ラグエルの愚考
日が傾き、辺りを夕闇が包む。
影の闇が同化しつつある聳える城の外壁を、地面に向かって一人の青年が駆ける。それは、常人では捕え切れないほどの俊足。
そして音を立てず、地に足をつける。
辺りは、先ほどまでの人々の賑わいもなく、静寂。
「『メイザース・プロテクト』。始まったか……」
そう、桐人は呟き剣槍を構える。
「あなたが、あの桐人……いいや、我がミカエル様の宿敵、ルシファーですか。いやはや、そのアストラル……とても神の力の大半を受け継いだものとは思えない」
「誰だ、お前は?」
桐人は振り返り、背後の声の主を視認する。
そこには、四枚の翼を生やした白い衣を身につけた優男が佇む。
優男は、口元を引き攣らせ、告げる。
「申し遅れました、私は『御前の七天使』ラグエル。あなたをこの目で、人目見たいと待ち焦がれておりました」
お辞儀したラグエルを呆れ顔で桐人は見つめる。
「ああ、確か最近イギリスで『羽化』した新参か。どうだ、この世界の空気は? さぞ淀み切っているだろう?」
「ええ、穢れた悪魔の子が我がもの顔で跋扈するこの世界の空気は、吐き気がするほど淀み切っていますね」
「だったら、早くアビスにある『天界』に帰るんだな」
「そうはいきません。この世界は、ミカエル様が我慢して統治為されているのです。それを配下である私めが、支援するのは当然のこと」
「それは、ラジエル辺りにも言い聞かせておけ。全く、あいつは俺がルシファーであった時も、ソロモンであった時も、てんでそこの辺りに興味を出さない」
「ラジエルに関しては、現在私達が身元を調査中です。もしや、あなたもあの問題児の持つ書物にご興味が?」
「それは、この世界の生物ならば、誰だって興味は持つだろうさ」
「それは、そうですね。何せ、何次元も上の存在のアビスの住民でさえも欲しがる代物ですから」
微笑し、ラグエルは答える。
「ところで、他の奴らはどうした? ここにはアダムのインカネーターが多数、配置されていたはずだが──殺したか?」
「いいえ、殺すなんてとんでもない。もっと有効な方法をとりました」
ニタリと、ラグエルは笑う。
その笑みと同時、建物の影から這い出るように無数の人々が姿を現す。
「……!」
桐人は剣槍を構え直し、険の表情になる。
「これがお前の能力か」
「ええ、私はミカエル様の統治する世界を調整し、正す。その天使の任を全うするのに最も優れた能力──いえ、概念構築能力を有していると言った方がよろしいでしょうか?」
「人を洗脳し、操るのが概念構築能力というのか?」
桐人はラグエルと自身を取り囲む虚ろな表情の人々を横目で見て、問う。
「いえいえ、私の『
「じゃあ、この状況は何だと言うんだ?」
「彼らは、私達に協力しているのですよ。私の構築した『糸』によってね」
くい、とラグエルは僅かに指を動かす。
「ぐ、これは……!?」
途端、桐人の体を何かが縛り付ける。
「ふふ。は、はは! あなた、本当にあのルシファーなのですか? こんなことにも気付けないとは」
「ぐあ、あ、ああっ!」
くい、くいとラグエルはさらに指を動かしながら告げる。
「私の周囲には硬質、軟質、鋭利、伝搬、あらゆる全ての特性を付与できる『糸』を発現させることが出来る。この子達には、この『糸』によって伝搬させた全知全能の我が父のお言葉を伝えさせただけです。そうしたら、涎を垂らしながら急に大人しくなりましてね。抵抗も何も示さなくなりました」
うふふ、とラグエルは忍び笑いをし、さらに告げる。
「この『糸』は私の周囲の概念では『決して切れない』っ! 本当は様子見であなたを尋ねたのですが、まさかここまで堕落し、愚かな存在に成り下がったとは! 粉微塵にしてあげます!」
ぐう、とラグエルは五指を空間を握るように動かす。
「ぐ、ぐあ! うああああああああああっ!」
途端、桐人の体はミンチのようにバラバラになり、血飛沫が飛び出す。
「いくら、私の『糸』に『魔法絶縁』、『精神力減衰』を付与をしていたとはいえ……まさか、こんなにもあっさりとやられてしまうとは」
血と肉塊が壁面や地面に無造作にへばり付く一面を見やり、ラグエルは嘆息する。
が、
「むしろ、がっかりするのはこっちの方だ。俺が『フルカス』で造った『肉人形』にも気付けないなんてね」
「ふあ、あ! な、何……!?」
振り返り、建造物の屋根で腰掛ける桐人を驚愕の表情でラグエルは凝視する。
「そりゃあ、そのスカスカの中身じゃ、アストラルも、精神力も貧弱なわけだ」
立ち上がり、桐人は罠にかかった鼠を見るような哀れみの目でラグエルを見下げる。
「だ、だが、それでもあれには普通以上の、インカネーターでも充分以上のアストラルも精神力もあった! それを造り上げた肉人形如きに注入などすれば、肉人形は耐え切れず、破裂するはず! 仮に成功したとしても、あなたも大量の精神力を消費するはず……!」
「そんな愚考を実行するわけがない、とか思ったんだろ?」
予想外の状況に、錯乱するラグエルに、ふっ、と桐人は馬鹿にしたような笑いをして告げる。
「それこそが、愚考だ。お前も言っただろ? 俺は……」
桐人は、右腕を上げ、その指に嵌めた指輪に口づけをする。
異形ともとれる怪しい黒と白の閃光が辺りに撒き散らされる。
「俺は、ルシファーだからだっ!」
桐人は獰猛な野生の獣のようなギラギラした眼光でラグエルを睨みつける。
その皮膚は白から黒へ。対比し、髪は黒から白へ。
体には、何重もの鎖が巻かれている。
そして、背中に勢いよく無数の巨大な黒い翼が生える。
「ふふ、はは、ははははははははははっ!」
「ぐ、くそっ! 『糸』が刺さらない!? 行きなさい、あなた達!」
閃光に包まれた桐人目がけ、無数のインカネーターが武器をとり、襲いかかる。
「『服従』しろ」
桐人がそう告げ、手を振り払う動作を行う。
途端、ばたばたと向かって行ったインカネーター達は倒れてゆく。
「くっ! まさか、これほどの膨大な精神力を有しているとは……! あの肉人形に大量に精神力を消費できるわけですねっ!」
ラグエルは自身の発現させた糸を凝縮させ、極太の槍へと変化させる。
「『
その槍は伸び、空間を縦横無尽に駆け回り、変則的な動きで桐人へと向かってゆく。
「ははははははっ! 身の程を知れ!」
叫び、桐人は自身を拘束している鎖を引き千切る。
「はぁ……はははははっ! 最高だっ! 俺は、自由だ!」
高笑いを空へ向け、桐人はうねる槍を感覚で捕え、その穂先を掴む。
「言う事を聞け、ガラクタがっ!」
桐人が告げると、槍は波打ち、その流動はラグエルに向かってゆく。
「な、何ですっ!? うあっ!」
その流動がラグエルに到達すると、槍がラグエルを上空へと放り出す。
「エレン、出番だ」
「言われなくても、準備万端よ!」
無線機のエレンへと桐人は一言、言い放つ。
その桐人の声に呼応するように、空間の果てから極光の光がラグエルへと向かってゆく。
「く、ま、まずい! 『変化』しないと! オ、オーヴァー──」
空中に投げだされ、焦燥の表情でラグエルは自身の限界を超える術を口にしようとする。
「手遅れだ」
桐人はため息をつき、呟く。
光速の、そのエレンから放たれた一撃は、瞬時にラグエルを呑み込む。
「そ、そんな……! わ、私は、私はああああああああああぁぁぁぁぁっ!」
しかし、全世界最強の威力を誇る雷の一撃は、ラグエルの断末魔をかき消す。
光が通った後は、静寂が残る。
「出来るだけ、力は温存すべきだからな。俺が手を下すまでもない。くく、お前の無力を呪うんだな。奥の手が使えなくて残念だったろ? 自身の力が使えなくて残念だったろ? はは、ははははははは!」
とても、可笑しそうに桐人は笑う。
「これは、俺を馬鹿にした報いだ。雑魚が。ぐ、うう……」
苦悶の表情を浮かべ、桐人は震える手を額に当てる。
「お、落ち着け。『僕』は強くない、一人では生きられない、たくさんの仲間に支えられなければ生きていけない……」
まるで、言い聞かせるように、そして、呪文を唱えるように、桐人は呟く。
その体を再度、鎖が巻き付き始め、翼は徐々に体内へと戻ってゆく。
「『傲慢』よ、静まれ……!」
その皮膚は徐々に白く、髪は黒く。
荒い吐息も徐々に落ち着いてゆく。
「は、は、ふう。 この辛さが無ければ、本当に便利な力だが……」
苦悶の表情で呟く桐人の耳元に、電子音が響く。
「でも、以前に比べればホントに楽に『制御』出来るようになったじゃない」
「他人事だと思って……」
息を荒げ、桐人はエレンにか細い声で呟く。
「他人事? 私は、あんたの事、あんた以上に理解しているつもりだけど? そんな苦痛、桐人の忍耐だったら楽に耐えられる事を私は知ってる」
エレンの絶対的な自信の声に、桐人は観念し、ふっ、と微笑する。
「そうだな。初めて風邪をひいた時に比べれば、全然楽な苦痛だ」
こうしちゃいられないな、と桐人は激しい衝撃音が響く戦場へと目を向ける。
「さて、今のところは順調だ。だが……」
「サイモン……」
桐人は、無線機からのエレンの不安の声を聞き、目を閉じる。
その心情は、不安と、相反する望みがあった。
(サイモンさん……! どうか、俺の思い違いであってくれ……!)
桐人は、自身の不安を拭うように顔を横に振り、風と共に消えた。
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