桐人の正体

「どうした? 食べないのかい?」


 桐人は首を傾げ、問う。


「いえ、どうもこういう高級そうなところは初めてで、その……」


 桐人に視線を向けられた京馬は顔を伏せ、答える。

 そして、ちらりと顔を横に逸らし、大きいウィンドウを見る。

 そこには、広い都会の街を一望した景色が拡がる。

 眼下にある都市群の暗闇に光る多彩な色彩の光は、京馬に感嘆の声を上げさせる。

 と、同時に自身の生活ではあまり垣間見えないような光景に息を呑む。


「多分、京馬くんは緊張してるんですよ。こういうとこ、普通の高校生じゃあ、あんまり行かないだろうし」


 京馬の心情を察し、その横に座る咲月が皿にあるパスタをくるくると巻いて食べながら言う。


「まあ、ここは俗に言う高級料理店に近いイメージを投影させているし、しょうがないね」


 ふふ、と桐人の隣りに座るエレンが微笑する。


「まあ、気にしないで気軽に食事してくれよ。見てこれはこうでも、所詮は『ただの食堂』なんだから」


 苦笑して、桐人は言う。


「は、はい。そうですね。わかっているんですけど……」


 京馬は恐る恐る眼前にあるスープを飲む。


「しかし、本当に綺麗な景色ですねー! これも、この力で命懸けで戦っている対価といえば安いものかな?」


 咲月はウィンドウに映る景色を見ながら言う。


「そうだね、さて本題だが……」


 咲月の感嘆の声に頷き、桐人は口を開く。


「ミカエルに会ったと言うのは、本当かい?」


 桐人は険の表情で京馬に問う。


「はい。てっきり、俺に用があるのかと思ったんですけど違うみたいでした。……静子さんから、あのケルビエムを守るために現れたみたいです」


「ふむ……」


 京馬の答えに、桐人は顎に手を当て、思慮する。


「あいつが『天界』から現界する時は、相当特殊な理由でない限り在り得ない。ガブリエルと充分すぎるほど『馴染んだ』京馬くんを差し置くほどの……それほどまでにケルビエムを手放したくないということか? それとも……」


「それほどまでに、静子という存在に脅威を感じた、か」


 桐人の呟きにエレンが割って入る。

 一同がエレンへ視線を向ける。


「桐人も感じたでしょう? あの異様な氣を。あれは、まるで……」


 エレンは言葉を途切れさす。

 目は、桐人へ。

 その視線を向けられた桐人は目をつむる。


「ああ、あの『現人神』は、『不死身』だ」


「不死身……!? つまり、死なないってことですか?」


 桐人の漏らした言葉に、京馬は驚愕する。


「ああ、そうだ。静子さんは寿命でも、損傷でも、死ぬことはない。絶対的な存在」


 桐人は顔を曇らせる。


「そして俺と、同等の存在、か」


 桐人は周りに聞こえないような、か細い呟きをする。

 しかし、その悲しみを内包した声をエレンはしっかりと聞いていた。

 そして、エレンは口を開く。


「そうね、静子はあんたの本当の正体を知っている」


「桐人さんの、本当の正体?」


「そう」


 首を傾げ答える京馬に、エレンは頷く。

 そして、エレンは意を決して、言葉を放つ。


「桐人、『時期』が近いわ。もう、この子達にはあんたが何者なのか、さらに『呪い』も、そして『因縁』も……全て話させてもらうわよ? ああ、駄目よ? 文句あっても力づくで話させてもらうから」


 言いかけた、桐人を制し、エレンは続ける。


「……そうだな。京馬くんも、咲月ちゃんも、俺と関わりすぎた。知る権利は、ある」


 桐人は観念し、エレンへ言葉を託した。


「そう、それでいいわ。あんたは、結局何もかもを背負いすぎなのよ」


 エレンは穏和なため息をつく。

 そして、京馬と咲月に目を向け、語る。


「桐人は、リチャードでもあり、ソロモン王でもある。さらに幾重数多の英雄でもあった。でも、根源は人じゃない」


「人じゃあ……ない?」


「じゃあ、桐人さんは……?」


 京馬と咲月はエレンの声に強く耳を傾ける。


「天使よ、桐人は天使だった。それも、最も『この世界を創造した神』に愛された、ね」


「桐人さんが……天使!?」


「う、嘘だよね!?」


 エレンの言葉に、京馬と咲月は衝撃を受ける。


「本当よ。さて、どこから話そうかしらね」


 エレンは思慮し、言葉を綴り、さらに語り始める。


「これが発覚したのは、ごく最近のことだわ。そう、今から三年前……私達『アダム』とミカエル擁する天使勢、さらには私を狙ったカルト教団『C』との戦いがあった時」


「三年前……!」


 エレンの言葉に、咲月は顔を伏せる。

 その表情は、先ほどまでの明朗さはなかった。

 京馬はその表情を心配そうに見つめる。

 が、首を動かし、京馬は言った。


「三年前……知っています。確か、その時も世界の命運を賭けた大きな戦いがあったって剛毅さんから聞きました」


「そう。聞いてるだろうけど、それは私の因縁の戦いでもあったのよ。……私を幼い頃から狙い続けていたカルト教団『C』が、丁度その三年前に突如姿を現わしてね。それをみんなで退治したんだけど、その時に桐人の正体がわかったのよ」


「……それは、どういった経緯で?」


「教団『C』の幹部達は、恐ろしいほど強くてね。その首領が私の『ケツアクウァトル』と対になっている『テスカポリトカ』を宿したインカネーターだった。そんな奴らと桐人とは何時死ぬか分からないようなギリギリの戦いを繰り広げていたわ。だけど遂に、桐人は死んでしまった……はずだった」


「はずだった?」


 エレンの含みを持つ表現に京馬は首を傾げる。

 エレンは首を下に振り、続ける。


「そう、桐人は死んだはずだった。──だけど、生き返った。いや、『目覚めた』と、言えばいいのかしら? とにかく、桐人は立ち上がり、その場にいる全てを破壊し尽くした」


「俺が、『桐人』である時の最大の失態だ」


 桐人は顔を伏せ、歯ぎしりする。

 そして、ゆっくりと顔を上げ、口を開く。


「『ルシファー』となった俺は、『呪い』によって自我が失われていた。そして、その力が暴走し、敵味方関係なく消滅させてしまったんだ」


 桐人は再度顔を伏せ、項垂れる。

 エレンも顔を伏せ、桐人にかける言葉を模索するが、言葉は沈殿し、出てゆかない。

 京馬は傍らの咲月へと目を向ける。


「そっか、だから、桐人さんは自分が天使であることを黙っていたんだね」


 咲月は首を下に振る。

 その表情は無表情だった。

 まるで、自身の感情を抑えるように──


「そうだ、あの三年前の大量虐殺は天使でも、『C』の連中のものでもない。俺がやったんだ。仲間殺しの罪……多くのベテランのインカネーターを亡くしてしまった。時期が来るまで黙っていないとアダムでの俺の立場はなくなっていた」


 はは、言った手前、桐人は乾いた笑いをする。


「そういうことだ、咲月ちゃん。今まで偉そうなことを言っていたが、結局俺は人のことを言えないどころか、それ以上の罪を背負っていたんだ」


 その桐人の言葉に、咲月は目を瞑り、黙り込む。


「別に軽蔑しても構わない。俺を他の仲間に糾弾しても構わない。俺は自身の目的のため、隠蔽し続けてきた。下卑た行為だ。しかも、今日だってエレンが告げなければ、俺は隠蔽し続けてきただろう」


 桐人は咲月の閉じた目を見て、言う。


「確かに、最低です。私なんて、それで今でも悩み続けているんですから」


 咲月は目を見開き、告げる。


「でも、私は桐人さんが仲間のみんなを大切にしていた事を知っています。仲間のために自分の命を省みずに助けてくれたりもした。……私は、桐人さんを信じています」


 そう言って、咲月は微笑む。


「だから、そんなに黙っていないで、早く教えてくれても良かったのに」


「……済まない。ありがとう」


 桐人は顔を下に落とし、言う。


「ね? だから言ったでしょ、さっさと公表すれば良かったのよ。確かに、あんたが殺してしまったという事実はある。だけど、あれは事故みたいなもの。誰も知る由もなかったし、知っていてもどうする事も出来なかった」


 嘆息して、エレンは告げる。


「あの義理人情の固い、剛毅ですら納得してくれたんだから」


 言って、エレンは苦笑する。


「それで、その桐人さんの秘密をどれくらいの人が知っているんでしょうか?」


「組織の支部長クラスや、本部の幹部達。後はこの日本支部の剛毅や和樹とかの一部幹部といったところかしら? ……だけど、今回の天使達の戦いで、全ての組織の者に公表するつもりよ」


 京馬の問いに、エレンは答える。


「そういえば、『時期』って言ってましたけど、この戦いに乗じてその秘密を公表するのは何でですか?」


 さらに続く、京馬の問いに、桐人とエレンは顔を見合わせる。

 そして、桐人は京馬に顔を向け、告げる。


「それは、俺とミカエルとの『因縁』が関係することなんだ」


「その『因縁』というのは?」


「……とても、とても昔の話になる。俺とミカエルは『この世界を創造した神』が生んだ最初の生命体だった。俺はあいつの『兄』という立場だった」


「ミカエルと桐人さんが兄弟……!?」


「そうだ。俺の本当の名は『ルシファー』。七つの大罪の一つ、『傲慢』に対応する元『この世界』の支配者だった。そんな絶対的存在が、今の姿になったのはわけがあってね。どこから話せばいいか……」


 桐人は机に肘を置き、組んだ手に顎を乗せる。

 目を逸らせ、一寸の思慮の間。


「まず、今の人間の成り立ちから語らなければならないかな」


 逸れた目を戻し、桐人は続ける。


「今の人は、厳密に言えば『人』ではない。『本来の人』の『アダム』と『リリス』という本当の意味での純粋な悪魔から生まれた『混血種』だ。つまり、君達は『悪魔の子』と言う事になる」


「俺達が、悪魔の子……!」


 京馬は、桐人の言葉で、対峙したケルビエムが言っていた事を思い出す。

 ──穢れきったアストラルを持つ、悪魔の子。


「そうだ。君達の原初の存在は厳密に言えば、そのリリスとアダムの子である『カイン』という混血種だったものから派生した先祖だ」


 桐人は京馬の呟きに頷き、さらに続ける。


「ことの発端は、俺が『サタン』と共謀して起こしたアダムに『知恵』を与えた時からだ」


「それって、つまり『失楽園』ですよね?」


 しばらく険の表情で黙って聞いていた咲月が割り込む。

 桐人はその咲月の問いに、頷く。


「そう、俺が初めて神に背いた事件だ」


「何で、神に楯突こうとしたんですか?」


 咲月はさらに桐人に問う。


「単純な話だ。俺は『傲慢』であって、神を超えようとした。さらには自分達を

模して造られた『玩具』にとても興味があっただけだ」


 桐人は苦笑する。


「俺は神の軍団に敗れた後、そのポテンシャルを多く秘めた人間というものをついでに解放してやろうとしたんだよ。『ヤハウエ』の支配から解き放って、ね。そして俺を尊敬している多くの神や天使を再び集め、『エデンの園』へ侵攻した」


 桐人は組んだ手を戻す。

 そして、手元にある紅茶を一飲みする。


「結果は、聖書通りさ。企みは成功し、人は進化の可能性を得た。しかし、『サタン』と俺はアビスにある極寒の幽閉所、『コキュートス』へ封印されてしまった。そして、同志の神や天使は堕天し、悪魔と成り下がった。しかし、ここで聖書には描かれていない事が起こる。アダムと共に造られたリリスが、突然消失したんだ」


「アダムと共に造られたのはイヴじゃあないんですか?」


「いいや、初期に造られたのはアダムとリリスだった。イヴはその後に造られたんだ。その理由が酷いもんでね。何でも、リリスが欠陥品であったためであるらしい」


「欠陥品……?」


「ああ、その欠陥である理由が、また面白くてね。『創造主』を超える可能性があったため……たったそれだけの事らしい」


 ふふ、と桐人は微笑する。それは、まるで小馬鹿にしたような素振りであった。


「そして、イヴとリリスは禁断の知恵の実を口にした途端、つわりが始まった。その後にリリスは消えることになる」


「何で、リリスは消えたんですか?」


 京馬が首を傾けて、問う。


「単純だ。自身が無下にされる世界に嫌気がさしたのさ」


 苦笑して、桐人は答える。


「そして、アダムとイヴも禁忌を犯したことで楽園を追放されることになる。そこで、『本来の人』であるアベルとセトが生まれる。しかし、そこにリリスの子であるカインが突如姿を現した。カインは言った、『我が母が欠陥品と蔑まれ、何も手つかずになってしまった。何もしてくれない。もし良かったら、僕も一緒に住ませてもらえないか』」


 桐人は、一寸の間を置く。

 そして、思慮した後、口を開く。


「そのカインの要求にアダムとイヴは承諾し、共に住む事になった。しかし……」


「カインが、アベルを殺した」


 咲月が割り込み、言う。


「そうだ。それは、リリスがカインに命令を下したものだった。それがミカエルに発覚し、カインは罰を受け、リリスは地獄へと追放されることになる」


 桐人は咲月の言葉に一寸、目を丸くするが、構わず続けた。


「そして、時は流れ、人は増え、魔法によって急速に発展していった。この時期の人はアビスの住民に匹敵するほどのとても強力な存在であった。その中で、さらに抜きん出ている力を持った種族がいた」


 再び、桐人は紅茶に手を取る。

 その桐人の仕草をちらりと見つめた後、京馬はさらに問う。


「その種族というのは?」


「鍛冶の種族──殺人者カインの末裔のものだ。つまり、君達『悪魔の子』の祖先さ」


 その言葉を聞き、京馬と咲月はさらに聞き入る。


「ミカエルは『創造神』ですら拮抗しうるその鍛冶で生み出される武器の強さに恐怖を感じていた。さらに、それが自分の毛嫌いするリリスの子であるカインの末裔ときた。悩んだ末、ミカエルは人が神に到達するであろうこの世界のシステムを変えようと行動を起こすようになる」


「それが、『この世界』の成り立ちですか?」


 京馬の問いに桐人は頷く。


「そう、ミカエルは様々なものと共謀し、魔法が上手く行使できない世界へと変容させようとしていた。……が、俺とリリス、そしてサタンはその下卑た行為を黙認することができなかった」


 桐人は嘆息し、そして告げる。


「それが、第二の失楽園と言うべきものの始まりだった」

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