祈る聖女

 かつて、世界は幻想に満ち溢れていた。

 人は飛び、大空へと羽ばたく。

 自らの手で火をおこし、鍛冶を行う。

 大海を裂き、道を作る。

 土を練り、自動人形を造る。

 夜に輝く灯りを生み出し、昼の平野を漆黒の影で覆う。

 だが、その世界も終焉の時が訪れる。

 純白の羽を持つ光と漆黒の羽を持つ闇。

 それだけではなかった。

 異形であるが神々しさを纏った獣、竜、人。

 様々な者が戦火を駆け、強い意志を持って武器を振るう。

 そして、

 ──世界は災禍に包まれ、そして一面が荒野と化した。

 横たわった死体はやがて粒子となり、そのアストラルは世界へと還ってゆく。

 そこに佇む白銀の長髪の女性。

 頬には、涙が伝う。

 純白の衣から覗かせる白い素肌には傷も何もなく、幼児のように澄んでいる。

 その手には、白蛇を象ったレリーフが刻まれた錫杖。


「何故、こんなことになってしまったの……?」


 言葉ともに、涙が溢れる。


「私達の子供達……!」


 そして、銀髪の女性は泣き崩れ、地に伏せる。




 朝の光が白い礼拝堂のステンドガラスに差し込む。

 その光はステンドグラスによって屈折しながらも、聖母の像を照りつける。

 その聖母の像の下には、祈祷する一人の女性。

 そして、


「れいしあ、れいしあ! どうしたの? なんでないてるの?」


 その横には、明朗な幼女。

 幼い少女は祈祷しながら涙を伝わせる女性に声をかける。


「……! やだ、私ったら何で泣いてるんでしょうね」


 涙を拭き、銀髪の髪をなびかせ、女性は幼女に満面の笑みを零す。


「ほら、レイシアはいつも通り元気だから、そんな心配そうな顔をしないで? 澪ちゃん、笑顔、笑顔」


 レイシアは、澪の頭を撫で、穏和な笑顔を作る。


「……うんっ!」


 幼女はレイシアに宥められ、屈託のない笑顔を見せる。


「ああ! 澪ちゃんだけずるい! 私もれいしあになでなでされたい!」


「僕も!」


「私も!」


 数人の子供達が礼拝堂に顔を覗かせ、そしてレイシアへと駆けよる。


「あらあら……みんな、起きてたのね。おはよう」


 その子供達をレイシアは抱き寄せる。


「れいしあ!」


「れいしあー!」


 そのレイシアの胸に、子供たちはうずくまる。


「私は、みんなを平等に愛する。それが、彼女との大切な『約束』だから……」


 そう言って、レイシアは子供たちを抱き寄せる腕を一層、きつくする。

 目を閉じ、祈るようにレイシアは呟いた。


「れいしあ……?」


 そのレイシアの変化に気付き、澪は首を傾ける。


「さあ、これから朝ごはんの準備をするから、みんなは食堂で待っててね。いたずらはしないで、大人しく待ってるんだよ?」


「「「うん!」」」


 レイシアの聖母のような優しい笑みに、子供達は無邪気な笑顔を返す。

 そして、礼拝堂の大開の扉へと駆け出してゆく。


「れいしあ……」


 が、一人の少女は振り返り、レイシアを見つめる。


「……? どうしたの、澪ちゃん?」


 その少女の疑念の顔を見て、レイシアは不安になる。


「れいしあは……いつもれいしあなんだよね? れいしあは、いなくならないよね?」


「……!」


 その澪の言葉に、レイシアは表情を曇らせる。

 その表情を幼女に読み取られまいと、レイシアは顔を伏せる。


「れいしあ?」


「何を言ってるの? 澪ちゃん? 私は、澪ちゃん達とずっと一緒だよ。ずっと……ずっと」


 レイシアは、優しい笑みを幼女に向ける。


「そうだよね!? レイシアはずっと一緒だよねっ!? 約束だよ!」


「うん」


 不安を内包した幼女の声に、レイシアは頷く。


「約束だからね!? 絶対だよ! 絶対いなくならないでね!?」


「うん、約束する。だから、澪ちゃんも私を信じて?」


 懇願するレイシアを見て、澪は首をこくりと頷く。


「わかった、信じる! じゃあ、私も食堂で待ってるね!」


「ありがとう、私も直ぐ行くから大人しく待ってて」


 手を振り、駆け出す澪にレイシアは手を振り返す。


「……それが、どんな形でもね」


 悲哀の表情を浮かべ、レイシアは幼女の背中を見つめ続けていた。




 大開の扉が閉まり、礼拝堂に静寂が戻る。

 ふう、とレイシアがため息を吐き、動き出そうとした時だった。


「相変わらずの人気者だな。レイシア」


「……! あなたはっ!?」


 突如、レイシアの頭上から声がした。

 それは、やまびこのように反響し、レイシアの体の芯まで伝わる。

 そして、礼拝堂の光に追従するように天から白い粒子が降り積もる。

 それは、天からの祝福のような輝かしい光と共に、地に降り立つ。


「久しぶりね。前に会ったのは、いつ以来かな?」


「恐らく、百年ぐらい前に会ったのが最後だったかな? 本当に久しぶりだ。その様子だと、相変わらず『悪魔の子』を愛し続けているようだね?」


 光の粒子は言葉を連ねながら、収束し、人型へと形を創る。


「ええ、それがリリスとの約束だから、ミカエル」


「律儀だね。僕が同じ立場だったら、即刻、彼らを皆殺しにするのに」


 完全な人型を形成した光の粒子は、やがてその光を霧散してゆく。

 そこには、人肌を持った碧眼の美しい青年が。


「私は、あなたのようにリリス……ルシファーにも、恨みなんか持っていない。あるのは、子供たちを失った悲しみだけ」


 レイシアは目を逸らし、呟く。


「……僕は、君も、君の子供達も、愛していた。その至高のアストラルは、眩き、常に輝いていた。それを、兄さんは全て奪い去った。許すわけにはいかない」


「だけど、それは……結果的にそうなってしまっただけ」


「違うっ! 兄さんは、僕達を生み出した最愛なる父を超え、自身が世界の神になろうとしたっ! そして、その可能性を人に与えてしまった! それは、この世界に生み出された者がしてはいけない大罪の中の大罪! ……僕は、止めなければならなかった! そうさせた、兄さんを許さない。そして、その計画に賛同したリリスとその子供達も、サタンも!」


 ミカエルは、憎悪の表情を剥き出しにし、声を荒げる。


「そう……私は、あなたを止めるつもりはない。否定も肯定もしない。だけど、私はこの世界の人も愛さなければならない。そこだけは譲れない。だから、この世界の人に対して、『私は危害を与えない』」


 言い切り、レイシアはその強い意志の目をミカエルに向ける。


「そうか。ならば、君の力を『僕に向けてくれ』。 それだけでいい、それだけでこの『聖戦』はずっと僕に有利になる」


 ミカエルはにこやかに微笑む。


「君の、『ラファエル』の力を僕に」


 そして、ミカエルは口を吊り上げる。


「ええ、そういうことなら力を貸しましょう」


 レイシアは無表情に頷く。


「『私達』に力を与えられたものには、誰にも敵わない」


「ふふっ、実に頼もしいものだ。君となら、サイモンにも、静子にも、そして、『他の創造神』にも引けを取らないよ。はは、ははははははははっ!」


 ミカエルは、世界を包み込むような高笑いを空へ向け、歓喜の笑みを露わにする。




 黄金色の空が世界を包む。

 世界の中心には、純白の建造物。

 そこには、その建造物と同様の純白の翼を生やした天使が無数。

 その建造物の端の空間が湾曲し、そこからするりと均整のとれた足が出現する。

 這い出た足を確認し、傍らにいた美しい灼熱色の髪の女性がお辞儀をする。


「お戻りになられましたか、ミカエル様。 ……と、そこに居られるのは」


 灼熱色の髪の女性──ケルビエムはミカエルの背後に這い出た人物を見て、一寸の沈黙をする。


「あ、あなたは、レイシア様っ!」


 そして、驚愕の言葉と共に、更に深くお辞儀する。


「いいのよ、そんなに畏まらなくて。所詮、私はあなた達天使の様な上位の存在ではないのだから」


「何を仰います! あなた様は、『創造主』の『創造』を最も色濃く反映された偉大な御方!」


「ふふ、ありがとう」


 苦笑して、ミカエルの背後にいた銀髪の女性は会釈する。

 そして、ミカエルはそれを確認すると、前方へと歩き出す。


「おお、ミカエル様! そして、レイシア様、お久しぶりです!」


 頭にバンダナを巻いた、漆黒の鎧を着た屈強な男がミカエルとレイシアにお辞儀をする。


「カマエルか、先刻は済まなかったな。お前に桐人がルシファーであることを告げていれば、そんな修復が間に合わないほどの損傷を受けなかっただろうに」


「いえ、ミカエル様がその事実を告げたくなかったという心情を、私も御察し致します」


 顔を上げたカマエルの顔には、縦に割れるように出来た裂傷が刻まれていた。

 それは、カマエルの右目を裂き、潰していた。

 そのカマエルの顔を見やり、ミカエルはふうとため息を吐く。


「レイシア」


「はい。わかりました」


 そして、ミカエルはレイシアの名を呼ぶ。

 その呼応で察したレイシアは、カマエルの顔に手を向ける。


「ラファエル」


 レイシアがそう呟くと同時、カマエルの顔の裂傷があっという間に消え失せる。


「私の傷も、失ったアビスの力も一瞬で……! これが、ラファエルの『癒しの力』っ!」


 その現象に、カマエルは驚愕する。

 ミカエルはそのカマエルの表情の変化に構わず、さらに前方へと歩き出す。


「ミカエル様! 隣にいるのはなんと! レイシア様っ!?」


「おお、ミカエル様がレイシア様をお連れになり、戻ってきたぞっ!」


「なんと、純然たるアストラル……!」


 そのミカエル達を、広間にいた無数の天使達が歓喜の声を上げ、迎え入れる。


「さあ、レイシア。その左の玉座に座っておくれ」


 純白の建造物の頂きに着いたミカエルは、眼前の玉座、その左隣のもう一つの玉座へとレイシアを促す。


「私がこんな位の高い席に着いてもいいの?」


「むしろ、君以外には考えられない。さあ」


 レイシアは、ミカエルに誘導され、席に着く。


「『御前の七天使』は……ラグエル、ザドキエル、レミエルのみか。上手くゆけば、我々天使の理想の世界を築き上げることが出来ると言うのに……全く、ウリエル同様に理解が苦しむ」


 ミカエルは眼下の天使勢を眺め、ため息を漏らす。


「メタトロンを除いた『御前の七天使』は個別の『目的』があるからね。それは『我が父』がそうするように生み出したから。しょうがないじゃない」


「純粋に世界の『守護』を任されたのは、僕だけ、か」


 再度、ため息をつき、ミカエルは玉座の先につけた腕から伸びた手に頬をつける。


「さあ、ミカエル様。私達はミカエル様のお声を望んでいます。どうか」


「ああ、そうだね」


 突如、傍らに瞬間移動した従者である守護天使の声に頷き、ミカエルは立ち上がる。

 眼下にいる天使達は、ミカエルを羨望と感激の表情で見据えていた。


「我が父の左の玉座に座っていたガブリエルを今、僕達は目前まで掴もうとしている。そして彼女を手に入れさえすれば、この世界もそろそろ終焉を迎え、『世界の変革』を始めてもいいのではないかと思う」


 ミカエルは手を拡げ、聴衆に語りかける。


「つまり、もう君達は『悪魔の子』が跋扈し、蹂躙するこの世界を管理する必要はない! 僕達は、ガブリエルの『想い』を神に伝える力を使い、新たな『神の子』を授かり、新たな世界の管理者となるのだっ!」


「おお!」


「そうだ、もう悪魔の子を管理する必要はないんだっ!」


 徐々に語気が強くなるミカエルの声に、聴衆である天使達の激情も増してゆく。


「そのために、僕達は世界を無に帰す必要がある。さあ、ハルマゲドンを始めようではないかっ!」


 ミカエルが言い終わる手前、わぁ、と純白の建造物にいる全てのものの歓声が響き渡る。


「『聖戦』は来週の日曜日、丁度あの下賤な人間とガブリエルの『馴染み』が最も深くに達する時だ。それまでは、各地の裁きを止め、力を蓄えよう。それでは、解散っ!」


 ミカエルが手を払うと同時、天使達はお辞儀し、霧散してゆく。


「ありがとうございます、ミカエル様」


 そのミカエルの側にいた守護天使はお辞儀して告げる。


「『御前の七天使』の中で最も我が父への忠誠の高いラグエル。君の活躍も期待しているよ」


「ご期待に添えられるように尽力致します」


 そう言うと、ラグエルは光の粒子となり、霧散する。

 それを確認した後、ミカエルは振り返り、隣に座るレイシアを見つめる。


「さあ、挨拶は終わったわけだが……レイシア、下の食堂へ来て貰えないか? 君にとっておきのご褒美がある。豪華な食事も付いているよ?」


 しかし、レイシアは首を横に振り、ミカエルに告げる。


「悪いけど……遠慮するね。それに、結局はあなたが私を連れてきたのは、他の天使達に私がいることで今回の戦いに優勢であることを告げたかっただけでしょ?」


「確かに、それが大元の目的であるわけだが……それだけじゃないんだ。これから時間はあるかい?」


「ううん、教会の子供達と一緒に朝ご飯を食べないと」


「……本当に、君は『悪魔の子』を愛しているみたいだね」


「ええ」


「だったら、何故僕の誘いに応じたんだい? 僕はそんな『悪魔の子』を滅亡させようとしているんだよ?」


「アストラルは私の中で生き続ける。それに、私はあなたにも、リリスやルシファーにも贖罪しなければならない。それがこの姿勢」


「そうか、じゃあ今すぐにこれを渡すよ」


 そう言って、ミカエルは頭上に手を掲げる。すると、その手の先に閃光が走り、細長い錫杖が顕現される。


「これはっ!?『第二の失楽園』で私が葬ったはず……」


 レイシアはその錫杖を驚愕の目で見つめる。


「アベルの骨で象った、この『白蛇の大錫杖オリジン・オブ・クラウザー』は君とラファエルの力の一部だ。そんな貴重なもの、僕が易々と葬り去られるのを黙って見過ごすなんて事が出来るかい?」


「なるほど、あなたらしいね」


 レイシアは驚愕の表情を微笑に変えると、立ち上がり、ミカエルに手を差し出す。


「これで、ほぼ他の勢力の勝ち目はなくなったね」


 ミカエルは歓喜の笑みを浮かべ、頭上の錫杖をレイシアに渡す。

 レイシアは、受け取った錫杖の先をミカエルに向け、告げる。


「それでも、私はその力を破壊には向けない。それは覚えておいて?」


「ああ、大丈夫だよ」


 ミカエルはレイシアの忠告に微笑して返す。

 そして、そんなレイシアを無視して、玉座の脇をすり抜ける。

 ミカエルは数歩進み、眼下に広がる黄金色の雲達を見つめる。


「やっぱり、最後は僕の全身全霊の力で終わらせたいからね。……なぁ、兄さん」


 ミカエルの純粋で、純潔で、しかし狂気を含んだ笑みは、ただ一直線に『兄』へと向けられていた。

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