『裏側』の友人達

 喫茶店のウィンドウから見える数多の人々。

 恋人、友人、先輩、後輩、上司、部下、または一人。

 各々が喜怒哀楽のさらに複雑多様な表情をしながら、大通りにある喫茶店を横切ってゆく。


「……何で、人は欲を抑え込んで生きているんですかね。ミシュリーヌさん」


 ふと、葛野葉美樹は呟く。


「じゃなきゃ、人間社会は回らないからでしょ? 欲望赴くままだったら、ここも地獄絵図と化しちゃうじゃない」


 美樹の傍ら、美しくしなやかな髪を結び、横に流した女性──ミシュリーヌが呟きに反応する。


「まあ、それはわかるんですが……でも私の『色欲』は、解放してしまっても良いと思うんですよ」


「ふふ、それは『ソドムとゴモラ』っていう街の悲劇の二の舞になるよ。『本来の人』はそれで大部分が滅んだらしいね」


 碧眼の目を細め、ミシュリーヌは微笑する。


「『ソドムとゴモラ』……それって、浅羽様の捕縛結界ですよね?」


 チョコレートフランペチーノをストローで飲みながら、美樹は問う。


「そう、元々はあの街が『色欲』に溺れたのは、『ベリアル』の仕業だったらしいね」


 対して、ミシュリーヌの机に乗せた肘下には抹茶クリームフランペチーノがある。

 それを手に取り、ストローを咥える。


「ああ、アスモデウスも言ってますね。自身も介入したけど、大元はベリアルだって」


「やっぱり、アスモデウスも介入してたのね。道理で」


 ミシュリーヌは頷く。


「でも、結局は『神』が審判を下したと聞いています。だったら、『神』さえいなければ……」


 美樹は目を細める。


「私は、こんなに苦しい思いをしなくて済むのに」


「……そうね」


 ミシュリーヌはそんな美樹を横目で見、そしてまたウィンドウの景色を眺める。


「ミシュリーヌさんはもし世界を変えられるとしたら、どうしますか?」


「世界を、変える?」


「そう、今の世界を自分の望むままの世界にもし変えることが出来るとしたら?」


「そうねぇ」


 ミシュリーヌはストローを回し、思慮する。


「まず、私がインカネーターになった根源をなかったことにするかなぁ」


「それで?」


「その後は、素敵な恋人と出逢って、色々なことをして……」


 ミシュリーヌはため息を吐く。

 そして、美樹へ視線を向け、


「止めましょ、少し昔を思い出しちゃった」


 少し、不機嫌な表情を浮かべて言った。


「そういえば……すみません。変な事聞いてしまって」


 苦笑して、美樹は告げる。


「美樹ちゃんは、どうなの?」


「私は──」


 美樹がミシュリーヌの問いに答えようと口を開いた時だった。


「あれ、美樹じゃない? ……誰、そこの外国人!? 綺麗!」


 背後の声に美樹は体を硬直させる。


「ああ、本当だ。こんなところで何してるの?」


「てっきり、いつもの坂口のグループで遊んでいるかと思ったわ」


 そして、さらに後方に二人の聞き慣れている女の声。


(ふう、白井達……か)


「ふふ、もう一回、精神を根こそぎ削ぎ落してやるか?」


 美樹の頭の中、アスモデウスが提案する。


「いや、いいよ」


 美樹は心の声で、悪魔の提案を却下する。


「あなた達、美樹ちゃんのお友達?」


 ミシュリーヌは微笑んで、白井達に問う。


「はい、そうですよ!」


「そう」


 笑みを変えず、ミシュリーヌは会釈する。

 そんなミシュリーヌを見て、白井は問う。


「凄い、綺麗ですね! もしかして、モデルとかやってます?」


「ううん、私は一応建築会社に勤めているけど」


「じゃあ、社会人なんですねっ!? 美樹とはどういった関係なんですか?」


「まあ……友達、かな。美樹ちゃんのお父さんが勤めている会社と交流があってね。一度、自宅を訪問した時に知り合って、たまにこうやって遊びに行ったりしてるんだ」


「へえ……だったら、一応忠告しておきますけど──」


 白井は、ミシュリーヌの耳元に囁く。


「美樹といると、色々と段々ウザくなってくるから、引き際を考えないと嫌な思いをするはめになりますよ」


 そう言った白井は口を吊り上げる。

 ふふ、と周囲の女子達も含み笑いする。


「そう」


 ミシュリーヌは、嘆息する。

 そして、にこやかな笑みを浮かべ、告げる。


「ごめんなさいね。私は美樹ちゃんより、あんた達と話してる方がよっぽど不快と感じるわ」


「……!」


 ミシュリーヌの言葉に白井達は眉を吊り上げる。


「そうですか……でも、そいつに好きな男の心を取られたって、知らないですよ?」


「それは、大丈夫」


 ふふ、ミシュリーヌは微笑する。


「私、男は嫌いだから」


 ミシュリーヌの言葉に、白井達は茫然とする。


「そ、それってつまり……」


「うん。私、レズなの」


 笑みの表情を歪ませ、白井は後ずさりする。

 女子達は苦笑いを浮かべ、美樹達に対し、背を向けようとする。


「そうですか……じゃ、じゃあお邪魔でしたね。私達はこれで……」


「一つ、忠告しておくけど」


 途端、美樹は椅子から立ち上がり、白井へと目を向ける。


「あんた達が私に対して何をしようが、害がなければ今の私は気にしない。でもね、」


 美樹は目を細め、続ける。


「あんた達の行動が、もし私の害になる行為になるのなら、その時は容赦しない。……徹底的に潰すよ」


 その言葉を放った美樹は、人とは思えぬような圧倒的な氣の威圧を放つ。

 白井達を始め、周囲の人々はその威圧にたじろぐ。

 そして、驚きの表情とともに、美樹を見つめる。

 その目は恐怖を纏っていた。

 そう、まるで──邪悪な悪魔を見ているような。


「は、はぁ? 意味わかんね。やれるもんなら、やってみれば? はははっ、言っておくけど、お前の味方なんてあのヲタク転校生ぐらいしかいねえよ?」


 冷や汗を掻きながらも、白井は笑いを含め、小馬鹿にするように言う。


「どうかな? じゃあ早速、明日試してみても良いよ? ……あんたの身の安全の責任は取れないけど」


「……!」


 美樹は微笑し、忠告する。

 しかし、先ほどより増大した美樹の纏う氣は、その笑みと対比して醜悪だった。

 その氣に当てられ、白井は言葉を無くす。


「ちょ、ちょっと、大丈夫!?」


 その白井の状態の変化に気付き、周囲の女子が尋ねる。


「だ、大丈夫だよ!」


 白井はそう答えたが、焦燥の表情を浮かべていた。

 早く、この場から抜け出したい。

 白井の中を過ぎるそれは、本能的な思考であった。


「なんだこいつっ……みんな、行こう!」


 罵倒し、白井は逃げるように去ってゆく。

 その後ろを戸惑いながらも、一緒にいた女子達が着いてゆく。

 自動ドアが閉まり、辺りが静寂に包まれる。

 店内の人々の視線は一人の少女に集中していた。


「ふう、まさか、あんなにビビるとは思わなかった」


 そう呟いた美樹は周囲に目を向ける。

 すると、人々は目を逸らし始めた。


「……やれやれ、なんか空気が悪くなっちゃったね。……すみません、ミシュリーヌさん、出ましょうか?」


 そんな異様な空気の中、平然とした表情でストローを咥えているミシュリーヌに美樹は提案する。


「あーあ、美樹ちゃん、やっちゃったね。しょうがないな」


 ミシュリーヌは微笑し首を縦に振り、席を立つ。




 夕暮れの薄暗い路地裏。

 そこに佇む建物の壁面は黒く薄汚れている。

 そこを歩く二人の美女。

 各々の髪は黒とブロンド、対比しているようでしかし、その情景に不自然さはなく調和している。


「美樹ちゃんは、アビスの力を一般人でも認識させちゃう『混在覚醒状態』なんだから、気をつけて力を使わないと」


「すみません、ちょっと知らしめてやりたかったんで……」


 傍らにいるミシュリーヌへ苦笑して美樹は告げる。


「まあ、その気持ちは分かるんだけどね」


 そう、ミシュリーヌは微笑んで答える。

 その右手は錆びれたビル、その入り口のドアノブへ。

 ミシュリーヌがそのドアノブを捻り、ドアを開けるとそこには別世界が拡がる。

 そこは、例えるならば中世の世界。

 眼前には、高く聳える塔から燃え盛る炎を放つ巨大な城。


「あれ?」


 ミシュリーヌと美樹の目に留まったのは、その入り口となる巨大な門の前で立ち尽くす大男。

 しばらくは剃っていないだろう無精ひげに手をやり、思慮している。

 その背には、布で覆われた巨大な筒状の物体を背負っていた。


「こんばんは、新島。どうしたの? そんなところで立ち尽くして」


 怪訝な表情でその大男、新島にミシュリーヌが尋ねる。


「お、おう……ミシュリーヌに、美樹ちゃんか。がはは! 実は通行証、忘れちまってな。どうしようか、考えていたんだ!」


 豪快に笑い、新島はその大きな右手で頭を掻く。

 新島の周囲には、鈍器で殴られたような痕のついた、ぺしゃんこになった白銀の甲冑が幾つも転がっている。


「あーあ、私の『絶対忠義の兵士パトリオット・ソルジャーズ』達が……」


 その転がる白銀の甲冑を見て、ミシュリーヌが嘆息する。


「しょうがないだろ、いきなり襲ってきたんだから。それに、俺の『ベヘモス』の力は加減がむずいんだ」


「それを言ったら、私の『サブノック』の力の制御力にも限界があるって知ってもらいたいんだけど。プログラム上では、一旦『この捕縛結界』内から出れば襲ってこないんだし、外で待っていれば良かったのに」


 ジト目でミシュリーヌは新島を見つめる。


「そ、そうか! そうすれば良かったんだっけか? がはは、悪い悪い、忘れちまってたぜ」


 一寸の間を置き、新島は手をポンと叩いて言う。

 ミシュリーヌは、そんな新島を見てさらに嘆息する。


「相変わらずだね、新島」


 苦笑して、美樹は言う。


「また、修復かー。人間的な行動させるプログラムは、無駄に精神力使うんだからね? 全く、門番役もこんな人が多いと楽なもんじゃないね」


 ミシュリーヌは地面に転がっている甲冑達を見ながら呟く。

 そんなミシュリーヌを新島は申し訳なさそうに見つめていた。


「ううむ、わかった! 代わりにこのおにぎりで許してくれ!」


 そして険の表情を浮かべ、新島は懐からその巨大な右手でも覆いきれないほどの特上の大きさのおにぎりをミシュリーヌに差し出す。

 そのあまりにも真剣な表情にミシュリーヌと美樹は顔を見合わせ、苦笑。


「い、いいや……もう、気持ちだけでいいや」


 ミシュリーヌは制し、一行は門番のいない門を開く。




 煌びやかな黄金の装飾物で覆われた王宮。

 そこには、百人以上はいるであろう人が屯していた。


「……凄い人の数だね。これが、全部インカネーターなんだ」


 その圧倒的な人数に、美樹は息を呑む。


「そうだねぇ……私が最初に入った時は、まだ二十人前後辺りだったのに」


 珍しい情景を見るように、ミシュリーヌは辺りを見渡す。


「がはは! こいつら全員が戦ったら、誰が勝ち残るんだろうなぁ?」


 そう言って、新島は景品を見つめるような目つきで一人一人、物色し始める。


「多分、新島じゃない? Aクラスレベルの強さ持ってるのって、そうそういないし」


「へへっ、やっぱり俺かなぁ?」


 照れ笑いをして、新島は呟く。


「美樹ちゃん、あんまり新島を調子づかせちゃ駄目だよ。面倒くさいから」


 苦笑して、ミシュリーヌが告げる。


「ああー、何だか凄い戦いたくなってきたなあ……あ、あいつとか強そうだな。少し、手合わせ願おうかな」


「ちょ、ちょっとストップ! これから、浅羽様のお話があるんだからもうしばらくジッとしててよ!」


 ミシュリーヌが新島の腕を引っ張り、制止する。


「これから、『フォールダウン・エンジェル計画』での我らアウトサイダーの作戦を、浅羽様がご説明して下さります。 皆様、お静かに」


 途端、王宮内に声が響き渡る。

 皆が、その声の主のいる場所へ目を向ける。

 その視線の先、玉座の手前には執事服の褐色の肌を持つ男が。

 空間は静寂に包まれる。

 そして、途端に玉座が炎に包まれる。

 炎が止むと、玉座には揺らめく炎の模様を持つ漆黒の鎧を着込んだ男と、その傍らに蒼白の仮面を被った黒いローブを着る人間。


「各々が忙しい中、集まってくれてありがとう」


 悠然と足を組み、鎧を着た男、浅羽が告げる。

 その声は穏和であるが、表情はかけてあるサングラスで窺い知れることは出来ない。


「フム、思ッタ以上二駒ガ揃ッテイソウダナ」


 一方で、傍らの黒いローブの人間……キザイアは、顎に手をやり、機械加工されたエコーボイスで呟く。


「では、これから我らアウトサイダーの最大目的である、アダム、天使どもの殲滅作戦の概要を説明する」


 浅羽は玉座から立ち上がり、聴衆へと威厳の声を響かせた。


「……いよいよ、だね」


「ああ。美樹の望む世界、叶うといいな」


 美樹は、頭の中の悪魔と対話し、不敵な笑みを浮かべた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る