夢子のメルヘンワールド

 まっさらな平原に涼風が吹き、その草々を棚引かせる。

 だが、そこに立つ少年の心は対比するような、焦燥に駆られていた。


「もう一度言う。お前は誰だっ!? そして、美樹は何処に行ったんだっ!」


「あらあら、そんな顔して……そんなんじゃ、人生楽しめニャいよ? 私はこの夢子様の『メルヘンワールド』の管理人、ドリームキャットだニャ♪」


 青白い閃光を放った五つの矢を構え、怒りの表情を露わにする京馬に対し、猫の人形はにこやかに笑う。


「さて、君の愛しの美樹ちゃんは何処に行ったのかニャ? それは、私にもわからんニャ。だけども、もしかしたらこの『物語』を進めてみれば会えるかも知れないニャ♪」


「『物語』……?」


 怪訝な表情で返す京馬に、ドリームキャットは楽しそうに告げる。


「そう! この夢子様のメルヘンワールドは一つの物語で構成されてるニャ。君は、このメルヘンワールドの物語の主役となり、ストーリーに沿って物語を進めて行くニャ♪」


「そんなゲームに付き合っている暇はないっ! ここがインカネーターの捕縛結界であることは分かっているんだっ!」


 京馬はそう言って、弓の弦を緩めようとする。


「ニャはははっ! ここで私を殺してもなーんにも起こらないニャよ? 何て言ったって私はこのメルヘンワールドの管理人。それ以外何者でもニャい。私が君に危害を加えようともしないし、君が私に危害を加えることも出来ニャい」


「やってみなきゃ、分からないだろ?」


 京馬は、ドリームキャットの言葉を無視し、怒りの感情が内包された五つの矢を放つ。それは、ドリームキャットの頭、胴体、手、足……体の節々に突きささる。

 が、


「な……!?」


「だから言ったニャよ? 私に君は危害を加えることは出来ニャいと」


 その体に突き刺さった矢は霧散し、その後は五体満足の猫人形が立っているだけだった。


「これで、分かったかニャ? 君には、私の読み上げるストーリーに沿って行動し、この物語を終わらせる事しか道は無いにゃ♪」


 ニャはははっ! ドリームキャットは笑い、さらに告げる。


「そういうわけで、早速君には物語を進行してもらうニャ。まずは、この平原の中央にある小屋に入ってもらうニャ。君は、大好きな幼馴染の女の子が行方不明になり、あたふたしている農村生まれの少年という設定ニャ♪」


「設定……? くそ、なんだこのよくわからない能力は……! 考えろ……!」


 そういって、京馬は思慮する。

 インカネーターならば必ず持っている能力、捕縛結界。

 ここは間違いなくその捕縛結界内であるということは自身の感覚で分かる。

 しかし、一方で明らかに何か他の捕縛結界とは違う異質な雰囲気も感じる。

 それは、まずこの猫人形。

 以前、京馬は美樹の宿した化身であるアスモデウスの捕縛結界内で、アスモデウスが自身の精神力で創り出した怪物に襲われた。

 この猫人形も同種のものであると考えたが、氣の察知をしたところ、どうもそうでもないということが理解できた。

 それは、この猫人形から、アビスの力が全く感じられないからである。

 つまり、この猫人形はこの捕縛結界と同種のもので、要するに背景の一部でしかないということが考えられる。

 そして、もう一つがこの捕縛結界の術者であるインカネーターの気配が全く無いこと。

 これも同様に、アビスの力を氣で察知したのだが、この捕縛結界の氣以外全く察知できない。

 つまりは、この捕縛結界を発動したインカネーターは『ここにはいない』ということが考えられる。

 例外として、アビスの力を察知する事が出来ない美樹のような『混在覚醒状態』があるが、それは考えにくいだろう。何せ、その状態になったのは美樹以外に歴史上で全く確認されていないからだ。

 ここで、京馬は結論づける。


(この結界を発動したインカネーターはここにはいない。つまり、『外』から俺を自身の捕縛結界に取り囲んだ。そして、それはインカネーターとしての固有能力。つまりは、ここから脱出するには、この捕縛結界を無理矢理ぶち壊すか、その『物語』に従って進む……しかないのか?)


「ああ、この捕縛結界を壊そうとしたって無駄ニャよ? ちょいとこの捕縛結界は特殊でニャ、夢子様の持つ『核』を壊さない限り無限に再生を続けるニャ。つまり、この物語の終章で現れる夢子様を打破しなきゃ、君はこの捕縛結界から一生出る事は出来ないニャよ」


 ドリームキャットは京馬の思慮を見透かすように告げる。


「……仕方ない、か」


 一寸して京馬は首を下に振り、言う。


「わかった、しょうがない。どうやら、お前の遊びに付き合うしか無さそうだな」


 観念したとばかりに京馬は両手を上に上げる。


「ニャはははっ! 理解してもらえたようでなによりニャ♪ では、あそこの小屋に入ってくれニャ」


 手を小屋の方向へと翳し、ドリームキャットはにこやかに微笑む。


(何が起こるかわからない……慎重に行こう)


 京馬は身構え、小屋へと向かう。




 辺りに、檜の香りが漂う。

 六畳ほどの小さい小屋の中には木造のテーブル、椅子、そして鉄製の農耕道具が数個、壁にもたれ掛かっている。


「一見、普通の小屋のようだが……?」


 京馬は、神経を研ぎ澄まし、構えを崩さない。


「『ある日、ある日、村の少年である京馬君は慌てていました』」


 突如、拡声器から発したようなナレーションの声が響き渡る。

 その声は、先ほど出くわしたドリームキャット。


「『原因は、その少年の愛する幼馴染、美樹ちゃんが突然村から行方不明になってしまったからです。京馬君は自分の家で彼女がどこへ行ったのか、必死に考えていました』」


 ズドンッ! ナレーションの語りが終わると同時、小屋が大きく揺れ出す。


「な、何だっ!?」


 その衝撃に、さらに京馬は身構える。


「『京馬君が悩んでいる時、突然小屋が揺れ動きだしました。何だろう? と、京馬君が窓の外を見ると、そこには信じられない光景がありました』」


「窓の、外……?」


 ナレーションの声に従い、京馬は窓を見る。


「これは……浮いている!?」


 京馬が窓から周囲の光景を見渡すと、そこには青空が。さらに、その青空は目まぐるしく、ぐるぐると、変化してゆく。


「『何と、小屋から見た光景は、空でした。小屋は、巨大な竜巻に乗り、大空へと駆けてゆきます』」


 そして、一寸その景色は止まる。

 だが、その一寸の後、今度は降下。

 だが、激しい衝突音と共にその降下は止まる。


「『そして、気が付くと、小屋は見知らぬ土地に着地していました。そこは、シャボン玉が漂う、不思議な町』」


「つまりは……ここから出ろってことか」


 ナレーションが語った後、京馬は小屋から出てゆく。

 京馬が小屋から出た先にあったのは、巨大で美しいピンクの花々がところどころに咲く、幻想的な世界。

 辺りを大きなシャボン玉が浮遊し、蔦で絡まれた家々が散在する。


「おお! 悪い東の魔女をやっつけた英雄様が姿を現したぞ!」


 突如、その家々からひょこひょこと、京馬の下半身にも満たさない程の背丈の小人達が取り囲む。

 その中央にいる長い顎鬚を蓄えた仙人のような小人が言う。


「ささ、あなた様を我らが主、グリンダ様がお呼びです。どうぞ、こちらへ」


 小人は手を翳す。


「あ、ああ……」


 京馬はとりあえず、その小人の案内に従うようにした。




 ピンクやグリーンの色鮮やかな装飾物が城内を取り囲む。

 その中央には赤の絨毯が一直線に玉座に向かっている。


「『小人に案内されたところは、大きなお城でした。そこで京馬君は小人の町を統治する北の仙女、グリンダに出会います』」


 ドリームキャットのナレーションが城内に響く。


「ようこそ、京馬君。私はこの小人の町を統治するグリンダです」


「は、はじめまして……」


 京馬がお辞儀をすると、グリンダはにこやかな笑顔を向ける。


「まずは、お礼をします。この小人の町を脅かしていた東の魔女を倒してくれてありがとう」


「いえ……俺は特に何も?」


 首を傾け、京馬は言う。


「何を仰るのですか。あなたが召喚した家が東の魔女を押し潰してくれたのではありませんか?」


 グリンダは眉をしかめ、京馬に問う。


「そ、そうなんですか……? 俺は、突然竜巻に家ごと巻き込まれて、ここに辿りついたんですけど?」


「……なるほど、しかしあなたが東の魔女を倒してくれたのは事実です。ここへあなたを呼んだのは、あなたに褒美を授けるためです」


「褒美、ですか?」


「ええ、何でもどうぞ」


 そう、グリンダが告げた時だった。

 京馬とグリンダの中心にどす黒い渦が巻き起こる。


「な、何だ! これはっ!?」


 京馬はアビスの力を感じ取り、即座に五つの想いの矢を発現する。

 その渦が収束し、それは人のシルエットとなる。

 が、そのシルエットが徐々に露わになり、京馬は驚愕する。


「やれやれ、あなたが私の姉を殺した奴かい? 随分と、ひ弱そうに見えるけど」


「み、美樹っ!?」


 そこには、先ほどまで一緒にいた美樹がいた。


「美樹……? 誰だい、美樹ってのは?」


 しかし、美樹は京馬の言葉に首を傾ける。


「あ、あなたは……! 西の魔女……!」


 グリンダの表情は戦慄となり、右手の杖を美樹へと向ける。


「久しぶりだね、グリンダ。姉代わりにあんたの財宝を奪いに来たよ! 観念しな!」


 そう告げ、美樹は黒炎を両手に発現する。


「美樹……一体、どういうつもりなんだ?」


「だから、私は美樹って子じゃないって言ってるだろっ!? お前もこの黒炎に精神を焼かれたいのかい?」


 京馬に憤怒の声を上げ、美樹が黒炎を放とうとする。

 が、


「……! お前、その両手の腕輪はっ!?」


 美樹は矢を構える京馬の腕を見て驚愕する。


「ふふ、一歩遅かったね。西の魔女。そう、京馬君に私の『ルビーの腕輪』を譲渡した。今のお前では、この私と京馬君を同時に相手をすることが出来ないはず」


「くっ! やってくれるわ!」


 唇を噛み、美樹は後ずさる。


「覚えてらっしゃい! 私の力が復活したら、その腕輪とお前とこいつの首をもらってやるからねっ!」


 言葉と同時、美樹は再び、どす黒い渦へと消えて行った。


「ふう……何とか、退けられたけど厄介なことになったね」


 嘆息して、グリンダは言う。


「こうなったら、オズの王様に会いに行くしかないみたいね。京馬君、西の魔女が力を復活する前にこの北にあるエメラルド・シティに向かいなさい。そこを統治するオズの王様ならば、西の魔女の力が取り戻せる前に何か打開策を打ってくれるでしょう」


「『こうして、京馬君は美樹ちゃんに似ている西の魔女を退けるために、北のエメラルド・シティへ向かうのでした』」


 ナレーションが響き、世界は暗転してゆく。


「あれは……美樹じゃないのか? しかし、あのアビスの力は間違いなく美樹の宿すアスモデウスのものだ……どうなってるんだ、この能力は?」


 暗転する世界の中、京馬は思慮する。




「ちょっと、夢子。どういう『設定』なのよ。今回の世界は」


 不機嫌に、美樹は問う。


「どういうって……わかるでしょ、オズの魔法使いのアレンジ版よ。私、この絵本が昔から大好きでねー。 やっぱり、京馬君を天使とアダムから『隔離』するならこのお気に入りの『物語』が一番でしょ」


 そう、テーブルの上の水晶を覗き込み、夢子は告げる。


「オズの魔法使いってのは分かってるんだよ。問題は、何で私が西の魔女っていうアレンジを加えてるのかってこと」


 そう言って、美樹は夢子を睨みつける。


「何でって……これは、私なりに気遣いなんだけどなぁ」


「そういうのをお節介っていうんだよ。それに、『隔離』するタイミングが早過ぎると思うんだけど?」


「そうでもないわよ? ほら、ちゃんと『配役』分の京馬君のお仲間を取り込めてるでしょ? ……上手く言ったら、一網打尽できるかも」


 ふふ、夢子は微笑する。


「さて、みんなこの物語から生き残れるかな?」


 無邪気な笑みを浮かべ、夢子は水晶の映す景色を眺める。

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