狂人の先導者

「ち、まさか味方に牙を向けられるとはな」


 舌打ちをして、駆ける男は言う。

 その背後には、無数の人。


「殺せ、殺せっ!」


 だが、その言動は狂人。

 叫び、喰い千切る獲物を追うように、正面の男に迫ってゆく。


「みんな、あの魔方陣に捕らえられてから様子がおかしくなった。異質な気配に感づいて良かった」


 あくまで無表情に男──志藤は呟く。


「これは、魔法とは違う。天使かアウトサイダーの連中の固有能力と見るべきか」


 徐々に迫ってくる狂気を意に介せず、志藤は思慮する。

 志藤は先ほどまでアウトサイダーと協力している蒼白の仮面を被る集団の一人と天使の幹部との戦闘を見ていた。

 そして、その頃合いを見計らって監視の対象である咲月の後を追おうとした矢先、同じ任を与えられた仲間達からの襲撃を受けた。

 裏切り──その可能性も考えられるかも知れないが、今の状況を見るとそうでは無さそうだ。

 理性を失った仲間達。

 そして、その理性を失う前に発現された巨大な魔方陣。

 その二つだけで、何らかの敵の固有能力で味方達が操られているという可能性が遥かに高いことは明白であった。

 今、志藤は結果的に咲月の後を追うように進んでいる。

 しかし、現状のままでその目標の下へ向かうのはあまり好ましくない。


「どうにか出来ないものか」


 志藤は冷静に打開策を練る。

 解決策としては術者を殺す、若しくはこの味方を狂気に変えた相手の能力を無効化する。

 以上の二点が考えられる。

 しかし、志藤はどちらとも達成が困難であることを悟っていた。


「俺がもっと強ければな」


 それは、自身の非力さによるものだった。

 志藤は自身の強さがどれほどのものかを自己判断する。

 アダムのランクで言えばCクラスという中堅ほどの実力である自分が同程度のランクであるこの追っ手達を全て相手にするのははっきり言って自殺するようなものだ。

 そして、その追っ手を操るものはさらに強力な人物であることも理解していた。

 一度に多くの対象を操り、さらにはその精神力を『増強』させている術者。

 そのような芸当は相当な精神力の持ち主でなければ到底出来るようなものではない。

 さらには、その術者の隠密性も流石で、能力の発動の時に一瞬だけ感知はしたが、結局はその一度だけでしか術者の存在を特定することは出来なかった。

 そのため、この豪勢な能力を披露したのに関わらず、術者の特定は出来ない。

 しかし、今、自身の背後で迫る狂人達からはそんな反応は一切感知されない。

 それは、逆に志藤の良い判断材料となった。


「まずは、術者を探さないとな」


 志藤はある程度、思慮を巡らせた後に行動に出る。


「『盗人の手癖コンパルシヴ・シーフ』、『技の盗難スキル・スニッチ』!」


 志藤の体を緑の魔法陣が駆け巡り、自身の俊敏性を上昇させる。

 そして、相手の能力を盗む力を宿したナイフの雨を狂人達に放つ。

 そのナイフ達を、狂人達は避けもせずにその体で弾き返す。


「やれやれ、やっぱり俺は非力だな。微塵のダメージも確認出来ない」


 インカネーターの精神力によって、およそ『この世界』では考えることが出来ないほど硬質化された体。その頑強さは、未熟な能力者であってもダイヤに匹敵し、さらには脆さも持ち合わせていない。

 だが、それは志藤も同じである。そのナイフの一撃は鋼鉄ですらバターのようにスライス出来るほどの威力がある。だから、志藤は少しばかりはその一撃がその狂人達の足止めに役立つのではないかという淡い期待を持っていた。

 しかし、口を吊り上げて志藤は笑う。


「が、この状況を突破出来る幾つかの能力は頂いた」


 志藤の目的はあくまで自身の能力による相手の固有能力を『盗む』ことである。

 その目的が達成され、まずは安堵のため息を吐く。


「相川。空気も読めず、俺に馴れ馴れしく話しかけるような面倒くさい奴だったが、嫌いではなかった。貴様の能力を借りるぞ。感謝する」


 志藤は進路を変え、建造物の影に入る。

 その進行先へと狂人達は向かう。

 それは一秒にも立たないほど一瞬であった。

 しかし、そこに志藤の姿はいない。


「悪魔バラムの下位の能力、『透明化』。それは自身の姿のみならず気配さえもかき消す。……魔法で代用できそうな固有能力だが、精神力の消費が少ないこの力は、今の状況には打って付けだ」


 志藤は安堵のため息を吐き、呟く。

 その周囲には、狂ったかつての仲間が涎を垂らしながらうろついている。


「見るに耐えんな。対象を狂人化させ、その精神力を増幅する能力……氷室の死体を操る固有能力と変わらん下衆い能力だ」


 汚わらしいものを見つめるように志藤は狂人達を見つめる。


「さて、どうにかこいつらを撒くことに成功したが」


 志藤は周囲を見渡す。

 辺りの建造物の幾つかは健在である。

 だが、悲鳴、怒号、あらゆる混沌の戦場の響きが聞こえてくる。

 メイザース・プロテクトという人口捕縛結界内で『自分たちの世界』をコピーし、拡張したこの建造物達の頑強さは、アビスというエネルギーが超凝縮された世界から供給される『力』で強化された自分達の体よりさらに強く出来ている。恐らく、対戦車用ミサイルなんかでもその壁面に傷一つつけられないだろう。


(……より複雑な構造の建造物内に逃げ込めば完全に撒くことは出来るだろう)


 しかし、目的はそうではないなと志藤は自身の弱気な思慮を払い捨てる。


「俺の能力でストック出来る固有能力は最大で三つ。こんな忌々しい能力を使う奴を仕留めるために、厳選したんだ」


 だが、そう呟いた志藤の声色は少し迷いがあった。


「何時もの俺ならばそのまま逃げ出したものだが」


 志藤の行動を突き動かしていたのは、操られた仲間への感情でも組織への愛着でも無かった。


「人を狂人化させ、意のままに操る、か」


 そう呟く志藤は顎に手を当て、思慮する。

 それは、敵の能力と自身を悪魔に魅入らせたある事件との関与について。


「俺は直接、現場にいなかった。しかし、真田の情報が確かならば──」


 志藤は、唇を噛み、憎悪を剥き出しに呟く。


「この術者が、俺の全てを奪った奴か……!」




 天使、そして異形の力を振るう者達が血を流し、叫び、戦う。

 その戦場をまるで意に介すこともなく、蒼白の仮面を被る黒いローブを着た男が建造物の影から影へと俊敏に移動してゆく。


「かはは、俺の『狂人の狼煙バーサーカー・フラッグ』を回避するとは、なかなか骨のある奴だ」


 ローブから覗かせるドレッドノートの髪を揺らし、男は笑む。


「おまけに、俺の探知からも消失しやがった。こいつは、壊しがいがあるぜ」


 口を吊り上げて男は呟く。

 しかし、嬉嬉とした表情で駆ける男はその足を瞬時に止める。


「何だ? あいつは」


 前方、自身と同様に戦場を縫って行く異質とも言える存在がこちらに向かってゆく。

 その目は獲物を付け狙う鷹のように鋭い。


「来たか。かはは、さて」


 蒼白の仮面を被る男は、にやりと笑み、そして悠然と自身を追う追手に姿を見せる。




 自身の仲間達が天使、さらにアウトサイダーと戦闘を行っている。

 様々な能力を持つ者達が激戦を繰り広げ、戦場は混戦、混沌としている。


「何が貴様達を駆り立てているのか。世界が滅ぶからか? 俺には、そんなのはどうでもいい事だ。邪魔くさい」


 志藤はその戦場を自身の長所である俊敏性を駆使して縫って行く。


「俺は、自身の復讐の為に生きる!」


 決意を新たにするように志藤は呟く。

 その眼前、街影から現れた人影に志藤は目を見開く。

 その両目の瞳孔は驚愕とともに、瞬時に殺意へと変わる。


「やはり、貴様かぁっ!」


 志藤は、その両手から手品のように無数のナイフを発現させ、投擲。

 が、その一撃は男の突如発現した巨大な動物の顎を模した様な血渇きの色を持つ固有武器によって軽々と跳ね除けられる。

 だが、志藤は構わずナイフを投擲し続ける。


「貴様がっ! 美千代と紗枝をっ!」


 男を撹乱するように孤を描きながら何十、何百と加速的に繰り出す攻撃は、雨というよりは濁流のような圧倒的な質量と速度を持っていた。

 が、


「か、ははは!」


 男はその脅威的な手数の攻撃をまるで鈍重な蚊を叩き落とすように軽々と振り落としてゆく。

 そして、その男の中心、地面から魔方陣が展開される。

 それは瞬時に拡大していき、志藤の側まで駆け寄る。

 しかし、魔方陣が志藤を呑み込もうとする手前、志藤は空間から消失する。


「かはは、消えやがった!」


 その現象に男は臆することなく、むしろ喜々とした表情で笑う。


「さあ、その小細工、俺がぶっ壊してやるよ!」


 男はそう叫ぶと、自身の固有武器を地面に叩きつける。

 地面が鳴動する。

 砕ける煉瓦、崩れゆく建造物達。

 それは、圧倒的なまでの男の力を示すのに充分であった。

 地割れは拡大し、周囲を呑み込んでゆく。

 戦闘をしていた各陣営の戦士達は、抵抗するまでもなくその狭間に呑み込まれる。


「く、理解していたが、こいつ、相当に強いっ!」


 志藤は瞬間移動のように自身を空間から消し、また出現を繰り返しながら後方へと下がる。


「かはははっ! 遅い!」


「何!?」


 志藤が身構えようと体勢を立てる間もなく、瞬時に移動した男の一撃が振り下ろされる。

 その巨大な顎の一撃によって、志藤の体は勢いよく地面に叩きつけられる。


「が、は……!」


 臓器が破裂し、吐血。

 周囲の地面は砕け、血が飛び散る。


「剛よく柔を絶つ! かははは、実に気分が良い!」


 ドレッドノートの髪を揺らし、男は豪快に笑う。

 しかし、地に降り立った男は視線の先を見て首を傾げる。


「? あいつ、どこに消えやがった?」


 地面にめり込んだ跡がある。しかし、そこに志藤はいなかった。


「逃げやがったか……?」


 周囲を見渡し、男は呟く。


「か、かはははっ! だが、どの道あの負傷じゃもって数分の命だろう!」


 豪快に笑い、男は背を向ける。


「最後まで自身の命を庇うとは、愚かな奴だ」


 男は頭上に手を掲げる。


「さあ、『奴隷ども』。この争いを邪魔する奴を片っ端からぶっ殺していこうぜ!」


 その掛け声と共に、男が空けた地割れから人が、天使が這い出てくる。


「俺の力を得たんだ。思う存分、暴れまくれ! そして、この戦争をもっと派手に、血の色で彩どろうぜぇ!?」


 声とも雄叫びとも取れない叫び声をあげるかつての人や天使であった者達。

 しかし、今はそこに知性も知能も感じない。

 あるのは狂気。その一点のみであった。




「悪魔ガープの下位能力、瞬間移動を持ってしてもあいつの足からは逃げ切れなかった」


 建物の影、そこに仰向けとなり、志藤は血が滴る口から荒息を吐きながら呟く。


「あの桐人でさえも殺し切れないわけだ。あんな化け物……!」


 がほっ、と志藤の口から血が零れる。

 同時に志藤の眼からは透明な液体が伝ってゆく。


「くそぅ……呆気ない。結局、生き長らえても、非道を繰り返しても、俺はあいつが死ぬ様を見れなかった……」


 志藤の頬を伝う涙が零れる血に混じり合う。

 自分が絶望し、それでも生きてきた最愛の妻と子を殺した犯人への復讐という『目標』。

 だが、それは呆気なく、そして無残に終えようとしている。

 思えば、本当にたくさんの非道を繰り返してきた。

 その手掛かりを掴むために、何度他人を不幸へ落としていったのだろう。

 否、そんな事はかくも承知の事であった。

 他の者がどうなろうと志藤にとっては関係ない。

 自分勝手であり、我が儘で、幼稚で、罪深いことも知っている。

 だが、それでも志藤は自分の目標の為に走り続けた。

 しかし──それが、この結果だ。


「くそおおおぉぉぉぉぉぉっ!」


 志藤は叫ぶ。全身の力を振り絞るように、泣き叫ぶように。

 悔しい、悲しい、虚しい、情けない。

 子供の様に泣き叫び、涙と血を溢れさせる。

 そして、その後に盛大な血の花が再び志藤の口から吹き出す。


「直に、俺を隠したバラムの能力も消え去る。奴に『残した』あの能力も……」


 志藤の眼は霞み、見つめる天井が視認できなくなってゆく。


「ああ……天使も、神も信じられない。あの世に天国などいない。地獄もだ。俺は、何に縋って死んで行けばいいんだ」


 志藤は世界という区切りを超越したインカネーターだ。

 そんな存在が集い、そしてその『力』を探求している組織に所属していた。

 だから、『この世界』が何たるかを知っている。

 人が思い描いた死後の世界なんてものはないと。

 その後に残るのは、自身の精神力──概念的には『魂』に近い、だが限りなく『無』に等しい『アストラル』という精神体に自分が成り下がるのだと。

 絶望が、『あの時』とは異なる恐怖を纏う絶望が、志藤を包む。


「なら、私に縋りなさい?」


 突然の声に、志藤の意識が薄っすらと戻る。

 その眼が映すのは人。天使の羽や悪魔の羽もない。

 霞んでゆく眼が映すのは、赤や紫の刺繍。

 その耳に届くのは、若い女の声。


「しばらく様子を見ていたけど、気に入ったわ。あなた。最初に会った時に気が付けば良かった」


 その声に志藤は聞き覚えがあった。それもごく最近。


「お前は……?」


 縋るように、志藤はその女に手を掲げる。

 何故、自身がそのようにしたか分からなかった。

 しかし、その得体の知れない神々しさは、志藤に感嘆の声をあげさせる。

 不思議であった。自身のその後を理解し、それがどうしようもなく、そして誰であっても抗えないことを知っている。

 だが、その声に志藤は何故だか安堵を覚えたのであった。


「お前は──あなたは、誰だ?」


 志藤は、その救いの声に敬意を示し、縋るように見つめる。


「ふふ、忘れたとは傷つくわ」


 志藤を笑みを浮かべて見つめる女は、禍々しい神々しさを秘めた扇を志藤へと向ける。


「私は夜和泉静子。あなた達の国の神様、その一人よ」


 静子は安らかな声で志藤に告げる。


「さあ、死になさい?」

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