美樹が創りだす世界
うねる川を、一隻のカヌーが進んでゆく。
ジャングルに模した造形物は、カヌーにいる幾人かの子供に好奇心を与える。
「さーて、この曲がり角を曲がったところには、何が潜んでいるのでしょう? ……で、出たー、川の主であるワニだー! 皆さん、全速力で逃げますよー! しっかりと、振り落とされないで下さい!」
アトラクションの係員が大声を上げて、観客を煽る。
その演出に乗る人、苦笑して見るもの、冷めた目で見て情景を眺めるもの、様々だ。
しかし、一人だけはそのどれも当てはまらなかった。
物憂げに、どことないところを見つめるその少女は一息、ため息をつく。
「私、こんなところで何をやってるんだろう?」
そんな、独り言をぼつりと呟くと、隣にいた男がその雰囲気と対比する明朗な表情で答える。
「まあ、京馬は元から美樹一筋だったからな。そんな京馬に美樹があんなにアプローチしてるんだ。こういっちゃアレだが、咲月に勝ち目なんてハナから無かったんだ。……気持ちは分かるが、そんなの忘れるくらい今日は楽しもうぜ?」
「賢司君、それは分かってる。分かってるんだけど……!」
顔を伏せ、悲しみの声を上げる咲月。
さすがに、その変化に周りの他の観客がどよめき始める。
「ちょ、咲月! 悪かった、俺が悪かったから、そんなに悲しむなよ! ほら、これ終わったら、チョロス驕るからさ!」
「え……何、あの彼氏、彼女泣かせちゃってる?」
「うわー、ないわ。こっちのテンションもだだ下がりだよ」
周りの観客が小声でぼそぼそと言い始める。
そんな、観客の小声を聞き、賢司はあれやこれやと咲月を慰めようとする。
「何、エレンさん?」
そんな賢司を尻目に、咲月は耳に取り付けた諜報機に耳を貸す。
「何、じゃないわよ! どうしたの、咲月ちゃん! あなたは京馬君を最も身近で護衛する役回りでしょう!? 何で離れ離れなの!?」
「京馬君に私の護衛なんていらないよ。だって、桐人さんまで倒せるほど、成長したんですよ? 私なんていなくても、どうとも……」
「そう言う事じゃないでしょう!? それに、京馬君の力は確かに著しく上昇したけど、今回は天使達が総動員して京馬君を狙ってくる可能性が非常に高いのよ! さらに、アウトサイダーの横やりだってまず間違いなく在り得る! そんな状況で、美樹ちゃんと二人きりは危険過ぎる!」
「でも、京馬君は美樹ちゃんを選んだんだよっ!」
大声で、咲月は叫び出す。
その叫びに、観客はさらにどよめきだし、さらに係員までも困惑する。
「……咲月ちゃん」
諜報機越しのエレンの声は、か細く、咲月の名を呼ぶ。
「……これ以上、二人の仲を私が横入れするのは良くないよ。私は、この任務を降りる。エレンさんや桐人さん、アダムのメンバーに迷惑がかかるのは、分かる。でも……」
咲月は唇を噛み、
「なんか、辛いんだよ……!」
その悲痛の声に、しばらくエレンは言葉を失う。
が、
「そうね。咲月ちゃんも女の子だもんね。……分かった。代わりに真田を護衛として、京馬君の側に置くわ。今回は、このディスティニーランドでその気持ちを整理してなさい。でも、気をつけて。天使達が狙うのは、何も京馬君だけじゃない。私達、インカネーターもよ」
「うん。私も、自分の身は気を付けるようにする」
咲月は頷き、通信を切る。
「さ、咲月? どうしたぼそぼそと呟いて?」
そんな咲月の様子を、恐る恐る窺って、賢司は言う。
「ごめんごめん! つい悲しくて独り言ぶつぶつ呟いちゃった! ごめんねー、賢司君! さあ、楽しもう! あ、ホラ! あそこにインディアンみたいな民族が!」
「お、おう! あ、ありゃー気に登ってる隊員を目の敵で槍突き出してんぞ! ……現実では笑えねえな!」
いつもの咲月に戻ったのを確認し、賢司は安堵して、咲月のノリに合わせる。
(また、か。私、やっぱり弱いよ。こんなんじゃ……)
咲月は一寸、目を細めて遠くを見つめた。
「昔、父さんと行った時はこのアトラクションが怖くて、お化けが出てなくても泣きだしてたのに……今じゃ、怖さなんて微塵も感じられない。むしろなんか心地好い。まあ、実際幽霊が出てきても、私の方が怖い存在になっちゃったから、幽霊は逃げ出しちゃうかもね?」
微笑む美樹に、京馬は微笑みを返す。その手はずっと握られたままだ。
「はは、それは俺だってそうさ。何て言ったって俺は四大天使と言われる天使の中でも一番上の存在を宿してるんだ。エクソシストなんて目じゃない位、あっちから見たら恐ろしい存在さ」
そして、目が合い、そして互いが目を背ける。
紅潮した顔を隠しながら、京馬は美樹に言う。
「まるで、ホントの恋人みたいだな」
ぼそりと、京馬は言う。
が、その聞こえないような声を美樹はしっかりと聞き入れていた。
そして、嬉しそうに表情を緩め、
「私がここを心地好いなんていったのは、別の理由もあるんだよ?」
美樹の手を握る力が少し、強まる。
「それは、京ちゃんが私の側にいるから。小学校の時もそう。みんなが私との距離を遠ざけていた時も、京ちゃんだけは側にいてくれた。私を、守ってくれた」
京馬は美樹の目を見る。
その瞳は、うるうると泣きだしそうな、一方で嬉しそうな、そんな瞳で京馬を見つめていた。
「そ、そうだったな。だけどあの時は、俺は美樹の家が金持ちで、欲しいのが何でも手に入るってんで、みんなが毛嫌いするようになったっていうのが気に食わなかっただけで……」
「それでも、私の事を想ってくれたのはホントでしょ?」
「う、うん」
「あの山を下った時もそう。自分のことを省みず、私を助けてくれた」
美樹のその言葉に、京馬の表情は少しだけ、曇る。
「だけど、それは小学校までの話さ。中学になってからは陰湿ないじめも多くなってきて、結局は自分の身を守るので精一杯だった。何とか、周りと同調して、仲間外れにならないようにって。そして、こうも考えていたさ」
京馬は唇を噛む。
「いじめられる奴も悪いんだって」
その言葉には悲痛の感情が込められる。
「ガブリエルが俺に宿るまで、ずっとそう考えていたさ。その考えで出来たのが賢司や、尚吾や慎二や将太っていう親友さ。結局のところ、それが正しいなんて思っていた」
京馬は、美樹の手を強く握る。
「だけど、俺は、この力を手に入れて、氷室と戦って、変わった。それが正しいなんて、弱者が悲鳴を上げるのが正しいって、そういう思想が浸透するこの世界を変えたいんだ」
「確かに、そんな世界が実現できたら、私みたいなのでも、居心地の好い世界になるかもね」
「だったら──」
「でもね、私はそれ以上に、その素晴らしい世界以上に望む世界がある。だから、京ちゃんとも、戦わなくちゃいけない」
「それは一体何だって言うんだ!? 俺の作る世界以上のものを望む、美樹の世界は何だって言うんだ!?」
「私は、家族を、親友を、そして何より京ちゃんとの世界を作りたいっ! それだけを大切にしたいんだ……逆なんだよ。他は、何もいらない」
「他人はいらないっていうのか?」
「うん。……頑張ったよ。自分をいじめていた奴らも許して、みんなが幸せな世界って、でも、駄目なんだ。私は、許す事が出来ないみたい。京ちゃん、世界を創造するっていうのはね? 自分の本当の心理を反映させることしか出来ないんだよ。だから……私はそういう世界にすることは出来ない」
「だったらっ! 俺に全て任せろ! 俺がみんなを導いて、世界を変えてやるっ!」
「でも、それをさせることは出来ない。私が、望むのは……」
美樹はそこで、一寸言葉を発するのを躊躇する。
そこには、怯えがあった。
「『色欲』の、世界」
その言葉に、京馬は口を閉ざす。
京馬は、心の中に打ち付けられるほどの衝撃を得た。
それは、重く、そして鈍く、打ち付けられる。
愕然としたその表情を京馬は隠すことが出来なかった。
その京馬の手をそっと美樹は離す。
「結局は、色欲こそが本当に私の本質なんだ。これで、わかったでしょ? 葛野葉美樹って女は本当に最低な、どうしょようも無い女だって」
美樹は口を吊り上げ、笑う。
だが、それはいつもとは違う、ぎこちない不敵な笑みだった。
「……てたのか」
京馬は、声を震わせる。
「結局、今日も! 俺の事を騙し、その力で取りこもうとしていたのかっ!? 俺は、俺は……」
京馬は怒りの叫びを上げ、だがその声も少しずつ細くなってゆく。
「俺は、美樹が好きだ。だから、美樹と一緒にいるこの時間が例え仮初めであっても、楽しかった。でも、決めた」
京馬は再度、美樹を見つめる。
だが、その表情は、決意を込めた、しっかりとした表情で。
「俺は、美樹と戦うよ。初めは、まだ迷いがあった。まだ、説得すれば何とかなるんじゃないかって……でも、美樹がそんな世界を望むなら、俺は真っ向から戦ってやる! そんな世界には、絶対にさせはしない!」
京馬が決意の言葉を叫ぶ。
その言葉を発したと同時、二人を乗せたアトラクションの乗り物が出口に着いた。
光が二人に差し込む。
が、
「どーもぉ! 夢の世界は楽しかったかニャ?」
そこは、その出口にはあるべき光景ではなかった。
「何だ、ここは?」
京馬は、乗物から下り、その光景を見渡す。
「まっさらな、平原……? この感じ、捕縛結界かっ!?」
そこには、メルヘンチックな造形もなく、中世を模した石畳の道もない。
あるのは、地平線まで続く大平原と、その中央に立つ、一件の木造の小屋。そして……
「いやぁ、驚いたかニャ? ようこそ、夢子様のメルヘンワールドへっ! これから、死ぬほど楽しい、愉快、痛快、爽快な、メルヘンがはっじまるよー!」
目の前にいる、京馬と同じ位の背を持った猫の人形。
「美樹……!?」
そして、そこに在るべきものがいないことに京馬は気付く。
「お前は、誰だっ! そして、美樹は何処に行ったっ!」
京馬は、発現した五つの矢を猫の人形に向ける。
「つれないなぁ。もっと、このノリを楽しんでちょーだいよぉ、世界の命運を握るキーマンさん♪」
猫人形は、京馬の威圧を浴びながらも、ひょうきんに笑う。
「さいこぉーに、刺激的な世界なんですからぁ……」
にひひ、猫人形は、とても愉快そうに笑った。
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