということで……要するに自分達の体を運びやすい粒子に変えて、電気の流れと同等のスピードで移動させたのよ。対象位置に何もないのを確認してからじゃないと、自分の体がバラバラになる可能性があるから怖くて使えないけど」
怖い、と言いつつも、さらりとエレンは説明する。
「この能力、本当にすごい便利なのよ。未来のネコ型ロボットも真っ青ね。あ、もう青かったか」
「へ、へえ……本当にすごいですね」
朗らかに笑うエレンの言葉に、京馬はだが唖然とする。
本当にすごい。
こんなのをテレビなんかで流せば、一躍世界の有名人の仲間入りだ。
「ちなみに、このバイクに乗らなくても能力は発現できるわ。でも、君と私を同時に長距離の移動をさせるには、加速したこのバイクを介して能力を発現しないといけないの。実はこのバイクはちょっと特別でね。ほぼ電気で稼働するバイクなのよ」
そう言って、エレンはバイクを軽く叩く。
「だから私以外は運転することはできない、盗まれる心配もなしよ。そして、このバイクの加速した時のモーターの回転を利用して、私の力を増幅させる。実際、私も原理はよくわかっていないけど」
両手を上げて舌を出し、エレンは続ける。
「それで増幅した力を使って、限りなく電気の流れに近いスピードで長距離を移動できるわけ。素晴らしいでしょう!? ──でも力を使っている時やその結果は人に認識されないのが難点なのよね。こんなの披露すれば、一躍世界の有名人の仲間入りなのに……」
がっくしと落胆し、エレンは苦笑する。
その様子に、京馬は何故だか安堵する。
それは、自分も同じ様に考えていて、少しこの超人美女を身近に感じた為であったからだ。
『バーイ』と、バイクを走らせ、手を振るエレンと別れを告げる。
エレンと別れた後、京馬は自分の部屋で思慮に耽ていた。
(今日も色々なことがあったなあ……アダムのこと、インカネーターのこと、そして……自分があまりにも弱すぎるということ)
京馬は嘆息する。
「まずは、ガブリエルの力を扱えるようにしないと……でも具体的にはどうすれば良いんだ?」
京馬は悩む。
通常、インカネーターになったものは宿った化身と認め合い、同化することで、『固有の能力』を使う事が出来る。
しかし、京馬はその過程をすっ飛ばしてしまったため、その『固有の能力』が使用できないのだ。
「自分の中の化身と認め合い……か。」
京馬は羽に触れ、インカネーターになった時に聞いた言葉を思い出す。
『お前はお前であって俺でもある。力を振るい、示せ! 記せ! 己が道を──人の道を!』
……全く、何を言ってるのかわからない。
「示せ、記せ、己が道を──人の道を、か」
しかし、京馬はそのフレーズだけが頭に妙に残っていた。
何かの『
それが、自分の本来の力――『固有能力』と関係しているのか。
「とにかく! このままじゃ、世界の命運をかけた戦いに指をくわえて観戦するだけになってしまう! もうあんな思いはごめんだ! 絶対に強くなって、場合によっては俺がミカエルを倒すんだ!」
そう、決意の独り言を叫び、京馬は布団に潜り込んだ。
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