美樹の『本質』

「このまま、一直線に進めば京馬君の所に行けるんだね?」


 漆黒が全てを包む。黒の世界。

 その光の無い世界を咲月は駆ける。その手は何かに握られ、咲月もその手を離さまいとしっかりと握る。


「ええ! 私の『影の隠匿者シャドウ・コンセルトメント』で移動出来る影を伝えば、確実に辿りつけるはず! 少しペースは落ちるけど、さっきまでの道中と違って『あそこ』は戦場の中心になってるから、この方法が最適だよ」


 突如、二人を光が射す。


「こっちだよ!」


 その瞬間に美樹は跳躍。

 別の『影』へと移動する。


「便利だね、その魔法!」


 咲月も跳躍し、美樹の後を続く。


「まあ、私の『混在覚醒状態』の特性が無ければそこまで便利じゃない魔法だけどね。さっきも言ったけど、余程の緊急事態でない限り咲月ちゃんはアビスの力は使用しないでね?」


 正面を向いたまま美樹は言う。


「うん、分かってる! 私が力を使ったら、他のインカネーターに察知されちゃうからね」


 コクリと咲月は頷き、答える。

 そして、不意に美樹の背中をちらりと見つめる。


「ねえ、美樹ちゃん」


 一寸の沈黙の後、躊躇いの声色で咲月は美樹に問う。


「何で、京馬君を捕えたの?」


 その咲月の問いに、美樹もまた一寸の沈黙の後、答える。


「──私の世界の為」


 後に続く言葉は無かった。


「分からないよ」


 咲月はおよそ充分とは言えない答えに、不満を含めた口調で言う。


「京馬君は、私達、人間の為により良い世界を創造しようとしているんだよ!? どんな人でも『絶望』に陥らない世界に!」


 咲月は怒気を含めた問いを美樹に投げかける。

 そして、前へと駆け出す美樹を見つめる。

 顔を伏せ、美樹は歩みを止める。


「それを知って、どうしたいの?」


 振り返らず、問う美樹にさらに咲月は言う。


「どうする、どうしたいじゃない! 私には理解出来ないんだよ! 美樹ちゃんの事がっ!」


 振り返り、美樹は咲月を見つめる。


「咲月ちゃんは、京馬君の味方?」


 あくまで、無表情に美樹は問う。


「味方に決まってるよ! だって、京馬君は──」


 はっと後に続かせようとする言葉を咲月は呑み込み、続ける。


「京馬君は大切な仲間だから!」


 その言葉を美樹は鼻で笑い、告げる。


「本当に? じゃあ、私は逆に問うけど」


 美樹は、咲月の眼を見据える。

 それは、怒りの様な、そして悲しみの様であり、戸惑いでもある。


「京馬君と一緒に、全てを捨てる覚悟はある?」


「え……?」


 途端に発せられた美樹の問いに、咲月は困惑する。

 意図が分からない。

 それだけではない。

 自分に、そのような覚悟があるのか、その決断への審議。


「私は、あるつもり。そして、同時に私の本質への欲望も。あらゆる色欲を堪能して、永劫の快楽に浸りたい」


 美樹は芯の通った声で告げる。


「私のお父さんはね。不倫をしていたんだ。それも何人も」


 唐突に始まった美樹の語りに、咲月は無言で聞き入る。

 今の話との関係は? とも思ったが、それ以上に、

 何故だか、耳を傾けたかった。


「私は、何度も目撃した。お母さんは知ってか知らずか、見て見ぬふり」


 ふう、と美樹はため息を混じらせる。


「表面上では、仲の良い夫婦だったけど、結局は互いが深い干渉をしないだけ。私は、そんな仮初めが嫌だった。でも、お母さんとお父さんが久しぶりに交わった所を目撃した時、何故だか……」


 顔を伏せ、美樹は頬を紅潮させる。


「何故だか、とても……気持ちが良かった。良く分からなかった。何か、感情が高ぶって、気付いたら──自分を慰めていた」


 美樹は、少し自嘲気味に笑みを見せる。


「私は自分がよく分からなかった。男を男として見るようになって、自分がその子と交わったら、どうなるんだろう? そんな事を考えながら日々を過ごしていたよ。無意識にね。でも、その欲望に従うのは何だか戻ってこれなくなるような気がして、怖かった」


 まるで、他人を語るように美樹は語る。


「その時にふと思い出したのは、京ちゃん。自分の事を親達よりも大事にしてくれた京ちゃん。何時でも、真剣に、私を守ってくれた。友達に茶化されても、同じように苛められそうになっても、強い意志で私を守ってくれた。その京ちゃんを思い起こすだけで、私のその気持ちは和らいでいた」


 咲月は語る美樹の眼を見る。その眼は懐かしむようで、乙女の儚さを持つようで──


「中学生まで私は女子校だった。それが良かったのか分からないけど、私は人の暗黙の規則をギリギリで保っていられたのかもね。後は、周りの影響もあると思えるけど──でも、お父さんの転勤でこの地に戻ってきて共学の高校に入る事を知らされた時は不安があった。その欲望に準じてしまいそうな自分に」


 美樹はその手を艶やかに見つめながら、続ける。


「同時に、興奮もあったよ。その欲望に打ち負かされた自分がどうなってしまうのだろうかってね。でも、始業式で京ちゃんを見つけた時、凄く困惑した。私の唯一の綺麗で儚い想い出が私を、他の男と同じ様な目で見つめるんだもの」


 さらりと、自身の本質を語る美樹を、咲月は茫然と見つめる。

 この人は、私と違う。

 そう思っていた。実際、この語りを聞いても自分はそう思う。

 だが、何故だろうか。

 咲月に妙な背徳が染み付く。


「声を掛ける魅力的な男達。でも、私の想い出がそれに従属させようとしない。正直、少し苦痛だった。イライラした。地味な嫌がらせをしてくる他の女達。阻害され始める自分。その時、宿ったのがこのアスモデウス。苦痛の苦痛の苦痛。辛かった。私は縋るように、京ちゃんを求めた」


「でも、間に合わなかった」


 不意に、咲月は言う。その自身の言葉を発するという行為に困惑しながらも。


「そうだね。私は爆発するように自身の力に呑まれた。でも、当時はこんな忌々しい力に自身の想い出を巻き込みたくなかった。未だ、『成り立て』では嫌悪していたんだ。でも……」


 再び、美樹は頬を紅潮させ、乙女の顔となる。


「京ちゃんが私を助けようと、醜い私を止めようとしてくれた。そこで、京ちゃんの愛の深さを味わった。京ちゃんの力で壊れそうになる時、私、思ったんだ。本当の意味で人を愛する。交わりたいと思う事を」


 途端、美樹は笑いだす。

 それは、自嘲でも歓喜でもない。

 何か、自然と零れる屈託ない笑顔で。


「うふふ、そうね、アスモデウス。ある意味では、京ちゃんがあなたの『お気に入り』を完成させたのかもね。」


 視線を咲月へと戻し、美樹は続ける。


「ああ、ごめんね。そこで、私はアスモデウスに気に入られ、この特殊な覚醒状態のインカネーターとなった。そして、私は自身の目指す世界を創造するように決意したわけ」


「それが、色欲の世界?」


「そう。快楽と愛で満ちた世界。そこで、私はその世界の創造神となって世界を見つめ続けるの。京ちゃんと一緒にね」


「創造神となって、京ちゃんと一緒に……?」


 よく分からない。だが、何だか嫌な予感を感じ、咲月は問う。


「『世界の創造』っていうのはね。新たな世界の『管理者』……言わば、創造神となって世界を新たに造り変えることなんだ。だから、自身が人を捨て、そんな高位の存在になって統治しなければならない。他の人の記憶から忘れられ、永劫に崇められる存在となる」


 後に、確信とした、きっぱりと明瞭な声色で美樹は続ける。


「京ちゃんは、そんな世界の創造の『真実』を知らない。でも、京ちゃんはその真実を知っても、世界の犠牲になろうとするよ。──だって、それが京ちゃんの『本質』だから」


 そして、美樹は咲月を睨むように見据え、再度問う。


「咲月ちゃんに、全てを捨てる覚悟はある?」


 その再び訪れた問いに、咲月は硬直する。

 自分に、その問いを掛ける意図は分かっていた。

 ──京馬君と共に、全ての人々から忘れ去られようとも永劫に世界を統治し続ける。

 実際、咲月はそこまで京馬に惚れているわけではないと思っていた。

 むしろ、そんな勝算の無い恋に歯止めを掛けるのに好都合だ。


「私には、出来ないかなぁ?」


 言う咲月の声色は、苦笑交じりで『負けました』と暗に示す。


「でも安心した。やっぱり、美樹ちゃんは京馬君の事が大好きなんだね。私には、とてもじゃないけど出来ない行動だよ」


 感嘆の声を漏らし、咲月は美樹を称える。

 笑顔のままで言う咲月の顔をしばらく見つめ、美樹は振り返る。


「そう」


 一言、そう告げると再び影の中を美樹は歩みだす。

 その美樹の手を掴みながら、咲月は想う。


(これで、踏ん切りが付いたよね……?)


 言い聞かすように咲月は心の中で自身に問い質す。

 ぎゅっと、美樹の手を掴む咲月の握力が強くなる。


「……気付いてないのね」


 嘆息し、美樹はぼそりと呟く。

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